Ring (3)
秋に入り、冷たい風が吹き始めた頃の事。ある公園にある噴水の淵に腰かけながら、大学生となった紗由は腕時計に目をやる。時間は一〇時。待ち合わせの時間ジャストだ。
今日はデートをしよう、と言い続けてた日。待ち合わせは噴水前で一〇時のはずだったのだが、泉の姿が見当たらない。辺りを軽く見回してみるが、彼らしい姿はなかった。
不思議そうに首をかしげていると、彼女の白い携帯から振動が伝わってくる。取り出してメールを覗いてみると、彼からだった。
文面を読むと『ごめん! ちょっと遅れる』との事。それを読むと、彼女は小さくため息を漏らし『女子待たせるってどういう領分よ?』と打ってから送信した。
暫くするとメールが返ってきたので開くと『……ホントにごめん!! 何か奢るから!!』
『じゃあそれに免じて、もう少し待つわよ』
打ち終えると「送信……っと」小さく呟いて送信ボタンを押した。
数分してから返ってきたメールには『あと少しで待ち合わせ場所だねー ……だからもうちょっと待ってて!!』と書かれている。
(……あと少しで来るのね)
文面を読み、少し笑むとパタン、と携帯を閉じる。彼が来たら何を話そうか。そんな事を考えながら、ふらふらと足を軽く振っていた。
それから数時間後。いくら待っても彼は現れなかった。
一時間経っても現れなかった事を不審に思い、彼に『まだ?』というメールを送る。しかし返信はなかった。
待っている間、彼女の中で不安が渦巻いていた。どうしようもない不安が、彼女の中をくるくる回る。
そんな彼女は、お人よしの彼の事だから、誰かを助けて遅くなってるんだろう。そう自分に言い聞かせていた。
最低な最悪な理由を考えない様に、思わない様に。
自分に永遠と言い聞かせていた、そんな時。ブルルル、とマナーモードにしていた携帯が振動し始める。
画面に目をやると、『泉』と浮かび上がっていた。彼女はぱぁっと顔を明るくすると、すぐに携帯を開いて「もしもし!?」思わず語尾を強くしながら声を発する。
それに対し、電話越しの声は『……紗由……さんですか?』と遠慮気味に問いかけてくる。
その声を聞いた瞬間、彼女はピタッと行動を止めた。指一本動かせなくなってしまう。
電話越しの声が、彼じゃなかったから。玖珂泉じゃなかったから。
厳格そうな声は返答がないのを心配してか『……もしもし?』問いかけてきた。
「……は、はい……」
『紗由さんでよろしいでしょうか……?』
「ええ……」
彼女が小さな声で肯定すると電話越しの男性はほっとしたらしく、少し和らいだ声で『そうですか、よかった』と述べる。
「えっと……どちら様?」
『ああ、私は……』少し戸惑った声音で『……警察の藤堂という者です』
警察、という単語を聞いた瞬間彼女の胸がドクンと大きな音を立てる。
『何とも言いづらい話なんですが……』
言葉は続く。言葉が進むたびに、彼女の足が小刻みに震え始めた。まだ聞いていないのに、先に続くであろう言葉が予想できてしまったからだ。
予想された言葉は、彼女を絶望へと落とす。
世界が暗転する。漆黒の闇に彼女だけ存在していた。そんな漆黒の中で一つの声が残酷に響き渡る。
『――玖珂泉さんがお亡くなりになられました』
その声が脳内に響き渡った瞬間、瀬原紗由は冷や汗で全身を濡らしながら目を覚ます。
(……最悪な目覚めね)
そう想いながら上体を軽く起こす。額に軽く手をやって前髪を触り、ため息をついた。
あの後、ブレーキが故障してしまった車に彼が跳ねられた、という事実を聞いた。運転途中にブレーキが利かなくなってしまったらしく、車は勝手に暴走したとか。
その説明の後に、警察は『不慮の事故でした』と告げる。
やるせない気持ちを抱きながら、あの事を夢で見るのは何度目かと考えていると。
すっと彼女の目の前に、白いマグカップが差し出された。
きょとんとして顔を軽く上げると、青髪のメイド姿の女性が穏やかに微笑んでいる。マグカップからは少し湯気が立っており、温かい飲み物だと一目で分かった。
「どうも……」おずおずとしながら受け取ると、女性は「いえいえー♪」満面の笑みで返してくる。
