29.慣習
入学式の夜、お父様はアニエスを夕食に招待した。
既に食堂のテーブルには、お父様、アドリアナお母様、リカルドと僕が席に着いて待っていた。
そこへアニエスとベルティーナが入って来た。
「おぉ、来たか!」
「ウーラノスの光の神にご挨拶差し上げます」
「うむ。許す。面を上げよ、ベルティーナ、聖女アニエスよ」
「んん?アニエス。なんて大きいのだ!」
お父様は思わず立ち上がり、アニエスの目の前に歩み寄った。
「私の身長は195cmあるのだぞ?私より少し大きいではないか!」
「いいえ、私の身長は188cmです。これは聖女の制服で靴の踵が高いので御座います」
「あぁ、そうなのか。それにしても大きいな!」
「ありがとう御座います」
「さぁ、座ってくれ」
「あ、あの、陛下。わ、私も同席させていただいてよろしいのでしょうか?」
「ん?ベルティーナ。これから3年間、聖女の保護者となってくれるのであろう?褒美の様なものだ」
「あ、ありがとう御座います」
ベルティーナは相当に緊張している。まぁ、皇帝と食事を共にしたことなどある訳がないのだろうな。
皇帝がテーブルの端に座り、その右隣にアドリアナお母様とリカルド、反対側に僕とアニエス、そしてベルティーナが座った。
「アニエスよ、ようこそ帝国へ。そしてエリアスの命を救ってくれたこと、感謝しておるぞ」
「皇帝陛下、勿体ないお言葉で御座います。この様な歓迎をいただけたこと、心より感謝申し上げます」
「うむ。その様にしっかりと挨拶ができるのだな。聖属性魔力も申し分ない。アニエスは聖女に相応しいな」
「お父様、随分とアニエスを褒めるのですね」
「エリアス、それは当然だ。息子の命の恩人なのだからな」
「良かった・・・お父様、ありがとう御座います」
「ところで、アニエス。エリアスに命の危機が迫っていた時、丁度間に合う様に現れたのは何故なのだ?」
「あぁ・・・あの日は朝から胸騒ぎがしていたのです。時間が経つに連れ、居ても立っても居られなくなり、ルーナを呼んだのです。そうしたらルーナもエリアスが危ないって」
「うん?アニエスの家はフォンテーヌ王国の南端ではなかったか?危ないと感じてから飛んで来たのか?」
「はい。家から帝国までは5分くらいでしょうか?」
「5分?!」
お父様と僕とベルティーナが同時に叫んだ。
「え?アニエス、帝国からアニエスの家まではアルテミスで2時間掛かるのよ?」
「ルーナは空に上がってから一瞬で目的地の空へ転移できるのです」
「聖獣は転移魔法が使えるのか・・・」
「え?それでは今日は入学式の開始時間に出発したってこと?」
「エヘッ。失敗しちゃいました!」
む。可愛い・・・あー、僕はこういうことって免疫がないのだよなぁ・・・
「エリアス様、顔が赤くなっていますよ?」
「アドリアナお母様、それは言わなくて良いのです!」
「あら、ごめんなさい!」
「あの・・・今日初めてお目に掛かるお方がいらっしゃるのですが・・・」
「あ!これは失礼致しました。私の息子、リカルドです。エリアス様の2歳年下なのですよ」
「初めてお目に掛かります。リカルド様、私はアニエス・クレールで御座います」
「初めまして。私はリカルド・アルカディウスです」
「アニエス様の瞳と髪の色は初めて見ました」
「そうですね。とても珍しい色ですよね・・・」
「これ、リカルド!」
「あ、良いのです。もう慣れていますから・・・」
そう言いながらもアニエスの表情は少し沈んだ様だ。笑顔も消えてしまった。
「そう言えば、ベルティーナ。アニエスの姓、クレールについての調査は?」
「はい、陛下。調べましたが土の大陸、シュナイダー王国にクレール子爵という家がありました。しかしアニエスのことは知らないと・・・」
「うむ。まぁ、知っていても言う訳はないだろう」
帝国学校に届けられていたアニエスの名には、クレールという姓があった。
アニエスの親が正直に本当の姓を名乗らせる訳はないとは思っていたが、やはり偽名の様だ。
「まぁ、仕方がない。このまま卒業まで親の情報が判らぬ場合は、私が成人と同時に新たな姓を与えよう」
「アニエスはご両親のことを何も覚えていないのだよね?」
「はい。私の3歳の誕生日にあの家に預けられたということ以外、何も知らないのです」
「それは寂しいことだね・・・」
