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一章2 和楽器と和楽器サークルのはなし

会えませんでした。

 初めて充実した校内散歩だった。

「えっ、和楽器サークル? 市谷いちがやお前、しかも尺八っつったら」

 思い出の素敵な音楽だ。

 祥平には会えなかったが、素敵な尺八に出会えた。それどころか、演奏者と話までできてしまった。

 隣では妙に動揺した風に、クラスメイトの男子が視線を泳がせる。

 あの尺八の演奏者は、橋本はしもと悠梨ゆりというらしい。改めて音に惚れ直した。サークルには入らないけど。背が高くふわふわした三年女子だった。

 見つかったのは誤算だったが、おかげで名前以外も色々と知れた。

 氷空は教室に戻ってからも余韻に浸っていた。和楽器は大好きなのだ。いつもは無視しているクラスメイトにも、ついつい返事してしまったくらいだ。

 目の前の男子は佐野さの京助けいすけというらしい。いつも声を掛けてくるから、余程会話に飢えているんだろう。今はパンを手に固まってしまっている。

 ――『毎日飛び出てくけど、誰か探してんのか?』

 京助は一週間休みなく、昼休みの度に氷空に話しかけてきた。氷空はろくに返事したことが――なかった。祥平以外と何を話せば良いんだ。

 だがふと思い至って、答えてみたのだ。

 ――『佐野くん、和室の場所……知ってる?』

 もちろん質問の返事としては繋がっていない。

 それでも焦りつつ答えをくれたので、答えない氷空で遊んでいたわけではあるまい。

 氷空は入部の誘いを断ったが、悠梨ゆりは改めて演奏会に誘ってくれた。場所が放課後の和室らしいのだ。今では京助は妙に落ち着かない様子だ。

「あーっと、ちなみに市谷、サークルに知り合いは――マジか……」

「天然にそういうの期待してもダメだって」

 首を傾げていた氷空は、一拍遅れて今度は逆側に傾げる。

 自然な様子で会話に入ってきたのは眼鏡女子だ。よいしょと言いながら京助の対面で椅子を引いて座る。

 和室の場所を聞くのは天然……?

「あたし、あんまり知らないけど……あ、でもさっき、特別棟の上でね、その……橋本先輩が」

「天然で良いのに、名前覚えたんだ」

 氷空は困って眉を寄せる。天然って氷空じゃなくて悠梨だったのか。

 ……天然と言う方が喜ぶんだろうか。

 というかこの女子は誰だ。今までは京助しか話しかけてこなかったが、クラスメイトだったかな。

「気にすんなよ市谷、周りが勝手に呼んでんだから……んで、その先輩がどうかしたのか? 知り合いがいるとか言われたか?」

 京助も微妙に面白がって……いや、困って? いるように見えて怪しい。気にしてもわからないことは気にしないけど……そういうのは祥平に任せるのだ。

「知り合いじゃないけど、知り合った……かなって。他には……知らない」

 二人が顔を見合わせたが、やっぱり何か隠し事がありそうだ。氷空が知らない他の人たちは、そんなに面白いんだろうか。

 氷空は悠梨の名前を知っている。悠梨にも氷空はさっき名乗った。両方が相手を知っている。

 ――うん、知り合いかもしれない。

「……つか市谷、なんでまたサークル? そいやいっつも音楽聴いてっけど、和楽器なのか?」

「あ……うん、そう、だけ、や、え? なんでも……」

 なんで会話しているんだろう。氷空は弁当箱の中身を箸先で崩す。何となく左手で風呂敷を触ると、左耳のイヤホンに触れた。落ち着かない。

 何を聴いているかなんて……まあさっきの尺八の曲を流しているが、クラスメイトに話すことじゃない。祥平はいつもさらっと秘密を作るのに、氷空がやると悲惨すぎる。

 言ってどうするんだ。

「……和楽器です」

「へ? おう……へぇ……春の海とか? 全然知らねーけど。なんかきっかけでもあんのか?」

 ここぞとばかりに質問してくるな?

