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第10話 削れないもの

 マルシェリアの南西、カルンの北西。

 古代の教会跡地を利用したギルドイベントは、ようやく中盤に差しかかっていた。


 長丁場を前提に組まれた試験形式の踏破戦は、すでに多くの脱落者を出している。

 残っているのは三つのパーティだけで、そのぶん周囲の気配はかえって静かだった。

 戦いそのものが終わったわけではない。

 むしろ、ここから先に残るのは、本当に削り合いを耐えられる者だけだと全員が理解していた。


 だから誰もが息を整え、武器の状態を確認し、次に備えている。

 壁際に寄って水を飲む者。

 軽く肩を回す者。

 床の起伏を見て足場を確かめる者。

 疲労の色はそれぞれに濃いが、それでもまだ気を抜く者はいなかった。


「……まぁ、なんだ」


 ライガが腕を回し、脚を伸ばし、やけに入念なストレッチをしながら口を開く。


「よくやったな」


 その視線は、まっすぐユズハへ向いていた。


 上からだった。

 都会だの田舎だのという話ではない。

 ただの年長者というだけでもない。

 ランクも上で、経験も上で、自分は評価する側にいる。

 そう疑いもなく信じている者の目だった。


 ユズハは何も言わない。

 ただ、剣の柄に掛けていた手がわずかに止まる。


「あの動きは大したもんだ」


 ライガは軽く笑う。

 褒めているつもりなのだろう。

 その声音には悪意より先に、気安さがあった。


「ま、ノアがいたからだろうけどな」


 一瞬、空気が止まった。


 ユズハの手がぴたりと止まり、視線だけがゆっくりと上がる。

 その目に宿った温度の変化を、周囲は一拍遅れて理解した。


「……は?」


 低い声だった。

 怒鳴ったわけではない。

 むしろ静かだったからこそ、そこにある不機嫌さがはっきり伝わった。


「いや、実際そうだろ」


 ライガはまだ気づかない。

 悪気がないぶん、遠慮もなかった。


「ノアがいなかったら、あそこまで持ってない」


 それ自体は事実に近い。

 だからこそ始末が悪い。

 真実を含んだ言葉は、ときに雑な決めつけよりよほど鋭く人を刺す。


 ユズハがゆっくりと顔を上げる。

 口元だけが薄く笑っていたが、目はまったく笑っていなかった。


「今の、もう一回言って」


「ん?」


「ノアがいたから、生き残れたって言った?」


「まぁ、そういうことだろ」


 ライガは軽く頷く。

 本当に、その程度の感覚なのだ。


「……そっか」


 ユズハが小さく笑う。

 だがその笑みは柔らかさとはほど遠く、薄く刃を引いたような冷たさを帯びていた。


「じゃあさ」


 一歩、踏み出す。


「なんであたし、一人で戦ってたの?」


 誰もすぐには答えない。

 答えられないと言ったほうが正確だった。


「なんであたしが前で受けて、崩して、繋いでたの?」


 声が少しだけ強くなる。

 叫びにはならない。

 けれど、抑えているぶんだけ余計に刺さる。


「見てたよね?」


 視線が順番に向いた。

 ライガ。

 ロイド。

 そしてハルト。


「それで、“ノアがいたから”?」


 笑う。

 完全に皮肉だった。


「……随分、都合いいね」


「それは違う」


 ロイドが口を開く。

 真面目な声音だった。

 言い返すというより、誤解を解きたいという調子に近い。


「状況が――」


「違わないでしょ」


 即座に被せる。

 ユズハの返しには、一切のためらいがなかった。


「都合よくまとめてるだけじゃん」


「ノアがいたのは事実だ」


 ハルトが短く言う。

 相変わらず抑揚の少ない声だが、その言葉は明確だった。


「それが結果に影響してるのも事実だ」


「へぇ」


 ユズハが頷く。

 納得したからではない。

 むしろ、相手がどういう立場でその言葉を口にしているのかを確認しただけだった。


「じゃあさ」


 少しだけ首を傾ける。


「なんであたしに言うの?」


 その一言で、場がまた静まる。


「ノアに言えば?」


 誰も動かない。

 息を吸う音さえ、やけに大きく聞こえた。


「助けられました、ありがとうって」


