31.嫉妬
アニエスは怒り出し、両手のこぶしを握って上下に振っている。
「そんなの駄目!」
「駄目って・・・でも僕は子供の時から側仕えにそうしてもらわないと何もできなかったんだ」
「今までは仕方がないわ。でも、これからは駄目よ!」
アニエスはひとりでプンスカ怒っている。これは初めて見る姿だ。でも、怒った姿もちょっと可愛い。
「では、どうすれば良いの?」
「私がエリアスのトイレとお風呂に付き添うわ」
「え?」
「キャーッ!!」
「聖女様が殿下と一緒にお風呂に入りたいって!」
「いやーっ!」
女生徒は叫び、身悶えながらも顔はちょっと笑顔だ。なんなの一体?
「グレース、あなたは今日ここまでで良いわ。あぁ、掃除や食卓の世話は構わないけど」
「は、はぁ・・・承知致しました。でも、アニエス様、お住まいを帝国城へお移りになるので御座いますか?」
「あ!」
アニエスは困り顔になった。なんだ。あまり考えてはいなかったんだな。可愛い。
「どうしましょう・・・で、では、学校から帰ったらお風呂に入るでしょう?それまで私がつき添うわ」
「え?本気なの?」
「あ、あの、アニエス様、お風呂は殿下の髪を洗ってさしあげたりもするのですが・・・」
「それくらいできるわ!」
「あのさ、アニエス。お風呂ってことは、私は裸なのだけど?」
「そんなの当たり前です。私はエリアスの裸なら全て見たことあるのですから、大丈夫です!」
「まぁ!殿下の裸を見たのですって!」
「なんてこと!」
「おふたりはもう、そんなところまで!」
「あぁ・・・羨ましい!」
「私も見てみたい!」
「これこれ!ちょっと皆さん!破廉恥なことを言ってはいけません。皆さんは貴族令嬢なのですよ!」
先生は真っ赤な顔をして皆を嗜めた。
皆、欲望が駄々洩れだな。でもアニエスはそういうつもりではないだろう。
でも、どういうことだろう?グレースに嫉妬してくれているのかな?それともこれも僕を守るって意味の範疇だったりして・・・
「アニエス、その話は放課後にしようか」
「えぇ、良いわ」
「エリアス様、大変なことになりましたね!」
「キース!面白がっているだろう?」
「えー!そんなこと・・・ありますけど!」
「まったく!」
放課後、帝都のベルティーナ・ロッシ侯爵の家に皆が集まった。
僕とアニエス、ベルティーナ、レオン、グレースとキースだ。
サロンで紅茶を飲みながら今日、学校であったことをベルティーナとレオンにも聞いてもらった。
「あぁ、アニエス。確かに殿下の裸は見たことあるわね。でも、殿下の身の回りの世話をするというのはどうなのかしらね?」
「身の回りの世話と言っても、今では朝の鍛錬の後のシャワーとトイレ、大きい方ね。それと夕方のお風呂。それくらいかな?手を洗うのは水瓶とタオルを用意してもらっているからね」
「では、朝と夕方に城へ行けば良いのね?」
「い、いや。それって地味に大変だよ。毎朝早く起きなければならないし、それに早朝にアニエスを城まで送る人も大変だ」
「もう、城に住めば良いのではありませんか?」
「キース。そう気楽に言われてもね」
「私からお願いしたら皇帝陛下はお許しくださるでしょうか?」
「えー!本気なのかい?」
「エリアスは嫌なの?」
「え?そ、それは・・・嫌ではないけれど・・・恥ずかしい・・・な、と」
「うーん。男としては嬉しい反面、恥ずかしさの方が大きいでしょう!」
「レオン!解かってくれるんだね?」
「それはそうです」
「えー。では駄目なのですか?」
「ねぇ、アニエス、どうしてグレースがお世話しては駄目なのかしら?」
「だって・・・エリアスの裸は・・・他の人に見せたくないわ」
アニエスはそう言うと、少し頬を赤くして俯いた。
あぁ・・・可愛い・・・やばい。悶絶しそう・・・
「まぁ!」
ベルティーナとグレースが声を合わせた。
「それって、嫉妬ってやつですね」
「ジョンソン様、嫉妬って?」
「聖女様、僕のことはキースと呼び捨てにしていただいて構いません」
「それなら私もアニエスでいいわ」
「アニエス、嫉妬というのは愛しい人を独占したいと思う余り、その人に近付く人を妬み、嫉む気持ちのことです」
うわぁ!ベルティーナ。そんなにはっきり言っちゃうんだな!
