番外 第15章-謁見の間
第15章の中の一瞬のお話
ヴァレリオ視点で進行していきます。
どこまでも青く澄みわたり雲ひとつ無い晴天のこの日。
謁見の間にはうららかな昼の陽光が差し込んでいた。
だが、そこに佇む者達の緊張はすでに極限に達し、ついに王が動いた。
*****
私の合図と同時に近衛兵達は素早く剣を抜いた。
目の前の5人を苦しまずにあの世に送らせる為に!
だが、急に不吉な風の音が聞こえた途端、左右の近衛兵が宙に舞い上がり、花が嵐になぶられるように空中で激しく千切られていった。
何だ?!
風が!?
精霊!!
ソフィア!おまえか!!
真正面に悪びれもせず立っているおまえが・・・!!!
怒りに燃える私にあろうことかこの女は抱きついて来た。
それと同時に、金縛りにでもあったかのように身動きできなかった身体がほどけ、抱きついたままの裏切り者を掴んで引き剥がす。
驚きの表情のまま床にしりもちをつくソフィア。
よくも私を裏切ってくれたな・・・!
目の前で殺されてゆく近衛兵達。
その誰もが日々の鍛錬も志もそして愛情深さも人後に劣ることは無い。
そんな彼等が一太刀も刃を交えることを許されず、罪人より無残に殺されるとは・・・!
彼らの心中を察すれば悔しさに心が張り裂けそうだ・・・!!
よくも・・・よくも!!!
怒りのままに腰の剣を抜き、床に後ずさるソフィアへ間合いをつめた。
と、何者かが割り込み両手を広げる。
「邪魔だ!」
そいつを切ろうと剣を振りかぶったところで、刃先が何かに当たり勢いが止まる
と同時に、誰かが後ろから右足を押さえ込んだ。
視界にはソフィア以外見えていなかったが、そこでようやく何かがおかしい事に気がついた。
壁は淡いグリーン。
柱はオークル。
壁に飾られた先代ヴァーウェンの肖像画がこちらを見ている。
ここはどこだ!?
どうなっている・・・近衛の皆はどうした!?
私は謁見の間に居たはずじゃないのか!?
あの精霊共の残虐な
「父上!」
なっ・・・何!?
父上だと?
目の前には見たことも無い少年がソフィアの前に立ちふさがり大きく手を広げてこちらを睨んでいる。
「やめて・・・」
もう一人、右足をしっかり抱きしめているのも子供だ・・・
―――どうなっているんだ?
―――ひどく頭が痛む・・・血が沸騰しているようだ。
―――この子達はどこから現れた??
ひとまず部屋の照明に切り込んだままの剣を下ろす・・・と、同時に勢いよく開く扉。
「いかがなさいました!?」
近衛隊長のラングレーが剣柄に手を掛け臨戦態勢で入ってきた。
「ラング・・・!」
生きている!
たった今、利き手を剣ごと引きちぎられていたはず・・・わからない・・・
「ヴァレリオ王。お顔の色が悪いようですが・・・ソフィア様、大丈夫ですか?」
ラングレーが床に倒れたままのソフィアに手を差し伸べようとした。
その仕草に何故か怒りが込み上げて
「ラング!出て行け!!」
思わず怒鳴ると、ラングレーは意外そうな顔でこちらを呆然と見ている。
と、ソフィアが床にしゃがんだまま
「何でもないわ。ラングレー隊長・・・大丈夫よ。」
と、涼やかな声で話しかけ、ラングレーは何か言いたげな表情のまま退出した。
残されたのはソフィアと2人の子供達。
「あなた・・・。申し訳ありませんでした。」
ソフィアがその場で床に両手をつき頭をたれて謝罪の言葉を口にし、ようやく私も周りを冷静に見ることが出来るようになった。
ああ・・・
ここは宮殿奥の緑風の間。
家族用の部屋だ。
・・・・・・何を私はこんなに怒っているんだ?
深いため息をついて目の前の息子を見れば、怒鳴られ剣を向けられた衝動か、青白い顔をしたまままだこちらを睨んでいる。
「アルフィード・・・もう何もしない。」
そう言ってもまだ警戒を解かずに母を庇う。
何と可愛げの無い子だ。
「ナーノリアス。」
右足に絡みついた細い腕を力でむりやりほどいて抱き上げると、小さいくせに
「父上!母上をいじめないで下さい。」
と、かみついてきた。
「ああ。すまない。」
「こわかったです。」
「そうか。」
そうだろう・・・家族に向かって父親が刃を向けるとは。
ナーノリアスをぎゅっと抱きしめると、細い腕を首にまわしてきた。
可愛い子だ。
その様子を見てか、アルフィードもほほを緩めてソフィアの身体を起こした。
よろめくソフィアに私も手を伸ばしその身体を支える。
「大丈夫か?」
「ええ・・・でも、2人だけで話がしたいですわ。」
「あ、ああ。」
大丈夫と言いながら、その目は尋常ではない。
眉間に縦皺が寄って相当怒っているのは一目瞭然。
「さあ、子供たち。自分の部屋にお行きなさい。母は父上と話がありますから。」
ソフィアの言葉に、わかりましたと2人の子供達は出て行った。
「ソフィア、すまなかった。」
「あなた・・・何て馬鹿力なの・・・」
「ん?」
ソフィアの眉間の皺が深まる。
その顔は真っ赤でよほど頭に来ているらしい。
どう考えても非は私にあるのだ。
突き飛ばした上に剣を抜くなどどうかしていた。
部屋の中央に置かれたテーブルに両手を突いてこちらをねめつけるように見ている。少し乱れた髪が頬にかかり壮絶に美しく・・・恐ろしい。
その肩に手をかけようとしたら、
「あなた、わたくし横になりたいです。」
と、苦しげに言われてようやく怒りだけじゃないことに気がついた。
「ああ、すぐにソファーに座りなさい。」
手を取りエスコートしようとしたが、すぐに手をはらわれてしまった。
「柔らかいところじゃないとダメです!」
!!
あ、
なるほど。
つまり、当たった場所が・・・痛いんだな。
それも尋常じゃなく!
「うつぶせになって横たわるか?」
「いやです。」
「ん?何故だ?座るより楽だぞ。」
「見苦しゅう御座います。」
「・・・」
どうしたものか。
まあ、寝室までそれほど遠くは無い。
「寝室に行こう。そこで侍従医のアリーを呼ぶとしよう。つれていってあげるから・・・さあ。」
彼女はこくりとうなずくと私の腕に身を預けた。
普段は気高い王妃だが、素直になるととたんに若い乙女の風情となる。
すまなかったソフィア。
ああ・・・そんなに痛がるな。
それにしてもどうしてあんな事をしたのか?
ソフィアを静かに抱き上げ扉を開けるとそこには近衛兵が3人立っていた。
異常事態と見てラングレーが2人を呼んだのだろう。
と、ソフィアがスルッと我腕から下りて立ち上がり、何も無かったかのように寝室へと歩き出した。
扉が開いて近衛兵の後ろ姿を見た途端、王妃に戻ってしまったらしい。
人払いするのを忘れた。
・・・すまないソフィア。
見栄の為なら痛みも何のそのだろうが・・・大丈夫か?
*****
「尾てい骨骨折で御座います。ヴァレリオ様、何があったのでしょうか?」
「!」
侍従医のアリーが机の向こうから見つめる。
骨折だと?そんなにひどかったのか!