 春の海は有名だが、昭和くらいの新しい曲だ。今氷空が聴いているのはもっと古い。和楽器は全部同じだなんて、イギリスのエルガーとビートルズを一緒にするくらい無茶……それは言いすぎか。

 氷空は箸を動かす手を止めた。

「……きっかけはある。その……えっと、お父さんが好き、だった……から」

 これくらいは言っても良い。

 氷空に話しかけるのなんて物好きだ。せっかく技巧を凝らして一人でいたのに……京助の粘り勝ちだ。

「佐野、質問攻めしすぎじゃない? 氷空ちゃん人見知りなのに」

 びっくりして氷空は顔を上げた。眼鏡女子は京助を責めるように突つく。

 あれ? そんな急に止めるような話をしただろうか。親の趣味としか言っていない。

「いてっ、あー……わりーな市谷、ずっとスルーされてたからつい」

「スルーされても話しかけ続ける佐野って、ちょっとストーカーの素質あるよね」

 愕然とした京助が、バツの悪そうな顔で首を竦める。氷空は思わず首を振った。積極的に話そうとも思わないが、京助を悪者にするのは違う。どうでもいいからスルーしていただけで、困っていたと言うほどでもない。スルーした氷空の方が酷いと思う。

 というか京助は多分、あぶれて氷空に構っていたはずだ。

 ちらっと氷空は教室の後方を見る。いくら周りに興味がなくても、これだけ話しかけられれば気づくこともある。京助に構われるのは昼休みだけだ。

「……お父さん、病気だったから、家にいること多くて……一緒に聴いてた。CDもいっぱい買ってた……かな。尺八もやってた。呼吸を整えるとか言ってて」

 氷空が一緒に聴いた相手は父ではなく祥平だが、そこまで説明しなくて良いだろう。CDを引っ張り出して聴きだしたのは祥平だ。

 隠れて一人で聴こうとしていたから、氷空がねだってイヤホンを片耳借りた。祥平は慌てながらも嬉しそうだった。学校に行けない時も二人で聴いて、結局氷空の方がハマりこんだ。

 父は既にいなかったが、もっと早ければ色々教われただろうか。

 氷空はにこっと笑って卵焼きをつまむ。

「変だよね? お父さん、小唄こうたとか長唄ながうたとかの方が好きで、聴いてたみたい。だったら三味線やれば良いのに」

 歌モノが好きなのに尺八なんておかしい。思い出して笑ってしまったが、すぐに氷空は無表情に戻った。

 二人に通じないのを思い出したのだ。

(このみーなら、通じる。さっきの橋本先輩は……全然違うジャンルだし、どうかな)

 コミュニケーションなんて面倒くさい。二人の反応を見るのも面倒で、氷空は黙って食事することにした。尺八の音色は心地良いのに、妙に虚しい感覚が拭えない。

 好きなものの話なんてしないに限る。通じない時に虚しくなるだけだ。

「……お父さん、死んだけど」

 こう言っておけば話は終わるのだ。

(このみーと隠れて、一緒に聴いた……梅は咲いたか、色んな人が歌ってた……)

 梅は咲いたか、というのは、三味線伴奏で歌う小唄こうたの一つだ。

 大人にバレないように押し入れに隠れて、親のイヤホンで祥平と一緒に聴いた。二人でお昼を作りながら、かわりばんこに歌った時もある。

 氷空は祥平だけじゃなく、和楽器とも苦楽を共にしたのだ。

「へえ……わりーな。和楽器ってあんま知らねーんだ。けど名前からして歌うんだろ? 尺八は笛だよな」

 氷空は首を傾げる。あれ? 静かにならない。

「あ、そうそう、うち知ってるよ。長唄って確か、歌舞伎とか? 三味線じゃない?」

「へえ、歌舞伎って歌あるんだなー。ただの劇だと思ってたな」

 必殺・父は死んだが、効かない……?

