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騙された歌姫が、侯爵の妻にスカウトされるまで

作者: ru

初投稿から、ちょうど一年たちました。一周年記念です。わーい!


「無礼だぞ! お前なんかと、結婚の約束なんてするわけがないじゃないか!!」


 突然、パーティー会場に響く場違いな叫び声。

 ヒステリックな男の声に、その場が一瞬、しんと静まり返った。


「何かしら」

「喧嘩? こんなところで、どなた?」


 ざわざわとヒソヒソと囁きが、風が吹き始めた湖面のさざなみのように広がっていく。

 ビビアンはその渦中にいながら、その様子を他人事のように感じていた。まったく馬鹿馬鹿しい。しかし、そう思いながらも、やっと喉から振り絞った声は震えていた。


「……僕だけの天使、君は僕以外を見るな、すべて面倒を見る、結婚しよう、何も心配するな……と、毎夜毎夜、店に来て、そうおっしゃったのは誰?」

「は、何を言っているんだ、そんなこと僕が言うはずないだろう、この()()()()が。少し歌を褒めてやったくらいで何を考えているんだ」


 ビビアンは歌手だ。少女のころから天使の歌声と言われていた。幼い頃から所属していた聖歌隊は楽しかったが、数年前にこの男から、自分が面倒を見るから王都で一旗揚げてみないかと誘われたのだ。

 しかし王都に出てはきたものの、仕事はなかなか来ない。最初は知り合いの貴族のパーティーなどの仕事を取ってきたこの男も、だんだん飽きてきたようで何もしなくなった。


 ビビアンは自分でレストランの仕事を取り付けた。すると男は、毎夜毎夜通ってくるようになった。それは良いのだが、ただの酔客として口説くようになった。


 ビビアンにもプライドがある。歌ではなく、身体を売るのは娼婦だ。そうはなりたくない。しかし、このままでは生活も立ち行かない。本当に結婚するというのなら、それもありかと思ったのだ。そしてその本心を探ろうと、他の客の伝手をたどって、貴族のパーティーにもぐりこんだ。


 一曲披露させてもらったとき、こっそりと柱の陰に隠れたこの男は、……妻らしき女を連れていた。



 バシィッ!!


 ビビアンは扇子を男に叩きつけた。


「な、なんだ」

「……」


 悔しい。なぜこんなのに騙されたのだろう。

 きっと、私はこんな所では終わらないはずだと思っていたことを見透かされた。その気持ちを利用されたのだ。

 王都に来てから、こいつが何をした? 食事は奢ってくれた。寝床も用意してくれた。でも、それを受け取るたびに、嫌らしい目で私を見て、「そのうち結婚するのだからよいだろう?」とか言って手を引くのだ。

「そのうち結婚するなら、結婚してからね」と、なんとか最後の一線はかわしていたけれど、するりと肩を撫でる気味の悪い感触は忘れられそうにない。


 物凄く、物凄く悔しくて、目の前は真っ白だった。

 しかし、ここで暴れたら、本当に仕事が来なくなる。


 そう思えるくらいには、冷静だった。





「アーヴィング商会?」

「ビビアンを専属で契約したいんだってさ。住み込みで、店頭にも立ちつつ歌ってほしいんだって。ちょうど来てるよ、話を聞いておいで」


 レストランのオーナーから、新しい仕事の話をされたのは数日後だった。

 男が用意していた家を追い出され、レストランの客にも悪い噂を流されて、オーナーからはしばらく休んでくれと言われて困っていた。

 店頭に立ちつつ、という事は歌以外の事がメインだろう。しかし、生きていくことを考えると断ることはできない。

 考えようによってはチャンスだ、と、ビビアンは自分に言い聞かせる。アーヴィング商会といえば、ここ数年で頭角を現してきた商会だ。魔鉱石の新たな利用方法を発明したとかで、爵位までもらったと聞いた。平民でもそう言うことあるんだと、感心したのだ。

 たしか、グランヴェル侯爵ががっちり後ろについているんだとか。そういえば、先日のパーティーもグランヴェル侯爵主催のものだった。

 グランヴェル侯爵といえば、目端が効くと有名だ。アーヴィング商会も街の小さな工房だったのを、グランヴェル侯爵が見出して支援したことが始まりだったと聞いたことがある。