 静かな声音だった。

 だからこそ、逃げ道を与えない。


「なんであたしに、“お前はノアのお陰で生きてる”って言うの?」


 誰もすぐには返せなかった。

 言葉に詰まったというより、その問いの正しさに触れてしまったのだ。


 そのときだった。


「……ユズハ」


 ノアの声が差し込む。

 小さくて、遠慮がちで、けれど確かに止めようとしている声だった。


「いいよ」


 それだけ。

 ユズハの肩がわずかに動く。


「別に」


 ノアは続ける。


「そういうの、気にしてないし」


 その言葉で、逆に火が強くなった。


「……あんたはね」


 ユズハが低く言う。

 振り返らないままの言葉だった。


「でもあたしは気にするの」


 一歩、前へ出る。


「勝手にまとめないでくれる?」


 視線が真っ直ぐ向く。


「ノアがいたから生きてる。そこは否定しない」


 はっきりと言い切る。

 意地で逆張りをしているわけではない。

 認めるところは認めたうえで、それでも削らせないものがあるのだ。


「でも、それだけじゃないでしょ」


 静かに落とされた声が、場の中央に重く沈む。


「そこ、勝手に削らないで」


 沈黙が落ちた。

 誰も口を開かない。

 開けば、たぶん余計にこじれると分かっていた。


 そこへ、すっと別の声が差し込む。


「ノア」


 シエラだった。


「その子を黙らせなさい」


「ええっと……」


 ノアが困った顔をする。


「無理だと思うけど」


「女」


 シエラが一歩前に出る。

 視線はまっすぐユズハへ。


「ノアはね」


 一拍置いて、淡々と続ける。


「アタシについてた悪い虫を追い払ってくれたの」


 空気が止まる。


「そんな仲なのよ」


「……は?」


 今度はユズハの顔が止まった。


「ええ?!」


「そ、そうなのぉ?!」


 フィナまで素っ頓狂な声を上げた瞬間、場の空気が一気に別の方向へ転がる。


「一応はそうなります」


 ノアが真顔で頷く。


「ノア!?」


 ユズハが勢いよく振り向く。


「それ、どういう意味?!」


「いや、そのままだけど」


「そのままって何?!」


「助けただけだよ」


「何を?!」


「ええっと……色々?」


「曖昧すぎるでしょ!」


 完全に流れが変わっていた。

 さっきまでの刺々しさが霧散したわけではないが、少なくとも一点に集中していた怒気は崩れている。


 そのとき、ぽつりとフィナが呟いた。


「あ」


 全員の視線がそちらへ向く。


「ノアが丁寧語やめてる」


 一拍、空気が止まる。


「……え?」


 ユズハがまじまじとノアを見る。


「ほんとだ」


 フィナが続ける。


「結構早くない?」


「……あ」


 ノアが自分の口元に触れる。

 その仕草で本人もようやく気づいたらしかった。


 次の瞬間、ユズハの声が弾ける。


「出来るじゃん!」


 さっきまでの険悪さが、一瞬で吹き飛んだ。


「え?」


 ノアが固まる。

 そこへユズハが一気に距離を詰めた。


「普通に喋れるじゃん! いいじゃんそれ、全然いい!」


「え、いや――」


 ノアが反射的に後ずさる。


「戻さなくていいって!」


「無理だよ!」


「ほら、出来てる!」


「え?」


「今! 今それ!」


 指を突きつけられ、ノアがさらに固まる。


「“無理だよ”って言った!」


「……あ」


 完全に自覚した顔だった。


「ほら!」


「もう一回!」


「無理――」


「ほらまた!」


「いや今のは!」


「今のも今の!」


 まったく逃がさない。

 ユズハが完全にペースを握っていた。


 フィナがくすっと笑う。


「出来てるのにね」


「でしょ?」


 ユズハが即答する。


「……さっきまで怒ってなかったか?」


 ライガが小声で呟く。


「怒ってましたね」


 ロイドが真面目に頷く。


「切り替え早すぎでしょ……」


 シエラは小さく息を吐きながらも、どこか呆れ半分で眺めていた。


「……単純ね」


 その言葉に棘はあったが、場の空気は確実に軽くなっていた。


 ひとしきり騒いだあとで、ようやく話が本筋へ戻る。


