第6話 積み上げるズレ
遺跡の入口は、“外”の世界。
岩壁の裂け目が口が開き、周囲は綺麗に整地されている。
風は通るし、光も届く。
閉ざされた地下迷宮を想像していた者ほど、拍子抜けする場所だった。
ごく……
入口の脇には簡易の補給拠点まで設けられている。
水桶。乾パン。最低限の治療具。
豪勢さとは無縁だが、生きて戻るために必要なものだけは揃っている。
何より外、ここには魔物がいない。
誰かが大きく息を吐く。
誰かがその場にどすんと腰を下ろす。
金具の鳴る音と共に装備が外される。
張り詰めていた身体から少しずつ力が抜けていく。
あちこちで、安堵の気配が波のように広がっていた。
ユズハは肩を軽く回した。
疲れていないわけではない。
だが、想像していた消耗とも少し違う。
「思ったより、楽じゃないね」
愚痴というより確認だった。
「僕たちは二人だけですから」
ノアが短く答える。
入口まで戻る。
ただそれだけの往復だ。
だが、その“ただそれだけ”に、じわじわと体力が削られている。
戦闘だけなら余裕がある。
それでも、移動と探索と警戒を重ね続ければ、軽い疲労は確実に積み上がる。
「あーね」
ユズハはもう一口、水を飲んだ。
喉を通る冷たさが、身体の熱を少しだけ引かせる。
視線を周囲へ流す。
そこにいるのは、自分たちだけではない。
遺跡に挑んでは戻ってきた連中が、同じように休んでいる。
その顔には共通した色があった。
「……やめとくか」
ぽつりと、どこかで声が落ちる。
「そもそも早かったんだって」
「割に合わないわね」
息抜きでは終わらない。
装備を解き始めるパーティもいる。
今日の攻略はここまでだと、もう判断している顔だった。
「報奨金なしだぞ。苦労して複数ギルド公認にならなくていい」
腰を下ろし、そのまま立ち上がる気配のない男もいる。
最初は乗り気だったはずなのに、戻ってきた今は別のことを考えている。
「一番乗り気だったじゃん」
その皮肉にも、返る声は弱い。
ユズハは、その光景を横目で見た。
来る時に通った道が、同じ道ではなくなっている。
往路は期待を乗せた道だった。
復路は消耗と計算を乗せた道だった。
そして再往路は、心を削る道だ。
「このイベントの主催者、何考えてんだろ」
半ば呆れたように呟く。
祭りのようなパンフレットで呼び込む。
やらせているのは、地味で削られる消耗戦。
——篩
ユズハには、それ以外の言葉が見つからない。
◇
別ルート。
往復を重ねるうちに、声は自然と少なくなる。
必要な報告と判断だけが残り、雑談は削ぎ落とされていく。
「来る」
ルナが短く言った。
その声と同時に、岩陰から影が現れる。
ジャッカル。
さらに、その後ろ。
細身の個体がいた。
「メイジだ」
ハルトが即座に判断する。
「詠唱に入る」
「左右に展開しよう」
指示は短い。
だが、全員がすぐに動く。
ルナが詠唱を重ねる。
ケインが前へ出て牽制する。
薄い膜のような防護が前衛を包み、その直後に衝撃が走る。
――だが、ドルトが踏み止まった。
盾が鈍く鳴る。
獣が弾かれ、地面を滑る。
「いける」
ミナが判断して踏み込む。
距離を詰める。
全員で崩す。
「次、来るぞ」
もう一体。
再び詠唱。
再び備える。
「前線維持だ」
防護が重なり、衝撃がまた走る。
処理は正確。
連携も崩れない。
判断も早い。
だが、軽くはない。
戦闘が終わったあと、ケインが肩を回した。
「……今のは、きついか」
ドルトは答えない。
ただ、呼吸だけがわずかに深くなっている。
「防護、維持に負担がかかっています」
ミナが静かに言う。
「だが、問題はない」
ハルトが短く返す。
「……消耗戦は分かっていたことだ」
否定はしない。
弱音も吐かない。
青葉の剣は、そういうパーティだった。
分かっていたことと、実際に削られることは別。
勝てる。対応もできる。
それでも重さは、確実に蓄積していく。
「……減ってるな」
ハルトが、ふと呟く。
「ん。何が?」
ケインが振り返る。
「さっきまで並んでいた連中だ」
視線の先。
通路。
空いた空間。
先ほどまでは前後にいた気配が、いくつか消えている。
「あー……帰ったんだ」
「だろうな」
ドルトが低く答える。
「入口まで戻れば補給は可能だけど」
ルナが続ける。
「ただし、往復の消耗は避けられません」
ミナも冷静に判断を添える。
「……成程。迷路構造は想像以上だな」
ハルトでさえ、そこでようやく実感として掴む。
敵が強いだけではない。
構造そのものが、消耗を前提に組まれている。
迷い、戻り、補給し、また進む。
その往復の中で、意欲のある者から削られていく。
それでも青葉の剣は止まらない。
軽口は少ない。
だが、こういう場で崩れないことこそがこのパーティの強みだった。
