星屑になった訳-1年前-
――1年前。
偵察班の報告書には「初級並み」と書いてあった。
山の尾根に薄く霧がかかり、森の香りが鼻をくすぐる。緩やかな斜面と浅い谷、見通しの良い地形。俺たちは四人、いつもより気楽な雰囲気でアビスに足を踏み入れた。
完全な油断だった。
「今回は星和の先行偵察は不要だな。戸倉を先頭に、斜面を右回りで詰めていくぞ。」
樫村は盾を点検しながら乾いた声で言う。軍人崩れらしい、無駄のない指示。俺よりちょうど一回り年上で29歳、作戦立案は彼に任せるのが常だった。戦闘では衝撃を飛ばす異能で、前衛の援護と後衛の護衛に、戦闘指揮と理想的な中衛だ。
「任しとき! 前受けるんは俺の仕事や!」
肩に大剣を担いだ戸倉が豪快に笑う。今年で23歳の5年目だ。自己強化の異能と身体強化の魔法で筋力を底上げする近接タイプ。俺と似た戦い方だが、こなれたもので被弾する事が少ない。
「……」
三条は黙って宙に浮いた。浮遊の異能で空中を自由に移動しながら、魔法攻撃で後方支援をする移動砲台だ。感情の起伏が薄く、必要最小限の言葉しか発しない。任務終わりに必ず飯を奢ってくれる、面倒見の良いところもある。戸倉の同期で同い年だ。
俺が夜の感知能力で先行偵察し、処理できるならする。できないときはできるだけ削って引っ張ってきて、戸倉が受けて樫村が援護する。戸倉と樫村が持ちこたえてる間に三条が魔法でとどめを刺す。
このパターンが俺達の必勝パターンだった。
最初は楽勝だった。
小型の猪の魔物ばかりで魔物にしては軽く、俺の大剣一振りで片が付く。
この頃はまだ武器処の大将に怒られながらも大剣に固執していた。重いが、身体強化と異常な魔力量で雑に振り回しても通用した。
「星和、踏み込み深すぎや! 無駄に突っ込むなや!」
「了解っす。」
その時はまだ、軽口で返事をしていた。
⸻
谷の底で、土の匂いが脂の匂いに変わった。
現れたのは巨大な熊の魔物。背丈は人の倍、せいぜい三メートル。だがその肩幅は戦車を思わせ、動くたびに山肌が震えた。黒光りする毛皮の下に黒曜石のような表皮が覗く。喉の奥で低く唸る音が、腹に響いた。
感じたことのないプレッシャーに、思わず前傾姿勢になる。
――格が違う。上級か!?
「うわっ、でっけぇな……!」
戸倉の皮膚が鉄の色に変化する。自己強化の異能と身体強化の魔法だ。防御力と攻撃力を同時に底上げし、得意の突撃に移る。
「……っ! 待った!?」
俺の静止むなしく、戸倉は突っ込んで行ってしまう。なんでだ、皆気づいてないのか?
「樫村さん!」
「星和、もう遅い。やるぞ。」
樫村は気づいているようだが、すでに口火は切られている。覚悟を決めたようだ。
三条は無言で魔力を練った。黒い砂が熊の毛皮に絡みつき、微細な傷を刻む。直接ダメージよりも、防御力を削る前処理だ。
「構えろ、星和!」
樫村が三条を守るように円盾を前に出し、衝撃の異能を飛ばす。通常の魔物なら一撃で絶命させるだろうその衝撃は、狙い違わず熊に当たり……よろめかせるだけにとどまる。
ようやく近づいた戸倉の初撃。
──弾かれた。
刃が熊の毛皮で逸らされ黒い皮膚を貫くことができない。
「硬ったいなぁ!?」
そこでようやく俺は、大剣を両手で握り走り出した。
「右足だ! 膝関節の上は薄い!」
樫村の指示に従う。
勢いそのまま大剣を振りぬく。確かに刃は通るが、刃が欠けた。嫌な金属音を聞きながら距離を取る。
熊の前脚が振り下ろされる。樫村が、衝撃の異能で弾き飛ばす。
「星和、下がれ! 戸倉、突っ込め!」
「おうよっ!」
戸倉が肩から突っ込み、小さい重機なら吹きとばせそうな体当たりを放つ。熊の巨体がわずかに浮き、タイミングを合わせて、三条の火炎が喉元に突き刺さる。
勝ち筋が見えた──はずだった。
熊が咆哮した。
その咆哮はもはや音ではない、圧だった。空気が背中から押され、肺が空っぽになる。耳の奥で何かが破れる感覚。一番近かった俺と戸倉は平衡感覚を失い、行動不能だ。
身体の傷は再生するが、平衡感覚はどうしようもない。
指揮役である樫村を見抜いたのか、俺達は無視して後方に抜けられる。樫村の衝撃と三条の炎の魔法が突き刺さるが、熊は止まらない。
