レンコンの理由
出張任務は続いていたが、つかの間の休日を与えられた俺は、アレクトに呼び出された。
なんでも、彼女の家族も一度俺に会ってみたいと言っているらしい。
『戦場より人の家の食卓のほうが怖いな』そんなことを考えながら、指定された住所へ向かう。郊外の静かな街並み、角を曲がるたびに庭木の匂いが変わる。目当ての家は、木枠の窓と深い庇が印象的な一軒家だった。門柱には、古いエルフ文字の意匠。金属細工の葉が小さく風に鳴る。
インターホンを押すと、ガチャリと軽やかな音で扉が開いた。
「おう! 君が星和くんだな!」
第一声がでかい。背の高い男が、笑顔のまま距離を詰めてくる。髪は短く刈り上げ、袖口から覗く前腕は無駄なく締まっている。現場慣れした体つきだ。
「俺は倉田保。海外だとタ・モ・ツが発音しにくいみたいでな、トマトに化けちまった。トマトって呼ばれてる。好きに呼んでくれ。いきなり完熟でもいいぞ!」
「あ、その…完熟は、ハードルが高いっすね。はじめまして、一野星和です。」
差し出された手を握る。握力がそのまま人柄で、骨の隙間まで陽気が染み込んでくる感じだ。思わず笑ってしまう。
「タモツ。玄関で客を潰さない。家はピラミッドじゃない。」
落ち着いた声。奥から現れたのは、長身のエルフの女性だった。髪はアレクトと同じ銀色、編み上げた束が肩で揺れる。翡翠色の瞳は芯が通っていて、言葉に頼る前に視線で礼を尽くすような、そんな人だ。尖った耳の飾りは銀細工の葉。控えめだが、目が吸い寄せられる端正さがある。
「はじめまして。ガイアナ・倉田。今日はようこそ。気を張らないで。」
「お邪魔します。今日は…ありがとうございます」
靴を揃えて上がると、木の匂いが濃い。床は蜜蝋で磨かれ、足裏がすべるほど滑らかだ。壁には小さな糸杉のリース、廊下には薄い絨毯。
どこか森の空気が連れ込まれている。
通されたリビング・ダイニングは広く、窓からの光が白いテーブルクロスをやわらかく照らしていた。
テーブルの上には、すでに皿が並ぶ。和の出汁で炊かれた根菜の煮物、ハーブを効かせた鳥のロースト、山菜のマリネ、薄い生地を鉄板で焼いた円い薄餅、刻んだ木の実のディップ、柑橘のサラダ、味噌のスープ。
和洋というより「和・森・旅の記憶」みたいな取り合わせだ。いい匂いに、胃袋が正直に鳴る。
「ささ、座って座って。アレクト、飲み物をお願い」
「うん。星和はお茶でいい?」
「助かるよ。今日は肝臓を休ませたい。」
「いつ休ませてるのよ。あなた、基本的に肉と酒で動いてるじゃない。」
「わかってるじゃないか、俺のエンジンは脂が燃料で酒がオイルだ!」
「ほら、やっぱり。」
そんな軽口を交わしているうち、食卓が始まった。タモツ……トマトさんは冒頭から快調だ。海外の素材市で聞いた珍妙な相場の話、極寒の鉱山で足先の感覚が無くなった話、いちいち顔芸が付くのが卑怯で、笑いを堪えるのが難しい。
「でさ、エルフの国の出張でやらかしたのが……」
「タモツ」
ガイアナの一言で、トマトさんの口がぴた、と止まる。そのやらかしエピソードは、家族内で封印されているらしい。俺は慌ててフォローを入れる。
「出張、あちこち行かれるんですね」
「そうそう、素材調達が主戦場でな。金属、樹脂、魔導触媒、希少鉱、なんでも探す。目利きと足が勝負だ。……で、君のガントレット、あれ、アダマンタイトとミスリル合金に見えるんだが。」
「えっ、わかるんですか。」
「遠目でも、磨きと”鳴り”が違う。さらにエーテル鋼も含まれてるな。交換式か?」