 大きな、華やかな仕事には貴族との繋がりは重要だ。あの男も貴族の端くれだった。だからもう華やかな道は閉ざされたと思っていたのだが、成り上がりの商会の専属は、もしかするとチャンスかもしれない。


「初めまして、僕のことはエディと呼んでくれ。昨日、パーティーで一曲歌っただろ? たまたま僕もいてね。アーヴィング商会は先進的なイメージで行きたいと思っているんだ。君の強い歌声、眼差し、ぴったりだと思ってね」


 エディと名乗る男は、そう言って、熱っぽく、どのように商会でビビアンをプロデュースしていくつもりかを語った。


「絶対に、僕が君を有名にしてみせる。契約は半年、その後の更新は約束できないが、僕としてはずっと契約したいと思っている」


 そう言われてもあんな事があった後だ、信じられない。


「あのパーティーではちょっとした事件があったの、ご存知ない?」

「ああ、あの男ならあの後叩き出されていたよ。グランヴェルのパーティーで、あんな、野暮な事をするなんてね。しかし僕としては助かった。天使があんなのに囲われるなんていう悲劇を目の当たりにしなくて済んだのだから」


 肩をすくめてみせるエディの、その気障ったらしい言い方につい吹き出す。

 エディは、ビビアンが何で笑ってるのかわからないようで、キョトンとした顔をした。


 せめて契約書を交わしたいと言ったら、快く応じてくれた。これでもし何かあっても半年は生きていける。


 彼は、商会の一員にしてはいい服を着ていた。さすがアーヴィング商会だわ、とビビアンは冷静に観察する。話をよく聞くと、全面的に活動を支援するから、アーヴィング商会の商品を身につけて仕事をして欲しいと言う事だった。

 お気に入りの芸術家を支援するのは貴族のステイタスだ。あの男も、最初はそんな事を言っていた。


(また騙されるかもしれないわね)


 エディが熱くなればなるほど、ビビアンは冷める。でも、この話に乗らなければ……明日の寝床の保証もないのだ。自分の実力だけで生きていけるほど、この商売は甘くない。





 そして半年、ビビアンはアーヴィング商会の広告塔のような仕事をした。

 アーヴィング商会の先進的で優れた技術をアピールするように、歯車やバネがデザインされた帽子やドレスを身につけて、店頭でも街角でも、時には貴族のパーティーでも、ビビアンは自慢の歌声を披露した。

 変わった装いは、ビビアンの濃い金の、鋼のような色の髪によく似合って、貴族にも市民にも大流行した。その絵姿はチラシとしてあちらこちらに掲示されて、ビビアンはアーヴィング商会所属の歌姫として確固たる地位を築いた。


「ああ、今日も歌ったわ!!」


 琥珀色の酒は、半年前には匂いを嗅ぐ事すらできなかった高級品だ。

 それを貴重な氷を入れたグラスになみなみと注いで、ビビアンはエディと乾杯する。


「今日も君の歌声は素晴らしかった。自由でのびやかで、これからの時代を象徴するような……新しい声だ」

「ふふふ、でも、私の力ではないわ。だってあなたに会う前は、鳴かず飛ばずだったんですもの」

「まったく、見る目がない奴らばかりだ」


 もうすっかり、エディと一緒にいるのは慣れっこになってしまった。エディはイベントの企画や采配を一手に引き受けてくれた。

 貴族の繋がりも強いらしく、パーティーがあれば引っ張りだこだった。中にはパトロンの申し出も受けたが、今は専属契約中だからと断った。そうするとエディは「よかったのかい?」と言いながら、ホッとしたような目をするのだ。それが少し嬉しい。


 酒が回るのに任せて、固い装飾品をポイポイと脱ぎ捨てる。エディは慌てて目をそらした。


「ビビアン、慎みを……」

「いいじゃない。今日のお仕事は終わり。明日まではすこし、ただのビビアンに戻らせて」


 アーヴィング商会のイメージで、ビビアンは皮のコルセットにベスト、固いロングブーツなどを常に身につけていた。それを脱いで、柔らかいワンピースに戻る。やっと解放されたような気になって、ググっと背筋を伸ばした。


