狐火の恋
古臭さを強要するこの街が、私はどうも好きになれない。
こんなことをつぶやけば、やれノスタルジーを理解せぬ小娘だとか言って、SNSで炎上しそうだけれど、生まれ育った街だからこそ、思うところもあるものだ。このような可愛げの無い感情(これが賛同を得られない短慮な独りよがりである自覚はあるのだ。)が生まれたのは、数年前に、クラスメイトのホノカちゃんの、お誕生日会にお呼ばれしたときからだ。
彼女は小学四年の時に東京から引っ越してきた。町外れの高台にある彼女の家は現代風で、誰もが知ってるハウスメイカーが手がけた一軒家だった。機密性が高く、玄関から2階の踊り場まで吹き抜けで、はめ殺しの大きな窓からたっぷりと日光を取り入れていた。何もかもがおしゃれで、しかも床暖房まで完備されていて、家はこうあるべきと見せつけられたようで、ひどく惨めな気分におちいった。
あんな家に住めたらなあ。古いだけが取り柄の我が家と見比べれば、そう愚痴りたくもなる。うちなんて、床暖房なんて夢のまた夢、隙間風だらけの、土間のある家なのだから。
先祖代々和ろうそくの職人だった私の家系は、時代の流れには抗えず、祖父の代でサラリーマンへと変貌した。だったら引っ越すなり立て替えるなりすればいいのに、やれ街の景観がだとか、文化的保存だとか持ち出しては、後生大事に古家を守っている。白壁の裏道に配慮して、科学という罪を隠す様に、こっそりエアコンの室外機の設置するほどに。利便性なんてお構い無しで、2つある提灯の収容箱を、勝手口の柱の上に、いまだに誇らしげに飾っている。提灯だけじゃ無い、とっくに辞めたろうそく屋の看板だって、一件残ったお隣さんを引き立たせるためにそのままにしている。
古き良き時代に想いを馳せる観光客は、ノスタルジックなエモさに浸る前に、トイレに立つのにもコートを羽織る必要のある、通気性抜群の家の生活を、ほんの少しだけでも想像して欲しい。
「親ガチャ失敗や。ホノカちゃんのうちに生まれて、お嬢様のような快適な暮らしがしたかった」
街で一軒残った隣家のロウソク屋でポツリと本音を愚痴ったら、作業台の前に敷かれた、小汚い座布団にちんまりと座る、ろうろくジジイがニヤリと笑い、まるでプールサイドでいたずらに水飛沫をぶつけるように、柄杓で汲んだ熱々のロウを、ピシャリと顔めがけて飛ばしてきた。
「アッツ!何しやがる。クソジジイ!」
「悪態つく口をロウで固めてやろうかと思ったが、惜しい惜しい、外れたか」
悪ふざけが成功したのがよほど嬉しいのか、ケラケラとジジイがと笑う。小遣い稼ぎに週末は店の手伝いをしてやってるが、もう来るのを辞めてやろうか。
大昔は何件も軒を連ねたそうそく屋も、今ではそうそくジジイの家一件のみとなった。
20年前にNHKのドキュメンタリーで取り上げられたことがあってか、週末は観光客がぞろぞろと、物珍しそうに来店する。ジジイは職人に似つかわしく無い口達者な商売人気質で、観光客の財布の紐を緩めるのに忙しく、代わりにレジうちするのが私の週末の日課なのだ。和ろうそくなど買ったところで持て余すのは目に見えているのに、冷静さを鈍らせるジジイの話術は素直に評価している。なお、当然賃金は貰う。中学生はバイト禁止なので、あくまでお小遣いという名目で。
「まあ、嬢ちゃんの言いたい事もわからんでは無いがな。伝統ってもんは、ただ続ければいいってもんじゃねえ。
時代に合わせて進化しないとな。
この和ろうそくだって、昔ながらの赤と白じゃ売れやしねぇ。
うちの親父も店たたむって、何度心折れたことか。
お前は継がんでいい。サラリーマンになれって言われたもんだ。
それがちょっとデザイン変えて、バエ?だっけか?
狙ったら、セラピーだとかアロマだとかいってご購入だ。
ジジババが神仏離れで買わねえのに、若い奴が伝統を引き継いでくれる。
形は違えど、ありがてえ話だ」
現代において、ろうそくを必要とする機会など、無いに等しい。ましてや、割高の和ろうそくなんて、ひょっとしたら見たこともない日本人だっているだろう。
仏具でさえ、安価な量産ろうそくが主流にたり、いよいよ西本願寺の大ロウソクぐらいしか顧客がいなくなるピンチを救ったのは、意外にも若い世代だった。
和ろうそくは、風が吹こうが、滅多なことでは消えない。消えないのに、揺れる炎は不規則で儚げだ。適度にロウに混じった空気が、チリリと音を立てて、風も無いのに炎を揺らすのだ。その揺らぎが、昔は仏の笑い声と崇めたらしいが、現代は幻想的と、瞑想の世界で使われる。捨てる神あれば拾う神あり。不思議なものである。
「だからな、嬢ちゃん。ワシが言いたいのは……。
ん?エプロン脱ぎ捨てて、どこいくんだい?」
「警察。目に入ったらどうするつもりだったんだ?