次の瞬間――
熊の爪が樫村の盾ごと胸を貫いた。
三条の炎の魔法にようやく怯んだクマが距離を取るが、樫村は倒れ伏して動かない。
「樫村さん!」
樫村の目が俺を見つめる。いつもの厳格な表情に、初めて見る恐怖と不安、そして僅かな安堵の色が混じっていた。
「……ここは……暗いな……」
その言葉と共に、彼の手から盾が滑り落ちた。
仲間の死に冷静さを失ったのか、戸倉が叫ぶ。
「来いやああああ!」
戸倉が吼えた。
限界を超えて膨れ上がった筋肉がきしみ、強化された血管が耳まで赤黒く浮かぶ。平衡感覚などとうに失われ、身体は揺れているのに、それでも前へ。狂気じみた執念が、巨体の熊へ一直線に突き進ませる。
大剣を振り下ろせば、刃は熊の肩口に食い込み、血飛沫が散った。だが傷は浅い。分厚い毛皮と筋肉が衝撃を吸収し、熊は怯むどころか憤怒の唸りをあげる。
「まだやッ!」
すぐさま横薙ぎに振るうが、熊が爪で迎撃する。火花が飛び散り、衝撃で大剣の柄が震える。それでも後退せず、三度目の突き。刃先は熊の脇腹を裂き、肉を削いだ。
「ぬうぅん!」
さらに踏み込み、四度目の振り下ろし。だが熊は巨体をひねって受け流し、牙を剥いて反撃する。戸倉は咄嗟に剣を盾代わりに突き出すが――
ガキィィン!
甲高い破砕音と共に、大剣が破壊される。鉄の破片が宙に舞い、光を反射して散る。
「ぐっ……!」
直後、熊の爪が横薙ぎに走った。折れた大剣では受けきれない。戸倉の身体は宙を舞い、地へ叩きつけられる。
「戸倉さん!」
地面に落ちた戸倉は、血を吐いたまま動かない。返事もなく、横たわる体から力が抜けていく。
樫村と戸倉の最後を見て、覚悟を決めたような顔をした三条が俺を見る。三条はこの時、初めて感情を帯びた瞳で俺を見つめた。
「……逃げろ。」
短い言葉の後、浮き上がった三条は熊に向かって急降下した。魔力を全開放し、自分ごと熊を爆発させた。
暴風と爆炎のせいで熊と三条の様子はわからない。
俺はそれでも動けずにいた。すでに平衡感覚は戻っていた。
爆炎が収まり土煙が晴れる。
依然としてクマはそこに健在だった。
前に出るしかなかった。
大剣を振り回し、刃が折れたら柄で殴打し、柄がすっぽ抜けると拳と蹴りでとにかく叩く。
それでも熊に決定打を与えられなかった。
全身を覆う黒い毛皮の奥から滲み出す魔力が、打撃を吸い込み押し返してくる。殴っても蹴っても、岩を相手しているような衝撃が逆にこちらの骨に響き、手足は痺れ、肺は焼けるように苦しかった。
それでも拳を振るうしかない。一瞬でも止まれば、またたく間に喰い千切られると分かっていたからだ。
そんな中、熊の肩が俺の胸を押し潰し、世界が真っ白になった。
意識が遠のく。だが、ほとんど無意識で発動している。再生の異能が体を治していく。
代償は膨大な魔力だった。
通常、異能は疲労感や倦怠感を与えてくるが、リソース無しで使用できる。だが、俺の再生は何故か魔力を消費し、空腹を与えてくる。その代わり、他の再生系の異能とは違い、瞬時に大部分の身体の再生が可能だった。
消費される魔力、空腹感から胃酸の分泌が過剰になる。
こんな絶体絶命な戦場で、胃が鳴った。思考が食欲に支配され、身体の制御ができない。
足元には肉塊が三つ。
熊がなにか攻撃してきているが、肉を掴みながら避け、齧る。鉄臭い甘さが舌に広がる。まだ食べる。当たっても再生のほうが間に合う。あまり気にせずヤバそうなやつだけ避ける。避けながら食べる。
魔力が戻ってくる。血の味と共に、体内の魔力濃度が上昇する感覚。
その瞬間──理解した。
俺のもう一つの異能「周囲を夜にする異能」。
夜にして周囲を感じ取るだけの異能ではない。ここから空の上へ道を架けられる。はるか空の彼方と繋がれる異能だと。
俺の異能が真上に向かって伸びる。今まで感じたことのない感触。遥か上空で、巨大な質量が引っ掛かる。
「……落ちろ」
星が落ちた。
⸻
天より轟音を伴って、降ってきた光が世界を塗り潰し、音が遅れて追いかけてくる。光が地面に着弾し、衝撃と熱波に吹き飛ばされるのを感じたのを最後に、意識が闇に落ちる。
