85.無念
アニエスは闇の転移魔法を経て司祭の拠点に現れた。
「シュンッ!」
「わたしは・・・どうしたのかしら・・・」
アニエスは無表情のまま周囲を見渡した。
「あぁ!私は!そうだわ・・・死刑になったのよ!」
叫ぶ様に言いながら自分の首を両手で擦り、頭と胴体が繋がっているのを確認した。
「ど、どういうことなの?死刑にはならなかった・・・のかしら?」
自分の身体や手足を一通り見て、生きていることを確認した。そして、ぼんやりする頭で記憶を辿っていると、少しずつ霧が晴れる様に思い出されてきた。
「いいえ、そんなことはないわ。私は確かに断頭台で首を落とされたわ・・・あ。この声。私の声ではないわ!一体、なんなの?」
顔は真っ青になり、右手を口に当てた。少しずつ正気を取り戻し始めたが、不安は増し、身体が震えた。
「ここはどこ?帝国城にある部屋に似ているわね。いいえ、神殿の部屋にも見えるわ」
部屋の中を見回し、一点を見つめて止まった。
「鏡台があるわ」
鏡台の前まで進むと鏡の中の自分を見つめた。
「ヒュッ!」
驚きのあまり思いっ切り息を吸い込み、両手を口に当てた。
「な、何?これは私じゃないわ!それにこの黒い髪・・・赤く光る瞳・・・人間なの?」
身体も声も震え、自分の姿に恐れ慄いた。
「大変だわ・・・どうしましょう・・・」
その時だった。部屋の外の廊下を人が歩く音が近付いて来た。
「コツ、コツ、コツ、コツ」
「誰か来るわ・・・」
「ガチャン。ギィー」
外から扉の鍵を開け、部屋へ入って来たのは男だった。誰だろう・・・いや、待って。この人、ジークムント・エヴァノフに似ているわ!
「アニエス、よく来てくれた。待っていたよ」
その男は歓迎の言葉を口にしながらも顔は無表情のままだ。私と同じで黒い髪で瞳は赤く光っている。
「・・・」
何か返答した方が良いのかしら?この身体の持ち主はアニエスというらしい。この人の知り合いなのかしら?でも、年齢は親子ほど離れている様だけれど・・・
「アニエス、急にここへ転移させられて困惑しているのだろう。お前は闇の魔力を持っている。その闇の魔力に呼び掛け、ここへ転移させたのだ。驚いただろうがお前はこれから私と一緒に暮らすのだ」
「あなたはいったい・・・」
あ!思わず声に出してしまったわ。大丈夫かしら?
「もう、知っているのだろう?アニエス。お前は私とサンドリーヌの娘なのだ」
「サンドリーヌ・・・」
「会ったのだろう?サンドリーヌに。ジークムントの代から怨獣の研究を重ね、5代目にして漸く、怨獣と人間の間に完璧な人間を生み出すことに成功したのだ」
「なんですって?!」
怨獣から人を生み出す?どういうこと?信じられないわ!
今、ジークムントの代から5代目だと言ったわ!この人はやはり、ジークムントの子孫なのね。しかも5代目?私たちが死んでから何年経っているのかしら?
「知らなかった様だから教えてやろう。お前の母、サンドリーヌは私の妻であるイヴォーンの亡骸と怨獣を掛け合わせて創った人間から、代々の司祭たちが子を産ませ、人間に近付けていったのだ」
「えぇっ!」
「そして私とサンドリーヌでアニエス、お前という完璧な人間を生み出した。しかも強い聖属性魔力と神眼、そして弱いながらも闇属性魔力と魔眼も持ち合わせている」
「私が望んだ完璧で素晴らしい聖女だよ・・・それなのにお前は・・・エリアスなどという無能な皇子に夢中になり、我が息子ガブリエルには見向きもしなかった」
なんですって?私の妻であるイヴォーン?それは私のことよ?私の夫は皇帝である、アレクサンド・アルカディウスだわ。あ。でも、私がジークムントの子も産んだからそう言っているのかしら・・・
え?でも待って。この人はさっき、ジークムントを5代前と言ったわ。どういうことなの?もしかして・・・この人はジークムントの生まれ変わりなの?
あ!私も生まれ変わったということ?え?でもおかしいわ。この人は私のことをアニエスと呼んだ。自分の娘だと・・・つまり、この人は生まれ変わった上に前世のジークムントの記憶も持っているということなのかしら?
では、私は生まれ変わったのではなく、アニエスという聖女の身体に憑依しているということ?そんなことってあるのかしら?
でも確かなことは解からないわね。それにさっきの話ではアニエスは皇子に想いを寄せているみたい・・・これは下手なことは言わない方が良いかしら?
「だが、まぁ、良い。これからは私と一緒に暮らすのだからな。もうすぐここへ皇帝や皇子、騎士団の連中が攻め込んで来るだろう」
「私が創った怨獣が奴らを全て返り討ちにし、帝国は我がものとなるのだ。そうなればお前はガブリエルと結ばれることとなるだろう」
え?怨獣を創った?私の亡骸と怨獣で人を創っただけでなく、怨獣をも創っている?
「アニエス、それまでお前はここで大人しくしていることだ。エリアス皇子が死ぬ姿は見たくないだろうからな」
「ここは・・・どこなのですか?」
「ここか?エレボスから繋がる異空間。ウーラノスから見れば異世界というものだ」
「異世界?!」
「あぁ、憎き皇帝とエリアス皇子。その下僕どもの墓場となる世界だ」
「私をここに閉じ込めたままにするのですか?」
「もうじき奴らがやって来る。少しの辛抱だ。あぁ、この部屋からは出ることはできんぞ。次に呼ぶまではこの部屋は外から干渉できぬように閉鎖する。光も失うがしばらく我慢してくれ」
「え?待って!」
「バタン!ガチャガチャ」
「ふっ」
部屋の中は一切の光を失い暗闇となった。
「あ!真っ暗になってしまったわ。仕方がない・・・ベッドに入っていましょうか」
イヴォーンは暗闇の中、両手を前に出し、先程までの記憶を頼りに少しずつ歩いた。しかし、直ぐに視界が戻ってきた。鏡台の鏡に自分の顔が映ると瞳が赤く光っていた。
「あ。これが魔眼なのね?暗闇の中でも闇の魔力で見えるということなのかしら?」
イヴォーンはベッドに横たわると声には出さずに頭の中で人生を振り返った。
ジークムント・・・そうね。彼はずっと私に執着していたわね。勿論、私だって学生の頃はジークムントを愛していた。でも、私の魔力が強かったために第一聖女になってしまったから、私は皇帝と結婚しなければならなくなったわ。
私たちが引き裂かれてからジークムントはおかしくなってしまったわね。私もジークムントと結婚できなかったことは悲しかったけれど、運命を受け入れて皇妃となってシルヴェストル皇子を産んだわ。
それなのにジークムントは私に執着し続け、妻となった第二聖女のクローディアを放置して、皇帝の目を盗んでは私と逢おうとしたわね。私も強く拒否することができず、とうとうヴァレリーを授かってしまった。
そして私は皇妃でありながら不貞を働いた罪により処刑された。その相手であるジークムントは司祭であり、跡継ぎのヴァレリーの保護者として処刑されなかったのに。
私だけ・・・私だけが自分の子であるシルヴェストル皇子ともヴァレリーとも一緒に生きることが許されなかった・・・
あの日、断頭台まで歩かされた時、どれだけジークムントを怨んだことだろう。絶望に包まれ、心が引き裂かれたわ。
その怨みが・・・無念が・・・私をこうして果てしなく続く皇帝と司祭の争いの中に引き寄せた・・・そういうことなのかしら・・・
あの男はアニエスの闇の魔力に呼び掛けて転移させたと言っていたわね。もしかして私はアニエスの身体の闇の魔力の中に居るのでは?
あら?ではこの身体の主であるアニエスはどうなってしまうの?私はこの身体に居てはいけないのではないかしら?
アニエスは聖女でエリアス皇子を愛している。それなのに司祭の息子のガブリエルと結婚させられるなんて・・・つまりそれは私とジークムントが引き裂かれた様に、アニエスと皇子を引き裂こうとしているのね。
自分がされたことをよくも自分の娘にしようと思うわね。信じられないわ。
しかもアニエスもガブリエルも司祭の子なのよね?二人は腹違いの兄妹じゃない。それなのに結婚させようと言うの?