紗由は思わず女性をじっと見つめる。かなり整った顔立ちだ。モテるんだろうな、そう思っていると、先ほど自分を気絶させた女性と類似している事に気がついた。
同一人物か確かめるべく、頭からつま先までじっと見つめてみる。目に留まったのは手に持っている箒。海の様な色合いの青い髪。そしてメイド服という不思議な格好。
何処からどう見ても、先ほど自分を気絶させた女性だった。
思わずキッ!と強い視線を向ける。すると女性はひらひらと両手を振りながら「大丈夫ですよー、もう何もしません♪」と言ってきた。
「……は?」
その言動と行動に拍子抜けした彼女は思わず間抜けな声を出してしまう。先ほど自分を気絶させた女性がそんな事を言うのだから当たり前だろう。
眉間にしわを寄せ、睨みつけるように見つめる。対して女性はにこにこと笑いながら相変わらず手を振っていた。
観察をして、女性に悪意や殺意がない事を確認すると紗由はため息を漏らして「……じゃあ、聞きますけど……ここはどこです?」
「何処と言われますと、列車の中ですねー♪」
紗由の問いかけに、女性――詩伊瀬木夏は満面の笑みで予想外の返答をした。それを聞いた瞬間、思わず「……は?」と声が漏れる。
「ですから、列車の中です♪」
「は? いやいや、そんな訳ないでしょう? さっきまで地上に居たのに何で列車ですか?」
「今から会いに行くからですよー♪」
「……誰、に?」
彼女が訝しげに問いかけると、木夏は「決まってるじゃないですかー♪」明るい声で、さも当然と言う風に。
「玖珂泉様にですっ♪」
そんな会話がされている時、話題の中心人物――玖珂泉はあの日待ち合わせしていた噴水に腰かけていた。
白いレンガ造りのそれに腰かけ、冷たい水に手を差し入れてみる。予想より冷たかったのか、小さく「つめたっ」呟いて手を引っ込め、ズボンで手を擦る。
そんな彼の行動、言動、容姿。全てが生前と何ら変わりはない。
外から分からない違いと言えば、生きているか死んでいるか、ただそれだけ。
たった一つの違いだが、かなり大きな違い。
それを改めて考えながら、泉はゆっくりと足元に目を向ける。透けているかも、という恐怖心を抱いていたのだが足は透けておらず、地面をしっかりと踏みしめている。
それを感じながら、それでも死んでいるんだな、と想う。
生きていた頃と何ら変わりはないのに、僕は死んでいるんだな。そう想っていた。
それを考えた瞬間、理解した瞬間。寒気が全身を襲った。ぶるっと震えながら右手で左腕を掴む。少し震えながら、「やっぱり……死んだんだよね……」ぽつっと呟いた。
そんな彼の頭によみがえる、記憶。
死という言葉に直面した時の記憶。
あの日、紗由に最後のメールを送った時。彼は横断歩道で信号が青に変わるのを待っていた。
待ち合わせ場所まであと数百メートル、といったところか。軽く目をやり、会ったらどうやって謝ろう……と頭を悩ませる。
理由を述べようかと思ったものの、この事を言ったらサプライズじゃなくなるしなぁ……、そう想いながらもう一度ため息を漏らす。
彼は視線を空中へと向けた。澄み切った青い空を暫く眺めてから、少し高い位置にある信号へ視線を移す。
刹那、パッと歩行者信号が赤から青に変わった。
周りの人が動き出したのを感じながら、彼も足を道路へと向けた。そんなときに。
――ププーッ、と聞き慣れないクラクションが辺りの静寂を貫く。
「……へ?」
思わず間抜けな声を発しながら、ゆっくりと其方に視線を向けた。その瞬間。
事態を認識しきれていない彼の体が、容易く宙を舞った。
唐突に生じた浮遊感。足に地面を踏んでいるという感覚がまるでない。それなのに宙を飛んでいるという事を中々認識できないでいると、そのまま地面へと叩きつけられた。
コンクリートに叩きつけられた所為で、体が悲鳴を上げる。そのまま転がって行き、ドン! という音をさせながら頭を近くの建物へとぶつけてしまった。
意志と反した動きが止まってから、一拍遅れた悲鳴が響く。その後に続く、叫び声と悲鳴。