⸻
目を覚ましたときには、天井の白い板が目に入った。
身体を起こそうとした瞬間、鈍い痛みに呻き声が漏れる。魔力がすっからかんだ。
「やっと起きたのね、星和ちゃん。」
ソファに足を組み腰かけていた姐さんが、安堵と呆れを混ぜた目で俺を見ていた。
「姐さん……ここは? ……どれくらい眠ってた?」
「医務室よ。三日間昏睡状態だったわ。アナタ、よく生きてたわね。現場はひどい有様だったんだから。」
姐さんは資料を手に取り、淡々と告げる。
「おおよそ、直径50メートル、深さ10メートルのクレーターができていたわ。隕石の影響か、仲間たちの遺体はほとんど残らず……残った部分もわずかだった。だけど熊の魔境主はさすがの耐久力ね、大部分が残っていたし魔石も発見されたわ。」
「……熊は、やっぱり。」
「魔石の魔力量からして、上級の魔境主だったそうよ。出現密度は低く、初級しかいないっていう調査班の報告だったから……誰も予想できなかったのよ。」
俺は奥歯を噛み締める。気楽に足を踏み入れたせいで仲間を失い、上級相手に生き残ったのは俺一人。
姐さんは俺の顔をしばらく見つめてから、肩を竦めた。
「……支部長が呼んでるわ。事情聴取だって。」
⸻
支部長室に入ると、恰幅のいい壮年の男が机の向こうから睨んでいた。
「よく戻った、星和。」
「……はい。」
「仲間三名戦死、魔境主討滅。そして――“星を落とした”と聞いた。事実か?」
その視線に、嘘を吐ける余地はない。
「……はい。あの時、確かに空から質量を引きずり落としました。」
沈黙の後、支部長は低く息を吐いた。
「もし本当なら規格外の力だ。だが確認が要る。攻撃範囲、威力、制御の可否……。調査班を同行させ、アビスに潜ってもらう。実戦で証明しろ。確認でき次第、E級からC級に昇格だ。」
「……段階飛ばし、ですか。」
「例外ではない。前例もある。力が規格外なら、それに応じた等級に置くしかない。」
支部長はそこで、ふっと目を細めた。
「……お前の顔を見るたび、康弘を思い出す。」
父の名に、思わず顔を上げる。
「……父を?」
「あぁ。アイツも無茶ばかりしていた。何も情報がないアビスが一番危険だと言って、調査班に所属して誰よりも仕事をした。だが、不思議と生き残る。確かに強かったぞ。……そして仲間を背負って散った。」
支部長の声には哀惜が混じっていた。
「お前には、あの愚を繰り返してほしくない。」
静かな言葉の後、机を軽く叩く。
「星和。もし生き残る気があるなら、後で俺のもとに来い。異能や力任せじゃなく、武器を失っても魔物を仕留める“技”を教えてやる。康弘にも少しは伝えたものだ。」
「……支部長が?」
「俺は元々、前線に立っていた身だ。まだ錆びついちゃいねぇよ。」
そう言って立ち上がると、支部長は背を向けた。
「アビスで証明して来い。それが済んだら稽古をつけてやる。」
その言葉は叱責でも命令でもなく、素直に聞き入れることが出来るものだった。
俺は胸の奥で燃えるようなものを感じ、深く頭を垂れた。
――数日後、俺は無事にC級へと昇格することになり、『星屑』というコードネームを貰う。……星和→ほしかず→ほしくず→星屑らしい。
⸻
極秘報告書
今回の魔境主は獣型熊の魔物で、特筆すべき異能は確認されなかったものの、極めて高い耐久性と攻撃力を有していた。
発生当初、調査班は内部の魔物を「初級並み」と誤認。上級魔境主が潜んでいたことは想定外であった。
現場調査の結果、隕石落下により直径50メートル・深さ10メートルのクレーターが形成されていた。魔境主の死体と魔石は大部分が残存し、魔力量から上級相当であることが確認された。
ただし、他の隊員の遺体はほとんど残存せず、少量の肉片のみが採取された。
観測記録からは、一野星和がその肉片を摂取した可能性が示唆される。
本件は極秘裏に記録され、当人には開示しない。再度同様の状況下で仲間を食す可能性を否定できず、当面は監視対象とする。
隕石攻撃の真偽を確認後、脅威と戦力を勘案し、段階飛ばしでのC級昇格を提案。




