大人になれない僕らの成熟拒否
僕がまだ、どこからどう見ても子どもだったあの頃、「大人になんかなりたくない」と、心の中でギラギラしていた。
大人というモノは、世界の醜さ悪さ汚さを、煮詰めて凝縮したモノのように見えた。
そんなモノに、いつか自分も化り果てるなんて、吐き気がした。
周りの連中がどれだけ大人の世界に染まり、変わり果てても、自分だけは子どものまま、変わらない魂を保っていたい、なんて思っていた。
だけど、もうほとんど子どもと呼ばれなくなった現在の年齢になって、気づく。
本当に醜いのは、むしろ肉体ばかりが大人に化って、精神がちっとも大人に成れていないことなのではないか、と。
あの頃の僕が軽蔑していた“大人”は、人の形の殻ばかりが大きくなって、中身は未熟なままの、ただの大人の卵だった。
見渡せば、むしろ世の中、そんな人間の方が多い。
たとえば大人というのは、後輩の面倒をきちんと見られるということなのかも知れない。
小学生の頃、高学年の児童が低学年の子の面倒を見るという制度があった。
だけど僕は一緒になって遊ぶばかりで、全然“面倒を見る”という形にはならなかった。
中学もニ年生になると、部活での後輩もできた。
だけど僕は、ただ同じ“場”にいるだけで、彼らと特別な関わりなど持てなかった。
アドバイスにしろ注意にしろ、後輩とそれなりの関わりができている人間を見ると、感心する。
僕は未だ、まともに“先輩”をやれていない。
たとえば大人というのは、他人やその場の状況に目を配れることなのかも知れない。
僕はいつも自分のことでいっぱいいっぱいで、同じ部のメンバーのことだって、口クに把握しきれていない。
なのに、他人の躓きや卜ラブルを察知して「どうしたんだ?」「あれはどうなった?」なんて声掛けをしてくれる人間はいる。
イベン卜ごとで、手の足りない所にいち早く気づき、サッと手伝ってくれる人間はいる。
自分の持ち場さえ真面目にやらず騒ぎ遊んでいる連中とは、えらい違いだ。
たとえば大人というのは、暗黙のルールや礼儀に、きっちり適応できることなのかも知れない。
部活の上下関係や謎の伝統なんて、個人的には、堅苦しいばかりで要らないものだと思っている。
だけど、個人の希望や理想をどう思い巡らしたところで、現実はどうにもならない。
ルールを無視すれば睨まれるし、礼儀を欠けば疎まれる。
僕なんて、いつも他人の見様見真似でやり過ごしてばかりで、ルールもマナーもまるで身についていない。
そもそも、どこでどうソレを学べば良いのかすら分かっていない。
なのに、当たり前のようにソレを駆使する同級生も、普通にいるのだ。
たとえば大人というのは、自分が今、何をするべきなのか、ちゃんと分かっていることなのかも知れない。
たとえば、大会で結果を出すために、学校だけでなく家での食生活や運動習慣も見直さないといけないこと。
たとえば、将来希望の学校へ進むため、今勉強しないといけないこと。
そもそも、自分の将来や人生のことを、自分でちゃんと考えないといけないこと。
きっと皆、今さら言われなくても、意識の奥底ではちゃんと分かっていることばかりだ。
だけど普段は意識もせず、ダラダラと流してしまいがちなものばかりだ。
あるいは意識していても、楽しくないし面倒だから、グズグズと逃げ回ってしまいがちなものばかりだ。
そこから逃げずに、やるべきことをちゃんとやれるのが、大人というものなのかも知れない。
肉体や年齢が大人に近づくにつれ、そもそも僕は『大人になりたくない』以前に『大人になんてなれない』のではないかと、怯え始めている。
周りの、既に精神が大人な同年代を見ると、焦燥に胸を灼かれる。
あんなに大人になりたくなかったはずなのに、大人になれない自分に恐怖じみた絶望を感じ始めている。
思えば僕が大人を嫌っていたのは、子ども心を少しも理解ってくれないからだった。
子どもにも子どもなりの事情があるのに、まるで知ろうとしない所に腹が立った。
子どもというだけで下に見て、対等に話も聞いてくれない態度を憎んでいた。
だけど、そんなものはべつに“大人と子ども”でなくても発生する問題だった。
子ども同士だって、同学年同士だって、普通に発生する問題だ。
思えば本当の大人というのは、人間関係を真っ当に築ける人間なのかも知れない。
たとえば、相手の事情にちゃんと目を向け、自分の意見や都合を一方的に押しつけないこと。
たとえば、相手を下に見て馬鹿にしたり、不利に扱ったりしないこと。
思えば僕が嫌っていた大人というのは、肉体や年齢ばかりが大きくて、精神はまるで成熟していない人達だった。
自分が真っ当な人間関係を築けていないことにも気づかず「相手が不満を言わないのだから、それでいいだろう」と思っているような人達だった。
言いたくても言えない言葉や状況なんて、山ほどあるのに。
幼い頃、大人というのは“どんなに嫌でも、いつかは化ってしまうもの”だと思っていた。
だけど、あともう一歩で大人という年齢まで来て、気づく。
肉体と年齢だけは勝手に大人に化っても、精神までは勝手に大人に成ってくれない。
この心は子どもの頃と地続きのまま、まるで変わっている気がしない。
そしてそれはきっと、僕だけのことじゃない。
周りを見渡せば、歳がほぼ一緒でも、精神年齢は千差万別でバラバラなのだと分かる。
年の割にびっくりするほど大人な人間もいれば、どうしようもなく子供な奴もいる。
あの頃、僕がなりたかったのは“子ども心を忘れた大人たちの中で、唯一人、子ども心を保ったままの稀有な存在”だった。
周り中がこんなにも“子供のままの人間”ばかりなら、そこに稀少性などあるものか。
あの頃の僕がなりたかったものは、どこにも存在しない幻だったのだ。
考えてみれば、大人が嫌いだったからと言って、べつに同年代が好きなわけでもなかった。
大人が醜いからと言って、子どもが純真無垢なわけでもなかった。
周りの、未だに精神が熟していない同年代を見ていると、思う。
社会を騒がせるハラスメン卜の数々だって、きっと子どもと地続きなんだ。
非道い悪ふざけや嫌がらせを悦んだり、他人の都合なんてお構いなしに我侭に振る舞ったりする――そんな子供が、その未熟な精神を正せないまま大人になった結果が、それなんだ。
僕は、そんなものになりたかったのか?
