第1話 寝床役は拾われる
朝。
ノアは静かに起き上がった。
ベッドを見る。整っている。
昨夜、自分で直したものだ。
手を伸ばし、軽く押す。
沈みは均一だった。
「……いい」
それだけ呟いて、立ち上がる。
◇
宿の一階には、朝の光が差し込んでいた。
ノアは、いつものようにシーツを外す。
皺を伸ばし、角を合わせる。
布を戻し、手のひらで押して沈みを確かめる。
「ほんと、丁寧だねぇ」
女将の声に、ノアは軽く頭を下げた。
「ノアちゃんが来てからさ、客の機嫌がいいんだよ」
「昨日も言われたよ。“よく眠れた”ってねぇ」
女将はそう言って笑う。
「まぁ、長くいてくれると助かるんだけどねぇ」
「……ありがとうございます」
短く返す。
それ以上は言わない。
次のベッドへ向かう。
同じように整え、押し、沈みを確かめる。
「問題ない」
それでも、わずかに位置を直す。
「ん……少し硬い」
誰に聞かせるでもなく呟く。
もう一度、押す。
沈みが揃う。
ノアは小さく頷いた。
◇
昼を少し過ぎた頃、ノアは宿を出た。
何をするでもなく、通りを歩く。
人の声。荷車の音。商人の呼び声。
カルンの街は、いつも通り動いている。
向かう場所はない。
足は自然と、住み込みの宿へ戻っていた。
宿の一階は、食堂兼酒場だ。
「もう無理だって!」
「だから言っただろ!」
「回復が追いつかないんだよ!」
荒い声。
怒鳴り合いではない。焦りだった。
ノアは少しだけ中を覗く。
四人。
赤いマフラーの男が、椅子の背に体を預けている。
無造作に伸びた髪、日に焼けた肌。笑っているのに、どこか焦りが滲んでいた。
その隣。
盾を背負った大柄な男。
短く刈った髪に、無駄のない体つき。腕を組んだまま、視線だけが鋭い。
少し離れて、細身の少女。
金色の髪が肩のあたりで揺れている。整っているのに、表情だけが面倒そうだった。
そして。
小柄な少女が、両手を膝の上で重ねている。
淡い色の髪が柔らかく揺れ、不安そうに視線を落としていた。
「……もう一回だけ、やってみようよ」
小柄な少女の声。
ノアは少しだけ考えた。
ほんの一瞬。
それから口を開く。
「……寝床は、用意できます」
声が止まる。
「……は?」
四人の視線が、一斉に向いた。
◇
「誰だお前」
赤いマフラーの男が言う。
「……どこの誰だ」
盾を背負った男が続く。
細身の少女は黙って見ている。
小柄な少女は不安そうに視線を揺らした。
「ノアです」
「ノア……?」
細身の少女が目を細める。
「……あれ、どっかで」
特別珍しい名前ではない。
だが、盾の男が思い出したように言った。
「……あぁ。アルファにいたやつか」
「え?」
赤いマフラーの男が目を見開く。
「あのアルファの?」
細身の少女が鼻を鳴らした。
「追い出されたって聞いたけど?」
少しの沈黙。
ノアは、少しだけ困ったように笑った。
「……まぁ、そう言えると思います」
「サポーターでしょ?」
「サポーターじゃないです」
一拍置いて、ノアは言う。
「正規の冒険者です。寝床担当の」
「なにそれ、下ネタ?」
「違います」
少しだけ間を置く。
「ちゃんと寝られるようにする役です」
「じゃーなくてさ」
赤いマフラーの男が割って入った。
「俺も思い出した。身の回りの世話してたらしいぜ?」
「やっぱりサポーターじゃない」
細身の少女が即答する。
「……解釈によっては」
ノアは否定しない。
「で?」
少女――シエラが腕を組む。
「戦えるの?」
「それとも本当に寝るだけ?」
「……戦えなくはないです」
藁束を担ぎ直す。
「でも、前に出る役ではないです」
「なんだそれ」
盾の男が呟く。
「中途半端だな」
「はい」
ノアは素直に頷いた。
「そうだと思います」
その時。
「あ、えっと……」
小柄な少女が口を開いた。
「寝床、用意してくれるなら……助かります」
赤いマフラーの男が顔を上げる。
「ほら!」
「フィナもこう言ってる!」
「ロイド、下向き過ぎだぞ!」
「アルファの冒険者だぞ?」
「何も出来ないってことはないだろ!」
「……それは、まぁ」
ロイドが渋く頷く。
「悪名はあるけどね」
「でも、今の私たちに選り好みしてる余裕ある?」
