Ring (2)
木夏に気絶させられた女性は、暗闇の中で昔に想いを馳せていた。
玖珂泉との思い出に。
そんな女性の中で、一つの言葉が響き渡った。
『紗由ちゃん』
あの優しくて暖かな声と共に記憶されている思い出達が、彼女の中を駆け巡る。
「紗由ちゃん、紗由ちゃん」と、聞きなれた声が玄関先から響いてくる。続いて、ピンポーン、というチャイムの音。
まだ、女性と泉が中学生の頃の事。
その日は暦上では秋だと言うのに、夏真っ盛りの気温だった。女性――瀬原紗由が寝間着姿で玄関を開けると、制服姿の玖珂泉が立っている。
黒髪に藍色の瞳で、やや童顔。周りの男子よりは背が小さめだが、紗由よりはかろうじて高いだろう。白い半そでのシャツに黒いズボンという格好で、少年は一言。
「一緒に学校いこーっ」
バックを前に出しながら、子犬を連想させる無邪気な満面の笑みで言ってきた。
その様子を見て、紗由はただ一言だけ返した。
「……今日学校休みだけど?」
それを聞いた彼は暫く沈黙し、手に持っていたバックをどさっと落とした。よろよろと顔を上げ、紗由を見つめながら「……ホント?」
「うん、ホント」
「……今日って平日だよね……?」
「うん、そっから違うけど」
「平日じゃないの!?」
「今日は日曜」
「……そっ、そんなっ……」彼は顔をゆがませて、泣く寸前になりながら「今日は早く起きれたから、紗由ちゃんと一緒に行けるかなって想ったのに……!!」
そう言いながら、最早泣きそうな幼馴染に軽く目をやる紗由。彼女は小さくため息をつくと
「……ね、泉」
「……な、何……?」
「私買い物行きたいのよねー」
「……へ?」
「だから」ピッと泉を指しながら「徒労ついでに、買い物付き合ってくれる?」
それを聞いた瞬間、彼の顔が少しずつ明るくなっていった。目をキラキラと輝かせると「う、うん!! 家帰って着替えたらまた来るよっ!!」
まるで子供の様な、嬉しくて尻尾をぱたぱた動かしている子犬の様な笑みで言うと、落としたバックを急いで拾い上げてから家に向かって走り出す。
そんな様子を柔らかい表情をしながら見ていた紗由はドアを閉め、自らも着替えるために廊下を歩き始めた。
こんな玖珂泉と瀬原紗由の関係性は幼馴染だ。親同士の仲が良く、物心つく前から一緒に遊んでいた仲。
幼小中高大と進んでいった道は全て同じで、一緒にいなかった時間が思いつかない程。
二人にとって、お互いが空気の様な存在だった。そこにいるのが当たり前な存在。いなければ違和感を感じ、お互いがお互いを必要とする。
そんな関係が、中学まで続いていた。
徐々に変わっていったのは、それ以上になったのは。高校に上がった時に起こった、あの日からだろうか。
紗由の祖母が亡くなった。
その話を聞いた時、彼女は部屋へ閉じこもってしまった。
膝を抱え、額をそれに当てる。目は今を見つめずに過去へと焦点を会わせていた。
そんな彼女の部屋のドアがきぃっという音と共に開かれる。ゆっくりと虚ろな瞳を向けると、黒いズボンに白い靴下が見えた。
その人物はゆっくりと彼女へと歩み寄り、背後に腰を下ろす。とん、と軽い衝撃と共に彼女へと背を預けた。
背中から伝わる体温を感じながら、顔を上げずに「……泉?」
「そうだよー」
「……何しにきたのよ」
「んー」相変わらずの間延びした声で、ほわーっとした声で「なーんもっ」
「は?」
「僕は何もしにきてないよー。ただ、紗由ちゃんの家に上がらせてもらって部屋きただけ」
んー、と声を上げながら体を伸ばし
「そしたら紗由ちゃんが座り込んでたから、後ろ失礼しようかなーって」
「…………何よ、それ……」
顔が隠れる様に腕を動かす。彼は彼女に背中を預けながら微笑を浮かべていた。
沈黙が場を支配する。暫くしてからそれを破ったのは泉だった。
「ね、紗由ちゃん」何時も通りのほわーっとした呑気な声で「不思議だねぇー」
「……何が?」
「こうやって、背中合わせてたら体温が伝わる事」