「心配してくれてありがとう。これからはずっと私が一緒に居てエリアスを守るわ」
「うん。ありがとう」
皆が薄っすらと笑顔になって僕とアニエスを見つめている。
うわぁー、なんて恥ずかしいんだ。
「お兄様!お顔が真っ赤ですよ!」
「こら、リカルド!」
「まぁ!エリアス、さっきからどうしたの?大丈夫?」
「アニエス、大丈夫だよ。気にしないで・・・」
アニエスがこの手の会話に鈍感で助かるよ。それからやっと食事が始まり、恥ずかしい会話は打ち切られたのだった。
食事が終わってリカルドは退席し、僕らはサロンへ移った。丁度良い、アニエスにネックレスを渡そう。
「アニエス、ちょっと外の風に当たらないか?」
「いいわ」
僕らはバルコニーへ出て夜空を見上げた。
「うわぁーっ!夜空を流れる光のマナってこんなに綺麗なのね!」
「うん。綺麗だよね。お父様の力で世界中からここへ集められているそうだよ」
「私が暮らしていた空には、マナはそれほど多くなかったの」
「あぁ、大陸の南端だからね」
アニエスは笑顔で夜空を見上げていた。僕はポケットからネックレスを出すと、アニエスに声を掛けた。
「アニエス、これ・・・」
「あら?なーに?」
「アニエスには命を救ってもらったからお礼をしないと、って思っていたんだ。これはね、ステュアート王国で出会った聖獣のグリフォンからもらったものなんだ。アニエスに似合うと思って」
「これを私に?」
「うん。もらってくれる?」
「まぁ!素敵」
するとネックレスを見つめるアニエスの瞳が碧く光った。
「これって・・・エリアスの前の世界のものね!」
「あぁ、やっぱりそうなんだね。それは十字架といってね。聖職者が神に祈る時に持つものなんだ。だから聖女には丁度良いのかな?」
「エリアス、これ、二つのペンダントが合わさっているのね」
「え?そうなの?」
「だって、チェーンが二重になっているでしょう?ほらここ!」
「パチンっ!」
アニエスが器用にひとつだったペンダントトップを二つに別けた。
別けてみると、二つの十字架になった。ひとつは内側のプラチナシルバーの十字架の台にブルーサファイアが十字に並べられている。
もうひとつは、内側の十字の外枠になっていて、プラチナの台にダイアモンドで十字が形作られている。
「これね、愛するふたりがいつでもお互いを想っていられる様に、って願いを込めて作られたものみたい」
「アニエスの神眼はそんなことも見えるの?」
「えぇ、ふたりの姿が見えるわ。とても幸せそう!」
アニエスは微笑みながら二つのネックレスを交互に見つめた。
「私、エリアスの瞳の色をした内側の十字をいただくわ。外側はエリアスね!」
「え?私もネックレスをするのかい?」
「エリアスは装飾品が嫌いなの?」
「嫌いではないけど、剣術で激しく動くと失くしてしまうかも・・・」
「それならブローチにして騎士服の襟に着ければ良いのよ。白地だからそれ程目立たないわ」
「あぁ、それは良いね」
「ベルティーナに頼んで加工してもらいましょう」
その頃、皇帝はベルティーナから報告を受けていた。
「陛下、アニエスの就学のために学校へ送られて来た荷物の中に携帯端末がありました」
「ほう、連絡を取ろうとしているのか」
「若しくは、盗聴しようとしている可能性があります。この端末を調べましたが、外部から通信が傍受されている様です」
「では、アニエスの端末と繋いで連絡を取ると情報を吸い上げられるのだな?それで、その通信先はどこなのだ?」
「それは一般民衆の使用する端末を介して、複数の端末へ送られていました。どれも貴族には繋がっていない様です」
「相当に警戒しているのだな」
「問題はエリアス様がアニエスと連絡を取ると居場所や会話内容が知られてしまうと思われます」
「それはよろしくないな・・・それではアニエスには、こちらから特別な端末を渡すこととしよう」
「では、アニエスにはその端末では貴族と連絡を取り合わない様に伝えます」
「今後もアニエスに接触しようとする者は全て調査対象とする」
「承知致しました。アニエスには通学の際、当家の従者をひとり付けておきます」
「うむ。頼んだぞ」
丁度そこへふたりがバルコニーから戻って来た。
「ベルティーナ、これ、エリアスにもらったの!」
「まぁ!何てこと!」
ベルティーナは両手を頬に当てて驚いている。何故、そんなに驚くんだ?