「……で、どうする?」


 ライガが言う。


「寝るなら、順番決めるぞ」


「見張りは回します」


 ロイドがすぐに続ける。


「最低でも二人は起きておくべきです」


「同意だ。ここは安全じゃない」


 ハルトも短く頷く。


 自然な流れだった。

 誰も異論はない。

 普通なら。


「……いいよ」


 ユズハが小さく言う。

 ノアを見る。


「作って」


 渋々ではある。

 それでも止める気はなかった。


「ありがとう」


 ノアが頷き、背の藁束を下ろす。

 その瞬間から手の動きが変わった。

 迷いがなく、淀みもなく、慣れきった動作で藁を選り分け、床の状態を見て、置き方の角度まで決めていく。


 誰も止めない。

 ただ、それぞれ距離を取りながら、自分たちの位置を決めていく。


「じゃあ俺、最初やるわ」


 ライガが言う。


「自分も入ります」


 ロイドが続く。


「後半は交代だな」


 ハルトがまとめる。


 段取りは整う。

 その流れの中で、ぽつりとユズハが呟いた。


「……へぇ」


 軽い声音だった。

 だが、温度はまだ低い。


「ちゃんとしてるじゃん」


「当たり前だろ」


 ライガが答える。


「ここで全員寝るほどバカじゃねぇ」


「そう」


 ユズハが頷く。


「当たり前、ね」


 一歩、歩く。

 そのあとで、振り返りもせずに言った。


「じゃあさ、ノアも見張り入れるの?」


 空気が止まる。


「ノアは別だ」


 ハルトが答える。

 短く、はっきりと。


 ユズハがゆっくり振り返る。


「……へぇ」


 小さく笑う。


「別なんだ」


「役割の問題だ」


 ロイドが補足する。


「そういうことにするんだ」


 ユズハは頷く。

 それから静かに続けた。


「じゃあ、なんで見張り立ててるの?」


 一瞬の沈黙。


「ノアの寝床、使うんでしょ?」


 視線が刺さる。


「それで見張り?」


 一拍置いて、言い切る。


「信用してないじゃん」


 誰も否定できなかった。

 否定しようとすれば、たぶん嘘になる。


「……違う」


 ライガが言う。


「これは保険だ」


「うん」


 ユズハが頷く。


「そうだね。保険だよね」


 少しだけ間を置く。


「信用してないから」


 その一言で、空気がまた冷えた。


「……ユズハ」


 ノアが静かに言う。


「いいよ。普通のことだから」


 ユズハは少しだけ黙り込む。

 そして、小さく息を吐いた。


「……分かってるよ」


「分かってるけどさ」


 視線を逸らす。


「なんかムカつくの」


 それだけだった。


 やがて夜が落ちる。

 藁が敷かれ、整えられ、静かに、丁寧に、寝床の形になっていく。


 少し離れた場所に二つ。

 並べられたそのひとつへ、ユズハは迷わず腰を下ろした。

 それから、そのまま背中を預けるように倒れ込む。


「……はぁ」


 短く息を吐く。

 ノアも隣に横になる。

 ほんの少しだけ距離を空けて、同じ向きで。


「……ねぇ」


 ユズハが小さく言う。


「うん?」


「さっきの」


 一拍置く。


「喋り方」


 ノアは少しだけ黙った。

 返事を探すような間だった。


「……戻した方がいいかなって」


「戻さなくていいじゃん」


 即答だった。

 ユズハは目を閉じたまま続ける。


「その方がいい」


 少しだけ間が空く。


「そっちの方が、あたし好き」


 ノアは何も返さない。

 ただ、少しだけ視線を上げて、暗くなり始めた天井を見た。


 それから、ぽつりと呟く。


「……無理だよ」


 一拍置いて、ユズハが笑う。


「ほら、出来てるじゃん」


 目を閉じたままの声だった。

 それだけで十分だった。


 夜気は冷たい。

 ダンジョンの奥から響く音も、完全には消えない。

 見張りの気配も、離れた場所に確かにある。

 それでも、藁の匂いと整えられた温度の中で、二人の呼吸は少しずつ落ち着いていく。


 そのまま静かに、言葉は途切れ、意識だけが夜へ沈んでいった。


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