第1話 報告と見えない階段
扉を押すと、白い空間が静かに広がる。
天井は高く、光は柔らかく拡散され、磨き上げられた床は足音の質さえ選び取るかのように響きを整えていた。
――マルシェリア冒険者ギルド。
同じ“ギルド”という名で呼ばれる場所でありながら、カルンとは空気の密度そのものが異なる。
温度ではなく、視線によって満たされた空間だった。
露骨ではない。
だが確実に、“見られている”。
評価ではなく、選別。
その気配が、静かに場を支配している。
「……この街、やりにくい」
ユズハが小さく呟く。
「そうですね」
ノアは短く応じる。
否定はしない。
二人はそのままカウンターへ向かう。
受付の女性が一人、既にこちらを待っていた。
白を基調とした制服。
無駄のない姿勢。
微笑は浮かんでいるが、その奥にある感情は一切読み取れない。
「ようこそ、マルシェリア冒険者ギルドへ」
声は柔らかい。
しかし、揺らぎがない。
「ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「依頼の報告です」
ユズハが紙を差し出す。
女性はそれを受け取り、視線を落とす。
一瞬だけ、止まる。
だが、それ以上はない。
「……Cランク、ですか」
「はい」
「受理はされておりませんね」
「でも、やりました」
空気がわずかに張り詰める。
周囲の視線が、自然な流れの中でこちらへと寄る。
女性は表情を変えない。
「……詳細をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「六本脚の猪型。三体以上って話だったけど」
「六体いました」
女性の指が、ほんの一瞬だけ止まる。
「……六体」
「はい。増えてました」
「被害状況は」
「ほぼ無しです」
「……ほぼ」
「畑、ほとんど無事」
短い沈黙が落ちる。
女性の視線が、わずかに上がる。
観察するように。
「戦闘時間は」
「そんなにかかってません」
「具体的には」
「……体感だと短時間です」
ノアが補足する。
簡潔に、余計を削ぎ落とした言葉で。
女性は二人を順に見る。
測るように。
「……確認が必要です」
静かに告げる。
「現地調査を行います」
「えー?」
ユズハが顔をしかめる。
「倒したのに?」
「規定上、必要となります」
微笑は崩れない。
だが、その言葉に例外は存在しない。
「評価は、その後となります」
「……めんどくさい」
「そうですね」
ノアが頷く。
そのやり取りを受け、女性の視線がわずかに動く。
少年は懐から革袋を取り出した。
「ノア君。そういうのは」
「違います。依頼主からです。直接報酬を受け取りました」
女性の手が止まる。
今度は、明確に。
「……それも規約違反です」
「はい」
即答。
「ですが、『昔の癖だ』と」
一瞬、空気の質が変わる。
女性の視線が、ノアに固定される。
「……どのような人物でしたか」
「普通のおばあちゃんだけど」
ユズハが答える。
女性は短く思考する。
「……そうですか」
それだけを返す。
だが、その理解は表面に留まっていない。
ノアだけが、わずかに視線を落とす。
「報告は受理いたします」
女性が紙を整える。
「ですが、評価は保留となります」
「やっぱりー?」
「はい」
「納得いかないんだけど」
「規定ですので」
柔らかいまま、絶対に譲らない。
「……セレナ・ルクレールと申します」
軽く一礼する。
「今後、こちらの窓口は私が担当いたします」
「え、固定なの?」
「はい。継続的な管理のために」
「……なんか監視されてるみたい」
「そう感じられる方もいらっしゃいます」
否定はしない。
ただ受け流す。
「では、現地確認後、改めてご連絡いたします」
話は終わり。
完全に閉じられる。
◇
カウンターを離れる。
視線が戻る。
ざわめきはない。
だが確かに、二人の存在はこの場に記録された。
「……なんか」
ユズハが呟く。
「倒したのに、勝った感じしないんだけど」
「そうですね」
ノアは頷く。
「ここでは、勝利は証明が必要です」
「めんどくさ」
「はい」
出口へ向かう途中。
ユズハが足を止める。
「……っていうかさ」
「はい」
「なんであんなに疑われてんの?」
ノアはわずかに間を置いて答える。
「牙を持っていかないからです」
「はぁ?」
「そんなルールあった?」
「……基本ですが」
「だったら早く言ってよ」
「聞かれませんでしたので」
「いや普通言うでしょ!?」
ノアは首を傾げる。
「必要であれば説明します」
「必要だよ!」
「そうですか」
「そうです!」
ユズハが頭を抱える。
「……じゃあ何、毎回持って帰るの?」
「はい」
「気持ち悪っ」
「解体は現地で行うのが一般的です」
「早く言ってよ!」
ノアは短く思考する。
「……次回からは最初に説明します」
「最初からして!」
大きなため息。
だが、その表情は軽い。
「……まぁいいや。次、ちゃんとやればいいんでしょ」
「はい」
外へ出る。
空気が変わる。
張り詰めていたものが、わずかに緩む。
◇
カウンターの奥。
セレナは紙を見ていた。
六体。
被害軽微。
短時間。
記録としての整合性は成立していない。
だが、問題はそこではない。
『昔の癖』
その一文。
静かに紙を閉じる。
確認は不要。
この言い回しを使う人間は、限られている。
「……そういうことですか」
小さく呟く。
納得に近い声。
ペンを取る。
迷いはない。
評価欄に書き込む。
――例外処理。
規定外。
だが、排除はしない。
むしろ、枠外として扱う。
「評価は、保留ではなく……」
一瞬だけ思考する。
そして決める。
「据え置き」
昇格なし。
降格もなし。
だが、扱いは変わる。
「……監視対象、ですね」
声は静か。
微笑は崩れない。
その判断だけが、確定する。




