76.生還
アニエスの母、サンドリーヌを完全な人間とするために、僕は魔力を流した。
僕の右腕は金色の光に、左腕は白い光に包まれ、首筋から魔力を流し込んでいった。
髪の色は左側が金色、右側が白く輝いた。
「あ!あぁ・・・」
「少し、痺れますか?」
「あ、え、えぇ、少しだけ・・・」
「今、全身の末端の神経にまで魔力を流し、身体を整えています」
「あぁ・・・でも、心地良いです・・・」
サンドリーヌはそう言って微笑み、安らかな表情となった。すると髪の毛の色が徐々に黒から白くなっていき、瞳も黒から碧くなった。
『あぁ、お母様の髪が・・・エリアスみたいに白くなっていくわ。瞳も碧くなった。いいなぁ・・・エリアスと一緒なんて・・・』
僕にはアニエスの心の呟きが聞こえていたが、魔法に集中している振りをしてアニエスに話し掛けなかった。だって僕はアニエスの黒い髪が好きだから。
サンドリーヌは肌の色も真っ白になって来て、頬や首元が徐々に血の通うピンク色となった。
「サンドリーヌお母様には、聖属性魔力が多くある様ですね」
「そうね。お母様も聖女の様ね」
『私が聖女?聖女なんて・・・そんなこと・・・良いのかしら?』
「お母様は聖女です。良いも悪いもありません」
「え?アニエス、私の心が読めるの?」
「サンドリーヌお母様、私やアニエスの様に聖属性魔力が多くあると、同じ聖属性の魔力を持つ者の心と通じて読めてしまうのです」
「え?ではエリアス様も私の心が読めるのですか?」
「えぇ、そうですね」
「お母様、私とエリアスは言葉に出さずとも会話ができるのですよ」
「凄いわ!アニエス!」
「ふふっ、凄いでしょう?」
「それはそうと・・・ミハイロはどうしているのですか?」
「司祭のことですか?彼は神を裏切って闇属性魔法を操り、人工的に怨獣を創り出すことに没頭していました。それは司祭の先祖が皇帝に対して抱いていた怨みを晴らすためと思われます」
「そしてその企みが露わになり、エレボスへ逃げ込み、姿を隠しているのです」
「そうですか・・・」
「お母様、あの人が憎いですか?」
「いいえ。先程、エリアス様に力を授かった引き換えに記憶の一部が消えている様なのです。ミハイロのことはうっすらとしか覚えていません」
「あぁ、治療によって悪い記憶も消し去ったのですね。エリアス、ありがとう」
「うん。記憶の全てを消してしまうと心が不安定になると思ったので、古い記憶の方だけを消したんだ」
「エレボスへ行った後のことなら覚えていますか?」
「はい。エレノーラ様は私を救ってくださっただけでなく、様々なことを教えてくださいました。それらは全て覚えています」
「それなら良かった」
「お母様、私たちと一緒に居れば、もう司祭の手に落ちることはありません。安心して暮らせますよ」
「えぇ、そうですね。今度、この城の隣に聖アニエス病院を建設するのです。そこは私たちの家でもあります。そこでサンドリーヌお母様も人の病気の治療を覚えて、病気の人々を癒してみては如何ですか?」
「まぁ!私にその様な仕事ができる様になるのですか?」
「えぇ、お母様ならばできますよ」
「嬉しいわ!アニエス!エリアス様、ありがとうございます!」
サンドリーヌの背格好はアニエスとほぼ同じだ。アニエスの真っ白な聖女のドレスを着たサンドリーヌは既に聖女にしか見えなかった。
皇帝の部屋では、お父様とお母様がくつろぎながら話していた。
「陛下、エリアスは本当に神・・・だったのですね」
「その様だ。私も驚くことばかりだよ」
「でも、そのお陰で私は救われました」
「エレノーラが居ない間に、この世界はエリアスが新たに創った法案や施策によって変革され、怨獣のことも詳しく解き明かされた。より良い世界へと導かれているのだよ」
「まぁ!私たちの息子がその様な・・・」
「あぁ、誇らしいことだ。エリアスの活躍はテレビ番組で特集が組まれ放映されている。それを観ればエリアスの成長も見ることができるだろう」
「それは楽しみですね!」
「それよりも、あの黒髪の女性はアニエスの母だと言うのは本当か?」
「サンドリーヌですね。えぇ、そうです。元は怨獣であったものを繰り返し人間と掛け合わせ、人間に近付けた様です」
「ただ、アニエスを産んだ後、神殿の地下室で放置され、死が迫った時にエレボスの死の縁と呼ばれる場所に捨てられたのです」
