プロローグ 襲撃
ここは風の大陸アイオロスに在る、アルカディウス帝国の城。
「ズズンッ!・・・ズドドドッ!」
「なんだ!この振動は!」
「地震か!?」
城全体が一瞬、地中から突き上げられる様な衝撃の後、数秒間小刻みに揺れた。
使用人たちが勝手な憶測を口にして狼狽えている。
「火の大陸プロメテウスでもあるまいし、地震など起こらんわ!」
火の国出身で帝国の宰相であるラファエル・モンテス公爵は、眉をひそめながら使用人たちを嗜めた。
今日は僕の10歳の誕生日を父親である皇帝アンドレア・インペリウム・アルカディウスへ報告するため、母親の皇妃エレノーラ・ステュアート・アルカディウスと共に謁見の間に参上したところだった。
「お母様。これは?」
「エリアス、落ち着いて。大丈夫よ」
お母様は僕を包む様に抱きしめると、押し殺す様な低い声で囁いた。
お母様のそんな声色は聞いたことがない。かえって不安を掻き立てられてしまう。
玉座の両翼に5名ずつ立ち並ぶ帝国騎士団のナンバー騎士たちにも緊張が走った。
そして、僕の不安は的中した様だ。
玉座で辺りの気配を窺っていた皇帝は警戒を緩めることはなかった。
「むむっ・・・これは・・・」
独り言の様に唸った直後、カッと両の目を見開くと謁見の間に居た全ての者を直立させる程の大声で叫んだ。
「結界が破られた!ニコラス!直ちに騎士を最下層へ!」
「御意!」
帝国騎士団団長のニコラス・バーナード公爵は副団長のオスカー・クラーク公爵に向かって指示を出す。
「クラーク!ナンバーⅦ以下を連れ最下層へ!ベルティーナ、カルロスは第一皇妃と皇子に。メリッサ、ナタリーは第二皇妃と皇子の護衛につけ!」
「御意!」
「キュンキュンキュンキュン!」
城には警報音がけたたましく鳴り響き、アナウンスが続く。
「帝国騎士に告ぐ!全員最下層へ向かい敵を殲滅せよ!使用人は直ちに城外へ避難せよ!」
騎士二人が僕とお母様の両脇に立ったその時だった。
「ヴゥーン!ウォーーーーーー」
低い電子音の様な、それとも人の唸り声の様な音と共に謁見の間の床の中央に黒い霧の渦が現れた。
「全員中心から離れろ!壁まで下がれ!」
僕は経験したことがない恐怖感に包まれ全身が強張りかけたが、お母様に腕を強く掴まれたことで緊張が解けた様だ。なんとかお母様と騎士二人と共に壁際まで下がった。
「怨獣が出るぞ!」
ニコラス団長が叫ぶと床に発生した黒い霧の渦の中心から、真っ黒い生き物の様な物体が浮かび上がって来た。
「キシシシシシシッ!」
「ヴゥーン、ヴゥーン、ヴゥーン」
不気味な鳴き声と低い共鳴音と共に現れた「怨獣」と呼ばれるそれは、全身が漆黒の闇の様に黒く一見、人間の様な身体なのだが腕が左右三本ずつあり、その腕は木の枝か鞭の様に長く、ゆらゆらとしなって揺れている。
頭は二つあり、ひとつには山羊の様にくるっと巻いた角が二本ある。もう一方の頭には鹿の様に枝分かれした角が二本あった。
身長2mを超える身体の背中には、首から脊椎にかけて骨の突起がそのまま浮かび上がっている。
なんておぞましくも恐ろしい生き物なのだろうか。見ているだけで総毛立った。
「ヒーッ!」
「キャーッ!」
謁見の間から逃げ遅れた使用人がそれを見て腰を抜かして床にへたり込んだ。
「ひ、人型だ!」
怨獣には「獣型」と「人型」が存在し、獣型は騎士の魔力50程度でも数人掛かりであれば倒せるものも居る。しかし、人型は最大魔力値100を持つ騎士であっても容易に倒せない程に強い。
そして今、目の前に現れた怨獣は、どうやらその人型の様だ。ここに居る騎士で100の魔力を持つのは騎士団長だけの筈だ。
これはかなり不味いのではなかろうか・・・
僕は冷静さを取り戻し、他人事の様に心の中で呟いた。
騎士団長のバーナード公が魔法の呪文を詠唱し始め、同時に両腕を回転させた。
「アイオロスの力を我に!風のマナよ、集まりて我のものとなれ!」
風の属性を持つ団長の周りに緑に光るマナが急速に渦を巻きながら集まり、辺りを緑色に染め、同時に緑色の魔法陣が浮かび上がる。
「風の壁を創りて結界となれ!」
