文章を開く
ものを書くとき、漢字ではなく、ひらがなを使うことを勝手に文章を開くと名づけている。
訪ねる、尋ねる、訊ねるは全て『たずねる』にしているし、一人は『ひとり』にしている。世界中は『世界じゅう』である。
こうしたことを始めるきっかけは須賀敦子女史のタブッキの翻訳文を読んでからなのだけど、全体的にひらがなばかりなのに、ページ内のバランスがよい。読みやすくもあるが、開いたページのなかで料理店や独裁といった漢字で書くしかない文字が際立ち、想像力をいい塩梅で刺激してくれる。これぞ文章力と納得がいくページだった。
個人的にあまり陰謀論の本は好きではない。
理由はいくつかあるが、たとえば読んでも甲斐がないところ。
陰謀論は初めから結末が見えている。
本として売るには陰謀があることは当たり前であり、それに黒幕は大きければ大きいほどよい。
松本清張がいくら下山事件について資料を集めて、関係者にインタビューをしたところで、抑うつ状態に陥った国鉄総裁が真正面から機関車にぶつかって自殺したことが分かりました、では本が売れない、編集もOKしない。GHQが黒幕とかそういうでかい名前を挙げなければいけない。
社会派作家のつらいところ。
そして、社会派小説は取り上げる題材が第一で文章については理解しやすければいいくらいの塩梅で構成されるから、優等生の文章なのだ。
ただ、下山事件を陰謀論と結びつける本は面白くないが、心身ともに疲れ果てたひとりの中年の自殺で世間が揺らされること自体は面白いので、『供述によるとペレイラは』のような手法で誰か書いてくれないかと思う自分は間違いなく性格が悪い。




