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追放されたベッドメイカー、寝床を整えただけでパーティが最強になってしまう  作者: わたぎきぬ
第二章 弱小パーティは駆け上がる
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第11話 ノアのぐっすりベッド(上)

 掲示板の前は、いつも通りのざわめきに満ちていた。


 紙の擦れる音。靴音。誰かの笑い声。

 そのどれもが軽く、どこか気楽で。


 危険と隣り合わせの場所とは思えないほどだった。


「お、これどうだ? 報酬そこそこだぞ」


「距離が長い。消耗が嵩みますね」


「でも安全寄りじゃない? 最近ちょっと変なの多いし……」


 ライガとロイドが依頼書を見比べ、フィナが横から覗き込む。

 シエラは少し離れた位置で腕を組み、視線だけで紙を追っていた。


 いつも通りの、選別の時間。


 ――のはずだった。


「シエラさん」


 受付から声がかかる。


 ミリアだった。


 普段と変わらぬ丁寧な声。

 だが、ほんのわずかに低い。


「お預かりしているものがあります」


 差し出されたのは、封書だった。


 厚手の紙。

 簡素な装い。だが、質は良い。

 そして、封蝋。


 見た瞬間。


 シエラの指が、止まった。


「……」


 わずかな躊躇。


 それでも、受け取る。


 ミリアは何も言わない。

 ただ、静かに見ている。


 シエラは封を切った。

 紙を開く。


 ――その瞬間。


 顔色が変わった。


 すっと血の気が引く。

 目の焦点が、ほんのわずかにずれる。


 呼吸が、一瞬だけ止まった。


「……シエラ?」


 フィナが気づく。


 だが、シエラは答えない。

 視線を紙に落としたまま、動かない。


「おい、どうした?」


 ライガが歩み寄る。


 それでも、返事はない。


 ただ――


 紙を握る指に、力が入っていく。

 くしゃり、と音が鳴りそうになるのを、ぎりぎりで抑える。


「……何が書いてある」


 ロイドの低い声。


 ようやく、シエラが顔を上げた。


 その目は、明らかにいつもと違っていた。


 硬い。

 警戒している。


 それだけじゃない。


 追い詰められている。


「……なんでもないわ」


 短い否定。


 明らかな嘘。


 そのまま紙を畳もうとして――止まる。


 一瞬。


 本当に、ほんの一瞬だけ。


 迷いが走る。


 そして。


 ぐっと奥歯を噛んだ。


「……場所、変えるわよ」


 それだけ言って、歩き出す。


 いつもの強気な足取りではない。

 わずかに速い。


 逃げるようでもあり、急ぐようでもある。


 ライガたちは顔を見合わせ、後を追う。

 ノアも、何も言わずに続いた。


 ただ一人。


 ミリアだけが、その背中を見送っていた。


 ほんのわずかに、目を細めて。



 ギルド裏手の通路は、人の気配が薄かった。


 音が残る。

 足音がやけに響く。


 空気が、閉じている。


 突き当たりで、シエラが立ち止まる。


「……ここならいいわね」


 振り返る。


 もう隠していなかった。


 迷い。

 焦り。

 苛立ち。


 それが、混ざった顔。


 貴族の令嬢としての仮面が、完全に外れている。


「で、どうしたんだよ」


 ライガが言う。


 その問いに答える代わりに。


 シエラが動いた。


 まっすぐ、ノアの前へ。


「シエラ?」


 フィナの声が揺れる。


 次の瞬間。


 シエラは――深く、頭を下げた。


「……え?」


 誰かの声が漏れる。


 理解が追いつかない。


 あのシエラが。

 誰よりもプライドの高い彼女が。


 頭を下げている。


「ノア、お願い」


 はっきりとした声。


「力を貸して」


 空気が止まる。


 誰も動けない。

 視線だけがノアへ集まる。


 だが本人は、ただシエラを見ていた。


 ゆっくりと。