「それを私が聖属性魔力で癒し続け、命を繋ぎ、また少し人間に近付けたのです」
「では危険も無く、このまま人として生きて行けるのか?」
「私にはそこまでは解かりません。ですが今のところ危険を感じたことはありませんし、人の文化や文明、言葉や常識を教えて来ましたので問題は起こさないだろうと思います」
「そうか、アニエスやエリアスと一緒に暮らすのであれば大丈夫だろう」
「ところで、アニエスは大丈夫なのですか?先程のあの変化といい、魔力も強そうですね」
「アニエスか・・・恐らく、大丈夫だと思う」
「エリアスと離れないって・・・ふたりは既にそういう関係なのですか?」
「あぁ・・・そのことなのだが・・・ふたりはな、そういうことに関しては奥手の様でな」
「では、ふたりにはまだ何もないのですね?」
「いや、それが・・・」
「それが?」
「毎晩、一緒に眠ってはいるのだよ」
「え?同じ部屋で?同じベッドで・・・ということですか?」
「まぁ、そういうことだ」
「それで何もないって、どうして判るのですか?」
「エリアス自身がそう言うのだよ。彼は前世でも女性とその様な関係になったことがないそうで、どうしたら良いのか判らないそうだ」
「そして、アニエスもあの様な不思議な娘だ。どこか聖獣の様で掴みどころがない。その辺の貴族の娘とは全く違うのだ」
「では、結婚はしないのですか?」
「あぁ、結婚か・・・エリアスは自分が無能だということで、皇帝を継ぐつもりも結婚をするつもりもなかったのだ。無能な子を増やす訳にはいかないと言ってな」
「あぁ、そうでした!そう言っていましたね・・・」
「だが今は無能ではない。しかし、神の後継となってしまったので皇帝の座はリカルドに譲ると宣言しているのだ」
「では、皇帝は継がないとしても神の後継となるからには、結婚して子を儲ける必要はあるのですね?」
「神の後継がどう生まれるのか判らん。まだエリアスの考えは聞いていない。それよりもエレノーラを取り戻すことが先決だと言っていたからな」
「では、結婚を考えるのはこれからなのですね?」
「うむ。だが、アニエスで決まりだろう」
「そうですね。生涯、離れないのですものね」
「エレノーラはアニエスがエリアスの妻になることに反対なのかな?」
「いえ、まだアニエスのことを良く知らないので・・・」
「まぁ、先程のアニエスの姿を見れば、そう思うのも無理はないだろうな」
「えぇ、彼女には神の様な優しさと王族のような荘厳さを感じました。ただ、それだけではない何か・・・も。ですが、今までの二人を見ていてその様な不安はなかった。陛下はそうおっしゃるのですね?」
「まぁ、そういうことだな。エリアスを癒すことができるのはアニエスだけなのだと思う」
「・・・わかりました」
「それで、エレボスから救出された他の者たちは、これからどうするのだ?」
「えぇ、元々人間で攫われて来た者たちは、暮らしていた地に帰すつもりです。ですが、元怨獣だった者たちについてはどうするか・・・」
「うむ。人間の社会に馴染めるとは考えられないな」
「エリアスに相談してみましょう」
「それが良いだろうな」
そして、晩餐の時間となった。大広間に昼間集まった者たちを全員招いて食事会を催すこととなった。
既に招かれた騎士や侍従たちが席に着いているところへ、お父様とお母様、アドリアナお母様とリカルド、僕とアニエス、そしてアニエスの母が入場した。
すると、アニエスの母の変化に皆が気付き、その姿に釘付けとなり、ざわざわし始めた。
皆が席に着くと、まずはお父様が皆へ挨拶をした。
「皆の者、挨拶は良い。座ったままで聞いてくれ」
「今日はエリアスがエレノーラ皇妃をエレボスより救い出しためでたい日となった。まずはエリアスに礼を言う。ありがとう」
「いいえ、当然のことをしたまでで御座います」
「エレノーラ皇妃より、一言もらおうか」
「皆さん。長らく城を不在にし、ご迷惑をお掛けしたこと、ここにお詫び致します。そして、地獄より救い出してくれたエリアス。本当にありがとう。感謝しています」
「では、皆の者。今宵はエレノーラの帰還を祝い、食事と酒を楽しむが良い!」
「エレノーラ皇妃殿下!万歳!乾杯!」
「乾杯!」
「お母様、お帰りなさい!」
「エリアス、本当にありがとう!」
「エレノーラ様、御生還を心よりお喜び申し上げます」
