第十三章 アルシュ王国8
元近衛師団副長という肩書きは歳をとり現役を離れた今でも十分に威力を発揮した。
ソフィアがサマーサを頼りエズバランの館に来てから10日後、かつての自分の兄、現アルシュ王国国王フェルーンに直接面会することが出来たのだ。
宮中で一番荘厳な作りの黒の間。
それほど大きくはない部屋だが、前後左右の鉄壁に黒曜石のタイルが埋め込まれ、床はみごとな赤い大理石が使われている。
よく見ると床の四方に広めの溝が切られていて隅に置かれた彫像の裏にある排水口に繋がっている。
もっとよく見ると壁も床も縦横無尽に傷が走り不自然な装飾を作り出しているようだ。
そして左右の壁には完全武装の近衛兵が10名、彫刻のように身じろぎもせず立っている。
中央には簡素な作りのテーブルが置かれ椅子にはソフィアが座っている。
ソフィアは両手をテーブルの上に置いているがその手首には禍々しい鉄の手錠が鈍く光る。
対面に立つフェルーン王はそんなソフィアの姿をしばらく眺めていた。
やがて、ソフィアに近づくと丁寧に結い上げられた髪のピンを一つ二つと抜いていった。
その度にさらりさらりと金が揺れて落ちる。
暗い室内で艶やかな光沢を放つソフィアの髪を一房すくってその感触を確かめると、今度はうなじに手を当てやがてそれをツツ・・・と首にそって前に滑らせた。
そのラインは斬首を意味するのか。だがソフィアの表情に変わりは無い。
フェルーンはふっと微笑みソフィアから離れ、テーブルの横に立った。
「元気そうだな。ソフィア。」
「お兄様もご健勝何よりでございます。」
「キリークで死んだと聞かされた。」
「ご覧のとおり生きております。」
卒なく答えるソフィアをしばらく無言で見つめるフェルーン。
「・・・何をしに来た?」
「お兄様に会いにきました。」
「そうか希望がかなって何より。ではさらばだ。」
部屋を出ようとするフェルーン。
ソフィアは初めて身を起こしフェルーンに顔を向けた。
「お兄様のお役に立つために来たのです!」
「役に立つ?」
なにやらおかしな事を聞いた。
役に立つだと?
フェルーンは再びソフィアに近寄り怒号を上げた。
「おまえがキリークで馬鹿なことをしてくれたのを俺が知らないと思っているのか!最初にヴァレリオ王から事の顛末を聞かされた俺の気持ちを・・・おまえは!!」
「お兄様、どのような事を聞かされたか判りませんが、これだけは信じてください。私はあのユリカゴまで行くことが出来たのです。」
「ああ、聞いたとも。精霊王に手を出そうとしたとな!!」
「それではわたくしもはっきり申しましょう。あのユリカゴのなかに入り精霊王に会えたのです。」
「たわけ!自慢げに話す事か!!」
「いいえ。自慢ではなくフェルーン王に交渉しているのです。」
「!?」
「この世に生きている者の中で唯一わたくしだけが精霊王と直接コンタクト出来たのです。そして、わたくしはあなたの妹なのですよ?」
「・・・」
「精霊王の力はすばらしいものでした。あの力を手に入れたキリークが発展したのは当たり前です。」
「・・・」
「わたくしはね?お兄様・・・キリークの宮殿から見えるユリカゴを見て不思議に思っていましたの。たかだか100年でアルシュ国を追い抜きエネルギー供給の名のもと近隣諸国を配下に治めたキリークという国・・・でも、それは精霊王を味方にすれば誰にも出来る事ですわ。100年前はアルシュ王国の方がキリークよりはるかに進んでおりましたものを。」
なるほど。言いたいことはそういう事か。
「・・・我々はキリークのおかげで豊かになった。キリークの味方になっても敵にはならん。」
「敵になる必要はありませんわ」微笑むソフィア。
「わたくしがもう一度精霊王にお会いしてお兄様の伝言をお伝えしましょう。お兄様はこの国を・・・アルシュ王国をどのようになさりたいですか?」
以前リスターに向かい『フェルーン王は自信の無い王』だと評したソフィアがアルシュ王国の未来像をその王に訊く。答えは出ている。ただその口からそれを言わせるだけの質問・・・そしてフェルーンは答えた。
結果、
「キリークが有する精霊王エルをアルシュ側につくようにしろ。その為ならば協力は惜しまない」
アルシュ王はソフィアと密約をかわした。
ソフィアはフェルーンが考えたエルという精霊王について誤解を解かなかった。
すなわち、精霊王エルは話次第では人に迎合する、と。
そしてソフィア一行に一人の男が加わることになった。
その名はバリス・ラン・フォールゼン。
公安局環境課に所属する精悍な顔つきの男だった。