第11話 ノアも帰宅
ギルドを出た瞬間、空気がふっと軽くなった。
さっきまでまとわりついていた視線も、磨かれた床に反響していた音も、扉の向こうに封じられる。
石畳を歩きながら、ユズハが大きく息を吐く。
「……なんか疲れた」
「戦ってないですけどね」
「そういう疲れじゃないの!」
即座に返ってくる。
ノアは軽く首を傾げたあと、思い出したように口を開いた。
「仕事が終わったら、必ず家に帰るように、ってバルトさんが言ってました」
「え?」
ユズハが立ち止まる。
「聞いてないんだけど」
「はい。ユズハさんには聞こえないように言ってました」
「ちょっと、どういうことよそれ」
眉を寄せるユズハに、ノアは淡々と続ける。
「信頼している、とのことです」
「それ、あたし信用されてないやつじゃない!?」
「そういう意味ではないと思いますけど」
「絶対そうでしょ!」
ユズハが頭を抱える。
ノアは気にした様子もなく歩き出した。
「帰りましょう」
「ちょっと待ちなさいよ!」
慌てて追いかける。
石畳の通りを抜けるにつれて、人の気配が少しずつ薄れていく。
整いすぎた街並みから外れ、風が通り、音が柔らかくなる。
足音が、ようやく自分のものに戻った。
家の前で、ユズハが扉を押し開ける。
「ただいまー」
明るい声が室内に響く。
返事はない。
ユズハは靴を脱ぎながら振り返る。
「ほら、入って」
「お邪魔します」
ノアが続く。
室内は整っていた。
生活の気配はあるが、静かだ。
「……毎回言うんですね」
「ん?」
「ただいま、と」
「まぁね。言っとかないと、帰ってきた感じしないじゃん」
「そういうものですか」
「そういうもの」
少し間が空く。
「ノアは?」
「……言っていました。昔は」
「今は?」
「言う相手がいないので」
「そっか」
短く返す。
「家族は?」
「両親は既に亡くなっています。兄弟はいません。一人でした」
「じゃあ今はほんとに一人なんだ」
「はい」
わずかな沈黙。
「よし。じゃあ今からは、あたしんちってことで」
「……はい?」
「帰る場所、あるでしょ?」
ノアは一瞬だけ視線を落とし、小さく頷いた。
「……そうですね」
コンコン、と扉が叩かれる。
「開いてますよ」
少し間を置いて、扉が開いた。
「失礼するよ」
バルトだった。
室内を一瞥する。
床、配置、空気の流れ――商人らしい視線が走る。
そして、ユズハで止まった。
「……」
「なに?」
「ノアに貸した部屋だが」
「うん?」
「何で普通にお前がいるんだ?」
「え?」
ユズハが瞬きをする。
「父親として、思うところがあるぞ」
「ちょ、ちょっと待って!変な言い方しないでよ!」
「別にそういうんじゃないから!」
「そういう、とは?」
「だからそういうのじゃないって!」
バルトは無表情のままノアを見る。
「そういうのではないらしい」
「はい」
「違います」
「即答しなくていいから!」
ユズハが頭を抱える。
「……まぁいい」
バルトは軽く流した。
一歩、室内へ。
視線が滑る。
「……ほう」
短く息を吐く。
「もう整っているな」
「はい」
「仕事ですので」
「帰ってこいって言ったの、あんただよね?」
「言っていないからな」
「はぁ!?」
「必要な方にだけ伝えた」
「それ、あたし必要ない扱いじゃない!?」
「役割の問題だ」
即答だった。
「お前は前に出る人間だ。余計な情報は足を鈍らせる」
「……なんかそれもやだ」
「だろうな」
あっさり認める。
そしてノアを見る。
「だが、こいつは帰る場所を持たせないと、いずれ壊れる」
「……」
「それ、どういう意味?」
「何人も見てきた、という意味だ」
「潰れるやつをな」
一拍。
「で、飯はどうした?」
視線が台所へ向く。
「担当はノアだったろ」
ノアが台所に立つ。
無言で準備を始める。
ユズハがぼそりと呟く。
「……ほんと、変なやつ」
やがて料理が並ぶ。
湯気とともに、香りが広がる。
「……いただきます」
一口。
「……え、美味しい」
ユズハが目を丸くする。
「食事は睡眠の質に影響します」
一拍。
「……日曜学校で習いませんでした?」
「習ってないわ!」
すぐに返る。
だが、フォークは止まらない。
「でさ」
ユズハが切り出す。
「この街、やりにくい」
「そうだな」
バルトは即答した。
「分かってたなら言ってよ」
「言ったところで、セレニア交易所の場所は変わらん」
淡々とした声。
「むぅ」
「で、何が気に入らない」
「まず依頼。多すぎるし、似たようなのばっかで分かりにくい」
「巨大掲示板だろう?国の中心で分類されると、ああなる」
「依頼してる人だっているんだよ?」
「当然だ。前に俺が依頼したと言っただろう」
「あ!そゆこと?」
一拍。
「でも報告もさ」
「直接じゃないのがやだ」
「人件費が高いんだ」
即答。
「ちゃんとやったのに、ポストに投げて終わりってさ」
「見ている」
「どこで?」
「裏方の事務員がだ」
バルトが机を軽く叩く。
「受注、達成時間、被害、報告内容。すべて記録している」
「……あー」
「だが、上に行けば行くほど楽になる」
「どういうこと?」
「顔を覚えられるからだ」
一拍。
「冒険者は雇われ側だ。優先順位が違う」
「……あたしたち?」
「そうだ」
「実力が分からない。証明もない」
「だから地道に進むしかない」
「……めんどくさ」
「世の中だってそういう仕組みだ」
あっさり言う。
少しの沈黙。
「じゃあさ」
ユズハが顔を上げる。
「効率よく上げる方法とかないの?」
バルトは一拍置く。
「……なくはない」
「え」
ユズハの目が変わる。
「マジで?」
「あぁ」
「ただし――正攻法ではない」
ユズハが身を乗り出す。
「なにそれ」
「教えて」
「今の話にヒントがあったはずだ。まず――」
「できました」
ノアの声が割り込む。
湯気が立ち上る。
「……」
ユズハが固まる。
「……今じゃないでしょ!」
「食事のタイミングです」
「温度が最適なうちに」
「いやそれは分かるけど!」
「冷めます」
「くっ……!」
一瞬迷う。
それからバルトを指差す。
「……あとで絶対聞くからね」
「食事がすんだらな」
あっさり返す。
それ以上は言わない。
バルトは料理を見て、小さく息を吐いた。
「にしてもノア」
「はい」
「料理は科学だな」
ユズハはまだ少し不満そうに口を尖らせる。
「正直、他の道の方が――」
「極楽鳥の羽毛布団、売ってます?」
ノアがさらりと言う。
バルトがわずかに笑った。
「はぁ。そうだったな」
「うちでも扱っていない」
ユズハが肉を口に運ぶ。
「……うま!」
一拍。
「これ、あたしより……」
そして小さく首を振る。
「ううん、あたしもできるもん!」
ぽつりと呟いた。