 京助は片手でスマートフォンを触っている。ブラウザの検索画面からして、何か調べているらしい。

「小唄も三味線か? へぇ、江戸時代からで、戦後に流行……?」

「あ、うん……流行した……小唄は、ちょっとした歌に、三味線で伴奏つけて……」

 思わず口を出してしまった。

「弾き語りじゃん! へー、和楽器でもそんなんやるんだ」

 眼鏡女子がスマートフォンを覗き込む。和楽器の弾き語りってそんなに意外だろうか。むしろ西洋こそオーケストラの演奏で、ソリストと分業する気がする。和楽器で分業は……あまり聞かない。

 要するに邦楽のイメージが貧困なだけだろう。

「……でも、三味線、材料が貴重だから……急に流行すると、結構、大変だったりする」

「へえー、ただの木じゃないのか」

 氷空は一瞬返答に詰まる。ただの木って何の木だとか、そもそも木だけが材料でもないとか……。

 撥などで使う象牙は、日本人が印鑑や楽器にするから密猟されるとも言う。鼈甲や石だって使うし、皮の部分は猫皮が高級だ。もちろん木材の部分も貴重だろう。

 ……一々詰まっていたら億劫というか。知識の格差が大きいと、コミュニケーションは手間なのだ。

「……まあ……条約とかで、輸入できないのとか」

「……貴重な生き物の輸入? ワシントン条約だっけか? そう言われっと、環境変わっても楽器の材料って変わんねーんだな。素材変わると音も変わっちまうのか……けどさ、サークル行って平気か? ぶっちゃけ」

 画面を見ずに京助がスマートフォンを閉じた。目が合うのが何となく嫌で、氷空はすっと視線を逸らす。

「うわあー佐野が氷空ちゃん囲い込みしようとしてる」

「ちげーよ! あそこは……行くだけで目立つぞ。出来て一年だけど、すげー知られてる」

 氷空はふっと眉をひそめた。

 京助は躊躇いがちに心配そうな目を向けてくる。和楽器サークルが有名? 部活紹介でこそ知ってはいたが、祥平も何も――いや、祥平は言わないだろうけど……。

 というか、氷空を囲い込みたいなら祥平と分断しなきゃ始まらない。むしろ祥平に囲い込まれている。奥ゆかしい祥平に誘導も何もないが。

「サークルは……あ、サークルって和楽器だけだし、みんな略して呼んでっけどさ、一人は卒業したんだけど残りが四人で」

「変人ばっかだよ、あそこ」

 眼鏡女子がぶった切れば、京助は落ち着かなげに苦笑いする。

 つまりこの二人は、氷空を和楽器サークルから遠ざけたいのか。明日のことなら祥平に聞けば済むが、今日の放課後に行きたいのに……。

 氷空は携帯電話もスマートフォンも持っていない。祥平くらいとしか話さないから、要らないとばかり。

「ちなみにサークルってのは公式の括りじゃなくて、実際は同好会なんだけどな。五年立てば部活になって、部費が降りるんだろ?」

「……変人……変わり者……人が嫌いな人、とか?」

 何気なく箸を止めて、氷空は廊下で見た悠梨を思い出す。二人は怪訝そうだ。

「橋本先輩が……言ってた。篠笛の先輩、上で待つために来て、尺八吹いて待ってたって。その先輩、人が怖くて、コミュニケーションが苦手。昼休みは、教室から逃げてきて……仲良しの人と、喋ってる。それで、橋本先輩、会いたくて探しに来て……あたしに会って」

