第12話 そして、あの日の再来
ギルドの扉を開けた、その瞬間だった。
ざわめきが、ぴたりと揺れた。
「……おい」
「戻ったぞ」
「紅蓮だ」
「青葉もいるぞ」
誰かの声をきっかけに、広間中の視線が一斉に集まる。
依頼帰りのざっくりした空気ではない。何かを待っていた人間たちの目だ。
その中心で、ライガが一歩前に出た。
「ほらよ」
気負いのない口調。
だが、その手が置いた袋は重かった。
――ドン。
袋の口が開き、中から転がり出る。
一本の巨大な角。
炭鉱の奥で折り砕いた、一角ホブゴブリンの角だった。
一瞬。
時間が止まる。
そして。
「……は?」
「でか……」
「おいおいおい!」
「マジでやったのか!?」
「一角ホブゴブリンだろ、それ!」
「討伐したのかよ!?」
「嘘だろ!?」
空気が一気に弾けた。
歓声が上がる。
笑い声が混ざる。
椅子を蹴る音がして、何人もの冒険者が前へ出てくる。
角を覗き込む者、袋の中を見ようとする者、信じられないものを見る目で紅蓮隊を見つめる者。
「すげぇな!」
「今日は奢りだろ!?」
「いやマジで、これやばいって!」
「炭鉱だぞ!?」
「角付きの巨大種とか、B帯でも嫌がる案件だろ!」
受付の職員が前に出る。
「確認を――」
その言葉に、別の声が重なった。
「昇格です。おめでとうございます」
一瞬、また空気が止まる。
「……え?」
ライガが、間の抜けた声を漏らした。
さっきまでの勢いが、そこだけ綺麗に抜ける。
「マジで?」
「もうCって流石に……」
「いやでも、炭鉱の件だぞ?」
「上がるのは当然じゃねぇか?」
周囲からも声が飛ぶ。
だが、受付の職員は首を横に振った。
「……いえ。Cは例の件で戦力として数えられません」
淡々と。
事務的に。
だが、その言葉はよく通った。
誰もが知っている。
キュプロス砦の件で、C帯はまともに機能していない。
だからこそ、今回の功績は重い。
「ですので、飛び級」
一拍。
「ランクBです」
静寂。
そして。
「はぁ!?」
「おいおいおい!」
「Bだと!?」
「飛び級かよ!」
「マジで英雄じゃねぇか!」
「青葉もいるぞ! そっちはどうなんだ!?」
ざわめきが爆発する。
広間の熱が、一気に上がる。
受付が差し出した袋。
中身は金貨だった。
ライガが受け取る。
ずしりと沈む。
掌に伝わる重さが、今日の現実をようやく形にした。
そのとき。
「――おい、聞いたか!?」
「青葉の剣もだ!」
「向こうも角持ち仕留めたって!」
「同時かよ……!」
「今日はなんなんだよ、英雄の凱旋か!」
別の方向で、また歓声が上がる。
ハルトが、小さく息を吐いた。
「……やるな」
ライガが笑う。
「負けてらんねぇな」
ロイドも頷く。
「いい刺激でありますな」
フィナも、小さく笑った。
「……すごい」
前を向く空気。
祝福。
熱。
歓声。
普段は事務的なミリアでさえ、その喧騒の中で一度だけ目を細めた。
そして、ほんの僅かに笑った。
それは営業用でも、社交用でもない。
単純に、嬉しそうな顔だった。
誰かがそれに気づいて驚いていたが、すぐに別の歓声にかき消された。
だからこそ。
ライガは言った。
「構成を見直す」
空気が戻る。
一瞬で。
まるで熱狂に水を差すように、ではない。
熱を持ったまま、現実へ引き戻す声だった。
「今回の成果で、俺たちは上に行く」
「依頼の質も変わる」
「敵の強さも変わる」
一つずつ。
確実に。
「だからだ」
視線が、ノアに向く。
「ノア」
「ここまでだ」
静寂。
さっきまでの歓声が、遠くなる。
広間はまだ騒がしいはずなのに、そこだけ音が引いた。
ノアは、少し遅れて顔を上げた。
「……え?」
一歩、前に出る。
「ちょっと、待ってください」
戸惑いが、そのまま出る。
珍しく、言葉が整っていない。
「えっと……その」
視線が揺れる。
考えているのに、まとまらない。
「……僕、何か……」
違う。
そうじゃない。
自分でも分かる。
「……なんで?」
やっと出た言葉だった。
ライガが答える。
「危ねぇからだ」
短く。
はっきりと。
ノアの呼吸が止まる。
「今日、見ただろ」
ハルトが続ける。
「お前は狙われる」
その言葉で、思い出す。
フィナ。
自分。
飛び出した。
ロイド。
弾かれた。
藁。
裂けた。
「……でも」
反射的に言う。
「勝ちました」
ハルトが首を振る。
「結果だ」
「再現できない」
逃げ場を潰す言葉だった。
ノアは、言葉を失う。
そのとき。
「……ノア」
フィナだった。
小さく。
でも、はっきりと。
「怖かったの」
視線が向く。
「あなたが飛び出したとき」
声が少し震える。
「間に合わないかもって、思った」
言葉を選ばない。
飾らない。
「もう、見たくない」
沈黙。
ノアの目が、揺れる。
次に。
「……当然よ」
シエラが腕を組んだまま言う。
「戦場は危険なの」
冷静な声。
だが、突き放してはいない。
「守れる保証もない人間を前に出すのは、ただの無謀よ」
一歩も引かない言葉。
「貴方は悪くない」
そこで、一度区切る。
「でも、それとこれとは別」
現実を、切り分ける。
ロイドが、苦い顔で頷く。
「……正直、あの場面は冷や汗ものでありました」
「自分でも、止めきれなかったであります」
その一言が、重い。
ノアは、何も言えない。
言葉が出てこない。
ライガが、金貨を取り出す。
数枚。
それを、差し出す。
「これまでの分だ」
ノアは、それを見る。
すぐには手を出さない。
少しだけ、遅れて。
受け取る。
重い。
やけに、重い。
「……寝床は」
かすれた声。
「寝床は、どうするんですか」
一瞬の間。
ハルトが答える。
「別で手配する」
それだけ。
それ以上はない。
ノアは、しばらく動かなかった。
何かを考えている。
だが、まとまらない。
やがて。
小さく頷く。
「……分かりました」
納得ではない。
ただ、飲み込んだだけの声。
ノアは、ゆっくりと下がる。
さっきまで英雄を迎えるように沸いていたギルドの中で。
そこだけ、静かだった。
その背中を。
誰も、呼び止めなかった。
歓声はまだ残っている。
青葉の剣にも、暁紅蓮隊にも、祝福の声は続いている。
だが、その輪の外に滑り落ちたノアだけは、もう誰の視線にも引き留められていなかった。
戦えない。
だから僕は。
また、パーティから追い出された。