「あー、歌いたいわ」

「ええ? 今日の仕事はもう終わりなんだろう?」

「仕事でなくて、ただ、歌うだけよ」


 そうしてご機嫌な気分のまま、思い立ったメロディーを思い立ったリズムで、めちゃくちゃな言葉で歌いだした。

 エディは仕方ないなあというような顔で、グラスを傾けながら、リズムを取りはじめた。それが妙に気障ったらしくて、様になっている。


「あなたも一緒に」


 ビビアンは誘ってみたが、エディはちょっと肩をすくめてそれを断る。それに少しむっとして、べえっと舌を出して見せた。


「ああ、そんな顔して。まって、楽器なら少しできる」


 エディは少し笑って、バイオリンを持ち出した。


「バイオリン?」

「これだけは、やらされたからね。しばらく触ってなかったから、大目に見て」


 酔っているからか、久しぶりだからか、エディのバイオリンはそんなに上手くはなかった。

 でも、思いつくままのリズムでも息があって、こんなに楽しいのは久しぶりだった。


「……?」


 楽しい中に、響く音に違和感を覚えた。エディの弾き方は、芸人の派手な動きではなく格調高い弾き方というか、まるで、貴族の習い事の発表会のようだった。

 でも、ビビアンに合わせて、一生懸命めちゃくちゃなリズムに合わせて体を動かす様子は、なんだか可愛らしい。そんな違和感はすぐにどうでもよくなった。




「君の歌声は、世界に通用する。こんな街の片隅だけの名声ではもったいない。こんなに深い愛を表現できる歌手はなかなかいない」


 王都にやってきた、知らぬ者はいない旅芸人の一座。パーティーで共演してから、熱心に口説かれた。半年前、やけになって、好きでもない男の求婚(それも嘘だったのだが)に心が動いていた自分に教えてやりたい。

 今までも、ビビアンの声はよく褒められていたのだが、ここ最近は明るい、柔らかい、優しいなどと言われるようになった。ビビアンを口説きに来た座長は、それを「愛」と言った。


「深い愛」。心当たりはある。ビビアンはこの頃いつも、エディのために歌っているのだ。


 だからもちろん、誘いは断る。エディのために歌える今が、一番幸せだから。




「断ったんだって?」

「ええ。アーヴィング商会、更新してくれるでしょう?」

「……いいのか?」


 あなたと一緒にいたいから、と伝える勇気はまだなかった。半年経っても、ビビアンはエディは「エディ」としか知らない。……もしまた、妻らしき女でもいたら、また離れなければならない。ならば、仕事仲間で十分だ。


「ずっと、あなたがお仕事をくれればいいけど」


 ビビアンは何でもない風を装って、エディに言った。ずっと、あなたの役に立ちたいのよ、と、心の中で呟きながら。

 ふと、エディは真剣な顔をした。ビビアンの真意を読み取ろうとするような、そんな顔だった。


「あなた、商会でも結構稼いでるんでしょ? パトロンになるのはどう? そうしたらこれからも最優先でお仕事するわ」


 ビビアンは真剣なエディから逃げるように、冗談めかしてそう言った。真面目になって、正面からその話をしたら……エディがもし、私を愛していないとわかったら、もう歌えないだろうと思った。


「……パロトンには、なれないな」


 そう言ったエディの声は真剣で、ビビアンの心がすっと冷えた。


 ……ああ、私は変な事を言ってしまったんだ。そんなことを言う私にエディは幻滅したのだ


何とかほほ笑んだ顔は保てていると思う。しかし、どうしても視線が下がる。


「でも、もう一つ、仕事を頼みたい」

「え?」


 難しい顔をしながらエディはそう言った。なんだろう、難しい仕事なのだろうか。


「……メインは歌ではないんだけど。君ならやれると思うんだ」






 そしてビビアンは、やたらと豪華なドレスを着せられて、やたらと豪華な馬車に乗せられて、やたらと豪華な屋敷に連れてこられた。

 何度かきた事がある、グランヴェル侯爵の屋敷だった。だが、パーティーではないようだ。いつも来る時とは違い、他の馬車もない。


 エディは珍しく本人も着飾り、何か考え込んでいる。それでも堂々とビビアンをエスコートする仕草は妙にサマになっている。



 そして、玄関まで出迎えに出てきた執事らしき男はエディに頭を下げてこういった。


「お帰りなさいませ、アドリアン様」


 アドリアン?


