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無能皇子と黒の聖女  作者: 空北 直也
56/97

55.幽冥

 ここはウーラノスの南極に位置する大陸エレボス。


 その最北端に在る死のほとりと名付けられた岬。


「エレノーラ様!大変です!」

「エメ、そんなに慌ててどうしたの?」

 エレノーラは大きな木造の屋敷の前で洗濯をしていた。帝国城で皇妃として暮らしていた時の姿は見る影もない。


 アザラシの毛皮で作った上着とスカート姿で、化粧も髪飾りもない質素な姿だ。


「死の縁に人が倒れているのです!」

 エレノーラと同じ出で立ちのエメは、ブルネットにくすんだ緑が混じった髪が背中まで伸びている。その髪を揺らしながらぴょんぴょんと飛び跳ねている。背丈も155cm程しかなく、まだ子供にしか見えない。


「え?人?本当に人なの?」

「あ・・・それは、で、でも人には見えました!」

「そうね。一見、人に見えてもここに居る人の半分はそうではないでしょう?」

「そうでした・・・」


「それで?危険は無さそうなの?」

「あ!はい!その・・・もう死んでいるのかも・・・」

「まぁ!それを先に言いなさい!直ぐに行くわよ!」

「はい!」


 エレノーラは手に持っていた洗濯ものをドサッと籠へ放り投げると走り出した。

「死の縁なのね?」

「はい!そうです!」


「あ!ちょっと待って、エメ。死の縁にひとりで行ってはいけないって言ったでしょう?」

 エレノーラは急に立ち止まると、エメに向き直って腰に手を当てて睨んだ。

「だって!なんだか気になったっていうか・・・誰かが呼んでいる様な気がして・・・」

「そうなの?そうだとしても。ひとりで行ってはいけないルールでしょ?」

「そうでした。ごめんなさい・・・」


「今日はもういいわ。兎に角、行ってみましょう」

「はい」

 エメは茶色の瞳をくりくりさせてエレノーラの後をついて走った。


「エメ、どこなの?」

「もっと奥です。あの木の向こうです」


 この死のほとりは、みさきをすっぽり全て透明のドームの様な結界で覆われている。その半径は3km程だ。

南極に位置するエレボスという大陸は、常にマイナス10度から50度の極寒の地だ。


 当然ながら普通の人間の暮らしができる様な環境ではない。だが、結界の中は春の様に暖かく、この中だけは森や畑も存在している。


 そして死の縁と呼ばれるこの場所は、結界の一番南に位置する暗闇との境目だ。

死の畔から居なくなった者はここで消えたと言われ、また新たに招き入れられた者もここから現れたと言われる場所だ。


 その結界の向こうは真っ暗な闇の世界。全ての光が吸収され、凍てつく空気と闇の魔力で満たされており、何人たりともそこで生を繋ぐことはできないと言われる地だ。


 その死の縁に女性が横たわっていた。一見、普通の人間に見えないことはない。

「やはり、普通の人間ではない様ね。エメ、見て御覧なさい。手と足の指の間にわずかに水かきの様なものが有るわ」

「ホントだ!お魚みたい!でも、どうして髪が真っ黒なの?」

「そうね。この世界で真っ黒な髪や毛と言えば、怨獣しか思いつかないわね」


「やっぱり、人ではなく、怨獣なのですか?」

「元は怨獣だったのでしょう。でもここまで人間に近付けることができるものかしら?」

「顔はすごく綺麗ね」

「えぇ、そうね・・・あぁ、エメ。大人の大きさのこの人を私たちだけで運ぶのは無理ね。ミアを呼んで荷車を持って来て頂戴」