 何かを測るように。


 シエラが顔を上げる。


「……お父様は、かなり強引なの」


 淡々と。


「アタシが戻ったら、部屋に監禁される」


 フィナが息を呑む。


「しかも、レヴァンディア領主の息子。そことの婚約が、もう進んでる」


 静かに落ちた言葉が、場に広がる。


「……は?」


 ライガが声を漏らす。


「いや待て、結婚? いい話じゃねぇのか?」


「断れるなら苦労しないし、相談もしてない」


 即答だった。


「お母様のメンツもある。アタシ一人の都合で潰せる話じゃないの」


 逃げ道を、自分で塞ぐように。


「だったら、なんだってんだよ」


「アンタに言ってない」


 きっぱり。


 視線は、ノアから外さない。


 誰も言葉を挟めない。


 その中で。


「……えっと」


 フィナが、ゆっくり口を開いた。


「つまり……シエラちゃんは、お家に戻らないといけなくて」


 ちら、とシエラを見る。

 否定はない。


「その婚約者さんと、会うことも決まってて……」


 一拍。


「でも、それを――台無しにしたいんだよね?」


 静かに、言い切る。


 空気が動く。


 バラバラだった理解が、形になる。


「そのままの意味よ」


 シエラが答える。


「会うだけ会って、問題なく進めば、そのまま決まる。だから、そうならないようにする」


「……わざと失敗するってことか」


 ロイドが低く言う。


「えぇ」


 短い肯定。


「いやいや待てよ、それでなんでノアなんだよ」


 ライガの疑問。


 当然だった。


 視線が集まる。


 シエラは一瞬だけ黙って、


 ほんのわずかに目を逸らす。


「……アンタたちじゃ、ダメなのよ」


 ぽつり。


「貴族相手に、違和感なく“崩せる”人間じゃないと意味がない」


 無茶を言っていると、自分でも分かっている顔。


 それでも。


 視線を戻す。


 逃げない。


「ノアなら、できる」


 断言。


 根拠はない。


 だが、その言い方は確信だった。


 “見てしまった”人間の言い方。


 そして。


 シエラが、ゆっくりと歩み寄る。


 音を立てない足取り。


 ノアの前で止まり、わずかに距離を詰める。


 顔を寄せる。


 さらりと、髪が揺れる。


 そして――


 耳元で、囁いた。


 内容は、誰にも聞こえない。


 だが。


 それが“条件”であり、“切り札”であることだけは伝わる。


 ライガが身を乗り出しかけ、ロイドが止める。

 フィナは息を潜める。


 ノアは、動かない。


 一拍。


 短い思考の間。


 そして。


 小さく、頷いた。


「……分かりました」


 それだけ。


 それだけなのに。


 空気が、変わった。


 何かが決まった。


 見えない“流れ”が、確かに動き出した。



 ルミナリア領の屋敷は、遠目からでも整いの良さが伝わってきた。


 白い外壁。均整の取れた庭園。過剰な華美はない。

 だが、だからこそ分かる。

 ここには、はっきりとした“格”がある。


 門をくぐった瞬間、空気が変わった。


 視線が集まる。

 使用人たちの目だ。


 値踏みではない。

 だが、確実に見られている。

 何者を通し、何を許すか。


 その中心にいるのが、シエラだった。


「……お帰りなさいませ、お嬢様」


 侍女が一歩前に出る。

 マリエル。


 頭を下げる所作に迷いはない。


「ただいま」


 短く返すシエラの声は、いつもより僅かに低い。


 ライガたちは、そのやり取りを黙って見ていた。


 違和感がある。

 だが、言葉にできない。


 ロイドは無言で背筋を伸ばし、

 フィナは小さく息を詰め、

 ライガでさえ不用意に口を開けなかった。


 ノアだけが、表情を変えない。

 だが、その視線はいつもより細かく動いていた。


 床。

 壁。

 風の流れ。


 “寝る場所ではない”のに、

 条件を測るような目だった。


「お部屋のご用意は整っております」

「えぇ、分かってるわ」


