70.覚悟
2週間の研修中はカオスで寝泊まりする。翌朝いつもの様に鍛錬に出掛けた。
すると、エレノア、エレーナとイグナーツにバティストの4人がランニングについて来た。
「殿下、毎朝この様な鍛錬を?」
「エレノア、前世からのクセでね。身体が鈍るのが嫌なんだ」
「ただ走るだけなのですか?」
「まぁ、見ていてごらん。ついて来られるなら真似てみると良いよ」
そう言うと、いきなり貴族の家の塀に飛び乗って走る。そこから木へ飛び移り、木から木へと渡り、宙返りして地面へ降りる。
しかし、流石は夢幻旅団のナンバー騎士だけはある。全員が難無くついて来る。
「流石は夢幻旅団のナンバー騎士だ。問題なくついて来るね」
「これは素早く動くための鍛錬ですか?」
「そうだね。準備運動みたいなものだよ」
「これが準備運動?あとどれくらい走るのですか?」
「まだ、四分の一も走っていないよ?」
「え?まだ四分の一?」
「さぁ、身体が温まってきたね。スピードを上げるよ!」
「はい!」
大体、10km程を後半は駅伝位の速度で走るのだ。ついて来られる者は居ないかと思ったが、エレノアとイグナーツは何とか完走した。エレーナとバティストは四分の三くらいで脱落したが。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・で、殿下・・・全く息が上がっていませんね」
「ふふっ、5歳の頃から走っているからね。剣術の基本なんだよ」
「あぁ、そうそう、殿下ではなくてエリアスでいいからね」
「え?そんなこと・・・よろしいのですか?」
「良いのさ。堅苦しいのは嫌いなんだ。あの貴族の挨拶とかね」
船に戻ると剣術の鍛錬だ。船の前で一人、素振り、打ち込みや切り返しを黙々とこなしていた。それを団長たちが物珍しそうに眺めていた。
「ビュッ!ビュッ!ビュッ!シュバッ!シュバッ!」
「おいおい、剣の動きが早過ぎて見えないんだけど・・・」
「ねぇ、あれって、特別な剣なのでは?あんな色の剣、見たことがないわ」
「あぁ、あれはキレイカルコスの剣。殿下の母上、エレノーラ様が錬成したものだ」
「キレイカルコス!では、メイソンと真っ向から剣を合わせていたら、メイソンの剣は真っ二つに斬られていたのですね・・・って、では団長はそれを知っていて試合をさせたのですか?」
「あぁ、言って聞かない輩には、身体に受けた痛みで覚えてもらわないとな」
「団長も人が悪い!しかし・・・あの剣さばき・・・素晴らしいですね」
「うむ。一朝一夕にできる様になるものではないな」
団員たちがそんな話をしているとも知らずに鍛錬を終え、シャワーを浴びて食事の席に着いた。
「あの、エリアス様、聞いても良いですか?」
「うん?キアラ、なんだい?」
「聖女様を同行しているのは何故なのですか?昨日もエリアス様がメイソンたちを治療しましたよね?」
「あぁ、それはね、アニエスは侍女役でもあるんだ。お風呂の手伝いとかね」
「え?お風呂!ご一緒に入られているのですか?」
キアラは顔を真っ赤にして興奮している。
「一緒に入ってはいないよ。私の髪を洗って流してくれるんだ」
「でも、今は魔法を使えるのですよね?」
「使えるね。でも、ああいう細かい魔法はまだ上手く使えないんだ。トイレだけはなんとかできる様にしたけれどね」
「はぁ・・・そうなのですね。あら?昨夜は同じ部屋に泊まられたのですか?」
「そうですよ。私とエリアスは城でも同じベッドで眠っているのですから」
「キャーッ!同じベッドで?え?もう婚約されているのですか?」
「それは・・・していないけれど・・・」
「え?何故?どうして婚約されないので?」
「うーん。まぁ、色々とね。でも、私とアニエスは一生離れることは無いよ」
