第10話 ダンジョン攻略ミッション⑩
ライガが近づき、折れた角を見下ろした。
「これ……マジで折ったのか」
笑う。
信じられないものを見るように。
興奮と、まだ抜けきらない緊張が、同じ顔の中に混ざっていた。
折れた角は、地に半ばめり込んでいた。
太い。
黒ずみ、ねじれ、根元には赤黒い筋が走っている。
ただの討伐証明ではない。
あれだけの怪物が、確かにここにいたという証拠そのものだった。
ハルトが頷く。
「証拠品だ。回収する」
「だな。これだけで、相当いくだろ」
ロイドがゆっくりと立ち上がる。
盾に体を預けていた腕はまだ重い。だが、声は落ち着いていた。
「今回、角付き個体も多かったでありますからな……」
周囲には、すでに討伐した個体の痕跡がいくつもある。
折られた角。切断されたもの。回収済みの袋。
壁際には血と煤がこびりつき、足元には戦闘の名残が散っていた。
それらを見て、ライガが口笛を吹いた。
「おいおい……これ、二チームで山分けしても、かなりの額になるぞ」
ケインが肩をすくめる。
「ようやく報われたって感じだな」
ドルトも無言で頷く。
ルナが小さく笑った。
「……悪くないわね」
ミナが続ける。
「ええ。ちゃんと生きて帰れそう」
その言葉が妙に現実的で、誰も笑わなかった。
金になる。
成果になる。
だが、それ以上にまず、生きて戻れるかどうかが先にある。
この炭鉱では、それが当たり前だった。
フィナが、少し遅れて立ち上がる。
視線は、ノアへ。
「……ノア、大丈夫?」
ノアは、散らばった藁を見ていた。
床に広がる藁。
裂けた袋。
千切れた紐。
自分を守っていたはずのものが、もう形を失っている。
「うん。大丈夫だよ」
背中は軽くなっていた。
守ってくれたはずのものは、もうほとんど残っていない。
それでも。
「助かった」
ぽつりと、そう言った。
ライガが振り返る。
「いや、助けられたのはこっちだろ」
「ノアが前に出なかったら、あれ止められてねぇぞ」
軽く言う。
だが、そこに嘘はなかった。
ハルトも短く頷く。
「きっかけはノアだ」
ロイドが笑う。
「結果的に、囮になった形でありますな!」
「いや、それ言い方!」
フィナが即座に突っ込む。
空気が、少しだけ軽くなる。
ついさっきまで死線の中にいたはずなのに、その一言でようやく人間の空気が戻ってきた。
張りつめていたものが、ほんの少しだけほどける。
ライガが角を持ち上げる。
「――よし、帰るぞ」
誰かが笑う。
誰かが頷く。
回収は手早く進んだ。
角を切り分け、袋に詰め、持ち帰る分だけを選別する。
ドルトが足場を整え、ケインが周囲を警戒する。
ルナとミナが光を維持し、フィナが回復を回す。
戦闘の延長のような動き。
だが、もう戦いではない。
終わった後の動きだった。
巨体の周囲から血を避け、足場のいい位置を選び、切断面を探る。
回収にも手順がある。
雑にやれば重くなり、遅くなり、次の危険を呼ぶ。
だから誰も無駄に騒がない。
興奮はある。
達成感もある。
それでも手は止まらない。
坑道を戻る。
疲労が押し寄せる中、それでも足は止まらない。
行きよりも静かだった。
勝った後の帰路は、本来もっと緩むものだ。
だが、この炭鉱では違う。
何が奥に残っているか分からない。
どこで何が湧くか分からない。
それを全員が知っている。
やがて光が見え、外へ出る。
冷たい風と同時に、ざわめきが広がった。
「おい……!」
「帰ってきたぞ!」
「無事か!?」
ライガが前に出る。
そして、角を掲げた。
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「うおおおおおおおおお!!」
歓声が爆発する。
物資班も警戒班も、全員が立ち上がる。
「やりやがった!」
「マジかよ!」
後方の一人が叫ぶ。
「こっちも地獄だったんだぞ! 狼型、何度も来てた!」
「コウモリもな! 物資止められるかと思った!」
笑いが混ざる。
だが、その奥には誇りがある。
前だけじゃない。
後ろも戦っていた。