「別に、そんなの普通じゃない……」
「そうだね、普通だねー。でも……」少しだけ声を真剣にしながら「……こんなに簡単じゃないよね」
「へ……?」
「体温が伝わる様に、想いとか悩みとかって伝わんないから」
「…………」
「僕が紗由ちゃんの悩みとか、想ってる事とか分かんない様に。紗由ちゃんも僕が考えてる事とか分かんない」
紗由が黙って聞き入っていると、だからさ、と彼は一度言葉を区切って
「僕に出来るのは、紗由ちゃんの傍にいる事だけだから。今も、これからもそれを全うしようと想う」
言葉や行動は相手を傷つけてしまうかもしれない。
だから、傍にいる事しかしない。
そんな事を想っていると、泉の背中に軽い重みを感じた。背後に少しだけ視線をやると、紗由が少しだけ背中を預けてきている。彼は少しだけ笑むと、視線を彼女から外した。
静寂が、沈黙が場を支配してからどれくらい経っただろうか。それらを破ったのは紗由で「……あのさ」小さく呟いた。
「んー?」
「……泣いても、いい?」
「いいよ、泣いて」
彼は彼女を見ずににこっと笑い「泣きたい時は泣けばいいよ。堪えないで。溜め込まないで。自分の気持ちに素直な行動をとって」
決して恥ずかしい事じゃないから、そう前置きしてから一拍置き
「大丈夫、紗由ちゃんは一人じゃない。頼りないけど、僕がいるから」
それを聞いた瞬間、彼女の中で何かが溢れた。必死にせき止めていた何かが溢れ、表情に表れる。目から涙が溢れ、頬に伝う。
それは哀しみ。膨大な哀しみ。
声を上げ、泣き叫ぶ。今は亡き祖母を想って泣き叫ぶ。
泉は彼女を見る事なく、前を見つめながら寂しそうな、それでも何処かほっとした表情をしている。
安堵した表情は、きっと彼女が感情を表に現せたから。
柔らかく笑みながら、彼女に背中を預け続ける。彼女もそんな彼に背中を預けながら泣き叫んだ。
この日から、紗由の泉に対する気持ちは変化していったのだろう。
普段は子供っぽいのに、紗由が弱っている時には途端に大人びる、不思議な存在。
そんな存在である泉へ向けている気持ちが『他の人より特別に好き』だと言う事に気付いた瞬間、彼女は昔の様に話しかけられなくなってしまった。
嫌われたらどうしよう。ウザがられるかもしれない。そんな想いから以前の様に話しかけられなくなってしまった。
話したいのに、もっともっと声を聞いていたいのに。嫌われるのが怖いから話しかけられない。そんな矛盾だらけの日々を送っていた。
そんな日々が続いていった。どれだけ経ったのかすら分からない程の日数。
高校生活のある日。夏真っ盛りで暑い教室にて想い、紗由がため息を漏らしていると。とん、と軽く肩をたたかれる。ゆっくりと後ろを振り返ると、想い人が満面の笑みで立っており、明るい声にてこう告げる。
「いっしょに帰ろー、紗由ちゃん♪」
帰り道。蝉がうるさく鳴く道。
彼らは田舎在住なので、余り整備されていない道をてくてくと歩いていた。ガードレールの向こう側には背の高い向日葵が咲き誇っていて、背丈は紗由より少し小さい位。
そんな中を、汗を一筋流しながら歩く泉はちろっと幼馴染に目をやると
「……で、紗由ちゃんや」
「な、何よ……?」
「……この距離はどゆこと?」
そう言いながら、泉は自分と彼女の間を指す。その間数メートル。それに気付くと彼女は顔を少しだけ赤くして
「べっ、別に何でもないわよっ!」
「これ、何でもない距離じゃないよねー……?」
「わ、私にとっては何でもない距離なのっ!!」
返答を聞いて「まぁ、紗由ちゃんが言うならそうなのかな……?」と何処か不思議そうに言う泉。頬に手を当てて恥ずかしがっている彼女に視線を送ると
「ねぇ、紗由ちゃん?」
「……なに?」
「あのさ……」
彼はぽりぽり、と頬を軽く掻きながら「……お付き合いしません?」
「……は?」
「いや、だからその……お付き合いしませんか?」
「どういう事よ……?」