「普通に転んだだけではこのようなことは起こりません。床に叩きつけるように倒したと思われますが違いますか?」
「・・・そうかもしれない。」
表情がない分、全てを見透かされているようで怖い。
「そうですか。些末な事は判りませんが、今後このような事は二度となさらないように。」
「・・・わかっている。」
「そういうわけで、1ヶ月は安静にしてもらいます。公務はよほどの重要事項を除き全てキャンセルしてください。よろしいですね。」
「わかった。」
「それから・・・」
そう言うと、黒かばんから軟膏のビンを2つ取り出す。
「こちらと同じものが、王妃様の寝室のサイドテーブルに置かれております。この白いキャップは朝昼用。この赤いキャップは夜用で御座います。」
それだけ言って再びかばんにしまうと、
「それでは失礼致します。」と、出て行った。
・・・それを説明していくという事は何か?
私に軟膏をつけてやれと言う事か?
ありえんだろう。
そんな事をすればソフィアがどんな顔で怒る事か!
・・・・・・・・・想像してしまったではないか!いかん・・・何故かわからんが笑いが止まらん!まずい・・・不謹慎すぎる!
トントン
!? 誰だこんな時に私を尋ねて来る奴は!
「ヴァレリオ様。よろしいでしょうか?」
宰相か!・・・・・・仕方が無い。
窓ぎわに立ち、外を向きながら「入れ」と言えば件の宰相は苦渋の表情で王の執務室へと入ってきた。
*****
その日は南方の小国から来た使節団と夕食を共にした後、全ての公務をキャンセルさせてもらい、早々に奥宮へと戻ってきた。
未だにどうしてあれほど激昂したのか判らない・・・頭がおかしくなったとしか言いようが無いが、せめて日付が変わる前に子供達とソフィアには謝っておきたい。
*****
侍女を下がらせ部屋に入ると、アルフィードはベッドの中で本を読んでいた。
聖骸霊録か・・・この本は、はしかのようなものだな。
子供の時は誰でも一度は読みふけるが大人になれば忘れてしまう。懐かしい。
私の顔を見ると本を閉じて不安げな顔でこちらを見ている。
朝の出来事が尾を引きずっているのは明らかだ。
私自身も他人を衝動的に殺そうなどとしたのは生まれて初めてだった。
その上この子に「邪魔だ!」と、怒鳴り上げたのだから。
いったいどんな狂気にとりつかれたのか・・・
「アルフィード。」
私はどんな顔をしているのだろうか。まるで懺悔のために神の御前に立っているような気分だ。
「父上。」
それでもアルフィードの声はいつもと変わらなかった。
私がベッドに横座りすると、アルフィードは足元のブランケットから抜け出て、そのまま抱きついてきた。
「父上・・・」
この子は昔から抱きつくのが好きな子だ。
今後のことを考えればこの癖は直さねばとは思っているが・・・まあいい。
横から抱きついてきたアルフィードに手を回し、そのまま膝の上へと回してしまうと、半分仰向けの状態で私を見上げ微笑んでいる。
久々に見た。
ソフィアに似た丸みのある顔立ち。黄金の絹のようにゆるやかなウェーブを描く髪。緑の瞳が微笑むまぶたの奥でキラキラと輝いている。
その身体を抱き上げると、アルフィードが私の首にかぶりついてきた。
許してくれるか。
安堵と謝罪と悔恨とがないまぜになったまま強くその身体を抱きしめると、しばらくして胸のあたりからくぐもった声がした。
「くっ苦しいです!父上!!」
おっと!しまった。
思ったより力を入れすぎた。身体は大丈夫だったか?
「父上・・・どうしたんですか?」
体中触って点検したら今度はあきれたようにいぶかしがられた。
ふん、大丈夫そうだ。
頭を撫でてやるとアルフィードはそのまま胸にもたれかかってきてまた抱きついた。
子供の温かな吐息が服の上から伝わってくる。
生きている・・・
一歩間違えばこの手で・・・アルフィード。
「すまなかった。」
心の底から自然に言葉が流れ出た。
アルフィードは抱きついたままこくりとうなずいた。
*****
そのままの姿勢でしばらくすると気が付けばアルフィードは眠っていた。
静かに抱き上げてベッドに収め、部屋を暗くする。
さて。
この時間ではナーノリアスはもう眠っているかもしれない。
せめて顔を見るだけ・・・と、思って部屋に入ればこの子はしっかり起きていた。
部屋の照明は微弱だが、窓のカーテンが大きく開いてそこに子供のシルエットが見える。
「父上!」
振り返って驚いたその声はとても元気だ・・・眠る気がないだろう。
侍女を自分で勝手に下がらせて、窓の外を覗いていたな?
「ナーノリアス、寝る時間だぞ。」
えっというおどろいた顔をして、そそくさとベッドに入って行く。
この子は何をしていても可愛い・・・皆に甘やかされないように気をつけなくては。
・・・と、思うのだが・・・
「何を見ていたんだ?」
「ユリカゴ」
夜のユリカゴは街の明かりを下から受けて、夜空に幻想的に浮かび上がる。
何時間見ていても飽きない我国一の観光名物だ。
だがな!
「そんな事で夜更かししてはいけないよ。」
ベッドの中で横たわるナーノリアスは首をすくめて
「ごめんなさい」と、あやまった。
まだ子供だ・・・
大きなため息をついて、ナーノリアスの横に腰掛けた。
「!」
緑の目が大きく開いてこちらを見ている。
細く明るい白金の髪に少し眉骨が高く細い鼻筋・・・
年寄り達が一人残らず『ヴァレリオ様の幼少の頃とそっくりでございます』などと言う。
そうなのかもしれん。
「父上。もうちょっと起きてていいですか?」
「眠れないのか?」
「う・・・ん。」
「どっちだ?」
「だって・・・もったいないから。」
「ん?」
「父上が側にいるのに。」
ああ・・・確かにナーノリアスの所に来るのも久々・・・だな。
そもそも子供達にこうして接する事自体、長らく無かった気がする。
ユリカゴの高度を上げてから20年。
結婚して11年。
そして子供達が生まれて10年ほどか。
莫大なエネルギーを手に入れて経済の滝登りと言われたこの15年・・・
右手で顔にかかった髪をどけてやると、嬉しそうに笑った・・・だけでなく、枕を抱きかかえてこちらを向き、高揚感丸出しの顔で私の顔を見ている。
まったくねむ気が無さそうだ。
少し和んだ雰囲気だったが、ナーノリアスがこちらを向いたまま無邪気に口にした質問に我身は硬直した。
「父上。なぜあんなに怒っていたのです?」
「・・・」
「僕、はじめて剣を抜くところを見ました。」
「・・・」
「なぜ母上がユリカゴの話をすると怒るんですか?」
「!」
そうだ!
ようやく思い出した。
あの時、ソフィアはユリカゴに行って精霊王が見たいと言い出したのだ!!
最初にそう言い出したのは確かアルフィードを妊娠してからだから11年目・・・
いいかげんにして欲しい!
そもそも、あそこに入れるのは王のみと決まっているというのに。
ふと気付くとナーノリアスが静かにこちらを見ている。
もうそろそろ寝たほうがいいだろう。
「眠くなったか?」
「いいえ?」
どうすれば寝るのだろう・・・
ナーノリアスが手を伸ばして私の右腕を掴む。
「父上・・・」
「どうした?」
そのまま腕を手繰り寄せられ、なんとなく上半身をナーノリアスに傾けると、ひどく真剣な眼差しで手をもてあそびだした。
今年9歳になったというのにまるで3歳児である。
「ナーノ?」
幼少時の呼び名を口にすると、ちらりと不愉快そうにこちらを見てすぐ視線をそらす。
「僕、エルやユリカゴの事を聞くとすごく不安になるんです。どうしてかわからないけれど・・・」
「!」
ナーノリアスの声は小さく微妙に震えているが、やけにはっきりと聞こえた。
この子は初代ヴァーウェンの血を色濃く継いでいるに違いない。
その不安は、歴代の我一族男系が感じてきたもの・・・私もその中の一人だ。
だが、まだそれに思い悩むのは早すぎる。
「エルはこの世に一つしかない尊い宝だからだよ。それもどこかに隠しておけるものじゃない。皆が見える場所に置いていて、皆が監視しているんだから何も心配する事は無い。」
「父上は、精霊王をごらんになったんでしょう?」
「ああ。一度だけだが。」
「どんなお姿だったんですか?」
黒い石・・・と言ったら、それはそれで支障があるか。
・・・あれは正直がっくりする。
「まだ知らないほうがいい。王だけが知るものだからな。」
ナーノリアスはますます真剣な顔になった。・・・どうした?ソフィアみたいにユリカゴに入りたいなどと言い出すんじゃないだろうな?
