82.記憶
お父様の部屋には、その1時間前から騎士団長が呼び出されていた。
「陛下、珍しい・・・いや、初めてのことでは御座いませんか?陛下の部屋に呼び出されるとは」
「うむ。折り入って話があってな」
「サンドラ、出してくれ」
「承知致しました」
部屋付きの侍女がお父様と騎士団長にブランデーとグラス、氷を運んだ。
「カラン、カラン」
侍女が二つのグラスに氷を入れると、頭を下げてから部屋を出て行った。
お父様はブランデーの瓶のコルクの栓をキュキュッと小気味の良い音を出しながら引き抜くと琥珀色のブランデーをグラスへ注いだ。
「トクトクトクトクッ!」
騎士団長は初めての光景に面食らい、言葉を発することも忘れてお父様の動作を見守った。
「カララン!」
グラスを持ち上げると氷がグラスの中できれいな音を奏でた。
そのグラスを目の前に差し出された騎士団長は、きょとんとしたままグラスを受け取った。
「へ、陛下これは・・・一体?」
「そうだな。訳がわからんだろうな」
「大体、まだ仕事の最中なのですが・・・」
「今日は良いのだ。記念の日だからな」
「記念?なんのでしょうか?」
「まぁ、もう少し待て。いいからまずは乾杯だ」
「アルカディウス帝国とバーナード公爵家に乾杯!」
「乾杯!」
「カキンッ!」
騎士団長は訳もわからず乾杯し、ブランデーを口に流し込んだ。
氷で冷やされ、冷たい筈の液体が、喉を通り過ぎると熱を帯び、燃える様に感じた。
「はぁ~昼間の酒は効きそうですね!」
「今日くらいは良いだろう。さぁ、もっと飲むが良い!」
「トクトクトクトク」
「ニコラスよ、共に学校を卒業してから何年経つのだろうか?」
「そうですね。22年でしょうか」
「そうか。22年前なのだな。お前は直ぐに子を儲けたが、私はエリアスが生まれるまで4年掛かったのだったな」
「そうです。その間に私は二人の息子を授かりました」
「皇帝となる重圧というものがあったのかも知れないな」
「しかしながら、エリアス様という神様を授かったのですね」
「あぁ、これも運命というものなのだろうな」
「流石は皇帝陛下です。素晴らしい強運をお持ちなのでしょう」
「そうか、ではニコラスも大変な強運の持ち主の様だな」
「え?私が?で御座いますか?」
「あぁ、そうだ」
「あ!確かに、次男のフェリックスがエリアス様の侍従に選ばれたのですからね」
「それだけではない様だぞ?」
「え?それだけではない?」
「まぁ、飲め!」
「トクトクトクトク」
「おっとっと!なんでしょう?それにしても美味い酒ですね!」
「そうだろう。これからもっと美味く感じることだろうな」
騎士団長は何故、こうなっているのか判らず、度々、皇帝陛下に訊ねるのだが、のらりくらりと躱され、意味が判らないまま、勧められるままに酒を飲んでいた。
「トントンッ!」
「ん。来た様だな。入れ!」
「はい。お父様!失礼致します!」
「え?」
騎士団長が入口へ振り返ると、そこにはリカルド皇子殿下と自分の娘が手を繋いで立っていた。
「ん?ミシェル?」
「お、お父様!」
「あ!騎士団長!」
騎士団長、ミシェル、リカルドが揃って驚きの声を上げた。
「え?何故、ミシェルがリカルド皇子殿下と一緒に?」
「わからんだろうな」
リカルドはミシェルの手を引き、お父様の目の前まで進むと、一度深く深呼吸して意を決すると話し始めた。
「お父様、私はこのミシェル・バーナードを妻に迎えることとなりました」
「うむ。そうか、わかった」
「え?妻?ミシェルが?」
「そうだ。これでわかったか?ニコラス。お前の娘はこの帝国の次期皇妃となるのだ」
「こ、ここ・・・皇妃?」
「お父様、先程、リカルド様に求婚いただきまして、結婚をお受けしました。よろしいでしょうか?」
「え?そ、それは・・・許すも許さないも・・・ない・・・だろう」
「はい。ありがとう御座います」
「バーナード公、ありがとう御座います」
「あ、い、いえ。こちらこそ。む、娘をよろしくお願い致します」
「という訳だ。ニコラス。改めて乾杯しようではないか!」
「は、はい!」
「では、アルカディウス帝国とバーナード公爵家の繁栄を祝して」
「乾杯!」
「カキーンッ!」
本来であれば、リカルドとミシェルの婚約は翌日には発表されるのだが、僕からお父様にアルフォンソ王家への根回しが済んでからの方が良いと申し入れ、発表は延期してもらった。