「ビュオッ!ヒュオーッ!」
風が起こり、黒い渦の周囲を囲む様に空気の壁が回転を始める。この空気の壁の中には怨獣と五人の騎士だけとなった。壁際に居る僕たちからも風の結界の中は見えている。
間髪を置かずに団長が叫び攻撃を開始すると再び魔法陣が現れる。
「風の剣!連弾!」
「ビュオッ!ビュオッ!ビュオッ!」
空気の塊が剣の様な形を創り、怨獣に真直ぐ飛んでいく。
「グサッ!グサッ!グサッ!」
「オォーン!」
怨獣に風の剣が次々に突き刺さると、唸る様な叫びを上げて身体をくねらせる。
しかし、風の剣は怨獣の身体に飲み込まれる様に消えていく。
「シュッ!シュッ!」
怨獣の鞭の様な腕が二本伸び、風の結界を抜けると壁際にへたり込んでいた二人の女性使用人の首に巻き付き身体を持ち上げた。
「グエッ!」
「グキッ!ボキッ!」
首を絞められ呻き声が搾り出されると同時に無惨に頸椎が折られる音が響いた。
それと同時に怨獣の直ぐ目の前まで宙を飛ぶ様に運ばれると、次の瞬間、怨獣の二つの頭の口の辺りが大きく裂け、二人の使用人の頭を各々の口が噛み切って飲み込んだ。
「ゴキッ!・・・ゴクン!」
「き、貴様!」
それを見ていた騎士たちは、一斉に呪文の詠唱を始めると、次々に魔法攻撃を怨獣に叩き込んだ。
「オーケアノスの大地よ。我に水の恩恵を与えよ!」
「水の竜巻!」
「ゴウッ!ドドドドドッ!」
ベルティーナが呪文を詠唱すると水属性の青いマナに包まれ、すぐに水の竜巻が立ち上がり怨獣は水の渦の中に巻き込まれた。
しかし、次の瞬間には水の竜巻の内側から黒い渦の中に吸い込まれる様に消えていった。
「クソッ!」
ベルティーナは悔しさに声を上げると直ぐに次の攻撃に入る。
そして水が駄目なら次は火だ。とばかりにカルロスが詠唱し、赤いマナに包まれる。
「プロメテウスの大地よ。我に力を!炎を集めん!」
「隕石の業火を降らしたまえ!」
「ゴウッ!」
天井付近に赤く大きな魔法陣が現れると、そこから特大の火の玉が出現し、真直ぐに怨獣に直撃した。
「ズドンッ!」
「クキャキャキャ!」
怨獣は奇声と共に炎に包まれながら、身体半分程が黒い渦の中へと沈んで行った。
「やったか!?」
「シュッ!グサッ!」
カルロスの口元が緩んだ瞬間、怨獣は炎に包まれながらも腕を瞬時に伸ばし、先が尖った鞭の様な腕が、カルロスの心臓を貫いた。
「グエッ!」
カルロスは自分の胸に刺さった腕を掴み、口からおびただしい量の血を吐きだした。
「ボトボトボトッ!」
「あ、あ、あ・・・」
「カルロス!」
あっという間にカルロスは絶命し、怨獣はそれを察知して腕を引き抜いた。
「ズボッ!シュルッ!」
「ドサッ!」
その場に突っ伏す様にカルロスは倒れた。それを見た騎士たちは怨獣からの攻撃を警戒し、一定の距離を保ちつつ、一斉に攻撃を打ち込む。
「氷の槍よ!敵を貫け!」
「石の砲弾よ!敵を破壊しろ!」
「風の刃よ!敵を切り裂け!」
「水の矢よ!敵を穿て!」
次々と繰り出す攻撃が怨獣を蹂躙していく。片方の頭の首がちぎれかけてぶら下がり、六本ある腕の内四本を切断した。
するとその首が落ち、首の中から蛇の様な頭が出て来たと思ったら、口を大きく開き、騎士たちに向かって何かを噴射する様に吐き出した。
「毒だ!避けろ!」
バーナード団長が叫んだが間に合わず、メリッサは頭に、ナタリーは足に毒を食らってしまった。
「シューッ!」
「ウッ、ウグッ」
「ギャァーッ!」
見る見るうちにメリッサの頭とナタリーの右足が溶ける様に消え落ちていった。
「そ、そんな・・・」
「イ、イヤーッ!」
「ナタリー!直ぐに右足を根本から切り落とせ!毒が回れば命は無いぞ!」
「は、はいっ!」
ナタリーは歯を食いしばると自ら右足の根本に向け魔法の攻撃を撃った。
「ウッ!クッ!ガァーッ!死んでたまるかーっ!」
「風の刃よ足を斬り落とせ!」
「シュパッ!ズサッ!・・・ぼとっ!」
ナタリーはどうにか命を繋いだが、カルロスに次いでメリッサも絶命し、その場に居る者たちは焦燥感に包まれた。
その焦りを振り切る様に、皇帝であるお父様が前に出て叫んだ。
