第3話 キュプロス砦の番人③
朝は、軽かった。
砦の空気が、夜とはまるで違う。
湿り気が抜けている。
視界が開けている。
何より、人の動きに迷いがない。
「おーい! そっち流れたぞ!」
「分かってるって!」
「回り込め回り込め!」
門前では、すでに戦闘が始まっていた。
怒鳴り声と笑い声が混ざる。
緊張感はある。
だが、張り詰めてはいない。
「……すげぇな」
ライガが思わず漏らす。
砦の中には人が溢れていた。
武器の手入れをしている者。
食事をとっている者。
すでに外へ出ている者。
ざっと見ただけでも、二十人では利かない。
「でしょ?」
フィナが笑う。
「思ってたよりずっと多いよね」
「一応、“Cランク相当”を維持してる集団だからね」
横から声。
シャルルだった。
相変わらずの糸目の笑顔。
「人が多い方が、都合いいんだよ」
「都合?」
ライガが首を傾げる。
「穴埋めが効く」
あっさりと言う。
「一人抜けても回る。誰かが疲れても回る」
指で円を描く。
「だから“ループ”」
くすりと笑う。
「へぇ……」
ライガは素直に頷いた。
理屈は分からない。
だが、“回っている”のは分かる。
「来るよ」
フィナが声を落とす。
森の縁。
影が揺れる。
細い体。長い脚。
口元に淡い魔力の光。
「メイジジャッカルね」
「少なっ」
ライガが笑う。
「準備運動だな」
「油断しない」
「はいはい」
軽口のまま、前へ出る。
だが、その時にはもう。
「押し返せ!」
「そっち逃がすな!」
すでに他の連中が接敵していた。
前衛が受ける。
後衛が削る。
横から別の連中が突く。
役割は固定されていない。
だが。
誰も迷っていない。
「……なんだこれ」
ライガが呟く。
「雑なのに、噛み合ってる」
「慣れてるのよ」
フィナが答える。
「同じこと、何回もやってるんだと思う」
「じゃ、混ざろっか」
シャルルが滑り込む。
ナイフが閃く。
一体が、その場で崩れ落ちた。
「お、いいとこ持ってくなよ!」
「早い者勝ちでしょ?」
軽い笑い。
だが、動きは止まらない。
ライガも踏み込む。
距離を詰める。
振り抜く。
避ける。
詰める。
無駄のない連続。
「ラウンドヒール」
フィナの魔法が走る。
身体が軽くなる。
判断が速くなる。
「助かる!」
横の冒険者が声を上げる。
「いいね、それ!」
別の声。
もう連携に組み込まれている。
即席のはずなのに。
違和感がない。
残り三体。
囲まれている。
逃げ場はない。
削る。
詰める。
仕留める。
終わり。
あっけないほどに。
「……終わりか」
ライガが剣を振る。
「でしょ?」
フィナが笑う。
「朝はこんな感じ」
「マジで楽じゃん」
「そういうこと言うと増えるよ」
「やめてくれ」
笑いが起きる。
誰かが肩を叩く。
「新顔か? 悪くねぇな!」
「だろ?」
ライガが笑い返す。
空気は軽い。
だが、手は止まらない。
すでに別の連中が動き始めている。
「次、あっちだ!」
「了解!」
交代。
補充。
循環。
止まらない。
「……すげぇな」
ライガがもう一度呟く。
「だろ?」
シャルルが横に立つ。
「これが効率」
軽い声。
だが、その目は森を見ていた。
人の動き。
配置。
穴。
流れ。
すべてを捉えている。
「戻ろっか」
何事もなかったように言う。
「朝の分はこんなもんでしょ」
「了解」
ライガが頷く。
フィナも続く。
砦へ戻る。
その背後では、すでに次の組が前へ出ていた。
誰かが抜けても。
誰かが入る。
止まらない。
崩れない。
まるで。
最初から、そう設計されているかのように。
陽はゆっくりと昇っていく。
砦は、今日も回っている。
何事もないように。
何も問題がないかのように。
◇
昼の砦は、騒がしかった。
火が焚かれている。
肉の焼ける匂いが広がる。
酒が回り、笑い声が絶えない。
朝とは違う。
緊張はない。
張り詰めてもいない。
ただ――妙に“出来上がっている”。