「アドリアナ妃、ありがとう。留守の間、帝国城を護っていただき感謝します」
「ありがたいお言葉に御座います」
「エレノーラお母様、お帰りをお待ちしておりました」
「リカルド様、ありがとう存じます。この8年で立派にご成長されましたね」
「いえ、まだまだです。お兄様に少しでも近付ける様、更に精進いたします」
「素晴らしい心掛けです」
「エレノーラお母様、改めまして、アニエスで御座います。今後ともよろしくお願いいたします」
「アニエス、エリアスの命を救い、支え、護ってくれていたのですね。色々あったと聞きました。本当にありがとう」
「はい。私は生涯、エリアス様に尽くして参ります」
「あ、あら?サンドリーヌなの?あなた、その姿は一体、どうしたの?」
サンドリーヌの瞳は碧に髪はシルキーホワイトになっていた。
「あぁ、私も先程から気になっていたのだ。エリアス、アニエスの母はどうしたのだ?」
「ドラゴンから言われていたのです。治療をしろと」
「ドラゴンから?では、エレボスに居ることも知っていたのか?」
「えぇ、ドラゴンは何でも知っています」
「それで治療した結果、あの様な姿になったのか?」
「はい。サンドリーヌお母様は聖女です。お母様よりも少し魔力が強いかと思います」
「まぁ!聖属性魔力が100の私よりも強いの?」
「えぇ、そうですね。因みにアニエスはこの世界の魔力の数値でいうならば、1000以上あります。そのために神や聖獣と会話ができ、同じ聖属性魔力を持つ者と通じるため、心で考えたことが伝わるのです」
「えーっ!」
会場の皆が一斉に声を上げた。
「え?ではアニエスやエリアスには私の考えていることが判ってしまうの?」
「はい。心の声が聞こえてしまいます」
「そ、そうなの・・・気をつけないといけないわね」
お母様とアドリアナお母様は顔が引きつり言葉を失った。
「え?ではアニエスの魔力が1000ならば、エリアスはもっと強いの?」
「それは・・・知らない方が良いでしょう」
「そ、そんなに・・・でも、今日のあの力を見れば判ります」
「お母様、私が恐ろしいですか?」
「い、いえ!そんなこと考えていませんよ?そうでしょう?」
「えぇ、そうですね。ここに居る皆の心を代弁して言ってみただけです」
「もう!からかわないでください!」
「ふふっ、お母様、ごめんなさい」
「それにしても・・・大きく、美しい男性に育ったのですね・・・」
お母様は感慨深げにそう言うと、僕を見つめて微笑んでいる。
「お母様、そういう恥ずかしい言葉は口に出さずに、心の中だけで考えていただければ」
「あ。なるほど!そういう使い方なのね?」
「えぇ、ちょっと恥ずかしいですけれどね」
僕ら親子のほのぼのとした会話で、会場の皆が和やかな雰囲気になった。
「エリアス様、皇妃殿下がお戻りになったこと、誠におめでとう御座います!」
グレースがそう言って満面の笑みを浮かべた。
「グレース、ありがとう。そうだ、お母様。私の侍従を紹介しないといけませんね」
「えぇ、お願い」
「こちらから、レオン・バルデラス。その妻でグレース・ボナールです。グレースは私のお付きの侍女を務めていたのです」
「よろしくね。レオン、グレース。お腹に赤ちゃんが居るのね?」
「はい。ありがとう存じます。私たちは本当に殿下にお世話になっているので御座います」
「次にキース・ジョンソンです。お母様の母国出身です」
「ジョンソン侯爵家のご子息ね?」
「はい。親子共々、お世話になっております」
「お父様はご健在なのね?」
「はい!あちらに!」
キースが指し示した先で、キースのお父様が立ち上がり、胸に手を当て頭を下げた。
「次にジュリア・マルティーニです」
「ロンバルディ王国のお嬢さんね?」
「初めてお目に掛かり光栄に存じます」
「とても素敵なお嬢さんね」
「次にフィオナ・シュルツです」
「今度はシュナイダー王国のお嬢さん。あら?5カ国から1人ずつ侍従にしたの?それに皆、とても魔力が強い様ね?」
「えぇ、魔法の研究として魔力の強い人を集めたのです。今ではグレース以外の4人は、聖獣から魔力を追加で付与され魔力が100あるのです」
「まぁ!そんなこともできるのね!」
お母様に侍従たちと旅団を創ると言ったら、きっと凄く心配するのだろうな。
お読みいただきまして、ありがとうございました!