 篠笛の人と仲良しなのは、きっと祥平のことじゃなかろうか。いつも笑顔の兄神様なら、コミュニケーション苦手な相手だって平気そうだ。

 それに思うのだ。

「篠笛の人、吸血鬼の人……? さっき、近くに」

 京助がむせた。

 不器用で誤解されていても、何せ〝吸血鬼〟は祥平の手足だ。祥平なら最高に寄り添える。

 もっとも、氷空は階段から落ちるのを垣間見ただけ――結局大丈夫だったんだろうかあれ……。

 氷空が顔を上げると、二人ともぽかんと固まっていた。首を傾げてみれば、京助がハッと目を見開く。

「え……っと、あの人ってそういう系か? コミュ障? すげー自由で馴れ馴れしいって聞いたけど」

「……まあ、コミュ障じゃない? 馴れ馴れしいフリしてるだけでしょ。うちは何となくわかるけど」

 眼鏡女子も呆れ笑いのようなものを浮かべ、遠い目でどこかを見る。ふっと表情が変わったのは、過去の何かを思い出したからか。何かぶつぶつ呟いたようで、京助だけがぎょっとしていた。

 少なくとも対外イメージは、悠梨の印象とはかなり違うらしい。廊下で会った女子を怖れていたが、普段はもっと軽い感じなんだろうか?

「うちは茶道部で色々聞いてるからねー、ネタはそこそこ上がってるんだ」

 ……茶道部。

 漸く眼鏡女子がここに来た理由がわかった気がした。氷空が和室の場所を聞いたからか。

「篠笛が誰かは、とりあえず保留。サークルのこと知りたいでしょ?」

 ――いや、興味があれば祥平が教えてくれる――って、それじゃダメなのか。

 そう言われると、知りたいような……祥平には帰ってからじゃないと聞けないし……。

「まず三年でおこと弾いてるのが通称〝郷土愛〟って人」

 始まってしまった。

「紀伊長島からわざわざ通ってたけど、今は一人暮らしだって」

「……鈴谷先輩だな。美術部と兼部してんだろ。あれ、もう引退だったか?」

 眼鏡女子はコクっと頷いた。

 紀伊長島ってどこだっけ? 二人とも知っているって、その人も有名なんだろうか。

「そう。二年の三月までで美術部は引退らしいねー。美大行くならともかく、特にその気もないんでしょ。そんなことより故郷の盛り上げに忙しい。ちな、紀伊長島は今の紀北町で、三重の南部ね。ヒノキとカツオの有名な産地」

 ……三重の南の方って、ほとんど意識したこともない。地図で見ると面積はあるのだが。

 通えるんだ……。

「郷土愛って、単純に身の周りがご当地グッズに溢れてるんだよね。クリアファイルもマンボウだし、船の浮きみたいなストラップつけてる。家は漁師の家系だって」

「すげーな……マンボウってなんでだ? 名産なのか?」

 眼鏡女子はポケットに手を入れつつ頷いた。出てきたのは木の端材だ。年輪が綺麗に浮き出ていて、円柱を斜めにスライスしたようだった。

「マンボウは道の駅とかで買えるらしいよ。唐揚げとかカレーとか売ってるんだって。旅館とか行くとこわたが出る。でもすぐ食べないと萎むから? 現地でしか売ってない。で、これは郷土愛にもらったヒノキの端材」

「こわた……って、内臓? 紀北町って、行ったことない……」

 漁業の町なのかな? ヒノキとカツオってことは、林業も? これが〝郷土愛〟とやらの受け売りだったら、大したものだけど……どことなく、情報が観光寄りのような。

 地元の観光情報って、氷空はあまり詳しくない。

「郷土愛はまあ、そんな感じだよ、ガチでそういう系――つまり漁業とか林業とか観光とか地域発展とか、そういう本も読んでるらしい。サークルって変人ばっかだけど、面白いタイプが多いんだ」

「……お箏と、美術と、観光の……勉強?」

 だいぶ忙しそうだ。

 地域おこしや観光を極めるなら、確かに美大どころじゃない。観光科でも行くんだろうか。

 眼鏡女子は端材を仕舞うと、思い出したようにラップで巻いたおにぎりをかじる。

「で、二年の締太鼓が〝秀才ちゃん〟。名前の通り成績優秀で、サークル唯一の特進科らしいよ。新体操もやってたとかで運動神経も抜群。最初は〝暗黒の秀才〟だったけど、浄化されて光属性に生まれ変わった。島根出身だって」

