銀貨一枚の価値
「今日の群れ、多かったな」
焚き火が、小さく弾けた。
ガレスが肩を鳴らす。分厚い肩当てが、鈍く軋んだ。
「数はな。質は大したことなかった」
リリアが短く返す。整えられた黒髪が揺れ、火の光を受けても表情は変わらない。
「最後の一角、厄介だったけどな」
「あぁ。あれは少し手こずった」
レオンが火を見つめたまま言う。
淡い金の髪は乱れず、視線だけが静かに奥を捉えている。
洞窟の奥。
咆哮と共に現れた、一角のホブゴブリン。
重い踏み込み。振り下ろされる腕。
「来るぞ!」
ガレスが前に出た。
受ける。衝撃が地面を鳴らす。
「重っ……!」
「右、空く!」
リリアの声と同時に、魔法が走る。
火が爆ぜ、巨体がわずかに怯む。
「今だ」
レオンが踏み込む。
無駄のない一歩。刃が深く入る。
そこへエマの光が重なった。
柔らかな光が傷口をなぞるように広がる。
「決めろ!」
「あぁ、分かってんよぉ」
ガレスが振り抜く。
角が砕け、巨体が崩れ落ちた。
静寂。
「終わりだな」
「予定通りだ」
焚き火の向こうで、ノアは藁を下ろした。
地面を均す。
石を退かす。
手で押し、沈みを確かめる。
「……少し硬いな」
藁を一束抜く。
位置をずらす。
踏む。沈み方を確かめる。
「……まぁ、今はこんなもんか」
「お、今日もやってるな」
「助かるっちゃ助かるけどな」
「まぁ、寝られるのは大事だ」
「……戦闘に関係あるかは別だけど」
ノアは手を止めない。
「関係ありますよ」
「は?」
「いや、いいって」
「始まったよ」
藁の端を揃えながら、いつも通りの調子で言う。
「寝られないと、動き鈍るんで」
「戦闘中の話だろ!」
「同じです」
「同じじゃねぇ!」
ノアは少しだけ首を傾げた。
「……普通だと思いますけど」
「普通じゃねぇよ!」
誰も、それ以上は言わなかった。
◇
朝。
空気は冷えていたが、体は妙に軽かった。
ガレスが上体を起こす。
重い装備のはずなのに、動きが引っかからない。
「……悪くねぇな」
肩を回す。軋みがない。
「今日は動けそうだ」
「当然でしょ」
リリアが言う。
「昨日のあれで動けなかったら問題よ」
「回復も問題なしです」
エマも頷いた。
「よし」
レオンが立ち上がる。
動きに迷いがない。
「行くぞ」
ノアは、既に起きていた。
藁をまとめながら、わずかに眉を寄せる。
「……枕、もう少し上げた方がよかったな」
「なんの話だよ」
「首です」
「知るか!」
◇
洞窟の最奥。
洞窟そのものを揺らすような、重い足音が響く。
「危ういな、構えろ」
「ねぇ、報告と違うわ」
闇の奥から現れたのは、一角のホブゴブリン。
だが、明らかに大きい。
巨体。
筋肉の厚み。
そして、圧。
「考えてる暇ねぇ、来たぞ!」
ガレスが受ける。
鈍い衝撃。
ノアは一歩踏み出しかけて、止まる。
視線が下へ落ちる。
「……滑るな、これ」
「今それ言ってる場合か!」
「いや、これズレますよ」
「動きなさい!」
一瞬、遅れる。
その隙間を、リリアの魔法が埋めた。
「退けっつってんだろ! 死ぬ気か!」
エマの光が重なる。
ガレスの盾が、爪を弾く。
ノアは衝撃の余波で吹き飛ばされた。
「ノア君、私の後ろに!」
エマが防護魔法を展開する。
「エマ、そのまま」
「うん」
地面が陥没する。
壁が砕ける。
その中心を、レオンが駆けた。
迷いのない踏み込み。
無駄のない一撃。
光を纏った刃が、一角を断った。
巨体が崩れ落ちる。
轟音のあと、静寂。
「終わりだな」
「予定外。だが、予定通りだ」
ノアは地面を踏み直す。
「……やっぱりズレてたな」
「だから関係ねぇって!」
◇
ギルドの扉を開ける。
視線が集まった。
「……アルファだ」
「戻ったぞ」
レオンが袋を置く。
――ドン。