何故、アニエスはそれ程までに執着されているの?基が私の遺体から創られた人間の子孫だから?あ。神眼と魔眼両方を持っているって言っていたわね。それも執着する理由なのかしら?あぁ、皇帝の子孫への復讐なのかも知れないわね。
いずれにしても異常だわ。人として許されることではない。ジークムントの子孫は皆、狂ってしまったのね・・・その責任は私にもあるわ。あの人と決別できなかったのだから・・・
私たちの子孫であるアニエスを犠牲にしたくない・・・いいえ、犠牲にしてはいけないわ。なんとかしないと・・・
あぁ、そうだ!どうしましょう。あの男は私がイヴォーンであることに気付いていなかった。もし、気付いたらどうするかしら?きっと、狂ったように執着する筈だわ・・・
それだけは避けないと・・・
イヴォーンはしばらくの間、そうやって自分の人生を振り返っていたが、徐々に気が遠くなっていき、やがて意識を失う様に眠りについた。
それからどれくらいの時間が経ったのだろう。アニエスは暗闇の中で目を覚ました。
「うぅーん・・・え?ここはどこ?真っ暗なのだけど・・・」
「あれ?私・・・あ。そうだ。ジュリアたちとドレスを仕立てに行ったのよね?それなのに何故、こんな真っ暗な部屋で眠っていたの?」
「ま、まさか・・・私、司祭に捕まったの?でも、何も覚えていないわ!怨獣に襲われた覚えもない・・・ここはどこ?もう、神殿は無いのよね?」
「あー真っ暗で何も見えないわ。神殿に閉じ込められていた時だって、もう少し明かりがあったわ」
「エリアスは・・・そうだ。ルミエールに行っているんだったわ。ここから私の声は聞こえるかしら?」
「エリアス!エリアス!聞こえる?私よ。アニエスよ!」
「・・・」
「ルーナ!ルーナ!聞こえる?助けて!私はここよ!」
「・・・」
「あぁ、聞こえないのかしら・・・やっぱり、ここはエレボスなのかしら?もしそうなら、ルミエールとエレボスでは星の頂点と底辺だもの、遠過ぎて聞こえないのね・・・ルーナも応えてくれないし・・・どうしましょう」
アニエスはベッドの上で膝を抱え、途方に暮れた。
アニエスが攫われてから1時間後、帝国城の上空に各国の戦闘艇が集結した。
船は帝国のティーターンとアルテミス、夢幻旅団のカオス、王国騎士団の水のネプチューン、風のジュノー、土のシアリーズ、火のマーズ、金属のバルカンの8隻だ。各国ともナンバー騎士と一般騎士20名ずつ派遣された。
帝国城はリカルドに任された。彼も光属性魔力が100になったのだから立派に帝国を護れることだろう。
アニエスを救出するべく、お父様とお母様、侍従たちと共にティーターンに乗った。そして、帝国城の上空に集結した8隻の船に向け、無線で作戦と注意事項を伝えた。
「皆さん、エリアスです。今回の作戦と注意事項を伝えます」
「まず、エレボスですが地表は全て黒い霧に覆われています。霧の中には無数の怨獣が待ち構えているでしょう」
「怨獣には獣型と人型の他に、大型の鳥型や全長10mはある巨人型も居ます。怨獣はその数が尋常ではありません。個で戦うのではなく、数名で攻撃と防御に別れる作戦でお願いします」
「そしてエレボスへ転移したら、アルテミス、カオスと王国騎士団の戦闘艇はエレボスの海岸線に沿って等間隔を保ち、空中待機してください」
「まずは私が見える範囲の黒い霧と怨獣を薙ぎ払います。黒い霧が払えた場所ならば、地表に降りて戦っても構いませんが、突如黒い霧が現れ、地中に引きずり込まれる可能性を常に頭に置いてください」
「また、エレボスに到着次第、聖獣を呼びます。聖獣も一緒に戦ってくれますが、聖獣の前には出ない様に注意してください。怨獣と一緒に消されてしまいますので」
「地上の怨獣を淘汰したら、アニエスの気配を探り地下への入り口を探します」
「最後に、事前通達の通り、エレボスは極寒の地です。防寒対策を講じ、騎士半数ずつ交代で出撃してください。身体が思う様に動かなくなった時は、無理せず船に戻り暖を取ってください」
「皆さん、戦闘では自分の命を優先してください。では、1分後に転移します」
マイクを操縦士に返すとお父様とお母様に振り返った。
お父様とお母様はいつの間に誂えたのか知らないが、見たことがない騎士服を着ていた。
お父様は帝国騎士団の白地の騎士服に金の縁取りの入った騎士服だ。肩には金の文字でAの表記があった。
お母様の騎士服も白地だが、銀の縁取りでお父様と同じ様に銀の文字でAの表記があった。スカートはジュリア程ではないが膝上の短さで、ニーハイの銀のブーツだ。
この女性、本当に38歳なのだろうか?20代に見える。本当に美しいな。
「お父様もお母様も・・・騎士服姿は初めて見ました」
「どうかしら?似合う?10年前に誂えたものなのよ」
「とても凛々しく素敵ですね。お父様も光の騎士なのですね?」
「うむ。実は騎士服は初めて着るのだよ」
「格好いいです」
「そうか?」
二人は緊張を保ちながら無理に笑顔を作った。
「さぁ!では行きましょうか!」
「あぁ、必ずアニエスを連れ帰ろう!」
「エリアス。心配はしていないけれど・・・死んでは駄目。必ず生きて帰るのよ?」
「はい。お母様。では、行きます!」
僕は前を向いて集中すると、光属性魔力を高めて8隻の船をエレボスへと転移させた。
お読みいただきまして、ありがとうございました!