……それだけは、断じて違うと、心から言える。
僕がまだ、どう見ても子どもだったあの頃、中高校生はものすごく大人に見えた。
だけど実際その年代になってみると、未だ全然大人になれていないことに愕然とする。
あの頃、年上がいやに大人に見えていたのは、体格差や能カ差ばかりに目が行っていたからだ。
目に見えるものばかり気にして、目に見えない精神性は勝手に過大評価して畏れていた。
無知が由来の畏怖なんて、知ってしまえば何と言うこともない。
僕があの頃、嫌いながらも畏れていた大人なんて、子どもの妄想が生んだ幻だったのだ。
今、僕の周りにいる“大人になれない”面々は、何かと言っては“大人になること”を拒絶する。
将来のために必要な勉強を拒否して遊ぶ。
部活や行事で与えられた役割を拒否してサボる。
対等で真っ当な人づき合いを拒否して、差別行動や虐め行為に走る。
彼らが拒絶するものは、彼らにとって楽しくない、人生の枷や重荷ばかりだ。
その重荷を素直に受け入れ背負う人間を、彼らは真面目だなんだと馬鹿にする。
彼らはきっと、そうして世界に反抗している心算なのだろう。
だけど僕はどうしても、それを力ッコ良いとは思えない。
重荷を背負うのが嫌だから、言い訳して逃げているだけにしか見えない。
それのどこに、憧れる要素があるだろう。
大人に成れない人間が、成熟した人間を敵視するのは、きっと妬ましさや羨望の裏返しだ。
真っ当に大人に成れる彼らを認めてしまえば、大人に成れない僕らの立つ瀬が無くなるから。
だから、蔑み、貶し、嘲笑うのだろう。
そうして声高に成熟を否定したところで、自分たちの未熟さがどうにかなるわけでもないのに。
むしろ、この世から成熟した人間が一人もいなくなったら、国も社会も真っ当に成り立たずに崩れていくだろうに。
なんて笑えない現実逃避なのだろう。
僕はさすがに、そこまで現実を棄てる気にはなれない。
大人を嫌悪していたはずの僕が、気づけば、大人になれない人間を嫌悪している。
いつの間にか大人になっていく同級生たちに焦がれて焦り、大人になれない僕を嫌悪する。
いっそあの頃のまま「大人になんてなるものか」と嘯いて、成熟を拒んでしまえばラクなのだろう。
だけど、それはしたくない。
僕はまだ、僕が成熟できる可能性を諦めてはいない。
たとえば大人というのは、憧れからほど遠い自分を、素直に認められることなのかも知れない。
現状から目を逸らすのではなく、憧れに近い場所にいる人間を攻撃するのではなく……自棄にならず、遅々とした歩みでも、一歩ずつでも前へ進むこと。
きっと、道は誰にだって開かれている。
ただ、そこを歩もうとする人間が少ないだけだ。
歩き続ければ確実にゴールできる道でも、それが遠く地道な道のりだと、挑む前から諦めてしまう人間が多いから。
べつに誰も競争だなんて言っていないのに、その道を先に行く人や、追い抜いていく人を見ると、心が折れて途中放棄してしまう人は多いから。
僕は、穢れた大人たちの中にあって、唯一人の稀有な魂を持つ人間でありたかった。
そのために、周りの大人と違う存在になりたかった。
周りが大人になれない人間で溢れているなら、成熟を拒否することに稀少性なんてあるものか。
だったら僕は、自分の卑小さを認めて、それでもなお高みを目指せる人間になりたい。
この世界は、自分の欠けた部分を認められない人間ばかりだから。
きっと、その方が稀少な人間になれる。
きっとその方が、僕の好きな自分に成れる。
Copyright(C) 2026 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved




