91.奪還
アニエスに当てずに攻撃するという厳しい状況となってしまった。
皆が土壁やミスリルの壁に隠れ、どう攻撃するか躊躇していると、司祭が空中に浮遊したまま呪文を唱え始めた。
「ウーラノスの怨念よ!全ての怨みを我に預けよ!」
「ゴゴゴーッ!」
地響きと共に大地から黒い靄が湧き出し、空へと舞い上がって行く。
青く澄んでいた空はすぐに雨の日の様に薄暗くなってしまった。
すると黒い靄に触れた白い曼殊沙華の花が次々と青く変色していった。
「あ!死人花が青くなっていくわ!」
「あの靄に触れるのは危険だ!気をつけろ!」
辺り一面から湧き上がっていた黒い靄が、司祭に吸い込まれる様に集まっていくと司祭の身体が更に変化していく。
「メキッ!メキメキッ!バキッ!バキバキバキッ!」
「グゥオォォォーッ!」
「キャーッ!」
背骨から鋭い槍の様な突起が浮き出し、肘と膝から漆黒の剣が弧を描きながら伸び、司祭は雄叫びを上げた。その恐ろしい姿を見てイヴォーンも悲鳴を上げた。
「な、なんだ。あの姿は!」
「更に変化したぞ!」
「この者たちに憎悪と怒りの鉄槌を下せ!」
司祭が憎しみを込めた呪文を唱えると青い空に夥しい数の黒い魔法陣が出現した。
「あの魔法陣はなんだ!真っ黒だぞ!」
「なんて数だ!空を覆い尽くすほどだ!」
「全員警戒せよ!」
「ブゥーン!ブゥーン!ブゥーン!」
黒い魔法陣が互いに共鳴し合い、不気味な音を奏で始めた。
「ズズズッ!」
魔法陣から真っ黒い槍が頭を出した。そして一斉に槍が放たれ、騎士たちに雨あられと降り注いだ。
「回避!打ち返せ!」
騎士たちも各々で反撃の魔法を撃った。水、炎、風、ミスリルの槍、石の鏃を飛ばし対抗した。
だが、司祭の魔法は今までのどの怨獣よりも強く、騎士たちの魔法を難なく破壊し、騎士たちまで届いた。それは、あらゆる角度から届き、騎士たちは防護壁に隠れ切れず、槍の攻撃を受けた。
「ぐあっ!」
「うぐぐっ!」
「駄目だ!避け切れない!」
「こちらの攻撃が効かないぞ!」
「どうしたら良いんだ!」
王国騎士団の騎士たちは、今までに受けたことのない攻撃に成す術なく傷ついていく。
その中で攻撃を躱しながら司祭への攻撃を模索しているのは、夢幻旅団と帝国騎士団の騎士たちだ。
「このままでは・・・結界を張るしかないか・・・」
「うぐっ!エリアス、結界を張ってしまえば攻撃ができなくなる。防御より攻撃する手段を考えろ!」
「はい!お父様!」
お父様は肩や腕に傷を負いながらも助言をくれた。そうだ。このままではじり貧だ。皆の命が削られていくだけだ。
だが、司祭は地面に立って居るのではなく空中を羽ばたきながら浮遊しているため、小刻みに動いており、アニエスを避けて司祭を正確に撃ち抜くことができないのだ。
考えろ!どうする?!
その時だった。アニエス、いや、イヴォーンが叫んだ。
「もう、やめて!ジークムント!」
「む!」
イヴォーンの叫びに司祭の動きが一瞬止まった。
イヴォーンは両手を広げ呪文を詠唱した。
「ウーラノスの闇の力よ!我に力を!」
「ジークムントを拘束せよ!」
「ザワッ!ザワザワザワッ!」
呪文を唱えるとイヴォーンの身体に黒い靄が集まり、黒い髪がざわざわと伸び始めた。
「シュルルルーーッ!」
「なに?!」
あっという間に司祭はイヴォーンの黒髪から変化した黒いロープで捕縛され、翼を動かせなくなり地面へと墜落して行った。
「イヴォーン!何をするのだーっ!」
「ドサッ!」
「う!」
司祭に身体を抱えられたままのイヴォーンも一緒に落ちたが、司祭の上になり地面に叩きつけられることは免れた。
「アニエス!」
僕は光魔法の転移を使い、一瞬で二人の目の前に跳ぶと同時に刀を抜いた。
「シュンッ!」
「ズサッ!」
「うぐっ!」
「ひっ!」
イヴォーンを抱えていた司祭の左上腕を目掛け、フェンシングの踏み込みで一気に突き斬り、左腕を落とすとイヴォーンに呼び掛けた。
「拘束を解いて!」
「はい!」
「シュルルッ!」
一瞬で髪が元に戻り、司祭の拘束が解かれると同時に司祭の右腕の肘から生えた刃が振りかざされた。
「シュバッ!」
「ガキーーンッ!」
一瞬で反応し、返す刀で肘から生えた刃を受けると力任せに薙ぎ払い、上段からの真向斬りで肩から右腕を斬り落とした。
「ズバッ!」
「ぐぁーっ!」
僕はイヴォーンを抱きかかえ司祭から引き離した。
そして次の瞬間、転移魔法で再びお父様とお母様の隣へ戻り、光魔法の結界を張った。