「えっと、その、ねー……」ぽりぽり、と頬を掻きながら「……僕は紗由ちゃんが好きなので、あわよくば付き合いたいなーって想ってたり?」
それを聞くと、彼女は暫し沈黙し。顎に手を当てて考え込み。挙句の果てにボンッと顔を赤くした。
「な、なっ……!?」
「そんなに赤くなられるとこっちも気恥かしいねー……」あはは、と笑う泉の頬も赤みが射していて「……うん、少し真面目に言いなおそうか」
小さく呟くと、紗由にゆっくりと向き直る。向日葵を背中に背負い、それとは対照的な儚い笑みを浮かべながら
「僕は、瀬原紗由ちゃんが好きだから。よければ、付き合ってくれませんか?」
それを聞くと、紗由は顔を更に真っ赤にして俯く。彼はゆっくりと彼女へと歩み寄り、そっと顔を覗いた。すると、彼女の口から小さな声が漏れ出す。
「……いいの?」
「何がー?」
「……私なんかで」
「どういう意味?」
「……私、何かより。いい子、たっくさんいるでしょ? だって、こんな……」
そこまで言うと、口が勝手に閉ざされる。頭の中で色々な考えや想いがぐるぐる回る。
嬉しい。本当に嬉しい。けれど、嬉しさと同時に不安も入り混じっていて。
本当に私でいいのか、と。私なんかよりいい子はたっくさんいるのに、と。
私は臆病だから。嫌われるのが怖いからと言って、理由をつけて。好きな人に話しかける事すらできない臆病者だから。
――そんな私で後悔しないのか、と心の中で呟いた。
頭の中でぐるぐる回る言葉に意識を集中させている彼女の手を、泉はそっと持ち上げてみせた。
驚いて顔を上げると、少年はにこっと笑んで「平気だよー、そんなに悩まなくて」間の抜けた声でしゃべり始める。
「僕さ、紗由ちゃんとずっと一緒にいて、いい所も悪い所も全部知ってるつもり」
「…………」
「でね、我ながらベタ惚れだと思うんだけど……」えへへ、と頼りなく笑いながら「悪い所も、全部好きなんだよ」
あ、悪い所って言うのはすぐに自分で色々と溜め込んじゃうトコだよ、と前置きして
「それも周りの人に心配かけないようにしてるって分かってるから。優しさから来てるって知ってるから。僕は紗由ちゃんの全部が好き。嫌いなトコなんて何一つないんだよ」
だからさ、と言うとにこっと更に笑んで
「紗由ちゃんがいいんだ。僕の隣にいてくれる人は紗由ちゃんがいい。紗由ちゃん以外考えられない。だから……後悔なんてしないよ。絶対に」
永遠と、永久に。後悔なんてするもんか。
そう想っていると、彼女の手にポタッと雫が落ちてくる。雨でも降りだしたか、と想って空を見上げるが、雲ひとつない晴天だ。
不思議そうに首をかしげると、ゆっくりと彼女の顔を覗き込む。すると、灰色の瞳からポロポロと涙を流している事に気がついた。
「えっ、ちょっ……」彼はわたわたとしながら「紗由ちゃん、どしたの!?」
焦っている彼に視線を合わせる事なく、彼女はポツッと小さく呟いた。
「……絶対に」
「へ……?」
「……そんな事言ったからには……」バッ! と顔を上げると、真剣な眼差しで彼を射抜きながら「……離さないわよ?」
それを聞くと、彼は少し驚いた表情をしてから柔らかく笑み「うん」と返す。
返答を聞いた紗由は涙目のまま、優しく笑む。
――この日から、彼らの関係性は特別なものへと変わった。
未だに嫌われるかも、という想いはあったが。前みたいに話しかけられないという事態は解消された。
話しかけられたし、会話もできた。たったそれだけの事が幸せだった。
たまに貰った小さなプレゼント。予定があった日に出掛けた事。
そんな小さな幸せを噛みしめ、歩んできた日々。
これからもずっとこんな事が続くんだ、と想った日々。
だからこそ、考えてなんていなかったのだ。
そんな幸せな日々達は。この幸せな日々達が。
――バッドエンドにて終了する事なんて。
久々の更新&グッダグダで申し訳ありません……
次回は泉の死亡理由と、彼等の再会ですかね……
出来ましたら、最後までお付き合い願います……!!
では、また♪