「僕・・・寝ます。」
「ああ。あまり考えすぎるな。為るがままで在れだ。」
「精霊みたいに?」
「ああ。」
「妖精王もずっと在ってくださるのかな・・・」
「もちろんだ。さあ、布団に入りなさい。」
*****
すっかり子供達と話し込んでしまったが、ソフィアはまだ起きているだろう。
寝室の扉を開けると、意外や中は真っ暗だった。
「ヴァレリオ王」
侍女の声がベッドのそばから聞こえた。
「ソフィアは寝ているのか?」
「はい。」
侍女の気配は2人か・・・
そもそも、ソフィアは生まれた時から誰かが常に控えている生活をして育ってきた。
もちろん、就寝中に侍女が室内に控えているのはあたりまえ。
私のように誰かが部屋の扉に近づくだけで緊張する人間には信じられない習性だ。
だが怪我をしている今なら逆にその習性があって良かったと言えよう。
扉近くのスイッチを押すとカチリという音とともに微弱な照明が灯る。
侍女がこちらを向いて控えていた。
「部屋を出ていてくれないか。」
そういうと、はいと静かに答えて侍女達が出て行った。
ベッドは薄絹のカーテンで囲われ、中は見えないようになっていた。
静かにその中に滑り込めば、ソフィアは横向きで寝ていて、こちらに視線だけ送ってきた。
「起きていたのか・・・」
「起きました。」
同じ部屋の中で、小声だろうと人が話していればそれは起きるだろうな・・・
「具合は?」
「痛いです。」
「そうか・・・うつ伏せになったほうがいいんじゃないのか?」
「見苦しゅう御座いますから。」
「・・・」
ソフィア、いや、我王妃!そこまでしなくてもいいんだよ?
アルシュで徹底的に王家としての躾と矜持を叩き込まれてきたのは知っているが、怪我の時ぐらいは治療に専念した方がいい。
「正直に申しますと、横向きが一番楽ですわ・・・」
「そうなのか。」
無理をしているわけではないのだな。
ホッとした。
ベッドに腰かければ振動が響くだろう。
床にひざまずきベッドに両肘をついて、腕を伸ばしソフィアの髪をなでた。
彼女はちょっと驚いたような表情を浮かべたが、すぐにいつものソフィアに戻った。
「あなた・・・」
「ん?」
「ごめんなさい。どうかしていたんですわ。」
「なにがだ?」
何かされたか?何も思い当たるものがないのだが。
「わたくし、ユリカゴの中のエルを見たかった・・・いえ、精霊王を知りたかったんですわ。でも、見れば知ったことになる訳ではありませんものね。」
ああ・・・それか。
そのとおりだ。
私はエルを一度見ているが、だからと言って石ころ一つ見ただけでその正体など解るはずも無い。
「ソフィア・・・私こそ大人気なかった。君に怪我をさせてしまうなんてな・・・」
「びっくりしました。」
「自分でもだ。」
ソフィアがウフフと笑い私もフッと笑う。
「あれが・・・頭上にあるものが何なのか、とても不安でした。」
「今は大丈夫?」
ソフィアは軽く否と首を横に振った。
それが骨に響いたのだろう、急に身体をこわばらせ苦痛の表情で手を握り締める。
どうしたらいいんだ?
薬でも付ければいいのか?赤だったな。
いや、今触ってはいけない。
私の手を止めようと無理やり起き上がりますます症状が悪化するぞ。
仕方なくソフィアの手を包むように握り締めるとその手を握り返してきた。
しばらくすると落ち着いたらしい。
「ソフィア、すまない。」
「ぇ・・・気にしないで。当分公務には出られませんからわたくしの分までお働きなさい。」
その口調は王妃と言うより
「はい、御心のままに。女王様。」
お互いに微笑みあう。
ベッドに横たわるソフィアがじっと私の顔を見つめている。
こんなにゆっくりとお互いの顔を見るなど久しく無かった・・・
離れがたい気持ちもあるが、私が近くにいると落ち着かないだろう。
ソフィアの頬に軽くキスをして寝室を後にする。
寝室から離れた控え室で侍女が待機していたので、よく面倒を見るように言い自室へと戻った。
その後、ソフィアがユリカゴについて口にすることは無くなった。
そして、私はその後も外交・技術・文化的な調印をはじめ、国軍関係の行事、エネルギー関連の国際会議やらで国内外を飛び回って・・・
いつのまにやら時が過ぎていた。
気が付けばアルフィードが成人の時を迎えようとしていた。
キリーク王国第一王子アルフィード。もう18歳になるのか。
すでにその準備は始められ、本人はもちろんソフィアも弟のナーノリアスも何やら慌しく動いている。
そして、私もまたその日の為の準備をする。
*****
明日か・・・
街中お祭り騒ぎだし、宮殿も飾り付けられてそれなりに華やかだけれど、この宮殿の奥は逆に静まり返ってひんやりしている。
なんだか外が熱くなればなるほど内が冷えていってるようだ。
いや、それでいい。
我息子アルフィードの成人の儀が執り行われる。
そしてそれはおめでたいだけの祭事ではないのだ。
思い返せば、自分もこの国王という響きに勘違いをしていたものだ。
国の王子として生まれた以上、武を極め学を修め帝王学を学び、結果この国を守るに足ると認められてこそ王になると思っていた。
・・・まあいい。
明日、アルフィードと相対するのは日暮れ後。
私が成人の儀をしたのは・・・30年ほど前だな。
朝は禊で身を清め、神殿前で誓いを立て、国民代表と式典を行ったはずだ。
その後に御饌の儀式。
この儀式のために成人の儀があると言っても過言ではない。
アルフィードは・・・いや、これは避けられない我王家男子としての儀式だ。
*****
宮殿の建物から少し離れた場所に小さな3階建ての館がある。
築140年余、レンガと木材で造られた頑丈な館だ。
キリークがまだ村だった頃にヴァーウェンが住んでいた館である。
そして、この館の最上階にある塔こそ、精霊王が捕まえられ閉じ込められた場所。
もちろん王家と管理人以外立ち入り禁止。
高木と潅木で外からは見えないようにしている敷地の奥に隠された聖区域である。
そして御饌の儀式が始まる。
夕暮れの中、片手に木製のキャリーボックスを持ち近衛兵を2人従えて館へと向かった。
小さな館の入り口に近衛兵を立たせて堅い扉を開ければ、石畳のホールは2階までの吹き抜けで天井に吊るされたシャンデリアから淡い光りが零れ落ちる。
ホールの奥では聾唖の管理人が恭しくお辞儀をしていた。
年間彼に管理をさせているが、さすがに老朽化の感は否めない。
階段を登って2階に行き、その廊下の端にある妙な造りの部屋を突っ切って、木の扉を開けるとそこが塔への入り口。
螺旋階段を登り最上部の扉を開ければひんやりとした空気が流れ出た。
部屋の中は窓が一つもなく床と壁に鎖を固定する鉄輪が突き出ている。
旧時代の遺物である幽閉の為の牢部屋。
こうして大人になって見てみると以外に狭い。
電灯があまりにも煌々と照らしているせいだろうか・・・
傍らの棚に布をかけたままの盆を置き椅子に座ってしばらく待つと扉がノックされた。
アルフィードがやってきたのだ。
「ヴァレリオ国王。アルフィード参じましてございます。」
最拝礼で膝を折り頭を垂れた。
「アルフィード。頭を上げよ。」