「……? どういう事? あなた、アーヴィング商会の人じゃないの?」

「……」


 エディは無言だ。どう説明しようか迷っているように見える。

 玄関ホールを抜けた先のサロンに通され、そこでエディはついに口を開いた。


「……この仕事は、一生ものだ。受けてくれたらもう一生、安泰だと思ってもらっていい」


 このサロンには初めて入った。暖炉の上には家族の肖像画がある。そこに描かれた一人に、着飾ったエディはよく似ていた。


「歌の仕事ではないけれど、歌は自由に歌っていいし、何ならそのために毎夜パーティーを開いてもいい。全力で集客して、僕が満席にする」

「? それは、パトロンという事じゃない?」


 一生面倒を見てくれて、この屋敷で歌を歌う。そういうことだろうか? それはパトロンと何が違うのだろう?


「……僕は、生まれた時から、この家の長男の役をやっている。父は金儲けが好きだから、父が連れてきた女と結婚するものだろうと当然思っていた。でも……君と出会って、歌を聴いて、……ガツンとやられたんだ。あのパーティーで、強さと自由さと、その中にある可愛さに」


 しどろもどろに、回りくどく、言い訳がましくエディは言う。


「なんとか、一緒にいたいと思って、アーヴィング商会に頼んで君に仕事を依頼した。……まあ、結果、上手く行ったから商会からは感謝されてるけど」

「まって、私はただの歌手よ、そんなこと言っても」


 ビビアンは慌ててその話をかき消す。エディの目は熱っぽく、こちらまでどきどきしてしまう。しかし、だめだ。ビビアンはただの歌手で、商会のエディならまだしも、貴族と恋仲になれるような立場ではない。

 エディは一つため息をついて、意を決したようにビビアンを見た。


「父は、儲かりそうな事が好きなんだ。だから……君に名声があって、商品価値が高ければ、いける」


 ビビアンはぽかんとしてエディを見た。何なのか、まだよく飲み込めないのだが。


「僕は、アドリアン・グランヴェルという。この侯爵家の嫡子だ。まっすぐに愛を囁けなくて情けないが、君を有名にしたのはそう言う事情だった。……どうだろう、僕の……アドリアンの妻、という仕事を受けてもらえないだろうか」


 しばしの沈黙。ビビアンは、今言われたことを落ち着いて咀嚼した。

 ……どうやら、結婚してほしいと、言われているように聞こえる。しかも、エディは実は、貴族らしい。それで、妻が必要で、ビビアンがその対象になるように頑張った、と。


 ……? でも、仕事を受けてほしいって。仕事?


 妻って、仕事?


 しかしたしかに考えてみれば、以前も生活のために結婚するのも仕方がないと思ったのだ。ならばエディも、仕事として妻が必要だから、ってこともあるのではないだろうか。


 しかし、エディの目を見たらそんな疑問は吹き飛んでしまった。


 エディの目は、たしかに「深い愛」があるように見えた。ビビアンの答えを待つ目は、期待と不安で揺れている。それは確かによく知ったエディだった。頑張ったエディで、妻を求めるアドリアン・グランヴェルだった。


 その愛が気のせいでも……まあいいか。私は、彼が……エディが好きなのだ。


 エディが何であれ、別に良い。

 妻らしき女もいなくて、堂々と隣にいられる仕事を、断る理由はない。


「受けるわ」


 きっぱりと告げると、エディの目が見る見るうちに明るくなる。それを見てビビアンも嬉しくなった。


「でも、一つ条件があるのだけど」

「なに?」

「たまに、お酒を飲みながら、エディのバイオリンで歌いたいわ。アドリアンの妻の仕事は受けるけれど、エディの妻は仕事では嫌だわ」


 エディは驚いたように瞬きすると、とろけるような笑顔を向けた。


「毎晩でも、望むままに。……バイオリン、エディが、君のために練習するよ」


 ビビアンはほほ笑んだ。


 別に下手なままでもいいのだけど。



2024年7月13日に、初めて短編(と言っても三万字くらいあるんですが)を、投稿しました。それに出てきた、アドリアンとビビアンの物語を記念に書いてみました。


沢山の方に読んでいただけて、すっかりはまってしまいました。


一年でたくさん文字を書きました。二作長編を完結させて、今また連載しております。小説の創作は、心のよりどころになっております。


ちょっと面白かったな、と、思っていただけたら、評価していただけると嬉しいです。



アドリアンがちょこちょこ出てくるのはこちら

https://ncode.syosetu.com/n9260jg/


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