 氷空は頭を抱えてしまった。

「締太鼓……浄化……新体操……」

「おーい丸山、光属性って……お前って情報屋キャラ?」

 ……そうだ、メンバーの成績なんて関係ない。氷空は和室の場所を聞いただけだ。

「違う違う、キャラ被るじゃん。サークルは茶道部の基礎教養だから知ってるだけ」

「意味わかんねーよ、キャラってなんだよ。情報屋キャラなんてサークルにいたか? つか茶道部はファンクラブ事務所かなんかか」

 ファンクラブ……か。祥平のファンクラブがあれば話は早いが……。

 氷空は緊張気味に箸を置く。そっとスープ用の蓋を開けると、昨日の残りの味噌汁を傾けた。

 とりあえず楽器はわかった。三年の〝郷土愛〟はそうの担当。二年の秀才が締太鼓で、同じく二年に篠笛がいる。最後に尺八はさっき会った悠梨で、現役四人のラインナップ。

 ……見事にバラバラだ。

 二年だけなら祭囃子になりそうだ。涼やかに転がる篠笛に、跳ねる太鼓の明るいリズム。氷空は好きだ。祥平も好きだと思う。でも三年の編成は室内楽っぽい。

「えと……尺八とお箏と、締太鼓と……篠笛。バランス、悪くない?」

 何のジャンルだろう。全部を使う曲は思い浮かばない。

「おおう……それはうちにはわかんないわ。佐野は?」

「知るわけねーだろ、そもそも締太鼓ってどんな太鼓だ? 篠笛も名前は聴いたことあっけど」

 京助がまたスマートフォンの画面を入れる。眼鏡女子はお手上げポーズをした。氷空に説明しろってことだろうか。

「調べても楽器の音はわかんねーしなー。スピーカーで聴くか? って、締太鼓って平たいヤツか、結構ちっせーな!」

 意外そうに目を丸くして、京助は画面をスライドする。何だと思っていたんだろう。

 締太鼓は普通、直径三十センチほどの平たい太鼓だ。皮を留めっぱなしの太鼓と違って、紐で締めるので音をチューニングできる。撥や台を合わせても小さくて、移動時も大した荷物にはならないはずだ。

「へえ……んで篠笛は横向きか。これってあれか? 源義経」

「それは龍笛りゅうてき、だと……思うけど」

 横笛ですぐに源義経が浮かぶのか。平家物語が好きなんだろうか?

