90.慟哭
ジークムントはイヴォーンの気持ちを知って衝撃を受けた。
と、その時、豹の使用人が声を上げた。
「あ!ご、ご主人様!」
「・・・なんだ?!」
「屋敷を取り囲まれましたにゃ!」
「なんだと!」
壁に設置されたモニターの全てにエリアスたち騎士が映っており、屋敷を取り囲んでいた。
「ご主人様、どうしますにゃ?」
「ふっ、奴らはこの屋敷には手も足も出ない。ここで奴らのあほ面を見ていれば良いのだ」
司祭はほくそ笑むと太々しい顔で言い放った。
「あれが今の騎士たちなのね」
「いや、現皇帝と皇妃、それに皇子も居るな」
「皇子?アニエスのお相手ね?もしかして大きくて白い髪の美しいお方がそうなのね?」
「美しい?あぁ、まぁ、そうだな。だが、ここで始末してやる」
「何故、彼らを殺そうと思うの?」
「皇帝は私からイヴォーンを奪い、そして殺したからだ」
「・・・」
あぁ、この人は私が死刑になってからずっと執念を燃やし続け、怨念に縋りついて生きて来たのね。そうして怨みに凝り固まって正常な思考を失ってしまったのね・・・
あの皇子とアニエスに罪はないというのに・・・
イヴォーンは黙ってモニターに映るエリアスを見つめた。
「ヒヒーン!」『エリアス、アニエスの声も気配も消えてしまったわ』
「なんだって?アニエス!聞こえるかい?アニエス!」
「・・・」
「本当だ・・・聞こえないし、感じない・・・アニエス、どうしたんだ」
「ピュルルー?」『魔眼を使わせたのがいけなかったのでは?』
「そんな・・・アニエス!聞こえないか?アニエス!」
ユニコーンとグリフォンの言葉で僕は困惑し気が動転した。
「エリアス、落ち着け。この屋敷の中に居ることは間違いない。早く中に入った方が良いだろう」
「あぁ、お父様、そうですね!」
「よし、この屋敷を包囲して入り口を探るぞ!」
「御意!」
皇帝に命じられ、全員で屋敷を取り囲んで等間隔に広がった。フェニックスも飛び立ち、屋敷の周囲を飛び始めた。
「入口は見つかったか?」
「こちらにはありません!」
「こちらもありません!」
「クルルーッ!」『エリアス、空から見てみたけれど、この屋敷にはどこにも入口が無いわ!』
「フェニックスが入口は無いと言っています」
「なんだと?では、どうやって出入りするのだ?あ!地下からか?」
「いえ、闇の転移魔法でしか入れないのでしょう」
「なるほど・・・」
「まずは、魔法攻撃で壁を壊しましょうか」
「そうだな、あまり強い魔力で攻撃してしまうと中に居るアニエスが怪我をするかも知れません。まずは力を絞って壁に穴を開ける感じでお願いします」
「承知しました。では、各個で攻撃開始!」
小さな火の玉、小ぶりの風の刃、細い水の矢、小石の礫、鉄の短剣。騎士たちは、それぞれの属性魔法の内、軽い魔法攻撃を選んで壁に向かって撃ち込んだ。
「ゴッ!ビュッ!シュバッ!ヒュッ!シュッ!」
すると、それらの攻撃が屋敷に当たる寸前、元々、真っ黒だった壁が黒い靄に包まれ、全ての攻撃を吸収してしまった。
「シュゥー」
「おいおい!なんだあれ!攻撃を吸収しちまったぞ!」
「レオン、強めに攻撃してみてくれる?」
「お任せを!隕石の火よ、壁を貫け!」
「ゴウォッ!」
「え?強くないか?」
「ババーンッ!」
「やっちゃった!?」
「シュゥー」
「え?俺の100の魔力でも駄目なのか?」
「エリアス、5大属性魔法は全て吸収されてしまうのでは?」
「お母様、そうかも知れませんね。では、お父様、光魔法をお願いできますか?」
「ん?私か?何故、エリアスがやらんのだ?」
「私の魔力では強過ぎると思いますので」
「あぁ、そうだったな。よし、わかった!」
お父様は一歩前に出ると息を深く吸い込み、集中して構えた。
「裁きの光を受けよ!」
「ビカッ!」
「シュゥー」
「なに?光も吸収するだと?」
光の攻撃も他の攻撃と同じ様に黒い靄に吸い込まれる様に消えてしまった。
「後は聖属性の光しかありませんね。では私が」
僕はお父様が攻撃した場所を目掛け、聖属性の光を撃ち込んだ。
「ビカッ!」
「シュゥー」
「聖属性でも駄目なのか・・・」
「エリアス、今のは最大魔力なのか?」
「いえ、最大では撃っていませんが」
「では、最大の魔力で撃ってみれば良いではないか」
「そうですね・・・では、光属性で徐々に魔力を強くして行く様に撃ってみます。聖獣たちは壁に変化があったらすぐに教えてくれるかな?」
「ヒヒーン!」『わかったわ!』