「あぁ・・・素敵!一生離れない・・・そんなこと、私も言われてみたいわ!」
「この中にはお目当ての方は居ないのですか?」
「このメンバーは・・・ねぇ?」
「みんな、何かしら傷を抱えているからね・・・」
エレノアの言葉に皆は黙り込み、窓の外を見るともなく眺めた。
それから1週間のうちに3度の出動があった。どれもそれ程強い怨獣ではなく、ものの数十秒で片付けられた。
僕は魔法の熟練度の高さに驚いた。帝国騎士とは怨獣への慣れが全く違う。まぁ、対怨獣の特別部隊なのだから当たり前だと言ってしまえばそれまでなのだが。
でも、立ち回り方、魔法の打ち方、連携の仕方には勉強になることが多かった。
皆とも会話が多くなり、打ち解けて来たかなと思った頃、フェニックスの言っていたエレーナの実家に怨獣が出現したとの知らせが届いた。
「ヒュィーン!ヒュイーン!ヒュイーン!」
「アルフォンソ王国、ノリエガ侯爵家の城に怨獣出現!」
「直ちに出動するぞ!」
「シュンッ!」
金色の魔法陣を抜けると、眼下に城が見えた。その中程の階の窓から火の手が上がっている。
「城から火が出ているぞ!キアラ、降りたらまずは火を消火してくれ。副団長も降りるんだ。操縦はメイソンに任せるぞ」
「御意!」
「エレーナ、お前はどうする?船に残っても良いんだぞ?」
「いいえ、行きます」
「そうか、では行くぞ!」
いつもの様に墜落する様に高度を落として着陸すると、一斉に城の中へとなだれ込む。
僕も最後に降りると、真横に何かが走る音と赤く明るい光が迫って来た。
「タタタタタッ!」
「クルーッ!」『エリアス!また会えた!』
「フェニックス!この前言っていたことが本当になってしまったね」
「クルルーッ!」『見えていたの』
「そうか、一緒に行くのか?」
「クルーッ!」『行くわ!』
「エリアス!フェニックス!私も行くわ!」
「アニエス!危ないよ!」
「クルルーッ!」『アニエスは私が守るわ!』
「そうか、それなら構わないよ。アニエスはフェニックスに乗って!」
「えぇ!」
フェニックスはアニエスを乗せるためにカオスへと飛んで行った。
城とは言え侯爵家なので帝国城と比べてしまえば小さい。僕らは二手に分かれて城内に突入した。廊下には使用人たちが逃げ惑い、大声を上げて走って来る。
「怨獣はどこだ?」
「2階の食堂です!まだ、旦那様と若旦那様がいらっしゃいます!」
「火が出ているのも2階か?」
「はい!左様です!あ!姫様!」
使用人はエレノーラの顔を見ると目を見開き、姫と叫んだ。
「ペドロ、どうなっているの?」
「食堂に旦那様とアウレリオ様が!」
「アウレリオが?あの子は戦えないのに何故?」
「怨獣が出入口に出現して逃げられなかったのです!」
「わかったわ、ペドロは早く逃げなさい!」
「も、申し訳御座いません!お二人をお願いいたします!」
「えぇ、任せなさい!」
「団長、こちらから上がりましょう!」
エレーナの後に団長、バティスト、僕とフェニックスに乗るアニエスが続いた。狭い階段でフェニックスが気になったが、振り返ると器用に首と足を縮めてアニエスの頭ギリギリで昇って来る。
階段を上がるとそこは厨房だった。その中を走り抜ける。
「食堂はそこです!」
そう言ってエレーナは厨房から食堂へ飛び込んだ。僕たちも食堂に入った。
食堂正面の入口からは副団長、ゾーイとキアラが飛び込み、直ぐに燃えているテーブルやカーテンの消火を始めた。
僕らと怨獣の向こうに当主とその息子と見られる二人が窓際に追い詰められていた。
「アウレリオ!」
「お、お姉様!」
するとエレーナの声に怨獣が振り返った。人型・・・・ん?人?いや・・・猿か?
