選べない男
「ねえ、どっち選ぶの?!」
妻は叫んだ。普通に、眉間にしわを寄せて、ぎゅっと三角目をしているー。口元は相変わらず、への字に曲げて腕組み。二の腕のぷよっとした太さが薄手のスリーブにぴたっと張り付く様は、これもまた、世間の妻たちと一緒かもしれない。
いつから、彼女はこうなってしまったんだろう。結婚する前、何度もデートを重ねたが、こんな形相で怒鳴り散らされたことは一度もない。
妻は、結婚するため”だけ”に我慢していた女だったのかー。いや、違う。幸せなんてとっくに捨ててるような、少し冷めた見方をする女だった。普通に、特に幸せでもなく、ただ、家庭という場で、自分が暮らしていければそれでいい”と、妻は思っていたんだ、と思う。だから、安心して結婚したのかもしれない。私自身が頑張りすぎる必要がないのだから。
妻は最初から、両親との同居を望んだ。そのほうが経済的だからだ。父親は空気のような存在だったし、母親もそこまでワルイ人ではない、と判断したのだろう。しかし、実際はあつれきが生じた。一家に一ヶ所の台所での、自由にできない小さなイライラ、休日に出かけるたびに「どこに行くの?」「どうだった?」に応える面倒、機嫌をそのまま嫌味に変える母親の態度など、挙げればきりがない。
結婚は他人どうしの契約だ。愛なんてすぐに陳腐なものに変わる。努力しないと結婚生活は続かない。思っているだけでは足りなく、言葉にしたり行動で示したりしないと、いとも簡単に崩壊する。これが、普通の結婚だ。
「ねえ、聞いてるの?!」
再び、妻は叫ぶ。いや、聞いてない、と答えるのをグッとこらえた。そういったら、これまでと同じことの繰り返しだ。
何を選ぶかって、妻か母親か、という話だ。私は悪くない、と思っているが、妻は悪いのは夫だと決めつけている。実際は、どうだろう。同居を選んだのは妻だし、私には「こうなる」ことが分かっていた。しかし、今更それをいっても無駄。喧嘩の種をまくようなものだ。
そうなんだ、両親との別居を決断できない自分がここにいる。結婚して6年経つが、自分のなかでは母親が常に存在していた。それをマザコンというそうだ。しょうがない。だって自分を生み、育てた人なんだから。
しかし、世間の妻たちは「姑」ーいかにも憎しみのこもったネーミングなのだがー、その姑に戦いを挑んだり、姑の言葉にひどく傷ついたりしながら、自分のなかで収めきれずに、夫に愚痴を言い、当たり続ける。
結婚生活において、夫は妻の奴隷となり、妻もまた夫の奴隷となる。軽重があるだろうが、一緒に暮らすとはそういうことだ。我慢してその場をやり過ごし、言うのも我慢して、職場に向かう。家庭が癒しの場というのは嘘だ。職場がヒーリングプレイスとなり、職場の女と情事に走ることもある。そこでのみ、自分の居場所があるかのような錯覚にとらわれ、沼にはまって這い上がろうにも這い上がれない状況を創り出してしまう。
身近に、家庭を修羅場にしてしまった先輩たちを見てきた。彼らは、もちろん表立って、つき合っていたわけじゃない。でも、周囲はなんとなく「つき合っている」ことを知っていた。それは、実際は同じ経験をしていないが、気持ちはわかるといった、同士として、だ。
内心、私たちは「倫理にあらず」と言語化された世界に、ちょっとした憧れを抱く。そうせざるを得ない背景を理解しようとすることもある。
もちろん、世間では「いい奥さん、あるいは旦那さんがいるのに、裏切り者」「自分の欲望を満たすだけの、体たらくな人間」といった評価が下されるが、それがすべてではない。厳しい評価をする人、行為に嫌悪感を抱く人ほど、実は求めているかもしれない。他人は自分の映し鏡なのだ。
「ねえ、どっちなの?!」
妻は再び、聞く。なかなか引かない。妻はとにかく、この同居状態から脱したいだけなんだ。とりあえず家を出て、自分たち夫婦だけの生活になることに憧れを抱いている。彼女は多分、「倫理にあらず」行為には及ばないだろう。それはこの自分も同じだ。
憧れても実際に行動に移せるかどうかは、その人の勇気というより思いや執着の強さだ。男女関係ならまさに、引き寄せられる磁石のようなエネルギーが働くのだろう。相手がいる分、その波動はタイミングや相性なんかが働くのかもしれない。それでも、僕らには「倫理にあらぬ行為」は訪れない。僕らに訪れるのは、その前の破綻だ。
妻と母のどちらかを選ぶとすれば、なんて考えたことがなかった。どちらも大事と、思うのは間違いだろうか。もし、母と妻の両方が海や川に落ちて助けなければならないとき、どちらを先に助けるかといえば、母親かもしれない。妻は若いから自力でなんとか岸に上がれるだろう、といった希望的観測がある。私たちにはいないが、わが子だったら、母親や妻よりも、子どもを一番に助けるだろう。
この話を妻にしたところで、どうだろう。寂しい気持ちになるだろうか。でも、これはどっちが好きでどっちが嫌いとかいう問題ではない。好きの種類が違う。「選べない」が私にとっての正解なのだ。
考え事は、僕のなかで走馬灯のように流れる。確かな感覚ではないが、ゆるくも切れない思考が続く。きっと、妻はあきれているだろう。ため息もでて、涙も少し流しているかもしれない。それでも、僕は今の状況で答えるのは、難しいのだ。
「お母さんと一緒に暮らしたければどうぞ、私はとにかく、出るから。」
妻は、ふうっとわざと大きなため息をして、背中を向けた。夕飯の洗い物をするにも、いちいちガチャンと音を鳴らす。割れないように手加減しつつも、その音は眉間にしわを寄せる程度にキツイものだ。
「男は皆、マザコンだからね。」
わざわざ聞こえるようにいう妻。結婚前の、あの笑顔はもう思い出せない。マザコンじゃなくて、ただ、母親も大事だってことなんだけど、妻は皆、すべて、自分の味方になってくれ、というのだろうか。
「選べないんだよ…。」
やっと言えた。妻はその言葉を聞いて、洗い物の手を止めた。
「よくもまあ…優柔不断なんだから、もう、やっぱりね。」
泣きべそをかいているようにも見える。でも、妻は怒っていなかった。母親だと答えなかったのが良かったのかもしれない。実際、妻は私が「母親」と答える可能性を覚悟していたのだろうか。食器を重ねる音もさせずに黙々と水で流し続ける。
しばらく、彼女は考えていた。自分の気持ちを整理するかのように。多分、今までのことも今後のことも、すべて急ぎ足で駆け巡らせていたのだろう。
「しょうがないね、男は皆、マザコンだから。結局、私がつなぐしかないんだから。」
「うん?つなぐ?」
「そうよ、あなたのマザコンの対象は、いずれ私が引き継ぐってこと。」
「なるほど。」
「やだ、感心しないでよ。私たち、家を出るわよ。家のなかに、マザーは二人もいらないんだから。そのほうが、あなたもラクでしょ。」
女というのはわからない。瞬間で理解できないロジックをいきなり放り投げてくる。でも、意外にそれが助かる場合も少なくない。今回でいえば、妻は母親との別居をすでに決めていた。僕に選択肢を与えようとしたのは、何かを確かめたかったのだ。でも、確かめる必要はない、僕は彼女の夫だ。
そのとき、洗い物をしていた妻がきゅっと蛇口を閉めた。
「お茶とコーヒー、どっちにする?選べないなんて、言わないでね」