第17話 ル=ヴァンの森③
弓は非常に強い武器だ。
だが、その強さには明確な限界がある。
矢が尽きた瞬間。
それは、ただの木の棒になる。
「……どうしよ」
ユズハが、ぽつりと呟く。
軽く言ったつもりだった。
だが声に、余裕は残っていない。
周囲は静かだ。
静かすぎる。
音が吸われている。
さっきまで確かに居た気配が、ふっと消えて――
代わりに、どこからでも来る。
「……いますね」
ノアが言う。
視線は森の奥に向いたまま動かない。
「分かってる。分かってるけどさ」
ユズハが弓を軽く振る。
「撃てないんじゃ意味なくない?」
回収した矢はある。
だが歪んでいる。
羽も軸も調整が利かない。
精度が落ちるレベルを越えて弾けもしない。
ゴブリンアーチャーが巣食う森で、それは致命的だった。
そもそも、討伐が見えない。
僅かな隙が、そのまま死に繋がる。
――ヒュッ
空気が裂ける。
反射的にユズハが身をひねる。
頬の横を、何かが掠めた。
「っぶな……!」
あちらの攻撃が優れている訳ではない。
何本も地面に突き刺さっている。
引き抜くが、粗雑な矢。
一発程度耐えられる矢が一斉に放たれると、逃げるしかない。
「ちょ、湧いてんだけど……!」
しかも、さっき倒したはずの方向。
なのに、また同じ気配がある。
「ダクネス現象……森が暗いから」
数が減らない。
位置も、変わっている。
「……どうしよ」
今度は、はっきりと焦りが混じる。
ノアも答えが見つからない。
森の奥を見たまま、わずかに眉を寄せる。
「……思ったより深いですね」
「なにが?」
「左右の森がです」
短い返答。
だが、それだけで十分だった。
――まだまだ、奥がある。
森に入ってしばらく経った。
入口ははるか後方だし、出口は全く見えない。
右も左も魔物の臭い。
一角ホブゴブリンのように目立つボスは見えない。
「これ、無理なヤツ。頑張って走——」
その時だった。
――チカッ
遠くの一点が、光った。
ユズハの体に違和感。
視界の端に何かが映る。
反射ではない。意図のある光。
背筋がぞわりと粟立つ。
「――っ!」
直感で振り返る。
だが神経反射よりも速い。
一直線にやって来る。
戦いになれたユズハの目でやっと。
その前に寝ていなければ、見えないほどの速さ。
しかも切り裂かれる空気の音が重い。
ピタリと正確に——
これはゴブリンアーチャーの矢とは、明らかに違った。
「やば」
ただ殺すための軌道。
――キン
硬い音が響いた。
目の前で、弾かれる。
「へ?」
視界の中心に、ノアの背中。
いつの間にかユズハの正面に出ていた。
彼の右手に短剣。
藁を整える為に研いだソレ。
その刃で、矢を逸らしていた。
「ノア……?」
弾かれたそれが、地面に突き刺さる。
深くめり込む。
ノアも、わずかに息を呑んだ。
衝撃を受け流した手が、ほんの少しだけ遅れて下がる。
「……なに、今」
ユズハが呟く。
その視線が落ちる。
瞳の先には刺さった矢。
――金属製。
やはり粗雑な木の矢とは違う。
知性の高い何かが整えた最新兵器。
そりゃ重い。
「……良い金属ですね」
ノアが言う。
ユズハの瞳がわずかに揺れ……そうになる。
「いや、そこ!?」
ユズハは咄嗟にツッコミをいれた。
だが、その時にはもう。
気配が変わっていた。
弾く前と弾いた後で、森が変わる。
森の木々の奥。
空気が、わずかに歪む。
現れる。
茂みを歩いているのに音もなく。
そこに、立っていた。
「ヴァネッサが言ってたことは本当みたいだ」
柔らかい声。
笑っているような、細い目。
金髪。
整った顔立ち。
場違いなほど穏やかな雰囲気。
あの珍妙な試験を乗り越えたユズハなら分かる。
化け物だ、と。
「久しぶりだねぇ、ノア」
「あれ? シャルルさん?」
するとノアが普通に言う。
ユズハが一瞬、固まった。
「君、本当に面白いね」
くすりと笑う。
「二度も殺そうとした人間にさんづけ?」
ポニーテールが跳ね、ユズハが即座に動く。
ノアを庇うように前に出た。
「ちょっと待って。なにコイツ」
「あぁ、違う違う。勘違いだって」
シャルルが手を振る。
「君を殺そうとしたのは事実だけど、今回は敵じゃないんだよ」
「はぁ? 意味分かんなすぎなんだけど」
鷹揚に手を広げ、近づく。
ゴブリンアーチャーはこんな時に仕事をしない。
いや、本能がそうさせない。
「お貴族様の相手って大変でさ」
触れば死ぬ。
そんな奴が、軽く肩をすくめた。
「馬車道を閉鎖されて、ボクたちも困ってるんだよ」
とは言え。
ユズハも負けていない。
「いやそれ、こっちもだし」
「はぁ。君には言ってない」
彼の視線はずっと
ノアに向いたまま。
「で、君たちも知っての通り、古くて危ないル=ヴァンの森は人気がなくて、誰もマルシェリアギルドに討伐依頼を出さない。だから動けなくてねぇ」
「え、ちょっと待って。誰も依頼出してないとかある?」
ユズハが眉をひそめる。
シャルルは、少しだけ笑った。
「……なるほど。君みたいなのが丁度いいのかもね」
「は?」
「ってことで」
軽く言う。
「アイアンループとしてもカルンへの道を開きたい。でも、契約上動けない」
言葉を区切るように、もう一度手を振る。
「ということで」
何かが投げられた。
ユズハが反射的に掴む。
「――なにこれ」
弓と矢。
金属製で重い。
ユズハを殺そうとした武器。
さっき地面に刺さっていたものと同じ。
「矢もあるよ」
シャルルが軽く言う。
「貸す……ううん、壊してもいいよ」
「いや、なにそれ。軽すぎない?」
「気にしなくていい」
ノアが矢に触れる。
軽く、指でなぞる。
その瞬間。
わずかに、息を呑む。
「……良い仕事ですね」
短く言う。
シャルルが満足そうに頷く。
「でしょ」
それだけ言って。
くるりと背を向ける。
「じゃ、頑張ってね。ノアと……誰かさん」
ひらひらと手を振る。
「ユズハだよ!」
そのまま、森の奥へと消えていった。
気配も。
音も。
最初から居なかったみたいに。
森は、また静かになる。
手の中の矢だけが、やけに重い。
ユズハはそれを見て。
一瞬だけ黙って。
大きく息を吐いた。
「……もー!」
頭を掻きむしる。
「なんなのよマジでー!」