 篠笛は和式のフルートで、普通は篠竹――つまり笹を使う。龍笛も多分同じで、違いは些細な構造と使いどころだろうか。

「龍笛は、雅楽の楽器。えと……雅楽だと、最初にソロ? あんまり詳しくないけど、そういう笛、だと思う」

 純邦楽は好きだが、雅楽は大陸に由来していてだいぶ違う。つまり中国――というより、シルクロード由来ってことだ。詳しくはない。まあ、楽器自体は似たようなものだけど。

 にしても……悠梨の尺八は十中八九、経験者だ。でも篠笛は、こだわりがあったんだろうか。締太鼓のチョイスも渋い。

「で、丸山はそれ全部、茶道部で聞いたのか?」

 困っていたら、京助が話を戻してくれた。

 氷空も気になって頷く。眼鏡女子の情報は妙に細かいというか――距離が近い。端材が出てくるあたりが特に。

「ああうん、入部前のオリエンテーションで聴いた。サークルも色々あるからさー、なんも知らずに隣人ってのもね。その時の挨拶でコレも貰ったの」

「えっ――挨拶?」

 眼鏡女子は端材を見せびらかすと、自慢げに眼鏡の銀縁に触れた。

「ま、和室ならうちが案内するよ。部活行くついででいいでしょ」

 何となく安心して氷空は目を逸らした。

 茶道部のオリエンテーションで和楽器サークルに詳しくなるのか。しかも入部前に。

「あー、予想外だなー……頼んだ」

「え? まあいいけど。ちな、茶室は大して広くないし、大きい方はサークルが使ってるよ。左右に分かれてるんだ」

 氷空は頷いた。茶道より楽器がスペースを取るのは当然だ。

「場所は特別棟ね。近くまで行けば音は聴こえると思うよ、天然いるし」

「えと……天然、は橋本先輩で……でも、他の音も、聴こえるんじゃ……? お箏とか?」

 あれ? その人は美術部と兼部していたんだっけ?

 そういえばレセプションで演奏したのは悠梨一人だ。

 眼鏡女子は顎に指を当てて宙を見る。

「んー、郷土愛は美術部メインだからさ、今は引退したと言っても正直あんま弾けないんじゃない? 他の二人は知らないけど……あ、太鼓は鳴ってた――かも?」

 ……まあ、真面目じゃない部活なんていくらでもある。

「出来立ての頃は、まともにサークル機能してなかったらしいし、天然以外は経験半年とかのレベルでしょ。氷空ちゃんが行ったらまた波乱かもねー」

「つかサークルが有名なのは音楽以外だからな、楽器ってイメージ薄いよなー。誰が何の楽器とか知らなかったし」

 京助にまで言われれば、純粋な和楽器好きかは怪しい。

 ……それでも。

 氷空は悠梨の演奏に惚れた。

「あの……莉桜りおちゃん、だよね? あり、がと」

 眼鏡女子――丸山莉桜が目を見開いた。

「え、マジで? 覚えてたの?」

 氷空はすっと目を伏せる。髪の毛をかき上げて誤魔化した。

 莉桜は小学校の同級生だった。クラスも何度か同じになったし、話したこともあったはずだ。どんな人だっただろうか。

「小学校のことなんて、全部忘れちゃったかと思った」

 氷空は否定もできない。存在と名前はさっき思い出したが、学校でのことはあんまりだ。

「……でも、あの、大丈夫……だよ?」

 答えになっていないのは承知の上だ。

 不登校になった氷空は、今の家に引っ越してしまった。その前のことはおぼろげだ。祥平と過ごした時間以外は……。

「うん、よかったよ。あ、佐野は余計なこと言わないでね」

「あー……ま、演奏会行けんならよかったんじゃね」

 氷空は微笑んだが、上手く言葉は出なかった。

 過去を話題に出すのは慣れない。知り合いと再会してしまうなんてドキドキする。だが戸惑うだけで、生活に支障はないのだ。演奏会も行って、良いよね? 何かあれば祥平が助けてくれる。

 二人は心配そうに顔を見合わせてしまった。心外だ。

「あの……ほんとに、だいじょぶで」

「おう、丸山、なんつか……今更だけど、マジで平気なのか?」

 大分弱った声に戸惑った。氷空は本当によく思い出せないが、精神的に引きずっているつもりもない。

「知らなーい。どのみちなるようになるでしょ」

「いや、ぜってーやべーと思うんだけど。噂じゃあの人ってだいぶ……」

 何が絶対だと言うのか。

 祥平さえこの世に存在すれば、氷空はどこへ行ったって平気なのだ。いじめを親に隠してくれたのは祥平だ。父を亡くしたばかりで仕事に逃げる母には言えない。言おうとしても忙しそうで、我慢すれば済むと堪えていた。

 祥平は助けてくれた。

(……あたし元気になったよ、このみーのおかげで。高校も頑張るからね)

 口に出して言えないのがもどかしい。急に祥平を崇め立てれば、何事かと思われるに決まっている。

 やっぱりコミュニケーションは面倒くさい。

 だが和室の位置がわかったのは収穫だ。演奏会に行けて嬉しい。そうやって今日も祥平にメールを書こう。

 ――ところで祥平は、結局どこにいたんだろう……。

次、ヤツが出てきます。

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