土方鈴―1
まずは土方鈴視点の話になります。
土方鈴も、ジャンヌ・ダヴ―も共に異世界生活体験を50年以上に亘って送り、更には彼、野村雄と共に暮らして、幸せな最期を迎えました。
ですが、ジャンヌ・ダヴ―はともかく、現在の土方鈴は色々と考えざるを得ない状況でした。
私は、結果的と言って良かったが、ジャンヌ・ダヴ―と向かい合い、彼女に問い掛けていた。
「彼が、此処に還ってくる、と貴方は考えるの」
ジャンヌは、平然と返してきた。
「私以上に付き合いの長い、貴方の方が精確に判断できるのでは」
私は、彼女の言葉に詰まりながら、答えざるを得なかった。
「でも、私一人の判断では不安で、貴方の意見を聞きたいの」
ジャンヌは、私の言葉を聞いて、顔色を改めて言った。
「私は還ってくる、と考えますが。それは願望がかなり入っています。貴方も同じでは」
私は無言で肯いた後、物思いに耽った。
ジャンヌも、私と同様の気持ちのようで、物思いに耽り出した。
彼は、岸澪の言葉から、ヴェルダンのあの宿に向かってしまった。
今夜と明日の夜、彼はヴェルダンのあの宿に泊まることになっている。
そして、異世界に彼が赴けなければ何事もなく、彼は還ってくる筈だが。
もしも、異世界に赴いて、更にその異世界に満足したら、彼は死んで、私の下には還ってこない。
私は最初の人生で痛感した、あの胸の痛みを、又、感じることになるのか。
(更に言えば、ジャンヌも同じ思いをしているようだ)
彼のことを、ひたすら考えては、自分の胸が痛くなるばかりだ。
そう考えて、私は無理矢理、目の前のジャンヌについて考えることにした。
彼の傍にいるのは、私でいるべきだ。
そんな私の考えを、彼女は結果的に打ち砕き、私は彼女と、どちらが彼の傍にいるべきなのか、そんなことを考えるまでに至らせてしまった。
ヴェルダンのあの宿に泊まったことから、私は異世界体験を50年余りに亘ってすることになった。
その異世界で、私は彼ではなかった、野村雄の妻として、自分が亡くなるまで過ごすことになった。
そして、私と野村雄は、琴瑟相和す理想の夫婦として、私が亡くなるまで過ごしたといえるが。
私の周りは、必ずしもそうは言えなかった。
私と野村雄の間の子は3人いたが、一人はスペイン風邪で早世し、残り二人も第二次世界大戦で戦死した為に、第二次世界大戦終結後、私は夫と二人での寂しい生活を結果的に送ることになった。
そして、夫一人にだけ、私は看取られて亡くなることになり、夫の野村雄は、事実上は孤独死せざるを得なかったのだ。
更に、野村雄、彼と本来ならば、子を生した面々も、不幸な人生を送ることになった。
岸忠子は、息子3人全員が第二次世界大戦で戦死し、夫にも先立たれて事実上は孤独死した。
村山キクは、生涯独身を貫くことになり、これ又、孤独死したのだ。
ジャンヌ・ダヴ―に至っては、犯罪者として、ギロチンで刑死する羽目になった。
そうしたことからすれば、私の異世界生活は、周囲に不幸をまき散らした気さえする。
それに対して、ジャンヌも異世界体験を50年余りに亘ってしたのだが。
岸澪のやらかしが大きい、と私も考えるが、ジャンヌは野村雄、彼と幸せを掴んだのだ。
ジャンヌは、野村雄との間にアランを筆頭に12人もの子宝に恵まれた。
更にはその子ども全員が成人して、野村雄やジャンヌの最期を看取ったとか。
ジャンヌも、文字通りに死がふたりを分かつまで、野村雄の傍にいることができ、彼の死を看取ることができたとか。
更には野村雄、彼と本来ならば、子を生した面々さえ、それなり以上に、子どもを含めて幸せな生涯を送ることになったとか。
何で私の子どもは、実父の野村雄が傍にいないというか、共に育たない方が幸せになるのか、と私としては、忸怩たるモノを感じざるを得ないのだが。
本当にいわゆるサゲマンが私で、アゲマンがジャンヌということなのだろうか。
そんな何とも言えない考え、想いさえも、この件では私の脳内ではどうにも浮んでしまう。
ご感想等をお待ちしています。