シエラが肩をすくめる。
フィナは小さく頷いた。
「それに……寝られるなら、本当に助かります」
ノアは一度だけ目を伏せた。
「……そこはやります」
短く言う。
「ちゃんと、寝られるようにします」
赤いマフラーの男が笑う。
「いいねぇ! 俺はライガ!」
「暁紅蓮隊のリーダーだ!」
ノアの知らない名前だった。
「……暁紅蓮って名前、やめない?」
「やめねぇ! カッコいいだろ!」
「名前だけはな」
「名前もカッコ悪いでしょ」
「うるせぇ!」
ロイドが小さく息を吐く。
「……まぁ、様子見だな」
「危ない真似だけはするなよ」
「……はい」
「よし!」
ライガが手を叩く。
「じゃあ決まりだ!」
「ノア、暁紅蓮隊へようこそ!」
ノアは一拍置いて頷いた。
「……よろしくお願いします」
◇
ノア加入の日の依頼は、森の外れのゴブリン掃討だった。
数が多い。
暁紅蓮隊にとっては、軽くない仕事だ。
「来るぞ!」
ライガが前に出る。
ロイドが盾を構える。
フィナが詠唱に入る。
シエラが杖を向ける。
ノアは一歩遅れて動いた。
藁束を背負ったまま。
「おい、危な――」
ロイドの声。
その瞬間。
ゴブリンの爪が空を切った。
ノアは、半歩だけずれていた。
振るわれた腕が外れる。
次の一歩。
また外す。
ノアは避ける。
その拍子に、背負った藁束が相手に当たった。
ゴブリンが足を取られ、倒れる。
「一応……やれなくはないな」
ロイドが低く言う。
「だろ!?」
ライガが笑う。
「でも」
シエラが目を細める。
「なんで藁、背負ったままなのよ」
「……持ってた方が楽なので」
「何がよ」
「色々です」
「答えになってない」
フィナが不安そうに言う。
「危なく、ないですか……?」
「問題ないです」
ノアは短く答えた。
そしてまた一歩、変わらない顔で位置を戻す。
◇
日が落ちた。
簡易の野営地。
焚き火が灯る。
ノアは藁を下ろした。
地面を見る。
傾き。石。湿り。
足で均す。
藁を広げる。
重ねる。押す。
均一になるまで、何度も。
そして最後に、少しだけずらす。
「……手慣れてるな」
ロイドが呟く。
「それしかやってこなかったんだからでしょ。職業ベッドメイカーってことね」
シエラが言う。
ノアは軽く首を振った。
「……それだけじゃないです」
「え?」
「寝るの、大事なので」
それだけ言って、また手を動かす。
「って、それだけじゃねぇか!」
ライガが即座にツッコむ。
「まぁでも助かるわ」
「聞いたことねぇ職業だけど……」
ライガが寝転がった。
「うお、柔らけぇ! マジかよ!」
「……ほ、本当だな」
ロイドも横になる。
「沈みが……均一だ。プロの仕事だ」
「なにそれ」
「分からんが……違う」
シエラも半信半疑のまま横になる。
「……あー、なにこれ」
フィナもそっと身を預けた。
「……すごいです」
幼い顔が、もう少しで眠りに落ちそうになる。
「体が、楽……」
少しの沈黙。
「藁を敷いただけよ。たまたまでしょ」
シエラが目を閉じたまま言う。
「地面が良かったとか」
「そんなピンポイントあるか?」
「あるでしょ」
「……あるのか?」
フィナは、もう寝ていた。
「じゃあ今日は当たりだな!」
「毎日当たってほしいもんだな……」
ロイドが苦笑する。
ノアは最後に一度だけ押した。
沈みを確かめる。
問題ない。
◇
朝。
「……は?」
ロイドが身体を起こす。
「体、軽い……」
「でしょ!?」
ライガが跳ね起きる。
「今日いける気がする!」
「いや、これは……」
フィナも起き上がった。
「回復魔力、凄く残ってます」
「アタシの魔力……そんなわけ」
シエラが言う。
「じゃあなんでだよ」
「知らないわよ」
そこで。
ほんの一瞬だけ、全員の視線が動く。
少し離れた場所。
ノアは既に藁を束ねていた。
「まぁいいか!」
ライガが立ち上がる。
「調子いいならそれでいい!」
「……そうだな」
ロイドも頷く。
「今日は、昨日よりやれる気がする」
フィナも笑った。
「私も、です」
ノアは藁束を背負う。
「行きましょう」
「おう!」
「今日こそ本気だ! 暁紅蓮隊は完全に目覚めた!」
「だからその名前……」
シエラの声を、朝の風がさらっていった。