転がり出た一角に、どよめきが広がる。
「……おい」
「マジかよ」
「あの群れ、やったのか?」
「すげぇな! しかも特異種って!」
「一杯おごってくれよ!」
「今日は奢りだろ!?」
笑い声と歓声が飛び交う。
受付が、金貨の袋を差し出した。
「確認を」
レオンが受け取り、手の中で重みを確かめる。
「分けるぞ」
「いつも通りでいいな?」
「……いや」
ガレスが袋を見た。
「今回は違うだろ」
「銀じゃねぇ。金だ」
「流石に分け方は変わるか」
周囲も頷く。
「……まぁまぁ」
レオンが手を上げる。
懐から銀貨を取り出した。
「ノアも、貢献はしていた」
「今回は、これでいいだろう」
ガレスが鼻で笑う。
「うちのリーダーは優しいこって」
リリアが肩をすくめた。
「いいじゃない」
「銀貨分の働きはしたし」
エマが小さく息を吐く。
「それなら、よかった……かな」
周囲からも声が漏れる。
「まぁ、妥当だな」
「銀貨出してるだけ、まだ良心的だろ」
「流石アルファだな」
レオンは一度、全員の顔を見た。
それから、静かに言う。
「では、次だ」
空気が変わる。
全員が自然と顔を上げた。
「構成を見直す」
一拍置く。
「今回の成果で、俺たちはこのギルドで“アルファ”扱いになる」
ざわめきが走る。
「上級依頼が解放される」
「専属の依頼も来る」
「行軍用の馬車も借りられる」
ガレスが口笛を吹いた。
「マジかよ」
リリアが腕を組む。
「いよいよ、って感じね」
エマも静かに頷く。
「環境も変わりますね」
レオンは続けた。
「だからこそだ」
視線が、ノアに向く。
「これまでと同じやり方ではいかない」
「ノア」
「ここまでだ」
ノアは、差し出された銀貨を受け取った。
わずかに口を開く。
「寝床は、どうするんですか」
「は?」
「いや、そのままだと――」
「もういい」
その一言で、止まる。
「……分かりました」
沈黙が落ちる。
その空気を、エマがやわらかく埋めた。
「……ノアくん」
ノアが顔を上げる。
「これからは、もっと危険な依頼になります」
静かな声だった。
「だから、その……」
一瞬だけ言葉を選び、それから続ける。
「ノアくんにとっても、こっちの方がいいと思います」
誰も否定しない。
ノアは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「……そう、ですか」
それ以上は言わなかった。
◇
扉を開ける。
背後で笑い声が弾けた。
「だから言っただろ!」
「今日は飲むぞ!」
外の空気は、少し冷たい。
ノアは足を止めない。
手の中の銀貨が、かすかに鳴った。
軽い。
通りを歩く。
人の声が遠い。
一度だけ、銀貨を見る。
「……まぁ、寝られればいいか」
懐にしまう。
そのまま歩き出した。
◇
掲示板。
紙が並ぶ。
「前衛募集」
「魔法使い優遇」
「回復役急募」
めくる。
「経験者のみ」
「即戦力歓迎」
指が止まる。
「雑用可」
読む。
――荷運び、設営補助、戦闘補助。
「……設営」
小さく呟く。
紙を戻す。
視線を走らせる。
同じような言葉が並ぶ。
手を離す。
掲示板を離れた。
◇
宿の扉をくぐる。
「一泊で」
銀貨を置く。
部屋に入る。
静かだ。
ベッドがある。
きちんと整えられている。
ノアは、しばらくそれを見ていた。
手で押す。
少し沈む。
「……悪くない」
横になる。
目を閉じる。
――眠れる。
問題はない。
だが。
ほんの僅かに、違う。
ノアは目を開けた。
「……ズレてるな」
起き上がる。
シーツを外す。
均す。
角を整える。
枕を少しだけ上げる。
「……これでいいか」
もう一度、横になる。
――今度は、問題ない。
小さく息を吐く。
「……疲れた。帰って寝たい」
そのまま、目を閉じた。




