外伝Ⅱ 9.カルナヴァルの心臓 ~後日談~
翌朝、カルナヴァル美術館は騒然としていた。
開館前から館の周囲には記者たちが集まり、重厚な鉄製の門の外でカメラを構えていた。中では、館長や学芸員たちが展示室に詰め寄り、警備員は顔を青ざめながらセキュリティシステムを確認している。
問題はひとつ──展示ケースの中の「カルナヴァルの心臓」が、精巧な偽物にすり替えられていたことだった。
直径5センチに及ぶルビーの代わりに鎮座していたのは、色こそ似ているがどこか輝きの鈍い偽物。光を当てても脈打つような光彩は生まれず、冷たく沈んだ赤がそこにあるだけだった。
「いつ……いつすり替えられたんだ?」
館長の声が震える。ソフィアは声を失い、昨夜の静寂と重なり合うような寒気を覚えた。展示室には三重のセキュリティが施され、宝石のケースには重量センサーまで搭載されていたはずだ。それなのに、どうして気づかなかったのか──。
さらに、警備員たちは唇を噛みしめる。監視カメラには怪盗らしき姿が映っていた。だが、それはたった一人──ファントムだった。
ファントムは、暗闇の中を巧みに動き、ルビーに手を伸ばしていた。その動きは確かに鮮やかではあったが、細かなミスがいくつか記録されている。指紋を残さぬよう手袋をしてはいたものの、展示ケースの端を僅かに触れてしまった痕跡があった。そして、逃げる際には足音を完全に消しきれず、微かだが録音にも音が残っていた。
だが──。
「ファントムだけ? 本当に?」
誰もがそう疑った。
映像には映らない、もう一人の存在──アルト。
アルトは、ファントムの侵入前にすでにルビーを盗み出していたのだろう。華麗過ぎる手口ゆえに、痕跡すら残さなかった。そして、後から侵入したファントムは、まるで誰かの仕掛けた舞台装置に踊らされるように、自分の犯行だけを露呈してしまった。
その日の午後、ニュースは一斉にこの事件を報じた。
『カルナヴァル美術館、伝説のルビーが盗難! 怪盗ファントムの仕業か』
『怪盗ファントム、ついに失態──華麗な手口に潜む影』
世間はざわめいた。誰もが「ファントムがやった」と信じる報道に触れながら、しかし一部の者たちはすぐに気づいた。ファントムの犯行にしては、あまりに隙が多すぎる、と。
そして、アルトの名前はどこにも出ていない。
アルトの手口は完全に闇に溶け込み、世間にはファントムの失態だけが広がっていく。
夜の闇に紛れ、ひとり微笑んでいるのは──痕跡を残さぬ怪盗、アルトだった。