さっきと同じ様に無詠唱で光魔法を撃ち、徐々に最大魔力まで上げていってみる。
「パウッ!ウゥーン!ウゥゥーーンッ!バリバリバリーッ!」
しかし、どれだけ魔力を高めても全て吸収されてしまう。
「ピュルルー」『エリアス!もしかしたら攻撃は吸収しているのではなくて、全て転移させているのかも知れないわ!』
「え?なんだって?・・・でも、そうか・・・あれだけ大きな怨獣も消せたのだから、この魔力を吸収し切れるものではないか・・・」
「エリアス様、どうなのですか?」
「みなさん、攻撃は吸収しているのではなく、全て異空間へ転移させているのかも知れないのです」
「では、どうやってアニエスを救い出せば良いのですか?」
「そうですね、お母様・・・」
それは僕だって判らない。どうしたら良いのだろう。アニエスと連絡が途絶えてからもう、かなりの時間が経っている。不味いな・・・
「どうしたら良いのか・・・」
「あ!そうだわ!エリアスの剣よ!」
「剣?」
「それは私が鍛えたキレイカルコスの剣です。どんなものでも斬れるのですから、壁だって斬れるのでは?」
「そうか!魔力は転移されても、物理的に斬ることは可能かも知れませんね」
「えぇ、やってみて!」
「はい!」
「ウォーーーッ!」
僕は全速力で走り、屋敷の黒い壁目掛けて飛びつく様に斬り掛かった。
「ウォリャァーーーッ!」
「ズバーーーッ!」
刀の刃が1階部分の天井付近にざっくりと突き刺さり、そのまま床に向かって右へ弧を描くように切り裂いた。
刀が床まで届くと2mは後ろへ飛び退き、体制を整えると再び壁に飛び付き、今度は右上から左へ切り裂いた。
そして、右足を軸に左足を大きく振り、壁を思いっ切り蹴り飛ばした。
「ドカーンッ!バリバリバリッ!」
壁が引き裂かれ、内側に壁が吹き飛んで倒れた。
「ぐぬっ!」
「ひっ!」
「にゃ~っ!」
突破した壁の向こうに見えたのは、ひとり掛けのソファに座り驚きの声を上げた司祭と3人掛けのソファに座って固まるアニエス、そしてその向こうの壁際で両手を上げて叫ぶ豹型怨獣の使用人だった。
「アニエス!助けに来たよ!」
「・・・」
アニエスはこちらに向いているが、無表情のままで再会を喜んでいる様には見えない。
「アニエス!」
もう一度呼んだ時、司祭がソファから立ち上がり、アニエスの横に立って右手を差し出した。アニエスは左手で司祭の手を取り立ち上がると、二人並んでこちらに向いた。
「残念だが、ここにはもうアニエスは居ない」
「なんだと?そこに居るではないか!」
僕の横でお父様が威嚇する様に言い放った。
「・・・」
アニエスは先程から一言も言葉を発していない。
「アニエス・・・どうしたんだ」
「まぁ、わからんだろうな。ここに居るのはアニエスではない。先程覚醒したイヴォーンだ」
「覚醒?イヴォーン?」
「イヴォーン・・・え?それって5代前の皇妃、イヴォーン・クレメント・アルカディウスだと言うのか?」
「左様。私の娘の身体で覚醒し、私の下へ現れたのだ」
「なんだって?それじゃぁ、アニエスは?」
「皇子よ。アニエスはもうこの世には居らんのだ」
「そ、そんな・・・アニエス・・・」
僕は全身の力が抜け、膝が諤々と震え出し、立っていられずにその場に膝を付いた。
「エリアス!」
お母様が僕の横に来て肩を抱いた。
「お母様・・・アニエスが・・・」
「エリアス、しっかりするのです!」
「で、でも・・・アニエス・・・また・・・僕はまた・・・失ったのか!」
瞳からは涙が次々と零れ落ち、喉から絞り出す様に呟いた。
「アニエース!」
僕は青い空を見上げ、涙を流しながら叫んだ。
僕の慟哭に周りの騎士や侍従たちも驚き、悲しい目で見つめていた。
「ワハハハッ!良い気味だな!皇帝の家族よ!私がイヴォーンを奪われ味わった絶望を!今ここで存分に味わうが良い!」
司祭は瞳を赤く光らせながら不気味な表情で嘲笑った。
その時、ルーナが僕に近付き嘶いた。
「ヒヒーン!ブヒヒン!」『エリアス!諦めないで!あれはイヴォーンの意識がアニエスの闇の魔力に憑依しているだけだわ!』
「え?なんだって?」
ルーナがそう言って大穴の開いた屋敷に近付き、アニエスと向き合った。
「ヒヒーン!」『あなた、本当にイヴォーンの様ね?私の声が聞こえる?』
すると、イヴォーンは目を丸くしながら一歩前に進み、ルーナを見つめて声を発した。
「聖獣のペガサス・・・いえ、あなた・・・クローディアなの?」
「ブルルッ!」『そうよ。私はクローディアの生まれ変わり』
