第2話 柔らかいベッド、暖かい光
柔らかい。
最初に浮かんだのは、その感触だった。
体が沈む。
だが、沈みすぎることはない。
どこか一部だけが落ちるのではなく、背中から腰、肩にかけて、全体が均一に支えられている。
圧が逃げている。
呼吸が、自然と深くなる。
余計な力が抜けているのが分かる。
――あぁ、これは。
意識が、ゆっくりと浮上する。
目を開けると、見知らぬ天井があった。
木の梁が走り、整えられた室内が静かに広がっている。
匂いが違う。
土でも草でもない。
布と、木と、ほんの少しの香料。
整えられた空間の匂いだった。
「……」
ゆっくりと体を起こす。
軽い。
思考が、はっきりしている。
ちゃんと寝た。
それが、分かる。
視線を落とす。
ベッド。
布。
縫い目が揃っている。
表面に歪みがない。
触れなくても分かる。
「……ちゃんとしてる」
小さく呟いた、その時だった。
扉が開く。
「……あ、起きた」
声。
振り向く。
えんじ色の髪の少女が立っていた。
ラフな格好のまま、壁にもたれかかるようにしてこちらを見ている。
目は、半分だけ細められていた。
「……あんた」
一拍。
「ほんとにそいつ?」
背後に向けた言葉。
その後ろから、足音が近づく。
「……あぁ」
落ち着いた声。
男が入ってくる。
整った服装。
無駄のない立ち振る舞い。
雰囲気で分かる。
商人だ。
「間違いない」
ノアをまっすぐに見る。
「先日の護衛で世話になった」
ノアは、わずかに首を傾げる。
「……?」
分からない。
それが、そのまま顔に出る。
男は一瞬だけ驚いた顔をして、それから苦笑した。
「……覚えていないか」
一拍。
「森での帰路護衛だ」
「夜、野営しただろう」
断片が、ゆっくりと繋がる。
「……あぁ」
小さく頷く。
だが、目の前の男とは結びつかない。
男は続ける。
「その時だ」
「君が用意した寝床で、私は久しぶりにぐっすり眠れた」
静かな声だった。
だが、その言葉には確かな実感が乗っている。
「不安も、疲れも、すっと抜けてね」
「翌朝の体の軽さには驚いた」
ノアは少しだけ考える。
そして。
「……そうですか」
それだけだった。
特に驚きもない。
当たり前のことを言われた、くらいの反応。
えんじ色の髪の少女が、じっとノアを見る。
それから、ゆっくりと半眼になる。
「……は?」
一言。
短く。
「ちょっと待って」
男――バルトを見る。
「今の話、本当?」
「あぁ」
即答だった。
迷いもない。
少女は、もう一度ノアを見る。
上から下まで。
じっくりと。
観察する。
「……いや」
間を置く。
「おかしくない?」
指でノアを示す。
「こいつ、道で倒れてたんだよ?」
一拍。
「それで“ぐっすり眠れる寝床作りました”って」
「意味分かんないんだけど」
ノアは、少しだけ首を傾げる。
「……そうですか?」
「そうだよ」
即答だった。
少女は腕を組む。
視線が鋭くなる。
「で?」
「カルンの冒険者って言ってたけどさ」
「どこのパーティ?」
ノアは答える。
「……暁紅蓮隊です」
一瞬。
空気が止まる。
「……は?」
「ちょっと待って」
「今なんて?」
「暁紅蓮隊です」
繰り返す。
少女は、ゆっくりとバルトを見る。
「パパ」
「あぁ」
バルトは頷く。
「間違いない」
「帰路護衛を依頼したのは彼らだ」
「そして、その野営で私は彼の寝床を使った」
少女は、もう一度ノアを見る。
まじまじと。
「……いや」
一歩、近づく。
寝床を見る。
ノアを見る。
「その才があるならさ」
一拍。
「わざわざ危険なことする必要なくない?」
ノアは首を傾げる。
「……危険?」
「そう」
即答だった。
「死ぬかもしれない仕事でしょ」
「なのに」
寝床を指す。
「これ作れるなら、いくらでもやりようあるじゃん」
「なんで、冒険者?」
ノアは少し考える。
「……必要なので」
「何が?」
「……寝ることが」
沈黙。
「……は?」
少女が固まる。
ノアは続ける。
「ちゃんと寝ないと」
「ちゃんと動けないので」
そして。
「……極楽鳥の羽毛布団が欲しいです」
空気が、止まる。
「……は?」
少女の声が低くなる。
「それ、神話だよ」
バルトが静かに言う。
「ダクネスマキアの魔王が持っていたとされる寝具だ」
少女は頭を押さえる。
「……いやいやいや」
「それ取るために、冒険者?」
「……はい」
迷いはない。
少女は大きく息を吐く。
「……意味分かんない」
だが。
その目は、完全にノアを捉えていた。
興味。
はっきりと。
「で?」
もう一歩、近づく。
「今は?」
ノアは少しだけ視線を落とす。
「……一人です」
「なんで?」
「……捨てられたので」
ぽつりと落ちる言葉。
少女の表情が変わる。
「……は?」
「危ないから、って」
「これからは無理だって」
淡々と。
少女は、しばらく黙る。
それから。
「……は?」
今度は、明らかに怒りが混じっていた。
「これ作れるやつ捨てる?」
「成程。助けられた時、感じたのはそれか」
バルトは静かにノアを見る。
その価値は、もう疑いようがなかった。
少女は、ノアをじっと見る。
それから。
「……助けたんだから、逃げないでよ?」
ぽつりと。
ノアは首を傾げる。
「……?」
「いいから」
少女はそっぽを向く。
だが。
口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。