さあ、お前に教えてやろう。
この国の王家男子に課せられた命題を。
傍らの椅子を指して座るように告げると、ひどく緊張した顔で静かに腰を下ろした。
「アルフィード、これから大事な話をする。話をするのは一度だけだ。そして全て他言無用。絶対誰にも話してはいけない。わかったか?」
「はい。」
初代ヴァーウェンは世に語られているような勇猛洒脱な好男子などではなく、幼少の頃から奇妙な行動が目立つ真正の奇人という秘密。
それにより特殊な体質を身につける事になった成り行き。
それゆえに精霊王を捕縛するという偉業を達せられた事実。
そして、その後どのように精霊王は利用されたかという研究成果。
そこから派生した富による我国独特の国家体制と社会システムの歴史。
アルフィードは神妙な面持ちで私の話を聞いた。
「他の国の歴史では、おおよそ闘いの末に王が決まる。だが、我国では我一族以外が王になることは有り得ない。」
「この特殊な体質のおかげで、ですか・・・初代は奇行が目立つだけで本来は普通の人だったのでは?誰でも先代のような生き方をすれば、この体質になれるのではないでしょうか?」
「それは無い。無いというのは肉体的になり得ないという事だ。先代と同じ生き方をして生き残れる人間はおらん。初代は死に方も異常で、結局灰が一握りしか残らなかった。」
「・・・地下に奉られている遺骨はヴァーウェン王でしょう?」
「いや。あれは実はギャンドルという従者の遺骨だ。墓の奥に宝壷が奉られているだろう?あれが先代の灰でギャンドルはそれの守り主だ。」
「そうだったのですか・・・」
「他言無用だぞ。」
「判っています。」
さて。
初代の体質はそのまま子に引き継がれて、精霊王を抑える力を持つ。
だが、子供達に等しくその力が遺伝するわけではない。
ゆえに子供の数が多ければその中で一番能力の強いものが王となるのだ。
善政を行う能力より遺伝的な王の資質が次王になる絶対的な基準。
そして、御饌の儀式とは・・・
初代ヴァーウェンが食べて精霊王までもを抑える力を得たという、チルチ火山山麓の土を食べるというものである。
一連の話は終わった。
部屋の奥にある棚から盆に乗せられた銀のカップを持って、アルフィードの前にそれを置く。
それにはベージュ色の液体が8分目まで入っている。
土を飲みやすいように乳に溶かしたものだ。
「飲みなさい。」
「は・・・」
初代はこの土を食べて2週間寝込んだという。
私の2才違いの兄はこの儀式で命を落とした。
それはアルフィードには言わなかったが、乗り越えられれば当然教えてやるつもりだ。
アルフィードはそれを一口飲んで・・・初めてリラックスした顔でこちらを見た。
「変わった味ですね・・・乳とイチゴですか?」
「あまりに飲みづらいから改良してみた。」
えっ?と目を丸くしている。
ふん、せめてもの親心だ。
・・・先日偶然入手した薬の調剤本に土系薬剤の味付け方法が載っていた為、料理長を騙して目の前で味付けさせた。
もちろん料理長には一舐めもさせていない。
「いいんですか?そういう事をして。」
「2代目は土のまま食したそうだが、いつの間にか飲み物になったらしい。私は水に溶いたものを飲まさせられた。味ぐらいどうという事はないだろう。」
「・・・」
「全部飲め。いっきに飲んだほうが楽だ。」
これで御饌の儀式は終わる。
渋い顔をしたアルフィードをつれて宮殿にもどり白地の間へと連れて行った。
あとはどうなるか・・・だがアルフィードは大丈夫だろう。
ヴァーウェンの館に戻り、後始末をして奥宮に戻ると時刻はすでに9時を回っていた。
*****
「あなた。」
自室に戻り遅い夕食(早い夜食?)も終わろうという頃、ソフィアが入ってきた。
声色からして怒っているようだ。
「どうした?」
侍女にお茶を淹れるように命じ目の前のソフィアを眺めると、給仕の手前何も言わないだけでイラついているのがわかる。
「アルフィードの事でお話したいのですけど。」
「どうぞ?」
ソフィア・・・目に異様な光が宿っているぞ。
緑の炎だ・・・などと観察していると、
「あなたたち、出てお行きなさい!」
まだ、食事中にも関わらず給仕と侍女は部屋から出された。
「アルフィードが倒れましたわ!侍従医を白地の間に待機させていたのは何故ですの?いったいあの塔で何があったのです。」
「王家男子以外知ってはならない事だ。」
リゾットを食べ終えて、サラダを手に取ると
「わたくしがアルシュ出身だからですか!?」
ときた。
それは否定しない。興国の有り様が違いすぎる。
アルシュ王国こそ群雄割拠の戦乱の中、兵を引き連れ力で全てを薙ぎ払って国を平定したという初代を頂く代表的な絶対王政の国だ。
精霊王を捕まえたという幸運と、奇人のまわりにちょうどプロフェッショナル達が居てその精霊の力を興国に利用し、あまつさえ経済発展により民を潤し大きくなった重商主義の君主制では、言葉の意味さえ違ってくる。
「そうではない。男か女かの違いだ。我義姉上様でさえ知らないのだよ。」
「・・・」
つまらない事は知らないほうが良い。
「アルフィードに何をしたのです?私が先ほど白地の間に行きましたら医者がベッドのまわりを取り囲んでいましたわ。近寄らせてもくれなかったのですよ!」
なに!?
近衛兵!なぜ室内に侵入を許した?!
いや、多分強引に入ったのだろうが・・・
「あなた!せめてわたくしに看病させて下さい。あの子、昼間は普通にしておりました。それが、ベッドの中でわたくしの呼びかけにこたえる事もなかったの・・・お願い・・・」
よよと泣き崩れるソフィアにさすがに慰める言葉もなく、目の前の料理も食べる気がなくなった。
侍女が淹れて置いていったお茶を飲みながら、思案する。
「ソフィア。アルシュ王国には成人の儀は?男性だけの儀式はないのか?」
「いいえ・・・男の方は剣による試練があります。」
「それはどのようなものだ?」
「話では古来より伝わる剣による試合が行われるそうです。」
「・・・話ではという事は、見たことはないのか?」
「女人の立ち入りを禁じておりましたもの。」
そのとおり。
アルシュの成人の儀は激しい事で知られている。
もちろん女人禁制だ。
「それと同じことだ。」
さあ、納得しただろう?ソフィア。
ん?何故か眉毛が吊り上った?
「もう儀式は済んだでしょう!!看病させていただきます!」
おお!これはまずい!大誤解である。
「まてっ」
部屋を出て行こうとするソフィアの腕をつかまえてこちらを振り向かせると、扉の向こうに聞えないよう耳元でささやいた。
「成人の儀はまだ続いている。」
「?」
「一度具合が悪くはなるが必ず回復する。その時までが成人の儀なんだ。」
「!!」
呆然とする王妃。
「アルフィードは・・・大丈夫なのですか?」
「ああ。」
我兄の事例があるが、あれは例外中の例外。
兄は白地の間になんとかたどりついたもののすぐに意識混濁、獣のような叫び声が奥宮中に響いていた。もちろんこの部屋にも聞こえていただろう。
「元気に出てくるまで白地の間には入るな。」
この言い方では誤解を招くか?