 シエラは振り返らない。

 ただ、歩き出す。


 迷いのない足取りで、屋敷の奥へ。



 部屋に入った瞬間、シエラの肩がわずかに下がった。


 完全に気を抜いたわけではない。

 だが、外よりは楽だ。


「……ノア」

「はい」

「やるわよ」


 短い指示。


 ノアはすでに部屋を見ている。


 ベッドの位置。

 窓からの光。

 空気の流れ。

 家具の配置。


 ほんのわずかに手を入れる。


 ずらす。

 整える。

 重ねる。


 誰にも分からない程度に。

 だが確実に、“居心地”が変わる。


 その様子を、シエラは鏡越しに見ていた。


 髪に手を入れる。

 小さな花を挿す。


 淡い香りが広がる。


「それ、いいですね」

「そう?」

「えぇ」


 短いやり取り。


 ノアはそれ以上言わない。

 だが、その目は一瞬だけ鋭くなる。


 すぐに消える。

 誰も気づかない程度に。



 ほどなくして。


 男が通された。


 仕立ての良い服。

 無駄のない所作。

 年齢はシエラより一回り以上上。


 整っている。


 だが。


 腰回りの重さ。

 呼吸の浅さ。

 僅かな“緩み”。


 ノアが一瞬だけ視線を向ける。


 それ以上は見ない。


 そして。


 扉が閉まる。



 隣の部屋。


 ライガ、ロイド、ノア。


 扉一枚隔てた向こうに、シエラがいる。


 声は、微かに聞こえる。


「……なぁ、これ大丈夫なのか?」


 ライガが小声で言う。


「静かに」


 ロイドが制す。


 耳を澄ませる。


 足音。

 布の擦れる音。

 わずかな会話。


 その中で。


 ノアだけが、動いていなかった。


 壁に背をつけ、立っている。


 だが。


 わずかに。


 本当にわずかに。


 体が、強張っていた。


 肩。

 腕。

 指先。


 力が抜けていない。


 普段のノアならあり得ない状態。


 ライガが一瞬、そちらを見る。


(……なんだ?)


 違和感。


 だが、言葉にはしない。


 そのまま、耳を澄ます。


 向こうで、椅子が軋む音。


 数秒。


 静寂。


 そして。


 ――沈む音。


 一拍。


 二拍。


 さらに数秒。


「……ぐぉ……」


 いびき。


 ライガとロイドが同時に顔を見合わせる。


「……は?」


 小さく漏れる声。


 その横で。


 ノアの肩から、力が抜けた。


 ほんの少しだけ。


 気づかれない程度に。



 扉が開く。


 フィナが顔を出す。


「来て」


 短い言葉。


 全員が動く。



 部屋。


 ベッド。


 眠りこける男。


 状況は、見たままだった。


 ライガが固まる。

 ロイドが無言で腕を組む。


 ノアは、何も言わない。


 ただ、一度だけ部屋全体を見た。


 そして、視線を落とす。


 もう、やることはないという顔で。


 シエラが動く。


「……フィナ」

「うん」

「お母様を呼んで」


 迷いはない。


 フィナはすぐに動く。


 残された空間に、いびきだけが響く。



 やがて。


 母が来る。


 そして、止まる。


 ベッドを見る。


 理解する。


 シエラが問う。


「このような方と、私が相応しいとお考えですか?」


 静かに。


 逃げ場を与えず。


 母は答えない。


 ただ、評価する。


 そして。


「……侍女」


 次の手を打つ。



 父が来る。


 見る。


 判断する。


「……今日は、ここまでだ」


 それだけ。


 それで終わる。



 全てが終わった後。


 シエラが、ノアを見る。


「……ありがと」


 小さな声。


 ノアは頷く。


 その動きは、いつも通り。


 だが。


 ほんの少しだけ。


 遅れていた。


 さっきまで張っていた何かが、ようやく解けたように。


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