それからしばらくは、平穏な日常が続いた。
表向きには僕とアニエス、フェリックスとフィオナの結婚だけが発表され、ガブリエルとレティシア、リカルドとミシェルのことはまだ秘密だ。
まぁ、ガブリエル以外の3人はまだ1年生なのだ。急ぐ必要もない。当然、学校では平静を装い、フェリックスとフィオナ、ミシェルは護衛らしく毅然とした態度で警戒を怠らずに居る。
ただ、アニエスだけは平気な顔で密着してくる。だが、これは婚約する前からのことなので既に誰も気にしなくなっている様で助かっている。
3年生も後半に入り、デビュタントが近付いている。
そして、ガブリエルはこのデビュタントには参加しないことが決まっている。
僕は気にすることはないと思ったが、本人はやはり目立つことは避けたい様だ。まぁ、レティシアのこともあるので、その方が助かるのだが。
勿論、僕はアニエスと出席するし、フィオナもフェリックスと出席だ。リカルドとミシェルは2年後だから良いとして、問題はキースのお相手だ。
日に日に貴族令嬢たちのキースへのアタックが強くなって来ていた。
毎日、何人かの令嬢がキースの所へやって来てダンスの申し込みをする。普通は男性が女性を誘うものなのに、だ。
それを見ていて僕は、アニエスと婚約しておいて本当に良かったと実感した。
「キース、毎日大変だね。僕はアニエスと婚約しておいて本当に良かったよ」
「そうね。私もエリアスが毎日、令嬢たちに言い寄られるのを見るのは辛いもの」
ジュリアは僕らのやりとりやキースに申し込みをする令嬢たちを見ていて、明らかに様子がおかしかった。アニエスはそれを敏感に感じ取りジュリアに話し掛けた。
「ジュリア、最近落ち着かないわね?どうかしたの?」
「い、いえ、何でもありません。大丈夫です」
「ジュリア、こっちに来て」
「え?あ!」
アニエスは無理矢理、ジュリアの手を引いて教室を出て行った。
学校の庭園に出ると花壇の真ん中に在るガゼボに入って二人で座り、花を眺めながら話した。
「何でもないってことはないでしょう?」
「だって・・・令嬢たちが代わる代わるキースにダンスの申し込みをするのをずっと見せられるのですもの」
「気になるのね?どうして気になるのかしらね?」
「キースは断っているのに!次から次へと・・・」
「そうね。皆、どうしてキースを諦めないのかしらね?」
「それは・・・キースが選ばないからよ!」
ジュリアはいつの間にか、友達と話す様な口調になっていることに気付いていない様だ。
「キースは選んでいるじゃない」
「え?皆、断っているのよ?見ているでしょう?」
「いいえ、ずっと前からキースは申し込んでいるわ。でも、返事をしていない女性が居るのよ」
「え?それって?」
「判らないの?」
「それって、まさか・・・私?」
ジュリアは右手の人差し指を自分の胸に指して言った。
「えぇ、そうよ。キースはあなたに初めて逢った時から惹かれて、ずっと可愛い、美人だ、素敵だって伝えているじゃない。それにいつまででも待つって」
「そんな!キースは本気だったの?」
ジュリアの瞳はきょろきょろと辺りを見渡し、落ち着かない。
「冗談だと思っていたの?」
「それは・・・」
「まだ本気だと受け止めたくなかったのよね?もう少し時間が必要なのかしら?」
「え、えぇ・・・そうね・・・だって、私は・・・」
「まだ、お父様や怨獣が憎いの?」
「だって、あの人は・・・お母様を見殺しにしたのよ・・・」
「ジュリアにはそう見えていたのね?でも、お父様は本当にジュリアのお母様を愛していなかったのかしら?」
「それは・・・判らない・・・」
「怨獣への憎しみはどうかしら?もうかなりの数の怨獣と戦ったわよね?怨獣を倒すと気が晴れるのかしら?」
「それは・・・違うと・・・思い始めているわ」
「そうね。ジュリアは変わって来ている。とても良い方向にね。あと少しなのだと思うわ」
そう言ってアニエスはジュリアを抱きしめると、全身に白いマナを纏い、ジュリアを包み込んで癒した。
「あ・・・あぁ・・・」
アニエスはジュリアのおでこに自分のおでこを重ね、瞳を赤く光らせながら記憶を遡った。
そこは、今から16年前のマルティーニ侯爵家。
