第1話 ダンジョン攻略ミッション①
昼のギルドは、本来ならもう少しうるさい。
依頼帰りの報告、酒の匂い、椅子を引く音。
雑然とした熱気が広間のあちこちに転がり、誰かの声がどこかで必ず重なっている。そんな場所だったはずだ。
だが、その日は違った。
ざわめきはある。だが、それは賑わいじゃない。
落ち着かない音だ。
低く、揺れている。
「……なんだ、これ」
ライガが足を止めた。
視線の先。掲示板の前に人が集まっている。いつもより多い。
だが、取り合いの熱じゃない。
誰もが一枚の紙を見上げ、低い声で何かを言い合っている。
重い。
空気が、妙に張っている。
「人、多すぎない?」
フィナが小さく言った。
「押すなよ」
ロイドが肩で人波を受け止める。
「近いのよ」
シエラが露骨に顔をしかめた。
「押してないわ。巻き込まれてるの」
「いや押してるだろ」
いつものやり取り。
だが、今日は浮く。
周囲の空気がそれを受け止めない。
軽さが、弾かれている。
ノアは少し後ろから掲示板を見ていた。
人の隙間越しに見える紙は一枚。
赤い印が押されている。
緊急。
それだけで、十分だった。
「……あれだな」
ライガが低く言った。
その時。
「通してください」
声が一つ、空気を切った。
人垣が割れる。
受付から出てきたミリアが、掲示板の前に立った。
整った制服、乱れのない姿勢。いつもと同じはずなのに、今日はやけに冷たく見える。
「緊急ミッションです」
広間が、すっと静まる。
完全に音が消えたわけじゃない。
鎧のこすれる音、誰かの息。だが、人の声だけが消えた。
ミリアは書類に目を落とし、すぐに顔を上げる。
「本日未明より、炭鉱ダンジョン周辺、ならびに複数地域にて、ダクネス現象の同時多発が確認されました」
ざわ、と低い波が広がる。
同時多発。
その意味を、誰もが理解している。
人手が、足りない。
「現在、A帯およびB帯パーティは他地域対応に出払っています」
ミリアは続ける。
「加えて、C帯にも欠員が出ています。本件はDランク帯への緊急要請となります」
「Dに……?」
「炭鉱だぞ」
「正気かよ……」
今度ははっきりとしたざわめきが起きた。
炭鉱ダンジョン。
狭い。暗い。湿気がこもる。臭いが残る。気配が消えない。
そこにダクネス。
条件が悪すぎる。
「出現魔物は」
誰かが声を張る。
ミリアは即答した。
「一角ホブゴブリン、ならびにリッチデッドウルフが確認されています」
空気が、一段落ちた。
「うわ……」
ライガが顔をしかめる。
「嫌な組み合わせだな」
「前から来るのと、後ろに残るのと、両方で削られるやつね」
フィナが小さく言った。
ロイドも低くうなずく。
「持久戦に持ち込まれるでありますな」
シエラは腕を組んだまま、短く言った。
「最悪の環境ね」
その空気の中で、ぽつりと声が混じった。
「一角ホブゴブリンの巨大種倒したアルファ、あれでAに上がったんだっけ」
一瞬だけ、空気が揺れる。
「マジか」
「でかいのやったらAか」
「いや元々強いだろ、あいつらは」
ほんの少しだけ、熱が戻る。
だが、それも一瞬だった。
すぐに現実が押し戻す。
ここにあるのは、武勇伝じゃない。
危険任務だ。
「……関係ないわね」
シエラが冷めた声で言った。
「だな」
ライガが頭をかく。
「夢見る場所じゃねぇな、これ」
ロイドが真顔で言う。
「現実を見るべきであります」
「正論すぎる」
フィナが苦笑した。
その横で。
ノアは、わずかに首を傾げた。
「……Aって、すごいのか」
一拍。
四人が同時に振り向く。
「そこから!?」
ライガが素で突っ込む。
「すごいに決まってるでしょ!?」
フィナも乗る。
シエラがため息をついた。
「はぁ……説明いる?」
ノアは少し考えてから、
「でも、寝る場所は関係あるよ」
空気が、また一瞬ズレた。
「あるわけないでしょ!」
即答。
強い。
だが、ノアは揺れない。
「いや、ある」
短く、断言する。
ざわめきの中で、その一言だけが妙にくっきりと残る。
「……なんでそんな自信あるのよ」
シエラが眉をひそめる。
ノアは少しだけ視線を落として、
「普通だよ」
「普通じゃない!」
ライガが突っ込む。
数人、周囲の冒険者が振り向く。
空気の種類が違う。
場の緊張と、ノアの言葉が、かみ合っていない。
その違和感だけが、はっきりと浮く。
ミリアが軽く咳払いを入れた。
空気が戻る。
「本件は合同編成で行います」
広間が再び静まる。
「選定パーティは、暁紅蓮隊――」
ライガたちが顔を上げる。
「および、青葉の剣」
別の場所で、空気が動いた。
視線が交差する。
見覚えのある装備、見覚えのある顔。
以前、掲示板前で軽くやり合った相手。
「青葉の剣か」
ライガが小さく呟く。
ミリアは続ける。
「内部は広く、中央に大空洞があります。そこに第二拠点を設営します。進行ルートは分岐の可能性あり。現地で地図を配布しますが、報告と現況が一致しない場合があります」
嫌な言い方だった。
つまり、現場は既に崩れている可能性がある。
「現場判断を優先してください」
短く締める。
誰も軽くは受け取らない。
ミリアが最後の書類を閉じた。
「準備の整ったパーティから、正門前へ集合してください」
一礼。
張りつめていた空気が、わずかに緩む。
だが、元には戻らない。
「……行くか」
ライガが言った。
軽く言ったつもりだろうが、声は少し硬い。
「行くしかないであります」
「準備、見直すよ」
「当然でしょ」
三人が動き出す。
ノアは少しだけ掲示板を見上げた。
赤い印。
緊急。
文字よりも、空気の方が重い。
「ノア、行くぞ」
「ん」
ノアは頷き、藁束を背負い直した。
その姿に、近くの冒険者が一瞬だけ視線を向ける。
こんな任務に、それを持っていくのか。
そんな目だ。
だが、ノアは気にしない。
必要なものは、最初から決まっている。
寝る場所。
休める場所。
それだけだ。
正門の向こうでは、既に荷の積み込みが始まっていた。
木箱、縄、灯り、資材。
いつもより多い。
いつもより急いでいる。
誰もが、足りていない。
炭鉱ダンジョンへの遠征は、もう始まっていた。