「ニコラス、私と二人で敵を倒すぞ!」
「御意!」
「陛下!御自ら出ずとも!」
「モンテス、この状況が判らぬか!?もう後がないのだ!」
「ひ、ひぃーっ!そ、そんな・・・」
お父様に一喝され、宰相のモンテス公は真っ青な顔になった。
「ルミエールよ、我に力を与えよ!」
「ヒュオーッ!」
その場の空気感が一変し、金色に光るマナがお父様に集まり始め、さながら後光の様に明るく照らした。それは希望の光の様に感じられ、きっと勝てる!そう思えた。
「裁きの光を受けよ!」
叫びと共に両手で球体を掴む様にして腰から怨獣へ向けて力強く差し出すと直視できない程に眩しい金色の光の束が怨獣の半身を貫いた。
「ギィヤァーッ!」
怨獣の残っていた頭の口が裂ける程の叫びを上げ、仰け反った。
「風の刃!無限弾!」
「ビュオッ!ビュオッ!ビュオッ!ビュオッ!ビュオッ!ビュオッ!ビュオッ!」
円形の鋸の刃の様な形をした風の塊が怨獣の残った腕と足を斬り裂き、身体にも無数の深い傷を与えた。
怨獣の身体は半分以上が黒い渦の中に沈み込み、身体は完全に傾いている。
勝ったか?!そう思った次の瞬間、怨獣が明らかに僕の方を見ているのがわかった。どこが目なのかよく判別がつかないのだが、突き刺さる様な視線を感じ全身に悪寒が走ったのだ。
「オ・・マ・・エ・・・マ・・サ・・カ・・・」
「え?」
怨獣は僕に向かって地獄の叫びの様な声で呟いた。
「エリアス!」
叫んだお母様は怨獣と僕を交互に見つめ震え出した。そして静かに呪文の詠唱を始めた。
「レムノスの力よ、我に集え!」
お母様の細く美しい腕が回転し銀色のマナがお母様に集まり始めると、お母様のシルキーホワイトの髪は銀色に、瞳の色も碧から銀色に変化していった。
まるでダンスでも踊っているかの様な美しい腕の動き、腰の回転と共にマナを集めていくその姿に僕は暫し恐怖を忘れ、お母様の美しさに見惚れてしまっていた。
「ミスリルの結界よ立ち上がれ!」
「ズズズズズッ!ゴゴゴゴッ!」
僕の目の前に銀色のミスリル製の分厚い壁がせり上がって来た。
「エリアス、そこから動かないで!」
お母様は厳しい口調でそう言うと、身体を反転させ腕をゆっくりと怨獣に向かって回転させた。
「銀の槍よ、敵を貫け!連弾!」
「ビュオッ!ビュオッ!ビュオッ!」
「グサッ!ズサッ!ビシッ!」
怨獣は三人からの連続攻撃に息も絶え絶えとなり、倒れる寸前となった。
「サンニンガ・・アイテ・・デハ・・ブ・・ガ・・ワルイ・・・」
今度こそ勝った!そう思った瞬間、怨獣は完全には切れていなかった最後の腕の一本をお母様に向かって伸ばすと胴体に巻き付かせた。
「シュルルーッ!」
「ウグッ・・・エ、エリアス!」
締め付けられ苦しそうな顔をしたお母様を、そのまま勢いよく引っ張って黒い霧の渦の中に引きずり込んだ。黒い渦はグルグルと回転しながら小さくなり、音も立てずに消えてしまった。
「お、お母様!お母さまーっ!」
僕はミスリルの壁を乗り越え飛び出すと、もう何の跡形も無くなった床に跪いた。
「クソーッ!まただ!また・・・またしても・・・なんでなんだ・・・何故?」
「どうして僕は守れないんだ・・・」
僕は石の床を何度も何度も拳で叩き、ボトボトと大粒の涙を零した。
「エリアス・・・」
その声に振り向くと、僕の傍らにはお父様が呆然として立ち竦んでいた。
「お父様・・・お母様は・・・どこへ?」
「わ、わからん。闇の・・・闇の世界へ連れ去られたのだろう・・・」
「それはどこですか?お母様は生きていらっしゃるのですよね?」
「それは・・・わからんのだ・・・あの黒い渦は闇の世界に通じているのだと思う。だが、その先がどこで・・・そこで人間が生きていられるのかも・・・」
「そ、そんな・・・お母様・・・」
僕はその言葉に戸惑い、深い絶望に包まれた。
「エリアス様・・・」
「お、お兄様・・・」
第二皇妃のアドリアナと第二皇子のリカルドは震えた声で呼び掛け、真っ青な顔で震えたまま僕の様子を覗っていた。
僕は床を見つめ、ただ涙を流すことしかできなかった。
お読みいただきまして、ありがとうございました!