児童虐待で訴えてやる」
「そんな大袈裟な。俺はコントロールには自信があってだな。実はちゃんと、はなから頬を狙ってたんだが。
えーっと、お小遣いはずむから許して?」
「未成年の労働でも訴えよう」
「それは嬢ちゃんが自分でやり始めたのに!」
警察と聞いて焦るろうそくジジイを、もう少し懲らしめてやろうと悪知恵を働かせていたら、都合よく町内会長の奥さんが通りかかった。しめた、顔の傷(実際には頬にロウが張り付いただけで、火傷もしていないのだけど)を彼女に見せて、叱って貰おう。
「なにこれ!猫のヒゲみたい!これは天啓だわ!」
虐待をアピールするつもりが、祭りの拡大に悩む彼女のインスピレーションに突き刺さり、うやむやになった。町おこしで観光客参加型の祭りを開きたい。だけど、敷居をあげると、観光客が付いてきてくれないかもしれない。
思い悩んだ彼女が閃いたのは、簡単なペイントだった。
かくして、古き物語を現代風にリノベーションした、新しい祭り「狐火祭り」が執り行われることとなった。
古き我が街は、もともと狐の嫁入りの物語の発祥の地とも言われ、年に一度稲荷神社にて、五穀豊穣を願う秋祭りが執り行われていた。今年はこれを拡大して、神社周辺だけでなく、街中でも祭りを執り行うことになった。新婚の夫婦を募集して、実際に狐の嫁入りを再現するそうだ。
ロウを被せられただけなのに、いつの間にか発案者の1人に数えられた私は、半ば強制的に祭りの実行委員に加えられた。まあ、やることと言えば、学校の知り合いにメイクさせてとお願いするぐらいだったけど。こう言うのは始めの参加人数が肝心で、猫メイクならぬ狐メイクの人が多数いれば、ノリのよい旅行者もメイクに参加してくれるかもしれないという算段らしい。
「こりゃたまげた。馬子にも衣装だな!」
浴衣に狐のお面を斜めがけして、鼻に紅、両頬に3本ずつ白粉でヒゲを書いた姿を見せると、ろうそくジジイが大袈裟に褒めた。
ロウをぶっかけた後ろめたさがあるため、それはもう大袈裟に。馬子にも衣装が褒め言葉では無いことを、きっとジジイは知らないのだろう。
褒められるのは満更でも無い。それに、実はこれから合流するであろうクラスメイトより、いくらかアドバンテージがあると自負している。
まず、この浴衣。きっとクラスメイトは量販店で買った安物だけど、私のは近所の田中さんのウチで買った、そこそこお高い上質なものだ。浴衣ひとつ買うにもご近所づきあいのある田舎も、今だけは有難い。
さらには狐のお面も、みんなにはプラスチック製品のものを配ったけど、私のは、これまた近所の吉田さん家のばーさんお手製の、和紙で仕上げた上等なものだ。
さらに、これは本当にズルいのだけど、実は私のメイクだけ、美容院を営む後藤さんの奥様にお願いした。下地にナチュラル風メイクまでしてもらっている。
主役はもちろん嫁入りする新婚さんだけど、今日の私はそれに継ぐほど輝ける、かもしれない。だったらいいな。
紅と白粉を渡されて、祭りを見にきた人たちに声をかける。
「お狐さまのメイクいたしませんか?」
化粧を崩したくない女性からは断られることが多いけど、子どもたちや、意外にも男性の方が快くメイクをさせてくれた。
鼻に紅を一点、両頬に白粉で髭を3本づつ。狐になった子どもたちはほんとうに可愛い。お腹の大きなお父さん方も、某青いタヌキのようで、これはこれで可愛かった。
「俺たちにもメイクしてよ」
若い男性の声で振り替えると、サッカー部のキャプテンである若林先輩がそこにいた。我が校で一番を争うほど、女子に人気の先輩だ。ミーハーではあるけど、私も憧れる女子の1人に数えられる。
「も、もちろん!メイクします。
若林先輩と、隣の方は……」
プラスチックのお面で顔を隠した隣の女の子が、「わっ!」とイタズラっぽく言いながら、お面を横にずらした。現代のお城に住む、ホノカちゃんだった。
「付き合ってるの?」
慌てて頭を横に振りながら「まだそんなんじゃ無いよ」と彼女は否定した。まだ、か。
となりの若林先輩は、否定するでもなく笑みを見せている。
別に本気で先輩と付き合いたいだとか、それこそ浴衣でデートするだとか、考えたこともない。
ただ、雲に手を伸ばすように、決して届かないものに憧れて、遠い距離に安心しながら、ため息をつく。それだけで十分なのだ。
それでも、距離などお構い無しに、難なく掴む人もいる。私にとっての憧れなど、彼女にとっては、きっとテーブルの上のりんごを取る程度の、手に届く幸せなのだ。生まれ持った物が違うのだ。
震える手で、ホノカちゃんの頬に白粉のヒゲを描く。浴衣、かなり上等のものだ。華奢な彼女にとてもよく似合う。
「浴衣と釣り合わないから、こっちのお面使いなよ。
ほら、和紙でできたお面の方が、とってもよく似合う」
「ええ?悪いよ。サクラちゃんのお面でしょ?」
「いいの、いいの。それに和紙だと、雨で滲んじゃうから」
「雨?今日は晴れ予報だよ?」
メイクを仕上げて、彼女の質問を置き去りに、早々に立ち去る。プラスチックのお面はとても役立った。お面で顔を隠し、仕事を放り投げて、逃げ出してしまった。
「なんでえ。もう帰ってきたのか?」
「雨だからね」
「雲ひとつないのに雨が?」
「狐の嫁入りだからね」
不思議がるろうそくジジイに、雨が降ってきたからといい訳した。お面はつけたまま外さない。本当は外せないのだけど。
古臭さを強要するこの街が、どうしても私は好きになれない。いつかきっと出て行ってやると、お面の下で、私は私に呪いをかけた。
古川狐火祭り、本当によいお祭りでした。
久々に書きましたが、駄文申し訳ないです。
最後までお付き合い頂けた方がございましたら、本当にありがとうございました。