「父さん、仕事の顔になってるわよ。ご飯の顔に戻して。」
アレクトにたしなめられ、トマトさんはゴホンと咳払い。
「ああ、すまん。食ってからだな」
と箸で薄餅を取る。
ガイアナは取り分けの手際が美しい。箸さばきに異国の影がなく、けれど皿の置き方に『外交』の気配が残る。距離の取り方、角度、視線の合わせ方……どれも自然で、丁寧だ。
「星和、これ、私の国の家庭料理。『森の皿』。畑・山・川、全部のものを少しずつ。おなかが驚かないように、味の順番も考える。」
薄餅に山菜と木の実のディップ、ハーブ鶏を少し、煮物の里芋を半分。
口に入れる。香りが層になって広がり、出汁が最後に舌の縁をまとめる。うまい。思わずうなった。
「これは…ガイアナさん、反則ですよ。戦場仕様の胃袋が、一瞬で降参しそうです。」
「それ、何よりの褒め言葉。うまくいけば、世界も懐柔できる。」
ガイアナが冗談めかして言い、目だけで笑う。トマトさんは豪快に頷いた。
「俺たちは、食卓から仲よくなったんだ。食える場所が安全地帯。仕事も家族も、まずは同じ皿を囲むことから」
「……そうですね。今日から俺も…この家の『皿の守り手』にしてもらえるでしょうか」
「採用!」
トマトさんの親指が立つ。アレクトが肩をすくめる。
「決裁が軽いのよ、うちの家長は。」
笑いながらも、会話はさりげなく互いの素性をなぞっていく。俺がシーカー二年目であること、アレクトとコンビを組んでから出撃ペースがさらに上がっていること、魔法資源大国である日本は素材調達の現場が常に慌ただしいこと。トマトさんの聞き方は自然で、掘られている感覚がない。たぶん交渉のプロは、雑談の皮を被った情報戦をいつもしている。
「君は肉の焼き加減に、うるさいタイプに見える」
「あ、はい。いつも焼き担当です。肉は裏切らないんです。魔境の主は裏切りますけど。」
「いいねぇ。材と人は裏切るが、目利きは裏切らない。似た仕事だな。」
皿が空になるたび、家の空気が柔らかくなっていく。食卓が終了する頃には、俺の肩の力はすっかり抜けていた。
「今日は本当にありがとうございました。すごく美味しかったです」
「こちらこそ来てくれてありがとう。アレクトの相棒は、私たちの客じゃなくて仲間。帰る場所が増えるのは、良いこと。」
ガイアナの言葉は静かだが、重さがある。トマトさんも、どこか誇らしげに頷いた。
「また食いに来い。次は俺の出張土産でテーブルを埋めてやる」
「父さん、土産のセレクトは私がチェックするからね。魔物の卵と間違えてバロット買ってきたでしょ!」
「もう二度と間違えないって! あれは俺だって予想外だったんだ!」
笑いに見送られ、俺とアレクトは玄関を出る。夕暮れが夜に溶ける境目、街路樹の影が伸びている。門を出て少し歩くと、アレクトが横に並んだまま、ふっと息を吐いた。
「……どうだった? うち、うるさかったでしょ。」
「うるさいけど、いい家だ。飯がうまい。あと、トマトさんがよく喋る。」
「父さんは口から先に生まれてきた人ね。……ありがとう。来てくれて」
「こちらこそ。家族の絆が強くてぶれない感じがして…ああいうの、好きだ。」
言葉がしばらく途切れる。
少し冷たい夜風が額を撫で、どこかの家の夕餉の匂いが遅れて漂ってくる。アレクトが立ち止まった。街灯の白い輪の中で、彼女の横顔がきりりと引き締まる。
「ねえ、前に言ってたでしょ、星和。あなたが”最初は復讐で動いてた”って」
「……ああ。」
「わたしも同じ。ずっと言えなかったけど、言うべきだと思った。今日あなたが、家族みたいに笑って食べてくれたから。」