「私はエリアスを愛しいと思っているの?」
「違うのかしら?アニエスが殿下の命を救った時、ルーナの上で殿下を必死に抱きしめていたアニエスの眼差しは、愛しい人に向けるものだったと思いますけれど?」
「そうなの・・・」
あらら、アニエスは何やら考え込んでしまった様だ。そういう時、アニエスは無表情になって心が見えなくなる。見ていてとても不安を感じてしまう顔だ。
「エリアス様」
「ん?なんだい?レオン」
「俺、そういうことは良く解からないんだけど・・・エリアス様はアニエス様をどう思っているのですか?」
「え?」
これまた、ド直球で聞いて来るものだな!鈍感め!
「いや、それはさ・・・うーん。誤魔化しても仕方がないか・・・」
このメンバーなら正直に打ち明けても良いだろう。
「前にも話したけれど、私は前世で父親に恵まれなくてね。子供の頃、色々と辛いことがあったからか、勉強や剣術に打ち込むことで気を紛らわしていたんだ。だから女性を好きになったことがないばかりか、まともに話をしたことすらないんだ」
「それにこの世界でも無能として生まれてしまったからね。皇帝の地位を継ぐこともできず、この身体では結婚もできないだろうと諦めてしまったんだ」
「だから、女性を愛するっていう気持ちがどんなものなのか・・・正直言って解からないんだよ・・・」
「あぁ・・・」
「そ、それは・・・」
「う、うーん・・・」
あぁ、皆をどん底に追いやってしまった様だ。でも、本当のことで僕としてもどうしようもできないことだからな・・・
「エリアス!」
「がばっ!」
アニエスが立ち上がり、僕の胸に飛び込んで来た。うわっ!な、なに?
「ど、どうしたの?」
「エリアス、あなたという人は・・・何故、それ程までに悲しみが深いのですか・・・だから私が守るって・・・」
「あぁ、そういうことか。守ってくれるんだね。ありがとう」
「ベルティーナ様、それって愛ではなく、同情ということでしょうか?」
僕に抱きつくアニエスを真っ赤な顔をして見つめながら、グレースはベルティーナに聞いた。
「いいえ、アニエスもまた、子供の頃から他人の老夫婦に育てられ、人と触れ合わない環境で育ったのですから、愛と同情の区別などないでしょう」
「では、これからお互いに時間を掛けて愛なのかどうかを確かめ合うしかないのですね」
「そうだと思うわ」
「ベルティーナ様、第一聖女は皇帝を継ぐ皇子の妻となるのではありませんか?」
「あぁ、そうですよね。そうでなければ神殿の司祭の跡継ぎの妻でしたよね?」
「えぇ、それは陛下から殿下とアニエスにお話がありました。でも、それは古い慣習であって陛下はそうならずとも構わないとおっしゃっておいででした」
「あ!だから司祭の息子が何度かアニエス様に近付こうとしていたのですね?」
「え?もう行動を起こしていたのですか?」
「それはもう、ガブリエル様は常にアニエス様の動向を窺っているようです」
「それは心配ですね」
「エリアス様、先程おっしゃっていましたが、どなたとも結婚するお気持ちはないのですか?」
「グレース。さっきも言ったけど、私は無能だ。だからリカルドが生まれたのだし、私の様な無能がこれ以上生まれても困るでしょう?結婚はしない方が良いと思っているよ」
「えーっ!そんな・・・」
「エリアスは結婚しないの?」
「うん。だってこの世界で無能は私だけなのだからね。自分の子供に自分と同じ思いはして欲しくないよ」
「ちょっと待って!エリアスの魔力が無いっていうのはおかしいと思うの」
「アニエス、それはどういうこと?」
「ベルティーナ、エリアスの身体には、そもそも魔力回路自体が無いの。空っぽなのよ」
「空っぽ?」
「あぁ、前に診た時もそう言っていたよね?」
「あ。そうだわ。ルーナに聞いてみましょう。何か判るかも知れないわ!」
「あぁ!そうだわ!グリフォンはウィリアムズ公の魔力を奪いましたね!」
「そうか!聖獣は人間の魔力を奪えるのですね!」
「では、エリアス様の魔力も聖獣が奪ったのですか?」
「え?そんな記憶はないけれどな?」
「あら?殿下って、まだ赤ちゃんの時に何者かに命を奪われそうになりましたよね?その時、外からの侵入者に救われたということが御座いましたね?」