「本人が歩いて出てくるまで女人禁制、まだ未成年のナーノリアスも入室禁止だ。」
こう言った方が明快だろう。
「わたくしはどうしたら良いのでしょうか・・・」
何もしなくてもいいのだが、何かせずにはいられないのだろうな。
「ナーノリアスの様子を見てきてくれ。」
ソフィアは素直に部屋を出て行った。
・・・疲れた。もう寝るとするか。
外で待機している侍女に食事を下げさせ、寝る準備も終わり本を片手に寝室に向かおうというところで、扉がノックされた。
開ければ再びソフィアが立っていた。
「ナーノリアスはどうしている?」
「普段どおりですわ。」
あーまた宵っ張りで元気に起きていたか。
「寝せてきた?」
「はい。」
なぜかしょんぼりするソフィア・・・何故?
「どうした?」
「いえ。わたくしだけが騒いでおりますのね・・・」
らしくない。
いいんだよ。母親なんだから。
細く寒そうな首に手をあて柔らかくなでると、潤んだ鮮やかな緑瞳が私を見上げる。
こうした儚げな姿はまるで道に迷った少女のようだ。
困ったな・・・何も心配することはないと言っているのに慰めようもない。
「来い。」
気が落ち着くまで一緒にいよう。
*****
アルフィードは腹痛・発熱・やがて虚脱状態になり結局2週間その部屋から出ることが出来なかった。
さすがに能天気なナーノリアスでさえ「兄上の様態はどうなのでしょうか?」
と、訊いてくる有様である。
ソフィアに至っては、毎日聖堂の方へ足蹴しく通い精霊王のご加護を祈っていた。
精霊王を縛る我らが一族の加護を、精霊王がもたらしてくれるとは思えないが、もちろんそんな事はいえない。
そして、アルフィードは王家成人男子の一員になった。
その身体には確かに通常とは違う何かが燃え盛っている。
これだけは我々以外感じる事は出来ないだろう。
そして、1年が経ち再び成人の儀が行われようとしている。
*****
初代ヴァーウェンの館に再び木製のキャリーボックスを持ってやってきた。
これから始まるナーノリアスの御饌の儀式。
塔の牢部屋で彼が来るのを待っていると、
コッコッコッ・・・・・・・階段を上る足音が扉の前で止まりしばらく無音となる。
・・・何故そこで止まる?
・・・
・・・
・・・こちらから開けるか。
そう思ったところで扉がノックされた。
「入れ!」
「父上。ナーノリアス参じましてございます。」
最拝礼で膝を折り頭を垂れた。
「ナーノリアス。頭を上げよ。」
「はい。」
なかなか顔に表情が出ないと言われているらしいが、私にはわかる。
楽しみ♪とか思ってワクワクしていられるのも今のうちだぞ!
「ナーノリアス。これから大事な話をする。話は一度しかしない。そして全て他言無用。絶対誰にも話してはいけない。わかったか?」
「はい・・・ですが父上、一度聞いて覚えられるかどうか自信がありません。」
お前は日頃の能天気を少しは恥じいりなさい。
口移しの伝承が絶えてしまうだろうが。
「忘れたならそれはそれだ。一度しか言わん・・・・・・質問は受け付ける。」
ナーノリアスが目の前でニッコリ微笑んだ・・・いや、ほくそ笑んだ。
「座れ。」
「はい。」
それからはアルフィードに語ったことと同じ事を伝えたのだったが・・・なかなか話が終わらない。
初代ヴァーウェンが実は真正の奇人と聞いてその酷さに唖然とした後に「父上、質問ですがその性格は自分にもあるんでしょうか?」と訊いてきた。
いや、馬鹿を言っちゃあいけない「性格は遺伝しない。」と諭すと今度は
「二代目王はまともだったのですか?」と無駄な会話が続く・・・話が終わらない。
さて、御饌の儀式だ。
王の資質が2人の兄弟のどちらにあるか。それがこれで決まる。
そう告げるとナーノリアスも神妙にこくりと頷いた。
部屋の奥にある棚から盆を取ると、ナーノリアスの前にそれを置く。
布を取れば銀のカップと皿が2つ。
カップにはベージュ色の液体が8分目まで入っている。
そして一つの皿には団子―――人の眼球ほどの大きさのもの―――が3つ。
もう一つの皿にはオートミール状のどろどろしたスープ。
「皿でもカップでも、どれか一つ選べ。」
「これ、食べものですか?」
「ああ。先程話した初代が食したチルチ火山山麓の土だ。」
「では・・・これを頂きます。」
ナーノリアスはカップを手にした。
「よろしい。全て飲み干しなさい。」
「はい。」
ごくごくと飲んで動きが止まるナーノリアス。
「乳とオレンジの味がします。」
「飲みやすいように味が付いている。」
「・・・・・・もしや、こちらの方も味がついていたのですか?」
と、皿を指差す。
「ああ。ちなみに団子状の物は二代目が食した時の形で、スープ状の物は三代目が食した時の形だ。」
「父上の時は?」
「カップに入った水で溶いたものだった。」
「それって、どr・・・えっと、これ、一口食べてみてもいいですか?」
言いかけた言葉を飲み込んで急に盆の上の皿を指差した。
こんな展開は想定外だ・・・食べてもかまわないが、分量として大丈夫か?
自分の感覚ではこの子は非常に資質があると思って余興的に3種類用意してみたのだが。
「・・・・・・かまわないが味見程度にな。他を食べた分を飲み残しなさい。」
「わかりました。Mogu・・・あ、この団子は香辛料が入ってる。シナモンとチョコとマーマレード?Koku・・・こちらは砂糖とレモンとすりおろしリンゴでしょうか?どうです?」
「ぅぅぅ・・・どうでもよろしい!!」
味見コンテストじゃないんだぞ!
これで試練(?)は終了し、そのままナーノリアスを白地の間へと連れていった。
そして後始末を終えると時間は深夜に及び、日をまたいでの宮殿帰還。
こちらの方が倒れて寝込みそうになる。
ナーノリアスは次の日に腹痛を訴え、5日後にようやく部屋から出て普通の生活に戻っていった。
*****
成人の儀の後は2人とも皆から顔つきが変わった、大人になったと誉めそやされた。
特にナーノリアスに至っては今までが極楽とんぼだったせいか劇的な代わり具合である。
アルフィードが長男でしっかり者だから当然兄が王になると思っていたのだろう。
だが近くに寄ればこの兄弟の資質の差は歴然。
お互いにそれが判るのだから隠しておけるものでもない。
ナーノリアスは自分が上だと、自分が次王であると判った時には喜びより困惑の色が強かった。
そしてアルフィードにとってもそれは衝撃だったのか、今までの反動のように遊びだした。
ソフィアは何が悪かったのかわからないと嘆く。
君のせいじゃない。
*****
成人の儀から半年後。
アルフィードが朝帰りしたところを捕まえて緑風の間に連れ込んだ。
「座りなさい。」
誰も入れるなと命じ、私自身で2人分のお茶を淹れた。
「朝帰りとはいい度胸だ。どこに行っていた?」
「別に父上に報告するほどの所ではございません。」
「そうか。食事をいっしょにどうだ。」
「・・・」
顔をこちらに向ける事無く、ぼーっと外を見ている。
肌の色艶や爪の様子を見ると、ひどく生活が乱れているようではないようだ。
ただ、身だしなみがラフになったな。これから落ちていくといったところか。
「で?こっちも暇ではない。言いたいことがあれば言いなさい。」
「・・・」
「ん?」
こっちが挑発すると向こうもにらみ返してきた。
良い兆候である。
「何もないのか、それとも自分で自分の悩みも説明できんのか、どっちだ?」
「!!」
「まあいい。一緒に食事しよう。」
腹が減っていると殺伐となる。
私が扉の向こうに食事を頼みに行こうとすると、アルフィードが手前に立ちはだかって、
「俺は・・・!俺はこんな身体、だいッ嫌いだ!」
急に切れおった。
「どこにいても精霊が見える!こんな事、あの・・・アレを飲まなきゃこうならなかったんだろ!?」
「さあな。」
「すっとぼけるな!」
がっと私に向かって拳を上げてきた。
バチーン!