彼女はゆっくりと、言葉を選ぶように続ける。
「弟がいたの。カリス。年子だったわ。おとなしくて、でも銃が好きで……軍に入りたいって、よく言ってたわ。五年前に父と一緒に放牧に出て、野良の魔物に襲われて、二人とも帰ってこなかったの。」
喉の奥で音がひとつ転がった。
俺は口を挟まず、彼女の声だけを聞く。
「後で見つかった彼のリボルバーは、弾が全部空だった。撃ち切るまで、戦ったんだと思う。父は、昔は弓の得意な明るい人だったのに、年を取るにつれて『今の時代は銃』って自分を卑下するようになったわ……。でもその日は二人で、ただ家畜と命を守ろうとしたんだと思うわ。」
言葉は淡々としているのに、アレクトの指先が小さく震えた。
街灯の輪の縁で、その揺れだけがはっきり見えた。
「だから、わたしは戦うって決めたの。弟の仇をとろう、って。それが、わたしの推進力で呪いだった。」
夜が一枚、濃くなる。遠くで電車が踏切を渡る音。
俺は息を吸って、吐く。言葉を短く俺のやり方で。
「……なら、復讐は”ついで”にしようぜ。」
「は? 何それ……」
アレクトが素っ頓狂な声を出して俺を見る。驚きで揺れた青の瞳に、街灯がひとかけら落ちる。
「復讐は”ついで”。まずは今を生きるんだ。喰う。笑う。それでも余ったら、ぶん殴ろう。順番の問題だ。」
一拍。二拍。アレクトの眉間の皺が、すこしずつほどけていく。
「……ほんと、バカよね。そんなふうに言える人、はじめて見たわ。」
「おう、バカが取り柄だ。肉を食うとだいたいの問題は解決の方向へ進む。解決しない問題は、肉を食ってから殴れ!」
「理屈が滅茶苦茶よ。」
言いながら彼女は笑った。笑って、そして小さく涙ぐんだ。
笑いと涙の中間みたいな顔だ。俺は視線をそらし、夜空を見上げる。腹が鳴らないか、少し心配になる。緊張すると腹は勝手に仕事をするから困る。
「……最近はバカみたいなあんたといれば、楽しく生きてもいいのかもって思えてきたわ。」
その言葉は小さいのに、まっすぐ胸骨に刺さった。俺は軽く拳を握って掲げる。
「よし、決まりだ。復讐は”ついで”。まずは生きて、喰って、笑って……それでも余力があったら、一緒にぶん殴ろうぜ。」
「……ふふ、バカみたい。でも……うん。あんたらしくていいわ。約束よ。」
アレクトが俺の拳に、自分の拳を軽くコツンと当てる。拳と拳の間で、なにかが確かに組み替わった気がした。
今までもバディだとは思ってたが、やっと「相棒」になった。そんな手応え。
「ところで、さっきの薄餅、もう一枚食べたかったな。」
「もう!こんな話の後でその感想?……明日、材料買ってきて作ってあげるわよ。」
「よっしゃ。じゃあ俺は肉を用意するか。脂エンジンは補充が肝心だ。」
「燃費の悪いエンジンね。一度、オーバーホールしたら?」
夜風が少し冷えはじめる。並んで歩く歩幅が、さっきより合っている。街角の自販機の灯りまで来たところで、アレクトがふいに立ち止まり、ポケットから小さな布袋を取り出した。
「これ、母さんが渡してって。森の守りの葉。迷子にならないようにって。」
袋の口から銀の葉のお守りが覗いた。
俺は受け取り掌に馴染ませる。ひやりとして、すぐに体温であたたかくなる。
「ありがとう。迷子になっても、肉の匂いを追えば帰れる自信はあるけど、保険は大事だ。」
「やっぱり肉なのね。」
笑い合って、歩き出す。
“楽しく今を生きる”ために。そして余ったら、ちゃんとぶん殴るために。