目立たなくても、積み上げる。
それが青葉の剣だ。
◇
別のルート。
「メイジよ。詠唱を潰して!」
シエラが叫ぶ。
「分かってるって!」
ライガが踏み込む。
動きは速い。
力も強い。
だが、荒い。
メイジジャッカルが後ろへ跳ぶ。
距離を取る。
喉の奥を鳴らすような詠唱が続く。
「くそっ!」
間に合わない。
衝撃が走る。
ライガの身体が弾かれる。
「……だから言ったでしょ」
「うるせぇ!」
ロイドが前へ出る。
真正面から受ける。
耐える。
だが、その負担は軽くない。
「……フィナ、もう一回」
「うん……!」
回復が走る。
だが、余裕はない。
「……追いついてない」
小さな声が漏れる。
シエラが息を吐いた。
「……このままじゃ持たない」
ロイドが口を開く。
「キツイな」
「どうしよ……。また戻る?」
フィナが幼馴染を見る。
「まだまだぁ」
ライガは強がる。
勢いはある。
だが、勢いだけで押し切れる段階ではなくなりつつあった。
「ねぇ、ライガ」
フィナの声は静かだった。
「回復はまだ必要ねぇぞ」
「でも、先は長いわよ」
シエラの声には苛立ちよりも現実が混ざっていた。
暁紅蓮隊は破竹の勢いで駆け上がってきた。
勢いと熱量で格上に食らいついてきた。
だが、こういう相手は噛み合わない。
メイジモンスターも。
迷路型の構造も。
じわじわ削る相手とは、相性が悪い。
だから、フィナだった。
「ライガ。青葉と、連携しない?」
空気が止まる。
重いのは場の空気ではない。
その提案を受け止めた頭の方だった。
「は?」
「だって、パンフレットに協力してもいいって」
軽い言葉で、探検みたいに書いてあった。
だが、今になって思えば、それは単なる飾りではないのかもしれない。
「フィナの言う通りかもしれないわね」
シエラが頷く。
「確かに。青葉なら魔法防護があるな」
ロイドは合理を見つけた。
「メイジ相手の対処は、向こうの方が安定している」
「だからって、いきなり組むのかよ」
「そういうのを問われているかもしれない」
シエラが目を細める。
「……理屈としては正しいわね」
「ね?」
フィナが小さく言う。
「相談するだけなら……ありかも」
ライガが頭をかく。
明らかに気は進んでいない。
「……気に食わねぇな」
「気に食うかどうかの話じゃない」
ロイドが切る。
「持つか持たないかだ」
ライガは黙る。
勢いで押したい。
だが、勢いだけでは足りない。
その事実を、もう否定できない。
「分かったよ。聞くだけ聞く」
渋々、頷いた。
その時点で、既に暁紅蓮隊の中にもズレが積み上がっている。
勢いだけで進めると思っていたライガと、持久戦を見始めた他の三人。
どちらが間違いという話ではない。
ただ、同じパーティの中で見えている景色が少しずつ変わってきていた。
◇
「来るよ」
ノアが言う。
「うん、見えてる」
ユズハは笑う。
メイジジャッカルが詠唱に入る。
その瞬間。
「もう一歩、右」
ユズハが動く。
攻撃が外れる。
紙一重ではない。
最初からそこに当たらない位置へ動いている。
「……あれ?」
もう一体。
「そのまま前」
また外れる。
ユズハの目が細くなる。
「……いや」
何かが噛み合いすぎている。
「そこ」
ノアの声に合わせて動く。
敵の攻撃が、当たらない。
避けているというより、最初から当たる線の外にいる。
クォータースタッフが走る。
打つ。
崩れる。
次が来る。
また打つ。
流れのまま終わる。
呼吸は乱れない。
足も重くならない。
敵だけが勝手に崩れていくような感覚すらある。
「……ね。ノア」
「はい。ユズハさん」
「これさ」
たった二人のチーム。
なのに、隙間ができない。
「あたしが避けてるんじゃないよね?」
ノアは少しだけ考える。
「避けてます」
それだけ言った。
ユズハは笑う。
「絶対、嘘!」
伸びをする。
肩も軽い。
足もまだ動く。
「ま、いっか。やりやすいし」
前を見る。
同じ遺跡。
同じ敵。
同じように攻略しているはずなのに。
見え方は、多分違う。
入口に戻るたびに気づく。
減っていくパーティ。
重くなる顔。鈍くなる声。
でも、ユズハだけは妙に軽い。
戦って、歩いて、戻って、また進んでも、まだ動ける。
楽をしているわけではない。
戦っていないわけでもない。
だって、実質一人で戦っている。
なのに、消耗の仕方が全然違う。
受けるはずだった一撃が外れ、要らない動きが一つ減る。
その積み重ねが、少しずつ結果の差になっていく。
ユズハはクォータースタッフを肩に担ぐ。
その軽さを、もう疑わなくなってきている。
「このまま、行こっか」
「はい」
二人は再び進み出す。
風の通る通路の先へ。
誰もはっきりとは気づいていない差を、そのまま連れて。
二往復で、驚くほどのズレが生じていた。