「はい!直ぐに行って来ます」


 その場に残ったエレノーラは、女性を隅々まで観察する。

「確かに美しい顔ね。元が獣ではこうはならないわね・・・もしかして人間と怨獣の混血なんてことが?!まさかね・・・そんなことできる訳ないわね」


 女性の口元が気になり、指で口を少し開いてみると・・・

「まぁ!歯が獣の様に鋭いのね。魚?両生類かしらね・・・」

 すると口を開かれたことで女性が目を覚ました。

「ウ、ウゥ・・・」

「大丈夫ですか?」


 女性が力なく目を開くと、瞳はやはり黒かった。

「コ、ココハ?」

「ここは幽冥ゆうめいと呼ばれる黄泉よみの国。人の世界からさらわれ消えた者たちは、既に死んでいると思われているからでしょう」

「ユウメイ・・・」


「私はエレノーラよ」

「エ、エレノォラ」

 話し方が普通の人間ではない様ね。


「あなたに名前はあるのかしら?」

「ナマエ・・・サン・・ド・・リィヌ」

「サンドリーヌ?素敵な名前ね?!」

「ステキ・・・」


「サンドリーヌはどこに住んでいたの?」

「シラナイ」

「家族は居た?」

「カゾク・・・ア、アニ・・エス」


「アニエス?」

「コドモ」

「子供?サンドリーヌが産んだ子なのね?」

「アニエス・・・ミハイロ」


「ミハイロ?それは誰?」

「ワカラナイ」

 ミハイロ?司祭と同じ名前ね・・・


 するとサンドリーヌは目の前に手をかざして眩しそうにした。

「アレ、ナニ?ヒカリ・・・ミエナイ」

「あれは太陽よ。眩しくて暖かいでしょう?」

「ワカラナイ」

「太陽を見たことがないの?」


「ナイ・・・ヘヤカラデタコトナイ」

「まぁ!どういうことかしら?まさか閉じ込められていたの?」

「ワカラナイ」

「そう・・・では何故ここに居るのかも判らないわね?」

「ワカラナイ」


 ミハイロという人物が、サンドリーヌという半分人間で半分怨獣の生物を創り、アニエスという娘を産ませたのかしら?そうだとしたら恐ろしいことが起こっているわ。

あ!アニエスという娘は今、どこに居るのかしら?


「サンドリーヌ、アニエスは今、どこに居るの?」

「ミハイロ、ツレテイッタ・・・アイタイ」

「そう。アニエスに会いたいのね」


 でも、今は元気を取り戻すことが先ね。とりあえず治癒を掛けてみましょうか。

「サンドリーヌ、今からあなたを治療してみるわね。元気が出ると良いのだけど」

「チリョウ?」


「聖なるウーラノスの光よ、我に聖なる力を与え賜え」

 エレノーラの周囲に白く輝く聖なるマナが集まり始めた。

「この者を癒したまえ!」

 手が強く光り、サンドリーヌの胸にあてがわれると、サンドリーヌは笑顔になった。


「アァ・・・ヒカリ・・・ミハイロ・・・オナジ・・・」

 え?ミハイロと同じ?では、ミハイロとはやはり司祭のことなのね?これは大変だわ!

神の使徒である司祭ともあろう者が、怨獣で人体実験をしていたなんて・・・


 ということは、サンドリーヌは人体実験に使われて娘を産まされ、その娘を奪われて、用済みとなってここへ捨てられたということ?!


 え?ではここに居る、怨獣のなりそこない達も司祭が怨獣の実験をして捨てた失敗作ということなのかしら?


 でも、エメや私の様に普通の人間も攫われてここに居る・・・ここは一体何のための場所なのだろう?


 エレボスに人が暮らせる様に屋敷があり、温度管理された環境や畑も用意されていた。司祭がここを創り、利用しているのだろうか?


 では、サンドリーヌの娘、アニエスはどこでどうしているのだろう?