止まらないために、全員が何かを支えていた。
ルナが言う。
「……ちゃんと回ってたのね」
ミナが頷く。
「ええ。これが止まってたら終わってた」
フィナが笑う。
「みんなで、勝ったんだね」
「当たり前だろ!」
「前が戦ってるなら後ろは止めねぇ!」
「それが兵站だ!」
ライガが笑う。
「いいねぇ……そういうの!」
そして、もう一度、角を持ち上げる。
「――もう一回いくぞ!」
全員が息を合わせる。
「おおおおおおおおおおおお!!」
勝ち鬨が、空へ響いた。
◇
ノアは、その少し後ろに立っていた。
歓声の輪の外。
背中は、軽い。
軽すぎるほどに。
その中で、小さな違和感だけが残っていた。
まだ、誰も気づかない。
帰路は、静かだった。
行きと同じ道を辿っているはずなのに、空気はまるで違う。
魔物の気配は薄い。先行した部隊が掃討を済ませている。足場も整えられ、危険は少ない。
それでも、誰も気を抜いていなかった。
戦いが終わったからこそ残る、奇妙な緊張があった。
馬車が揺れる。
木が軋む音。車輪が土を踏む音。一定のリズム。
その中で、全員が黙っていた。
疲労は大きい。
だが、それだけではない。
言葉にしない何かが、場に沈んでいる。
ノアは、いつもの場所に座っていた。
荷台の端。
壁に背を預ける位置。
足を軽く投げ出し、体の力を抜いている。
姿勢も、呼吸も、変わらない。
――はずだった。
だが。
そこに、ない。
藁束の篭が。
いつもなら、すぐ隣にあるはずのもの。
あの、無骨で、かさばる塊。
それが、ない。
空間だけが、残っている。
ぽっかりと。
不自然に。
ノアは、その空間を見ていた。
何かを探すようにではない。
そこにあったものを、思い出すように。
手が、無意識に動く。
何も掴まないまま、止まる。
そして、ゆっくりと下ろされる。
(……軽い)
背中が軽い。
体が軽い。
動きやすい。
疲労も、思ったほど重くない。
それは、本来なら良いことのはずだった。
なのに。
(……なんか、違う)
言葉にはならない。
だが、確かに残る感覚。
視線が、少しだけ動く。
前を見る。
仲間たちを見る。
ロイドは半分眠りながらも姿勢を崩していない。
フィナは目を閉じているが、完全には落ちていない。
ルナは静かに呼吸を整え、ミナは周囲を見ながらも余計な動きをしていない。
ライガは腕を組み、前を見ていた。
いつも通り。
何も変わらない。
――はずなのに。
(……あれ)
引っかかる。
記憶が揺れる。
戦闘の光景が、断片的に浮かぶ。
フィナが狙われた。
自分が動いた。
ロイドが弾かれた。
藁が裂けた。
その後、崩れた。
敵が。
そして、勝った。
指先が、わずかに動く。
(……これ)
知っている。
いや。
見たことがある。
視線が落ちる。
アルファ。
あの頃。
自分は後ろにいた。
戦っていない。
そう思っていた。
だが。
同じだった。
誰かが前に出る。
守る。
崩れる。
隙ができる。
そして。
勝つ。
喉が、わずかに鳴る。
(……同じだ)
違和感ではない。
既視感。
はっきりとした記憶。
だが、その意味が分からない。
なぜそうなるのか。
なぜ自分がそこにいるのか。
分からないまま、ただ残る。
ライガは、前を見ていた。
同じように、戦闘をなぞっている。
あの一撃。
ノアの動き。
崩れた体勢。
角。
綺麗に繋がる。
あまりにも、綺麗に。
(……おかしい)
勝った。
全員、生きている。
成果も出た。
完璧だ。
なのに。
(……なんでだ)
思考が止まらない。
ふと、浮かぶ。
――アルファも、こんな感じだったのか?
その瞬間、思考が引っかかる。
あの時も、勝っていた。
あの時も、同じだった。
守りながら戦う感覚。
一手、余分に使う動き。
それでも、勝つ。
視線が、横に動く。
ノアを見る。
いつも通りに座っている。
だが。
何かが違う。
その違和感の正体に、まだ名前はつかない。
ただ、確実に思う。
(……同じだ)
言葉にはしない。
だが。
同じものを見ている者がいる。
それだけは、分かった。