猿ならば人型と見分けがつかない。ただ、猿にしては大きい。魔力が強いのではなかろうか。
「エ、エレー・・・ナ」
「え?」
怨獣がこちらに振り向きエレーナを見つめると名を呼んだ。なんだ?団長も戸惑い、動きを止めた。他の騎士も皆、エレーナに集中している。
一瞬、皆が動きを止めた時だった。怨獣は一度の跳躍で当主ブラウリオ・ノリエガの目の前に跳び、右腕を槍の様に変化させ、胸を貫いた。
「シュッ!ドシュッ!」
「グ、グエッ!」
「ボタボタボタッ!」
当主は胸と口から夥しい量の血を吐き出した。
「お、お父様!」
アウレリオは怯えながら怨獣から後退りしていく。
「ア・・・アウ・・・レリ・・・オ」
「え?」
今度は怨獣がアウレリオと呟いた。
「待って!その怨獣は、エレーナのお母様よ」
「え?」
そこに居た全員がアニエスに振り返った。
「なんだって?」
「クルー」『そうよ。そこに居るのは親子4人だわ』
「フェニックスもその怨獣はエレーナの母上だと言っている」
「お、お母様?」
「な、なんだって・・・ロ、ロレーナ・・・なのか・・・」
当主は息も絶え絶えに声を絞り出した。
「クルルーッ!」『エリアス、怨獣に聖属性の魔力をぶつけるのよ』
「怨獣に?そうか、わかった」
僕は良く解からないままに聖属性の魔力を怨獣に当てた。僕の全身が総毛立つ感覚に包まれ、全身が白く光り、瞳が碧く輝いた。そのまま右手を怨獣に向けると、
「ビカッ!」
光が一閃し、怨獣を包み込んだ。
すると怨獣の顔の部分が光の中で女性の顔に見えて来た。赤毛で赤い瞳をした女性だ。
「お母様!」
「エレーナ、アウレリオ・・・元気でしたか?」
ロレーナの声は空気の中に振動する様に共鳴している。怨獣の口から出ている声ではない様だ。それは精神力が聖属性魔力で増幅され、空気を振動させて音にしている様だ。
「お母様、何故、怨獣なんかに!」
「あなたが・・・エレーナが不憫で・・・心配で・・・」
「私はこの家を捨て、自由になったのです。それはお母様のお陰です!」
「いいえ、あなたは自由ではありません。心にはまだ、あの方が居るではありませんか」
「そ、それは・・・」
「あの方を想う気持ちに引きずられ、前に進めていないのです」
「で、でも・・・」
「あの方は、今でもあなたを待っていますよ?」
「え?待っている?」
「あなたは自由なのでしょう?」
「そ、それは・・・」
そう呟きながらエレーナは父親を見つめた。
「私はエレーナを後押しするために、ブラウリオを連れに来たのですよ」
「お母様・・・そんなに私のことを?」
エレーナは母の言葉に戸惑いながら、頭の中には母との記憶が走馬灯の様に巡っていた。
姉、カタリーナは父の命により、フレディ・メンドーサ公爵の後妻に入った。父と同じ歳の公爵に。
母は反対したが、聞き入れられなかった。父は姉を嫁に差し出す見返りとして、メンドーサから新しい鉄鋼産業の技術供与を受ける約束をしていたのだ。姉は泣きながらも命に従い嫁いで行った。
弟のアウレリオは自分の跡継ぎとして騎士にはさせず、代わりに恋人の居た私に騎士になる様に命じた。私は希望を失い自室に閉じ籠った。
「エレーナ、あなたにはカタリーナと同じ思いをして欲しくない。この家と縁を切ってでもエミリアノと結婚するのです」
「そんなことをしたら、エミリアノ様の家紋にご迷惑をお掛けしてしまいます!」
「そうかも知れないけれど・・・このままではエレーナ、あなたが・・・」
「もう、私のことは良いのです」
母は家紋と自己の利益だけを優先し、子の意思を踏み躙る父が許せなかった。そして、私が帝国騎士団に入団する前夜、母は父に剣を向けて言った。
「ブラウリオ、エレーナをシルバ伯爵の子息、エミリアノと結婚させてあげてください」
「何を馬鹿なことを!貴族は3人以上の子を儲け、最低1人は騎士に育て民を守ることが務めである。そんなことはロレーナも知っていよう?」
「でも、カタリーナは望まぬ結婚を強いられ、今でも泣いて暮らしているのです。この上、エレーナまでも苦しめるなんて断じて許せません!」
「貴様、それでも貴族の妻か!」
「えぇ、私にも貴族の矜持と人の親としての覚悟があるのです!力押しでも認めさせます!」
そう言うや、母は剣を振り上げ、父に斬りつけ様とした。
「お母様、お止めください!」
「お母様!危ない!やめて!」
アウレリオと私は必死に母を止めようとしたが、既に逆上し聞く耳を持たなかった。
「ロレーナ!血迷ったか!」
父は後ろに跳び、距離を取ると呪文を詠唱し、赤い魔法陣を出現させた。
「プロメテウスの炎よ我に力を!血迷ったこの女を焼き尽くせ!」
「ゴオッ!」
直径1mもの炎の玉が魔法陣から射出され、母を直撃した。
「ギャーッ!」
「アッ!アァァァー熱い!アァーッ!」
「バタッ!」
母はその場に突っ伏し、炎に包まれた。
「なんてことを!お母様は魔法を使っていないのに!」
「オーケアノスの大地よ!我に水の恩恵を!この炎を消したまえ!」
「シューッ!ジャバジャバジャバッ!」
アウレリオと使用人たちで水を掛け、火を消した。だが、既に気管支まで焼けており、呼吸は止まっていた。
私は母の前に跪き、泣き崩れた。
お読みいただきまして、ありがとうございました!




