反逆のミートボール
『人間観察が足りていないですね』
これはよく大作家さまたちが新人賞作品の落ちた作品を批評するときに使う言葉だが、なかなかに命知らずだ。
だって、これを言うってことは自分は人間を観察しているってことでしょう?
とんでもねえ話じゃあねえですかい。
だって、観察するんですぜ。人間を。
つまり、その人に会う人はみな、『ああ、いまこいつ、おれのこと観察してるんだろうな』って思われちゃうんですぜ。
いまの世のなか、他人を五秒以上見つめたら、変人扱いされるし、見つめた対象が幼児なら児ポ法野郎扱い間違いなし。
そんななか、『おれは人間レントゲンだ。なんでも骨まで観察しちゃうぜ』ってわけでしょ?
放射線は体に浴びすぎると害になりますからね。ほどほどにして、朝顔でも観察しましょ。ね?
ああ、もちろん、わたしは人間観察なんてしてませんからね。
わたしにとって、人間とは貴重品を箱に入れるときに使う緩衝材ですよ。それが電車に詰め込まれるだけ詰め込まれるわけです。
宅急便の箱と満員電車の違いは宅急便の箱にはメロンが入っていて、満員電車はプチプチしか入っていない点です。これまで『あ、これはプチっていくな』と死を覚悟したことが何度かあります。
ただ、実際問題、人間観察ってのは、やったら、小説がおもろくなるんですかね?
何考えてんだ、こいつ?ってやつはまわりにいるけど、それを観察して、得たものを使っても、お話に深みが出るとは思えない。
結局、人間観察によって得たものは自分が書いた小説が本当にあった話っぽく見せるのに役に立つのであって、最初からデタラメ書きまくっているわたしには観察結果の使い方がさっぱりわからないだろう(しつこくいいますが、わたしは人間観察なんてしていませんからね)。
じゃあ、テメーは一生アリの巣でも観察してろ、って言われそうだけど、事実そうなのだ。
家族ってそーいうものだ。夫婦ってそーいうものだ。三歳児ってそーいうものだ。
何考えてんだ、こいつ?で最もよくきく回答がこれだ。
観察も考察も面倒くさいから、異質なものでも吸収して、集団に所属させてしまえばいい。
つまり、人間関係とは宙に浮かぶ巨大な青白い肉の塊であり、従順な人間も『何考えてんだ、こいつ?』人間もどんどん吸収して肥大化していく。
そして、そのミートボールがいつしかキャパオーバーになって培養水槽をぶち破り、逃げ惑う研究員たちを次々飲み込みながら、暴れまわり、壁をぶち破って、外の世界へと飛び出していく。
その飛び出した瞬間が、たぶん、小説なのだと思う。