それを手のひらで受け止めると、そのまま拳を左に流し足を払ってアルフィードを床にこけさせた。
「!」
すぐに立ち上がり、間合いを取りながらこちらの出方を待っている。
所詮、18歳の温室育ち。
じゃれあいならいくらでも相手になってやる。
こちらが無造作に襟首を捕まえると、足で膝蹴りを繰り出してきた。
そのまま体を斜にして上げた腿を腕で掬い、バランスを崩したところに上から腹へエルボーをかましてみる。
緑風の間に敷いている南国風景を織り込んだ絨毯の上にドスン!と落ちるアルフィード。
さっと間合いを取ってみたが、海老のように背中を丸めてその場にうずくまったまま動かない。
「どうした!反撃しないのか!!」
「・・・くっ・・・ぅ」
ん?泣いてる?・・・まさかな。さっさと立たんか。
「どうしたらいいんだ・・・あなたにも見えるんだろ?」
「慣れろ。それしかない。」
背を見せないままテーブルに近づき、紅茶を一口飲む。
しばらくこう着状態だったが、アルフィードが顔を上げ恨む口調で言い放った。
「王でもないのにこの体質はいらないだろう?!」
「王になるかもしれない。」
アルフィードが一瞬ぽかんと呆けた顔をしてこちらを見た。
だが、次の瞬間何を言っているのか判ったのだろう。
「俺はスペアじゃない!!」
そう言って部屋を飛び出していった。
ああ。
それは誰もが通る道だ。アルフィード。
だが、こればかりはどうしようもない。
もともと持っていた資質が表面化・強化されただけだ。
しかも年取った親に己の体質の不条理をぶつけてくるなんて、躾が足りなかったな。
・・・それにしても少し体がなまっている。
思ったように動かなくなってきたな。
そこで屈伸運動をしていたら、後ろから近衛兵の生暖かい視線を感じやめた。
開けっ放しの扉を閉めるように促すと、近衛兵が急に廊下の向こうを見た。
ナーノリアスがやってきたせいだろう。
「父上。おはようございます。」
「ああ。」
「兄上が居られましたね。」
「ああ、紅茶を飲んでいただけだ。」
そう言うとナーノリアスが、困ったような顔になった。
「ちょっと聞こえてました。」
「そうか。」
ばれているならしょうがない。
「おまえは?精霊が見えるのが苦痛か。」
「はい。」
正直だ。気持ち良いくらい正直だ。
「多分、兄上と同じものを見ています。」
「お前の方が力が強い。お前の方が見えているだろうが。」
「・・・父上はどのように見えているんですか?」
「水・炎・大地・風・・・およそ精霊と言われるもの全て見えるが・・・今も外をふわふわと移動している。」
ナーノリアスはますます困った顔になった。
「同じものを見ていると思いますが、ふわふわ移動しているって感じじゃないですね。」
「ん?」
「意思を感じます。」
「意思?」
「怒りを。」
グワンと頭を殴られたような気がした。
漠然と不快感は感じていた。だがそれほどはっきりと?
「ナーノリアス・・・朝食を一緒にどうだ?」
「申し訳ありません。今日はゲイグル・ウィンス・パノーランの3カ国の摂政と一緒です。」
「南諸島3カ国か・・・おまえも忙しいな。」
「まぁ、一緒に食事するだけですから。」
国政を徐々に次王に負担させてはいるが、朝食時にまで会議を組むとは・・・きっと仕事が楽しいのだろう。
私からは巨大なエネルギー資本と経済力を持つ国を、母親からは最強の軍事大国の後ろ盾をもらい、次期キリーク王国国王に跪かない国があるだろうか。
*****
スフの花が中庭で揺れている。
ナーノリアスが仕事をするおかげで私は時間的にかなり余裕が出来た。
今日は夕刻から調印式が一つあるだけだ。
久々にユリカゴに上ってみようと思い立った。
*****
次王が20歳になれば一緒に上がる予定のユリカゴ。
銀の楕円体の中に納められている精霊王エル。
あの小石を見てナーノリアスは笑うに違いない。
塔の入り口から30分ほどでエレベーターは昇りきり扉が開くとそこには所長が控えていた。
「ようこそお越しくださいました。我キリーク国王ヴァレリオ様。」
「ツェルン所長。ご苦労。」
そうして所長と並んで歩くと突然、幻影に襲われた。
コツコツと響く足音。
あの時もここをこうして歩いていた。
何度も・・・
聖源室に向かって底の知れない絶望を押さえ込みながら・・・
アルフィード!
この先にアルフィードが・・・
救えるのは私しかいないのだ!
・・・何を考えてるんだ?
アルフィードは地上に―――
そうだここじゃない。
何を・・・・・・
私はいつの間にか管理室の手前で歩みを止めていたようだ。
「ヴァレリオ様?」
所長の声にもぼんやりとしか反応できない。
「ああ・・・すまない。少しめまいがしてな・・・」
「エレベーターに酔ったのでしょう。少し客室の方でお休みになりますか?」
結局このまま少し休憩して近況を尋ね労をねぎらい地上に降りた。
そしてすぐさまアルフィードの部屋に行ったが、あの子はまた宮殿を飛び出していた。
*****
アルフィードの不在が心に影を落とす。
何も心配は無いのだ。
あれは年相応に武道をこなしていたじゃないか。
しかもこの国民の気質は温厚だ。
誰かに何かされる事はない。
だが・・・もし王家の一員として何らかの策謀に陥れられどこかに監禁されでもしたら・・・
私は内線に手を伸ばし、近衛隊長を呼び出した。
「ラングレー!すぐに来てくれ。」
私の声に異変を感じたのか、ラングレーは慌しい様子ですぐに駆けつけてきた。
「いかがなされましたか。」
訝しげな声で私に尋ねるラングレーに、アルフィードに護衛を付けているか確認する。
肯と即答する彼に「すぐに宮殿に戻らせろ。」と命令した。
護衛が付いているなら心配する必要がどこにあるのか。
だが、確信めいた不安が暴走して止められない・・・
アルフィードの部屋から出ないまま、侍女に茶を淹れさせて落ち着こうとしたが、カップを持つ手さえ震えている。
あの子がどこかに囚われ助けを呼んでいる気がしてならない。
心配する必要は無い
だが救わねば・・・!
何を?
助けを呼んでいる!
いや、その必要は無い!
だが・・・救わねば
わたしの中で真逆な声が叫びあう・・・どのくらいそこに居たのか。
かちゃりと音がして、部屋の扉が開いた。
アルフィード!?
帰ってきたのかと扉を見れば、
「あなた。」
ソフィア!
このっ・・・!
憎しみに血が沸騰する。
何故?わからない!だが、この女・・・
無言のままソフィアへと近づくと、ソフィアは顔色を変えて扉の向こうに逃げた。
それがきっかけで何かが切れた。
きさまっ!
閉ざされた扉を開けて廊下を見れば、白い花がひらひらと舞うようにソフィアが走って逃げてゆく。
それを追って走れば、女の逃げ足など他愛なくすぐに追いついた。
くっ!!剣を帯刀していない!
そのスカートの飾りリボンを掴んで引くとソフィアはバランスをくずしてその場に倒れ、
「ヴァレリオ様!」後ろから近衛兵が私を制止する。
ユージン!クリス!なぜ邪魔をする!この女はお前達の、
「どけ!」
2人に押さえらながらも自由になった左腕を逆手に回して、兵の腰から剣を抜く。
無理やり抜かれた剣はシャランと金属の滑る甲高い音をさせて、私を抑えていた者の胴を滑った。
どこまで切れたのか、右を抑えていたユージンの力が緩む。
だが、クリスが覆いかぶさるようにわたしの腕をつかみ上げた。
「父上!」
突然の声に、見ればソフィアの前でアルフィードが立っていた。
・・・かつてのようにソフィアを私からかばって・・・
「アルフィード!」
アルフィード
アルフィード
アル・・・
よかった・・・何もなかったのだ・・・
カラン
私の手の中から剣が落ち、すぐにクリスが蹴飛ばして遠ざけた。
私を押さえつけている2人は、力は入れていないものの暴れないよう関節を押さえ込んで成り行きを見守っている。
「父上!母上が何をしたというのです!!」
私に近づき怒り顕わに怒鳴るアルフィード。
だが、私はただただ無事だったことにホッとしてその緑の瞳を見つめるしかなかった。
何もなかったのだと――安堵の気持ちだけが私を支配していた。
どこかに閉じ込められたわけじゃなかった・・・
こうして目の前にいる。
「離せ・・・もう何もしない。」
静かに告げるとアルフィードも近衛兵に目配せする。
身体が自由になったとたんに身体の力が抜けて半歩ほどたたらを踏んでしまった。
「良かった・・・」
思わず言った言葉にアルフィードの表情が怒りからいぶかしさに変わる。
「父上?」
目の前で棒立ちになった息子の身体を思わず抱きしめた。
よかった。無事だったんだ。
急に頭がはっきりしてきた。
何もなかったのだ。
ならば良い。
安堵のため息をついて、その身体を離すと踵を返して自室へと戻っていった。
*****
それからしばらく眠れぬ夜が続いた。
それは看病兼監視の侍女が四六時中室内に居るようになったからではない。
身体の奥底で燃えていたものが、衰え消えはじめている。
考えてみれば2代目・3代目は次王に位を譲ってから5年もしないうちに死んでいる。
我父も私が王位継承した20歳にはすでに病床にあった。
その側に佇めば、必ず「私の天命は終わった。もう私の中では消えている。」と、口癖のようにおっしゃっていた。
こういう事だったのか・・・火が消えて行くのを感じながら私もやがて倒れるのか。
・・・いや、まだ早い。
ようやく元気を取り戻し、侍女の監視もなくなった時にはすでに秋も深まり、中庭の緑も色を変えていた。
起きて窓の外を見れば、空は澄み、新月がくっきりと闇の中で細いカーブを描いている。
冬の到来は死を予感させる。
まだだ。
まだわたしは生きていたい。
子供達はまだ半人前だ・・・もっと見ていてやらねば。
「あなた。」
小さな声に振り向くとそこには薄明かりの中に立つソフィアの姿があった。
「ソフィア・・・」
君ともずっと離れずに一緒に生きていたい。
ソフィアの身体を抱きしめれば、彼女は細い腕で力いっぱい抱きしめてきた。
彼女の抱擁で私の身体が少し暖まる。
私の身体はこんなに冷えていたのか・・・
「ベッドに入ろう・・・寒いだろう?」
こくりと頷くのを見て手を引きベッドに招き入れた。
窓から入る薄明かりにソフィアの金髪が豪華な波となって枕の上に広がる。
それに指を入れて一波掬うとサラサラと掌でゆれた。
その様を私も、そしてソフィアもただ見つめている。
結婚してから今まで、どれだけの月日が経ったことか。
だが、ソフィアはいつも変わらない。
今でもキリークに来た頃の10代の初々しさと王族の気高さ。
くやしいので今まで・・・いや今後も教えないが、一目ぼれだった。
最初の妊娠を知った時にどれほど嬉しかったか君はわからないだろう?
君が胎児と身体で繋がっているとするなら私は胎児と血で繋がっていたんだよ?
これはこの世の全ての男がそうなのか、それとも我一族だけなのかは知らないが、世界の全てが肯定できた。
全てがこの時の為の試練だったのだと素直に思った。
私の兄が成人の儀で無残な死を遂げた2年後、私はあの塔の牢部屋で兄が父の血を引いていなかったと知らされた。
これから口にするものは我一族以外の者には毒なのだと。
そして目の前に置かれた銀のカップ。
初めて知らされた事実と、目の前に突きつけられた御饌と冷たく光る父の目・・・私にとってあれは原罪の審判だったのだ。
その後、父はその時の事を後悔していたのか、あのユリカゴを1kmに引き上げる大工事に着手した。
そして、私はその恩恵を受けてキリーク王国を一気に発展させる事が出来たのだけれど・・・それでも心の中は踏み潰され、ひしゃげたままの傷が鼓動を打っていたのだ。
ソフィア。
君と結婚して良かった。アルフィードが生まれた時に私ももう一度生まれなおしたんだ。
その上、ナーノリアスが生まれ、私は自由を得た。
あの子の血はヴァーウェンの再来かと思うほど濃い。
私は義務を果たした・・・言葉ではなくこれは実感だ。
そして、それがどれほど私を解放してくれたか。
今私は何の打算も無く全てのものを愛していると言える。
もちろんこんな事・・・絶対口にはしないがね・・・。
ヴァレリオはソフィアの横で深い安らぎの中、眠りに落ちて行った。
*****
年が明けてから今日で1ヶ月か・・・めったに引かない風邪を引いてしまった。
ふっと目が覚めて窓の向こうを見ると時々青空を垣間見せながらゆっくり流れる鉛色の雲に雪が降っていた。
多分これが今年最後の雪になるに違いない。
昼下がりだと思うが幸い侍女の気配がしない。今のうちに・・
そろりとベッドから抜け出せば足元から寒さが身にしみる。
でも少しの間だけだ。
窓辺から眼下を見下ろすと庭のあちこちが丸みを帯びて白と水色に沈んでいる。
寒いが心落ち着く風景・・・
「ヴァレリオ!」
びっ!びっくりした!
振り向けば、扉を開けた声の主は仁王立ちである。
「何をやってらっしゃるの?!」
ソフィア、怖いよ・・・
「ちょっと庭を見ていたんだが。」
「せめてガウンぐらい羽織ってちょうだい。」
ガウンを着せられ、首元に毛織のマフラーをかけられストーブの近くに座らされた。
ソフィアは扉の向こうに飲み物を持ってくるよう命じた後、私の横に椅子をつけて座った。
「顔色が良くなったわ。」
「ああ。もう大丈夫だと思う。」
「でも侍従医が良いと言うまでだめよ。」
「わかっているよ。」
侍女が持ってきた熱いレモネードを飲みながら、燃える火のゆらめきを黙って2人で見つめている。
時が止まったかのようだ・・・
トントン
ノックの音で現実に引き戻され、許しの返事の後に現れたのはアルフィードだった。
「父上、母上、只今戻りました。」
2年前、私が心身虚弱で倒れたあと、アルフィードは各地遍歴の旅に出た。
行く先々から手紙や写真を送って来るが、時には法があって無いような真空地帯からの時もあり、やきもきさせられたものだ。
「アルフィード!」
ソフィアが驚きのあまり急いで立ち上がり椅子がひっくり返りそうになった。
こんなソフィアを初めて見た。だがそれもあたりまえだろう。
アルフィードはとりあえず身支度整えて来たらしいが、以前の甘く優美な王子ではなく日焼けし眼光も鋭く精悍な男になって現れたのだから。
ただ、相変わらず新緑の鮮やかさをもつ瞳・・・ソフィア譲りのその瞳の甘さは変わらない。
ソフィアは、アルフィードに抱きつく勢いで近寄っていったが、ただその手をつかんで彼の顔をまじまじと見ているだけだ・・・息子よ、母親相手に照れるな。
しょうがない。助け舟をだしてやるか。
「よく帰ってきた。体調は?」
「すこぶる健康です。」
「よろしい。」
実はキーリク国内に来ている事は知っていたのだが、まさか宮殿で私たちに挨拶をしていくとは思わなかった。
聞けば、これからすぐ北に向かうという。
アルフィードは出発の1時間ほど前にもう一度私を訪ねてきた。
何枚かのレポートと、多くの異常気象を示す写真。そして、提言書。
結論から言えば、段階的にエネルギー政策を転換させ最終的には精霊王エルを解放すべしという事だ。
私はひととおり目を通した後、それをストーブで焼き捨てた。
*****
ナーノリアスが二十歳になった。
ついに
ついに王位継承の日である。
宮殿の皆に送られ2人でユリカゴへと向かった。
エレベーターに乗り外を眺めればそこには青い空とビルの波が広がっている。
ユリカゴにつきエレベーターの扉が開くと、そこには所長が控えていた。
歓迎の礼を受けて2人でゆるやかなカーブをえがく廊下を進むと、鋼鉄の扉がその行手を塞いでいる。
所長が扉に接した柱を2箇所タッチすると、カコンと軽妙な音が響いて扉がスライドした。
中には白衣を着た研究員達が画面に向かって座っている。
「申し訳ありませんが、彼らに作業を止めさせる訳には行きませんのでご無礼をお許し下さい。」
「許しますが・・・彼らは何をしているのですか?」
ナーノリアスが一人の研究員の後ろに近づき覗くと画面が暗くなった。
「ええ?」
「ナーノリアス。こちらに。」
私が手招きするとナーノリアスがゆっくり戻ってくる。
「セキュリティーセンサーが働いたようです。誠に申し訳ございません。」
所長が慇懃に頭を下げると、ナーノリアスが鷹揚に答えた。
「良い。気にはしていない。」
「ではこちらへどうぞ。」
螺旋階段を上がり聖源室の前に来ると、所長は壁に組み込まれたロッカーからカラフルなオーバーとズボンを取り出し、そのうえフルフェイスの兜までかぶり出した。
「父上、所長は何をしているのです?」
「この先は普通の人間が入るのは危険だという事だ。」
「・・・それで、我々の分の服と兜はどこにあるのです?」
「ない。」
「!」
「この霊源室にこのまま入れないようでは王の資格はないということだ。」
「・・・・・・父上、私一人で入ってみても良いでしょうか?」
っ!
ナーノリアス・・・!
おまえという息子は・・・
昨年あたりから私の身体は変調きたしはっきりと体力の衰えを感じるようになった。
それは自分の身体の中心から熱が静かに消えているからに他ならない。
そして、それこそが王の資質に直結しているもの。
ナーノリアスは私の衰えを感じて、いつものわがままと同じ口調で父を止めようとしたのだろう・・・が、これは私にとって義務であり、やらねばならぬ試練でもある。
王位継承の儀は次王も試されるが現王もまた然り!
「現王と次王が入る事が重要なのだ。」
「わかりました。わがままを申しました。お許し下さい。」
所長の準備も整った。
黒と黄色の扉が開けられる。
中は一面に青の光が渦巻き、壁に幻想的な灯りを映している。
「・・・」
ナーノリアスはその美しさに呆然とした。
そしてその青い光りを発する円柱の中に一つの小さな影を見た。
精霊王エル・・・!
凝視すれば時々黒い石はギラリと青い反射光を2人に向かって投げつけてくる。
「・・・美しいものですね。」
ナーノリアスがうっとりしている。この小さな石がそれほど魅力的には思えないのだが・・・
しかも180度全体から見たいのか、シールドの周りを歩きだした。
まるで大きな水槽に放された魚を見てまわる子供のように。
「ナーノリアス。こちらへ。」
「は・・・」
一回りしたナーノリアスを呼ぶと私の前に膝を折る。
私は自分の首から黒曜石と白乳石で出来たネックレスを取り外した。
目の前で跪くナーノリアスの首にそれをかけてやる。
「これにより、おまえを第5代目キリーク王国国王と運命る。国王としてキリークの繁栄と平和を守るか?」
「守ります。」
「よろしい。立ちなさい。」
立ち上がったナーノリアスは私より若干低い。
その肩を掴んで頬にキスをすると、新国王は少し感極まったような顔でこちらを見つめてきた。そんな顔をするな。
「地上に帰れば戴冠式が待っている。」
私が微笑むとナーノリアスの顔はもっと歪み緑の目から涙が落ちた。
しょうがない子だな。
と、その時ナーノリアスが右手を握ったまま私の前に差し出した。
???
そのままゆっくりと開く。
そこには黒い石があった。青い反射光がギラリと光る。
!!
何故それがここに!?
シールドの中は
と、
振り向けば
そこには
少年が
眠って いた!!
「うあああああああああ!!!」
アルフィード!!
何故そこに?!
「アルフィード!今出してやる!!」
こんな様になるために生まれてきた訳じゃない!
おまえ!
必ず助け出してあげるから・・・!
思わずシールドの中へと身体を躍らせると身をつんざく痛みに熱い蒸気がまとわりつき、強烈な閃光と闇で目がくらんだ。
だが、それも一瞬の事、すぐに誰かの腕が自分の頭を抱えている事に気がついた。
「・・・ここは」
霊源室ではない。
「あなた。」
ソフィア!?
何故おまえがいる!?
「ここはどこだ!!」
怒鳴ってはみたが判っている。
謁見の間
ならば今までの出来事は!?
風の精の乱行
アルフィードもナーノリアスも全て幻だというのか!
鼻をつく鉄の匂い
ソフィア!
私の顔を見つめる鮮やかな緑瞳。
聖母のような微笑。
「愛していますヴァレリオ。」
「!」
ヴァレリオの目から激しく涙があふれその手は拳となって振り上げられようとした。
だが、
それが憎むべき最愛の女に届く前に、ヴァレリオの首から下は暴風の牙にかけられ部屋中に四散した。
『ヴァレリオ!!』
あなたが夢みていた子供とわたくしとの生活。
そして、わたくしもそれを望んでいた・・・
それなのに・・・!
ソフィアは腕の中に残ったヴァレリオをぎゅっと抱きしめた。
彼女の眼には涙もなく唇に嗚咽も無く、ただただヴァレリオの頭にすがって震えるばかり。
私は精霊王の手に堕ちた。
あなたに会いたかった。
アルフィードを助けたかった。
ナーノを見せたかった。
どうしても止めることが出来ない衝動が、わたくしをここへと導いた・・・!
わたくしの身体、わたくしの心。
一瞬だけ許されたこの抱擁がこれほど幸せな夢を・・・私が打ち砕いた夢を見せるなんて・・・
そして。
ソフィアはゆっくりその腕を下ろし、王座の座部を手で払うとそこにヴァレリオの首を置いた。
「母さん・・・」
衝動から覚めたナーノが近寄ろうとするのをバリスが止めた。
足元にあったベルベットをつかんで、血と肉にまみれているであろうソフィアの下に近づきその肩に手をかけようとしたが、今、彼女に触れる事は何故かためらわれ、彼女の横にひざまずき頭を垂れてその布のみ捧げて献上の体を取った。
ソフィアは・・・
優雅な動作でそのベルベットを手に取り、まるで突然の通り雨に打たれた後のように、前面を払い落とすとくるりと後ろを振り向いた。
そこにはいつものソフィアが立っていた。
凛とし高貴な佇まいで広間を見回し、何事も無かったかのように生きている者達へと告げる。
「行きましょう。」
カッ
ソフィアの靴音が謁見の間に響いた。
そしてソフィアは何も考えていない。
そう、何も・・・