「なんてこと!ジークムント!あのペガサスはクローディアの生まれ変わりよ!」
「なに?ペガサスがクローディアだと?」
「ヒヒーン!ブルルルッ!」『私はあなたがジークムントの生まれ変わりであることを知っていたわ。でも、あなたは私のことは判らなかった。昔も今も、あなたにとって私などどうでも良い存在の様ね』
「ジークムントはクローディアに気付かなかったのね・・・」
ジークムントはその言葉には一切反応せず、自分の興味だけに終始した。
「では、皇子はアレクサンドの生まれ変わりではないのか?」
「彼は違うわ。それは私にも判る。エリアスという人は私の知らない人だわ」
「そうか。では過去の因縁とは無関係にアニエスと通じたのか・・・では・・・そうか。アレクサンドはドラゴンとなったのか」
「そんなことはどうでもよい!司祭よ、いや、ジークムント。帝国が憎いのならば直接、私と戦えばよかろう!何故、自ら怨獣を創り出し、罪の無い者たちを死に追いやったのだ?!」
皇帝は仁王立ちとなり、鬼気迫る形相で司祭に捲し立てた。
「ふん。怨獣は私の手足に過ぎん。そしてそれを使ってイヴォーンを取り戻し、積年の恨みを晴らす。そのためには人間の命など、些末な問題だ」
「お前は既に人間ではないな。人間の皮を被った怨獣そのものだ!」
皇帝の言葉を受け、ジークムントは奥歯を噛みしめ絞り出す様に叫んだ。
「幾星霜の歳月を、もがき苦しみながらそうなっていったのだ!幸せを享受するのが当前とのうのうと生きている者には理解できぬだろうよ!」
「ヒヒーンッ!」『そんな罵り合いをしても仕方がないわ!イヴォーン、あなたはどうするつもりなの?』
「私?私は・・・アニエスの・・・味方よ」
「ブルルルッ!」『そうよね。あなたも私もジークムントに苦しめられた。アニエスとエリアスに罪はないのよ』
「えぇ、そうね。そして、アニエスもエリアスも私にとっては子孫なのよ。彼らを引き離すことは私にはできないわ」
「何を言うのだ!イヴォーンよ!」
「私はさっきから言っているわ。ジークムント、私はあなたを憎んでいると!」
「うぐぐっ!き、貴様・・・」
ジークムントは全身を震わせ顔を真っ赤に染めていく。そしてその赤い顔が徐々にどす黒く変色し、口が横に裂け鋭い牙を見せた。頭からは2本の角が生え始め、それはくるんと山羊の様に曲がっていった。
身体がムズムズと蠢き、来ていた服とローブが切り裂かれた。
「ビリビリッ!グゴォォォーッ!」
耳を劈く様な大きな咆哮と共に天井に届く程の大男に変貌した。腕や足は獣の様に逞しくなり、背中からはコウモリの様な羽が生えてきた。
その姿は悪魔と呼ぶにふさわしい禍々しさだった。
「司祭が怨獣に変化したぞ!」
「気をつけろ!今までの怨獣とは比べ物にならない程に強いぞ!」
「許さん!お前たちだけは!皆殺しにして決着を着けてやる!」
ジークムントの声は怨獣となって、地獄から響いて来るような恐ろしい声に聞こえる。
「エリアス、大丈夫?戦える?」
「お母様。僕は・・・大丈夫です」
エレノーラ皇妃はエリアスの腕を両手で掴み支えながら聞いた。
「お母様、ルーナの話では、イヴォーンはアニエスの闇属性魔力の中に意識だけが憑依しているそうです。アニエスが消えた訳ではないのです」
「えぇ、そうね。それにイヴォーンはあなた達を引き離すことはできないと言ったわ。大丈夫よ。アニエスはきっと取り戻せるわ」
「はい。今は司祭を倒すことだけに集中します」
「司祭はただ、殺すだけではいけないのでしょう?冷静にね」
「はい。わかりました」
「皆、屋敷から離れろ!距離を保つんだ!」
「御意!」
「グゴォォォーッ!」
司祭は叫び声を上げると、右腕でイヴォーンを抱え込み羽ばたき始めた。
「キャァーッ、何をするの!離して!」
「バサッ!バサッ!バサッ!」
司祭はイヴォーンを抱えたまま屋敷に開いた穴から飛び出し、空へと舞うと右へ左へと小刻みに動き続けた。
「クソッ!アニエス様を抱えているから攻撃できない!」
「ハハハハッ!同じ轍は踏まんさ!動き続けていれば攻撃できまい!」
「防御壁を造れる者は直ちに立ち上げろ!」
「御意!」
シュナイダーとステュアート王国の騎士があちらこちらに防御壁を築いた。
「みんな、防御壁に隠れて攻撃を!くれぐれもアニエスには当てないでください!」
「御意!」
しかし事実上、アニエスに当てずに攻撃など、できる訳もなかった。
お読みいただきまして、ありがとうございました!