「ベルティーナ、確かにそうだね。僕は白い生き物が城の外から飛び込んで来るのを見たのだけど、どんな生物なのかまでは見えなかったんだ」
「空を飛ぶ白い生物?それって聖獣しか考えられませんね」
「そうですよ。エリアス様が行く先々で、必ず聖獣が現れているのですから!」
「えぇ、それに聖獣は皆、エリアス様に懐いてエリアス様を乗せて飛びたがっていたではありませんか!」
「確かに、ルーナ、フェニックスにグリフォンもそうだったね。グリフォンは金貨やネックレスもくれたんだ」
「あぁ、そのアニエス様がしているネックレスですね?」
「それなら、聖獣がエリアス様の魔力を返してくれるのではありませんか?」
「でも、それならもう、とっくに返してくれていても良さそうなものだけど?あれだけ僕にベタベタと懐いていたのだからね」
「では、ペガサス、フェニックス、グリフォン以外の聖獣なのではありませんか?」
「あぁ、ユニコーンかリヴァイアサン、あとはドラゴンか・・・」
「でもユニコーンは空を飛べませんね。4階の殿下の部屋に外からは入れません」
「リヴァイアサンも大き過ぎて部屋には入れませんね」
「それならば、ドラゴンしか居ませんね」
「いや、窓を割って入って来たんだ。ドラゴンって大きいのでしょう?入れる訳がないよ!」
「あぁ、そうか・・・では、聖獣ではないのでしょうか?」
「うーん、まったく判らないですね・・・」
「ねぇ、それよりもエリアスが結婚しないって言っていることが問題なのではなくて?」
「あぁ、アニエス。その通りだわ」
「エリアス様。魔力なんて問題ではないと思います。愛さえあればふたりで乗り越えて行けます!」
「グレース。励ましてくれてありがとう」
「励ましているのではありません!エリアス様ならば大丈夫です!」
「うーん。考えてみるよ・・・」
「アニエスもよ?あまりのんびりと考えてはいられないわ」
「あら、どうして?」
「あぁ、知らないわよね。アニエス。殿下も。帝国学校は結婚相手を選ぶ場所でもあるのです」
「え?そうなの?」
「まぁ、騎士志望の者の中には、まだ先で良いと言う者も居りますが、大勢は1年生の内に狙いを定め、2年生の内に申し込みをするのです。3年生のデビュタントの時にはダンスを踊る相手が決まっているものなのですよ」
「はい。それは婚約発表と同じことなのです」
「え?ベルティーナは?」
「私は騎士志望で結婚は遅くて良いと決めていたのです」
「グレースは?」
「わ、私はその・・・」
「あぁ、意中の相手に結婚の意思が無かったんだね?」
「ま、まぁ、そんなところです」
皆が一斉にレオンの顔を見た。あれ?アニエスまで?うん?アニエスってそういうことには疎いのではないのか?
そしてレオンはひとり、きょとんとして何事もなく座っていた。
「グレース、大変ね。私から伝えましょうか?」
「ベ、ベルティーナ様!だ、大丈夫です!」
「ん?グレース、何が大丈夫なんだ?」
「あ、い、いえ、こちらの話です。レオンは気にしないで良いのです」
「そうか?」
「あのさ、文系の女生徒の制服なのだけど、スカートがやたらと短いのはそういうこと?」
「そうです。可愛く見せて何とか意中の殿方に見初めてもらおうとしているのです!」
「あぁ、グレースもスカートは短かったよな・・・」
「レオン!わ、私のことは良いのですってば!」
「レオン、その時のグレースはどうだったんだい?」
「え?そりゃぁ、可愛かったと思いますよ?」
「ふーん。だってさ、グレース」
「そうよ、グレース!」
「なんだかじれったいわね。グレース様はレオン様が好きなのでしょう?何でそう言わないのかしら?」
「ア、アニエス様!」
「え?グレース、そうなの?」
「も、もう・・・知りません!」
グレースは真っ赤になり、両手で顔を覆ってしまった。
僕はレオンに耳打ちして言った。
「レオン、男を見せる時だよ」
「え?そういうことなのですか?え?」
「ほら、早く!」
レオンはおずおずと立ち上がり、グレースの前に立った。
お読みいただきまして、ありがとうございました!