「ほらほら! 遠慮しないで飲みなさいよ!」
甲高い声が響く。
ヴァネッサだった。
派手な装い。
濃い化粧。
堂々とした立ち姿。
その周囲には、自然と人が集まっている。
「姐さん! 肉、焼けました!」
「いいじゃない、もらうわ」
「酒もありますよ!」
「気が利くじゃない」
笑う。
それだけで、空気が動く。
「流石っすね、ヴァネッサ姐さん!」
「この砦で一番頼りになるのは姐さんだ!」
口々に持ち上げる。
だが、それはただの追従ではない。
誰も逆らわない。
誰も外れない。
距離。
視線。
立ち位置。
すべてが、無意識に揃っている。
中心は、彼女だ。
「……」
ロイドは、それを見ていた。
「どうしたの」
隣でシエラが小さく言う。
「いえ……」
視線を外さずに答える。
「妙に統制が取れています」
「でしょ」
シエラが腕を組む。
「ただ騒いでるだけじゃない」
その通りだった。
笑っている。
騒いでいる。
だが――
何人かは常に外を見ている。
何人かは動かない。
何人かは、ヴァネッサの一言を待っている。
役割がある。
明文化されていないだけで。
「ほらアンタも!」
不意に、肩を叩かれた。
ヴァネッサだった。
「いや、自分は……任務中なので」
「堅いわねぇ!」
豪快に笑う。
周囲もつられて笑う。
だが、その一瞬。
男たちの視線が、ロイドを測った。
値踏み。
そんな空気が、確かにあった。
「こういうのは雰囲気よ、雰囲気!」
「それは……否定しませんが」
ロイドが答える。
ヴァネッサは満足したのか、すぐに別の男へ向き直る。
「で? さっきの話どうなったのよ」
「あ、はい! あの件は――」
男が即座に応じる。
迷いがない。
考える前に従っている。
「……ねぇ」
シエラが小さく言う。
「分かってる」
ロイドも頷く。
「あの人が中心です」
「えぇ」
シエラは短く答える。
「表の、ね」
ロイドはもう一度ヴァネッサを見る。
笑っている。
豪快に。
楽しそうに。
だが。
その場のすべてが、彼女を軸に回っていた。
その時だった。
「……ロイドか?」
低い声。
振り向く。
「……ガイル?」
ロイドの目が、わずかに見開かれる。
短く刈った髪。
日に焼けた肌。
無骨な装備。
見間違えようがない。
かつて、同じ隊で戦っていた男だった。
「久しぶりだな」
ガイルが言う。
「あぁ……」
ロイドが頷く。
「まさかここで会うとは」
「俺もだ」
短い会話。
だが、どこかぎこちない。
「ちょっと、知り合い?」
ヴァネッサが横から口を挟む。
「えぇ。以前、同じ隊に」
「へぇ~」
興味なさそうに笑う。
だが、視線だけは外さない。
二人の間を、しっかり捉えている。
「じゃあちょうどいいじゃない」
ガイルの肩を叩く。
「面倒見てあげなさいよ」
「……あぁ」
一瞬の間。
だが、すぐに答える。
「任せとけ」
「頼むわよ?」
それだけ言って、ヴァネッサは離れていく。
すぐに別の輪の中心へ。
笑い声がまた広がる。
何事もなかったかのように。
「……」
ガイルは、その背中を見ていた。
何かを言いかけて。
やめた。
「……元気そうで何よりだ」
それだけ言う。
「あぁ」
ロイドが頷く。
「そっちは……」
「見ての通りだ」
短く返す。
それ以上は語らない。
だが。
視線が一瞬だけ、周囲を流れた。
警戒。
癖のような動き。
「……」
シエラがそれを見ている。
何も言わない。
だが、理解はしている。
ここは。
ただの“賑やかな砦”ではない。
「まぁ、あとでゆっくり話そうぜ」
ガイルが言う。
「昼はこんなもんだ」
「了解しました」
ロイドが答える。
それで会話は終わる。
それ以上は踏み込まない。
踏み込めない。
周囲の空気が、それを許さなかった。
笑い声が響く。
酒が回る。
肉が焼ける。
賑やかだ。
明るい。
楽しい。
だが。
どこか一つ。
歯車が噛み合っていない。
そんな違和感だけが、静かに残った。