「それって・・・婚約?」
「え?」
僕とアニエスがふたり一緒に声を上げた。
「そんな訳ないでしょう?それは私の命を救ってもらったお礼です!」
「あぁ・・・そういうことですか・・・」
何やらとても残念そうだ。
「ベルティーナ、これね。ふたつのネックレスがひとつになるの。それでね、エリアスはネックレスだと剣術の邪魔になるって言うから、これをブローチに作り替えたいの。できるかしら?」
「えぇ、できるわ。私に任せて」
「ありがとう!ベルティーナ」
「エリアス、それはフォンテーヌで買ったのか?」
「いいえ、お父様、これはグリフォンからもらったのです」
「グリフォン?レムノスの聖獣か!」
「はい。そうです」
「これは、エリアスの前世の世界のものなのです」
「グリフォンがそう言ったのか?」
「いいえ、それはアニエスの神眼で鑑定した結果です」
「あぁ・・・神眼か・・・」
お父様はそう言うと、渋い表情となった。
「お前たちは仲が良い様だから、予め伝えておくよ」
「はい。何でしょうか?」
「この世界では、その世代で一番聖属性魔力の強い第一聖女は、次期皇帝の妻となる。そして、第二聖女は、第一聖女に皇帝の跡継ぎとなる者が生まれない場合、第二皇妃となるのだ」
「え?」
「そして、第一聖女が跡継ぎを産んだ場合は、第二聖女は神殿の跡取りの妻となる」
「そ、それは・・・アニエスはリカルドの妻になることが決まっているということですか?」
「私・・・あのリカルド皇子殿下の妻にならなければならないのですか?」
「まぁ、それは今までの慣習で言うと、だ」
「アニエスはリカルドの妻になるのは嫌なのかな?」
「嫌とかそういうことでは御座いません。私はリカルド皇子殿下のことを何も存じ上げないので御座います」
「例えばだ。リカルドは第二聖女のレティシア・アルフォンソを妻に迎えるとしよう。その場合は神殿の司祭の息子であるガブリエル・エヴァノフが次の候補となるだろう」
「ガブリエル・・・司祭の息子は私やアニエスと同い年でしたね」
「そうだ。これから同じ学年の学生として帝国学校で顔を合わせることとなるだろう」
「ガブリエル様・・・」
「現司祭は神眼を持っているが、ガブリエルは神眼を受け継いではいないと聞いている。そしてその後、子宝に恵まれなかったのだ」
「つまり?」
「うむ。司祭は神眼を持つアニエスを是が非でもガブリエルの妻に迎えたいと思っているであろうな」
「お父様はそれを命じるおつもりですか?」
「いや、私には神殿の世継ぎに口を出す権限はないし、司祭に便宜を図ってやる謂れもないな」
「それは、お父様としては、当人同士の意思に任せて下さるということでしょうか?」
「そういうことだ」
「良かった。ありがとう御座います!」
僕は何故かとても安堵した。アニエスが望まない相手と無理やりに結婚させられるのは見たくない。
「陛下、先程のお話では司祭様は是が非でもアニエスを、とのことでしたが、力尽くで事を運ぼうとする様なことになりはしないのでしょうか?私、あの方のマスクが怖いのです。何を考えているか判りませんので・・・」
「アドリアナ、そう考えても仕方がないな。だが、司祭も聖職者だ。その様な無理強いをするとも思えんが・・・まぁ、しかしな・・・神眼がな・・・」
「エリアス様。学校ではなるべくアニエスから目を離さない様にできないでしょうか?」
「ベルティーナ、僕は魔法の授業しか出るつもりはなかったのだけど・・・それならばアニエスの受ける授業は全部一緒に受けた方が良いのかな?」
「エリアス様、無理でないならば、その方がよろしいと思いますよ。それでなくともアニエスは出自がはっきりと判っていないのですから・・・」
「そうですね。アドリアナお母様、わかりました」
「エリアス、授業もずっと一緒なのね?嬉しい!」
アニエスはそう言って僕の懐に飛び込み、僕を抱きしめた。
お読みいただきまして、ありがとうございました!