当主のヴァレリオ・マルティーニはロンバルディ王国王立病院の院長で医師だ。ジュリアの母も同じ病院の研究者であった。
ふたりは職場で出会い、貴族では珍しく恋愛を経て結婚したのだった。
マルティーニ医師は、主に魔力器官の病気を担当することが多かった。それは代々、マルティーニ侯爵家の当主が医師で、息子に知識と技術を伝承していたからだった。
だが、ジュリアの父が医師になった頃から、魔力の強い貴族の治療を神殿が受けてくれなくなったのだ。何度もロンバルディ王を通じで神殿には治療の打診をしたのだが、聞き入れてもらえなかった。
患者の中には、マルティーニ医師が治療を拒んでいるのだと、歪曲して受け取る者も出始め、マルティーニ医師は苦悩していた。しかし成す術はなく、命を落とす高位貴族が何人か出てしまっていた。
そして、ジュリアが8歳の時、マルティーニ侯爵家に怨獣が現れたのだ。
夕食の最中だったため、家族は全員食堂に揃っていた。突然、出現した怨獣に皆、パニックになり、誰一人として魔法攻撃を撃ち出すことができなかった。
特に父、ヴァレリオは医学の研究に明け暮れ、生活魔法以外の魔法を使う機会がなく、怨獣と戦うなどということは微塵も頭にない人だったのだ。
怨獣は狙いを定めたかの様に、ヴァレリオに真直ぐ向かって行った。
「ひ!ひぃーっ!」
ヴァレリオは情けない悲鳴を上げ、床にへたり込んだ。
それを見た妻のマリア・モレッティ・マルティーニが意を決し、水属性魔法の呪文を唱えながら、ヴァレリオと怨獣の間に割って入った。
「オーケアノスの大地よ。我に水の恩恵を与えよ!」
「クキャキャキャッ!」
頭に2本の角を持った、水牛の様に真っ黒く大きな怨獣が気味の悪い声を上げ、右前足を振りかざした。
「水の槍よ!敵を射抜け!」
「ビュッ!ビュッ!ビュッ!」
妻のマリアの水の魔力は90と強い。だが、怨獣との実践は初めてのことで終始手が震えていた。そのため、水の槍は怨獣の腕を掠めるだけで命中はしなかった。
マリアの攻撃に一瞬ひるんだ怨獣も、今度は左前足を打ち下ろして、マリアを殴り飛ばした。
「バキッ!」
どこかの骨が勢いよく折れた音が食堂に響き渡り、身体は壁まで飛ばされて鈍い音を立てた。
「ドスン!」
「ぐえっ!」
「お母さま―っ!」
ジュリアが叫んでマリアに駆け寄り、抱きかかえ様としたが、既に首が折れており息絶えていた。
怨獣がヴァレリオに迫り、右前足を振り上げた。もう駄目だ!皆、殺される!ジュリアがそう思った時、夢幻旅団の騎士が食堂に飛び込んで来た。
「怨獣め、そこまでだ!水の槍、連弾!」
「ビュッ!ビュッ!ビュッ!ビュッ!ビュッ!」
「ギィヤァーーッ!」
怨獣に次々と正確に打ち込まれる槍が、身体を粉々にしていった。
「あ、あぁ・・・よ、良く・・・来てくれました・・・」
「マルティーニ侯でいらっしゃいますか?大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です。ですが・・・妻のマリアが・・・」
「お父様!早くお母様を!」
ジュリアの兄のフランコが叫んだ。
「お兄様!お母様が息をしていないの!」
ジュリアは大粒の涙を零しながら必死に訴えた。
「嫌!嫌よ!そんなの・・・いやーっ!」
ジュリアの妹のアマリアが泣き叫んだ。
「あぁ・・・マリア・・・マリア・・・」
ヴァレリオはマリアの首に指を当て、脈がないことを確認して力無く呟いた。
「何故、こんなことに・・・」
フランコが息絶えた母を悲しい瞳で見つめながら静かに言った。
「お父様。何故、我が家に怨獣が出るのですか?」
「それは・・・わからんが・・・」
「何故、お母様が殺されなければならなかったのですか!」
「どうして!どうしてお父様は戦わなかったのですか!うちで一番魔力が強いのに!どうしてお母様を見殺しにしたのですか!」
ジュリアは母を抱きながら、まだ8歳だというのに父を睨みつけ、問い詰めた。
「すまない・・・私が意気地なしだったばかりに・・・マリア・・・」
父はその場で崩れ落ちた。
ジュリアはお母様をゆっくりと床に寝かせると、すっくと立ちあがり、父を睨みつけながら叫ぶ様に言い放った。
「もういいわ!私が騎士となり、お母様の無念を晴らすから!」
お読みいただきまして、ありがとうございました!