「ルーナ!聖獣たち!」
「ヒヒーン!ブルルルッ!クルルーッ!ピュルルー!」
『みんな!いくわよ!』
僕の呼び掛けを合図に四方から一斉に司祭へ聖属性の光を照射した。
「パウッ!」
「ビカッ!」
「うがーーーっ!」
司祭は青い曼殊沙華を巻き込みながら地面を転がり、もがき苦しんだ。
しかし、その姿は消えていかない。
「貴様らぁーーーっ!許さんぞーーーっ!」
「ズルッ。ズル、ズルルッ!」
「シュバババッ!」
司祭の両腕を切断した部分から鞭の様にしなる管が二本ずつ出現し、飛ぶ様に伸びて聖獣たちの首に巻きついた。
「うぐぐっ!」
聖獣たちの動きは止まり、聖属性の光も止まってしまった。
「みんな!いけない!」
僕はまずルーナの目の前に転移し、刀で司祭の触手を斬ると、次々に瞬間移動して聖獣たちを救出した。
「エリアス!危ない!」
最後にグリフォンの前に転移し、触手を斬り落とした瞬間、イヴォーンが叫んだ。
司祭は順番に聖獣を救う僕の動きを見て、グリフォンの前に出現するのを待っていた。
次の瞬間、司祭の頭上に現れた魔法陣から黒い槍が射出され、僕の脇腹を貫いた。
「グヘッ!」
「ドサッ!」
喉の奥から自分の声とは思えない気持ちの悪い声が吐き出され、槍の勢いのまま身体が飛ばされた。
「エリアス!」
お母様が叫び、僕に向かって走って来るのが視界の隅に見えた。
司祭は次の獲物をお母様に定め、魔法陣をお母様に向けた。
「ジークムント!駄目!」
イヴォーンは一瞬で真っ黒い靄に包まれると、司祭の目の前に瞬間移動した。
「シュンッ!」
「ザワッ!」
イヴォーンは無詠唱のまま魔法を操り、今度は髪の毛を真っ黒い槍に変えて司祭の全身を突き刺した。
「ドスドスドスドスッ!」
「ヒュッ!」
司祭は息が止まり、全身が硬直する様に伸びた。そして髪の槍に刺された部位から真っ黒い血液がダラダラと流れ出た。そして黒い血液が流れ出すと、司祭の姿は徐々に元の人間の姿に戻っていった。
僕の周りにはお母様と聖獣たちが集まり、一斉に聖属性魔法で治癒を始めた。
周りが見えない程に真っ白い光に包まれると、脇腹の痛みが徐々にやわらいできた。僕は倒れたまま、司祭とイヴォーンを見守った。
イヴォーンの髪の槍も司祭の身体から離れて元の髪に戻った。
「ジークムント・・・もう・・・終わりにしましょう」
「イ、イヴォーン・・・な、何故だ・・・わたし・・・を・・・捨てる・・・というのか?」
「はぁ・・・本当に・・・仕方のない人ね・・・」
あれだけ憎いと・・・許せないと思ったのに・・・こうして弱った姿で縋られてしまうと・・・突き放すことができないのよね・・・
イヴォーンは倒れた司祭の横に座り、ひとつため息をつくと手を握って声を掛けた。
「わかったわ・・・捨てたりはしない。一緒に行きましょう」
「一緒に・・・一緒・・・に・・・行ってくれる・・・のか?」
「えぇ、これからはずっと一緒よ・・・」
「本当に?」
僕はその会話を聞いて居ても経っても居られず、力を振り絞って立ち上がった。
「エリアス、傷を塞いだだけなの。無理をしては駄目よ!」
「大丈夫です。お母様。治癒をありがとうございます」
僕はお母様に振り返ってそう言うと、ふたりに歩み寄って言った。
「ま、待ってくれ!アニエスは?僕のアニエスは・・・」
「エリアス、心配しないで。アニエスはこの世界に残していくから」
「え?でも・・・どうやって?」
イヴォーンは僕にそう言うと、再び司祭に向き合って言った。
「ねぇ、ジークムント・・・私たちにはもう、身体は不要でしょう?」
「身体・・・は不要?何故だ・・・私は・・・イヴォーンと一緒に・・・生きて・・・いきたい・・・」
「そしてまた、沢山の人を殺そうと言うの?」
「そ、それは・・・」
みるみる内に司祭の顔から生気が失われていく、そしてまた、どす黒く皮膚がただれていく。
「ジークムント、あなたは私が欲しかったのでしょう?」
「それは・・・そうだ」
「私もあなたを再び愛するわ」
「あぁ・・・それは・・・ほんとう・・・か?」
「えぇ、あなたが私だけを見てくれるなら・・・この世界の人間に、これ以上の怨みを持たないならば・・・ね」
「それは・・・」
「できないのかしら?」
「い、いや・・・イヴォーンが・・・望むならば・・・」
「えぇ、望むわ。私の結婚前の願いは・・・人の病気を癒し、あなたと幸せに暮らすこと。それだけだった」