「サンドリーヌ、どうかしら。身体を動かせる?」

「え、えぇ、何だか力が出て来たわ・・・」

「あら、普通に話せるのね?良かった!」


「ミハイロはアニエスをどこへ連れて行ったのかしら?」

「知らないわ。私は部屋から出してもらえなかったから」

「そうね。太陽も見たことがないのですものね」

「外は明るいのね」


「サンドリーヌ、言葉はどこで覚えたの?」

「ミハイロが教えてくれました。それからは色々な本を読みました」

「では、ずっと元気だったのよね?」

「えぇ、でもアニエスを産んでからは、ミハイロがあの光を当ててくれなくなったのです」


「それで元気が無くなってしまったのね?」

「えぇ、そうみたいです」

 ということは、定期的に聖属性魔法で治療を続けないと生きて行けないということなのかしら?もっと頻繁に治癒を掛け続ければ良い効果が出るかも知れないわね・・・


「エレノーラさまーっ!」

「あ、エメ!」


「ガラガラガラッ!」

「荷車をお持ちしましたモー!」

「エメ、ミア。ありがとう」


「その人は誰なのモー!」

「ミア、この人はサンドリーヌよ」

「サンドリーヌ、こちらはエメとミアよ」

「サンドリーヌです」


「エメです!よろしくお願いします!」

「ミアだモー!よろしくモー!」

「モー?」


「あぁ、サンドリーヌ。ミアはね。元は牛の怨獣なの。それで牛の名残なごりがちょっとね」

「サンドリーヌ、これに乗るといいんだモー!」

「そうね。まだ歩くのは危ないわ。ここに座って」

「はい。ありがとう」


「ガラガラガラッ!」

「さぁ、屋敷へ案内するわ。サンドリーヌも今日から一緒に暮らしましょう」

「私も?私が居ても良いのですか?」

「勿論よ。ここに居るのは、元は人型の怨獣と人間が半々くらいの割合ね。みんなで寄り添って暮らしているの」


「ずっとここに居るのですか?」

「私はここに来て7年になるわね」

「エメは4年だよー」

「ミアは6年だモー!」


「あ!ラウラ!」

「ん?え?」

「ラウラ、どうしたの?」

「なんだ?この匂いは?グルルルルッ!」


「お前か!お前は人間じゃないなワンッ?」

「わ、私は・・・」

 元狼の怨獣のラウラは鼻が利く。人間ではない匂いに興奮し、今にも襲い掛かりそうな勢いでサンドリーヌの鼻先に顔を近付けた。


「ラウラ、サンドリーヌが怖がっているでしょう!これから一緒に暮らすのですからね。仲良くして頂戴」

「ウー、わかったワンッ!」

 ラウラは得体の知れないものに警戒をしながらもエレノーラに言われ渋々承知した。




 その夜の晩餐は、サンドリーヌの歓迎会となった。

大きく長いテーブルには各々(おのおの)の好物が並んでいた。ミアには干し草、ラウラにはアザラシの干し肉、そして人間たちにはパンとシチューだ。


「サンドリーヌは人間のご飯で良いわよね?」

「これを私が食べても良いのでしょうか?」

「えぇ、一緒に食べましょう!」

「それで?サンドリーヌは何者なんだワン?」


「ラウラは何だと思うの?」

「トカゲ?いや、もっと大きな奴かなぁワン」

「あぁ、そのたぐいか・・・」

「それにしても人間に近いワン」


「ラウラもね。いつの間にか犬みたいにワンとか言ってるし」

「ち、違うワン!これは・・・あれ?ワン?」

「サンドリーヌは何か特別なのかも知れないわね」

「私は特別・・・なのですか?」


「だって、アニエスを産んだのでしょう?アニエスは人間だった?」

「えぇ、ミハイロが完璧な人間だって言っていたわ」

「そうね。あなたもここで私が治癒を続けたら、もっと人間に近付けるかも知れないわね」

「私が人間に?」


「そうだワン!ここに居る元怨獣たちは、エレノーラの魔力でここまで人間に近付けたんだワン!」

「そうなの・・・それなら私が次にアニエスに会う時は人間の母として会えるのかしら?」

「そうなると良いわね」

「はい!」


「では、沢山食べてもっと元気になって頂戴」

「はい!食べます!」




 食後のお茶を飲みながらエレノーラは、サンドリーヌにこの死の畔でのルールを説明した。

「サンドリーヌ、ここは幽冥ゆうめいと呼ばれる黄泉よみの国。皆が身を寄せ合って助け合いながら暮らさなければならないわ。だからルールを作って皆で守っているの」

「ルール?」

「えぇ、ルールとは約束のことよ」

「約束・・・」


「まず、ここでの暮らしは皆で協力すること。作物を育て、狩りをして食料を確保し、屋敷の掃除や衣服を作ったりもするわ」

「はい」


「次に、喧嘩をしないこと。ここには私たち女性しか居ない。何故かね。ここで孤立することは死を意味するわ」

「女性しか居ないのですか・・・解かりました」


「最後に、海と死の縁には一人で行かないこと」

「ウミ?」

「あら?海を知らないの?では、明日にでも連れて行きましょう。海の水は恐ろしく冷たいから落ちてしまったら命は無いわ。漁をする時は数人で行くのよ」


「そして死の縁は今日、サンドリーヌが倒れていた場所。闇の世界との境界よ。そこから私たちは現れ、そこで消えてしまった者も居るの」

「闇の転移魔法の座標地点なのですか?」

「サンドリーヌは何か知っているの?」

「詳しくは知りません。ミハイロが闇の転移魔法の話をしていたことがあったから・・・」


 ミハイロ・・・司祭が闇の魔法を使える?どういうことかしら。闇の魔法が使える人間が居るなんて聞いたことがないわ。


「そう・・・サンドリーヌ。兎に角、死の縁と海には一人で行かないでね。ところで、アニエスはミハイロとの子なのよね?他にも子は居たのかしら?」

「私の子はアニエスだけ。でもミハイロには・・・」

「他にも子が居るのね?」

「えーと・・・ガ・・・」


「まさか・・・ガブリエル?」

「あぁ!そう!ガブリエル!」

「あぁ・・・本当に司祭なのね・・・大変だわ・・・」

 どうにかして陛下にこの事実を伝えることはできないものかしら・・・


 まぁ、それができたなら、私がここで7年も暮らしていないわね・・・

お読みいただきまして、ありがとうございました!

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