『おい、救急車は!?』と、声を荒げる体格のいい中年男性。
『血……!!』と、青ざめた表情で口元に手を当てながら言う私服姿の女性。
『今呼んでるっつーの!! ってか此処何て説明すればいいんだよ?!』と、携帯を片手に持っている茶髪の少年が大声で叫ぶ。
『止血しないと……!! 誰か、ハンカチ貸してください!』と叫んでいる、メガネの真面目そうな風格の青年。
『……君っ、しっかりしろ!!』と叫びながら泉の肩を軽く触る、白髪混じりの老人。
そんな声が、ぼぅっとした意識の向こう側で響いていた。
ガンガン、と頭に声が響く。少し小さな声でしゃべってください、そう言おうとしたが口が動かない。口内には言葉の代わりに鉄錆の味が広がっていた。
それを認識してようやく、自分が重傷である事に気がつく。にも関わらず、彼は呑気に
(……紗由ちゃんのトコ、行かなきゃなぁ……)
と考えていた。
待たせている彼女の元へと早く行きたい。そんな事を想いながらゆっくりと手で地面を触る。力を入れて立ち上がろうとしたが、全く力が入らない。
それほどまでに重傷なのか、僕はそれほどまでに危険な状態なのか。
靄がかかった様な視界。くぐもった様に聞こえる音。全てにおいて現実感がなく、夢の中に居る様な感覚。
そんな状態でもなお、彼女の下に行く事を考え続ける。
会いたい、そんなたった一つの想いを抱きながら彼は必死にもがき続ける。
そんな状態の彼の前にふっと、目の前に誰かが降り立った。
ゆっくりと顔を上げる。痛みに顔を歪めていると、目の前の人物は「……こりゃまた凄い事になってんなぁ……」感情を殺した様な声で述べた。
全てがくぐもって聞こえるような状態にもかかわらず、彼の声だけはしっかりと耳に届いてくる。
ぼやけた視界の中でも、彼の姿だけはしっかりと見えた。
少し跳ねた黒髪に黒目。背は比較的高い方だろう。年は一七程だろうか、何処か子供らしさ、少年らしさを感じる。黒いパーカーに灰色のズボン。更に黒いスニーカーという、全体を黒に纏めた格好。
そんな少年の左手には青い表紙のノート、右手には非現実的なものが握られていた。
――まるで、死神の様な大鎌。
茶色い木製の柄の先端には黒い翼の様なキーホルダーが二つついており、刃の部分は鋭く尖っている。
漫画などで見る様な、典型的な大鎌。
鎌に視線をやっていると、頭上から少年が声をかけてくる。
「えっと……玖珂泉、だよな?」
ノートをパラパラと捲りながら、少年はゆっくりと問いかけた。
意識が朦朧としている泉は、意味も分からず小さく頷く。
反応を確認すると、少年は「そっか」一言だけ呟くと。
ノートを地面に無造作に落とし、鎌を両手に持つ。それは晴天をバックに、太陽光を浴びて光り輝いていた。
ゆっくりと頭上に持ち上げる。キーホルダーがお互いぶつかったのか、カン、という音が微かに響き渡った。
その様子をぼぅっとした視界で見つめる。そこから彼の顔に視点を移すと、少年は冷徹な視線を向けてただ一言。
「――ごめんな」
言い終えると、少年は鎌を泉に向かって振り下ろす。
刹那、世界が暗転した。
そこまで想いだすと、泉は軽く頭を振った。まるで、先ほどまでの記憶を振り払うように。
頭を押さえ、複雑な想いを抱きながら
「……まぁ、死んだ後に紗由ちゃんに逢えるとは夢にも思ってなかったけどねーっ♪」
明るい声で呟き、悲しげに微笑む。
そんな彼の頭に響き渡る、少女の声。
『――君が逢いたいと願う人に逢わせてやろうじゃないか』
上から目線で、何処か馬鹿にしたような声。それでも優しさを孕んでいた声。
それを発した少女の顔を思い浮かべながら、泉はゆっくりと空を見上げる。
綺麗な晴天。
手を翳してみると、指の隙間から太陽光が入り込んできて彼の顔を少し照らした。
久方の再会に相応しい天気だった。
久しぶりの更新ですいません!!
挙句の果てに文章が統一性ない…!! しかも予告してた再会まで行けなかった…!!
…本当に申し訳ありません…!!
次回は…今度こそ、再会です!! 出てきた死神についても軽く触れると思います♪
5月中には更新したい…!!
では、またです♪