「それは・・・わたしとて同じ・・・だが・・・アレクサンドが・・・お前を奪ったのだ」
「えぇ、そうね。でもね・・・私はその皇帝の息子であるシルヴェストルも、あなたの息子であるヴァレリーも産んだの。そして今、ここに居るエリアスもミハイロも私の子の子孫なのよ」
「あ、あぁ・・・」
「わかるでしょう?あなたと私の愛の証は・・・今も生き続けているのよ?」
「今も?」
「えぇ、今も。そしてこれからも受け継がれ、この世界を護っていってくれることでしょう」
「これからも・・・」
その時、森の向こうから何かが飛んで来る音がした。
「バサッ!バサッ!バサッ!」
「おい!何か飛んで来るぞ?」
「怨獣か?!」
「あ、あれは!ド、ドラゴンだ!」
「あぁ!聖なる光のドラゴン!」
「おぉ!神様!なんて美しい姿!」
「バサッ!バサッ!バサッ!」
ドラゴンは音も無く着地すると翼を折り畳んで僕たちを見下ろした。
「ジークムント、イヴォーンよ・・・久しいな」
「あ、あなた様は!アレクサンド様!」
ドラゴンは空気を振動させ声を合成しつつ話し掛けた。
イヴォーンは直ぐにドラゴンがアレクサンド様だと気付いた様だ。
「イヴォーン、良くエリアスを守ってくれた。感謝する」
「はい。私の子孫なのですから」
「そして生前、其方を守ってやれなかったこと。誠にすまなかった」
イヴォーンは一瞬、思い詰めた表情となったが直ぐにそれを吹っ切る様にして呟いた。
「アレクサンド様・・・済んだことは・・・もう良いのです」
「ジークムントよ。昔のこととは言え、すまなかった。知っての通り、私は研究馬鹿だった。この世界の皇子に生まれ、この星の環境を護ることばかり考え、技術革新を優先し、国の政を蔑ろにした」
「人の心にまで考えが至らなかったのだ。エリアスの様に国民を家族の様に大切に想っていたならば、あの様なことにはならなかっただろう。全ては私の責任だ。申し訳ない」
「アレクサンド様、あなた様だけが悪いなどということは御座いません!ジークムントもこの私も・・・自分のことしか考えていなかったのです」
「アレクサンドよ・・・それは今更・・・というものよ・・・」
「あぁ、そうだな。ジークムント。今更謝って済む問題ではないな」
「ジークムント。もうやめましょう。これからは一緒に居るって約束したでしょう?」
「ん?あ、あぁ・・・そうだったな・・・」
「ジークムント、イヴォーン。今更ではあるが、私に罪滅ぼしをさせてはもらえぬか?」
「何が・・・できると・・・いうのだ?」
「ジークムント、イヴォーン。ふたりの姿を変え、これから一緒に暮らせる様にする」
「え?そんなことができるのですか?」
「ほ、ほんとう・・・か?」
「ただし、人間の姿という訳にはいかんし、人の世界で生きることはできぬのだがな」
「それはどの様な?」
「ふたりを聖獣にするのだ」
「聖獣!いいですね!何の聖獣にしていただけるのですか?」
イヴォーンは聖獣と聞いて前向きな様だ。
「うむ。この地に住むのであればフェンリルの番となるのが良いだろう」
「フェンリル?」
僕はフェンリルと聞いて、直ぐにどんな獣か判らずきょとんとした。
「エリアス、フェンリルとは地球の北欧神話にでてくる巨大な狼だ」
「狼!」
「しかし・・・フェンリル・・・になったら・・・研究が・・・」
「ジークムント、もう研究は終わり。私とふたりで暮らすのではないの?」
「あ、あぁ・・・そうだったね」
「アレクサンド様。是非にお願いいたします。ジークムントもいいわよね?」
「あ、あぁ・・・そう・・・だな・・・」
「わかった。これからはこの世界でふたり仲良く暮らすが良い」
「ありがとうございます。アレクサンド様」
「これは私の罪滅ぼしだ。気にすることはない」
「では、ゆくぞ」
そう言うとドラゴンの頭にある2本の黄金の角が輝き始めた。
「ピカッ!」
次の瞬間、角から雷が落ちたかの様にふたりに光が走り、眩しい光に包まれた。
それと同時に翼を広げるとバサッと一度羽ばたいた。すると翼から真っ白な聖属性のマナが周囲に舞い、そこに居た者たちに降り注いだ。
司祭とイヴォーンを包んだ黄金の光が徐々に弱まっていくと、そこに2頭の真っ白いフェンリルの仔と横たわったアニエスが現れた。
アニエスの髪はエリアスと同じ、シルキーホワイトに変わっていた。
そして、2頭のフェンリルの仔が寄り添って座り、互いを舐め合っていた。
お読みいただきまして、ありがとうございました!




