第15話 ル=ヴァンの森①
店の扉を押し開けた瞬間、革と油の匂いが鼻をついた。
乾いた空気に混じるそれは、武具や道具を扱う店ならではのものだった。
「うわ、いかにもって感じ」
ユズハが棚を見回しながら、ずんずん奥へ入っていく。
並んでいるのは、どれも旅や戦いのための品ばかりだ。
飾り気はない。
だが、使う者にとって必要なものが、必要なだけ揃っている。
「これもいる? あ、これかわいくない?」
「……かわいさで選ぶものじゃないと思う」
ノアは値札を見て、そっと目を逸らした。
高い。
単に高いでは済まない。
頭の中で思い描いていた額より、一段も二段も上だった。
「まぁまぁ、どうせ経費だし」
「……経費」
その言葉に、少しだけ引っかかる。
自分ではまず使わない発想だった。
だがユズハは気にせず、必要そうなものを手早く選んでいく。
ロープ。
油。
簡易ランタン。
森に入るなら、どれもあった方がいいと分かるものばかりだ。
「こんなもんでいいでしょ」
会計へ持っていく。
店員が淡々と金額を告げた瞬間、ノアの肩がびくりと揺れた。
「領収書ください」
ユズハがさらっと言う。
「どちらのお名前で?」
「バルトで」
「かしこまりました」
迷いがない。
その一連のやり取りがあまりにも自然で、ノアは横で小さく口を開いた。
「……いいの?」
「いいのいいの。こういうのはね、使うとこで使うの」
「……そういうものなんだ」
「そういうもの」
領収書をひらひらと振る。
それだけで、さっきまでの高額な品が、妙に現実味を失った。
「はい、これで堂々と使える」
ノアはそれを見て、少しだけ不思議そうな顔をした。
「……すごいね」
「でしょ」
ユズハは笑った。
店を出る。
石畳の通りに、人の流れが戻ってくる。
夜とはいえ、マルシェリアの街はまだ明るい。
店先の灯りが道を照らし、行き交う人々の声が重なって、どこか賑やかな温度を保っていた。
「てかさ」
「うん?」
「二人って、やっぱ変だよね」
歩きながら、軽く肩をすくめる。
「普通さ、四人とかでしょ」
「……そうだね」
「紅蓮も青葉も、あの人数だし」
「よくやってるよね、あいつら」
ノアは少しだけ考えてから答える。
「……安定するから」
「だよねー」
ユズハはあっさり納得する。
「役割分担もできるし」
「……うん」
前衛、後衛、支援。
それぞれの役割が揃って初めて、戦いは形になる。
「ま、ウチはウチでいいけど」
ユズハが軽く笑う。
「二人でやれてるし」
「……そうだね」
ノアも、小さく頷いた。
その足で、二人はバルトの元へ戻る。
店の奥。
帳簿に目を落としていたバルトが、顔を上げた。
「準備はいいのか」
「だいたい」
ユズハが軽く答える。
ノアは背負子の紐を軽く引き、肩への収まりを確かめた。
「……行けると思う」
バルトは、二人を順に見た。
その視線は短いが、確かめるようだった。
「……一つだけ言っとく」
声がわずかに低くなる。
「無理するなよ。無理なら即撤退だからな」
静かな言葉だった。
だが、その重さは十分に伝わる。
「……うん」
ノアが、小さく頷いた。
「はいはい」
ユズハは軽く返す。
だが、その目は笑っていなかった。
◇
重厚な石造りの建物の中。
外の喧騒は厚い壁に遮られ、室内は不自然なほど静かだった。
「いや無理だってこれ」
ライガが机に突っ伏した。
「無理じゃない。理解しろ」
ハルトが淡々と紙を叩く。
「ここ。さっき説明しただろ」
「いや聞いたけどさぁ……」
「聞いた“だけ”だな」
ばっさりと切り捨てる。
ロイドは背筋を伸ばし、真面目にノートを取っている。
フィナはその横で、ゆっくりと首を揺らした。
「……眠い」
「寝るな」
「起きてる……」
ケインは無言でページをめくる。
逃げ場のない空間で、時間だけがじわじわと積み重なっていく。
騎士団候補という立場が、彼らをここに縛り付けていた。
「外出たい……」
ライガがぼそりと呟く。
「諦めろ」
ハルトが即答する。
そのやり取りの最中、シエラが静かに立ち上がった。
窓へと歩き、細い指でカーテンをずらす。
見えるのは、街並みと人の流れ。
その中に、ふと目を引く二つの影があった。
「……あの二人」
「え?」
フィナが顔を上げる。
「ユズハとノア」
短く言う。
ライガも顔を上げた。
「どこ行くんだあいつら」
「さぁ」
シエラは視線を細める。
「ただ、やっぱり違和感あるわね」
「なにが?」
フィナが首を傾げる。
「二人だけってところ」
静かに言う。
「普通じゃない」
ハルトが小さく頷いた。
「戦力として不安定すぎる」
「だよなぁ」
ライガも腕を組む。
「守り切れねぇだろ、あの人数じゃ」
「役割も足りない」
ハルトが続ける。
「前衛、後衛、支援。最低限、それが揃って初めてパーティだ」
シエラはもう一度窓の外を見る。
だが、建物の位置的に街の外までは見えない。
二人の行き先までは分からない。
「……まぁ、すぐに分かるでしょうけど」
カーテンを閉じる。
室内の閉塞感が、再び濃くなった。
◇
街の外。
石畳が途切れ、土の道に変わる。
人の気配が、徐々に薄れていく。
「なんか急に静かじゃない?」
ユズハが伸びをする。
「普通に森って感じだけど」
その一歩を踏み出した瞬間、ユズハの体がわずかに引かれた。
「え?」
振り返ると、ノアが手を握っていた。
そのまま動かない。
表情が違う。
さっきまでの柔らかさが消えている。
ユズハは少しだけ目を細める。
空気の変化を、確かに感じ取る。
「……なに?」
軽く聞く。
ノアは森を見たまま答えた。
「寝心地悪い?」
問いかける声音は落ち着いている。
だが、その内容は明らかに異質だった。
ユズハが、少しだけ笑う。
「悪すぎる」
ノアは続ける。
「空気に傷がついてる」
風はない。
葉も揺れていない。
それなのに、そこだけ何かが歪んでいる。
見えないはずのものが、荒れているように感じられる。
ユズハの表情から、軽さが消えた。
視線が森の奥へと向く。
「……へぇ」
短く呟く。
その目は、先ほどまでとはまるで違う。
「なるほどね」
静かに、口元を歪めた。
「ちょっと面白くなってきたじゃん」




