第一部 幼少期
➖騎士として➖
剣は正しく振るわねばならない。斬り損ねるだけならまだしも、守りたい者も守れず、自身を傷つけ、対峙した者に遺恨を残し、多くの被害と消せない後悔を産むからだ。
国境警備に目を光らす【黄金鷹騎士団】団長チザットは幼い頃から剣を振り続けてきた。それは、騎士に憧れ、強く正しくあらんとする自身の為に、二度と親愛なる者を裏切らない為、守り方を間違えぬよう……
国境警備隊は城外での人気が高く、農村の子供にとって、憧れの存在だった。幼いチザットも例外なく騎士に憧れた。遊びはもっぱら御前試合ごっこ。年に一度開かれる御前試合は国中の注目を集める大イベント。戦績によって【黄金】【白銀】【青銅】の称号が与えられる。子供たちは木の枝を振り回し、くる日もくる日も黄金の座を奪い合った。
チザットが黄金の座を数日間手にしたある日、年下の女の子ルルクが助けを求めてきた。
「チザット……ウサギさんが居なくなっちゃった。」
今にも泣きそうなルルク。
「抱っこしようとしたら、ピョンって……」
そこまで言うとルルクは小さな体を震わせて大きな声で泣き出してしまう。突然の事に驚くチザットだが、そこは黄金の座を手にした自負が働く。何事にも動じず、強く、優しく、逞しく、それこそが目指すべき騎士の姿。
「大丈夫、一緒に探そう。」
ルルクの震えはチザットが抱き止めた。背中を擦り頭を撫でると、しゃくり上げていた声も落ち着き、ルルクはほんの少し顔を上げた。そこには、御前試合ごっこの時の様な鋭い目つきにキラキラした顔のチザットではなく、まるで母の様な優しい顔のチザットが微笑んでいた。
不思議な気持ちで見つめているルルクの頭の上でチザットの手が二度、ポンポンと弾む。
➖騎士たるもの➖
逃げてしまった兎を探すチザットとルルクは、原っぱを抜けて森の入口まで来てしまっていた。
「森には近づくんじゃないよ、一度入ると出られなくなっちまうからね。」大人達は口々にそう言う。腹をすかせた獣、毒を持った虫や蛇、狂わされる方向感覚に人攫いまで。実際、神隠しにあった子供は数人いる。それでもチザットは足を踏み入れた。兎は草だけでなく、樹皮を齧り果実を食べる事もある。逃げてしまった兎は、ご馳走の匂いを嗅ぎつけたのかもしれない、そう思ってしまったのだ。それもこれも黄金の座を手にした者として、騎士に憧れを抱く者として、後ろを歩くルルクの不安な顔を晴らしてあげたいからに他ならない。
森と原っぱとの境目、原っぱ側にルルクを残し、チザットが森側に沿って探し歩いていると、何かが動いて見えた。木々の間にチラリと動く影に思わず声をあげるチザットの耳が、可怪しな音を拾う。
「こんなとこでなにしてんだ。」
チザットより二回りは大きい少年が犬を連れて、いや、犬に連れられて姿を見せた。少年の名はウターヌス、犬の名はカルバシュ。森に住み森番を務める父親の相棒を務めるのは、ウターヌスを引き連れて来た大型犬カルバシュの方で、そのカルバシュの口には兎が咥えられていた。
「兎を返せ!」
「お前、何いってんだ?この兎はカルバシュが捕まえたんだぞ、何でお前に返さなきゃならないだ。え?チビ!」
父親に買い物を頼まれているウターヌスは、チザットに一言「危ないから帰れ」と告げて先を急ぐつもりだった。
「うるさい!それはルルクの家の兎なんだから返せっ!返せよ!」
チザットは声を張るのが精一杯。ウターヌスの迫力と、カルバシュの大きさに、怖くて足が動かせない。ルルクは、この異様な光景と緊迫感に耐えられず、今にも泣き出しそうだった。
短い髪に切れ長の目、凛々しくも生意気なチザットに、ウターヌスは苛立ちが増す。森には森のルールがある。普段見ない場所で見つけた兎を放って置いて、繁殖されて森を荒らされても困る。小さな女の子の前で格好つけて、自分を悪者扱いするチザットにゲンコツの一つもくれてやって説教してやろうとも思ったが、そんな事をすると後ろの女の子が本気で泣き出し面倒臭そうなので、やはり先を急ぐ事にした。
「くそっ!返せったら返せよ!」
離れていくウターヌスとカルバシュに駆け寄るチザット。落ちている枝を拾って振りかぶったその時、危険を悟ったカルバシュの体当たりで転がされてしまう。
主人を守る本能でチザットを睨み威嚇するカルバシュと、それを諌めるウターヌスに暴言を吐くチザット。
「卑怯だぞ!」
「お前いい加減にしろよ。」
尻餅をついたままのチザットに近寄る魔の手。それは魔の手ではなく、チザットを起こす為に差し伸べられた手だった。しかし、興奮と緊張と恐怖で限界だったチザットは、叫び声と供に右手に掴んだ細い枝をを突き出した。
叫び声は重なり、泣き声と鳴き声も重なる。
繰り出した一撃はウターヌスの左瞼から米噛みを傷付け悲鳴を上げさけた。主人のピンチにカルバシュは吠え、あまりの出来事に遂にルルクは大泣き。
放心状態のチザットの目の前で、押さえた傷口から血を垂らし、もう片方の手でゲンコツを作ったウターヌスは一瞬の躊躇いを振り払って、チザットの横っ面を殴り飛ばした。
チザットは殴られた痛みを感じるより、自分を取り巻く状況をつぶさに把握し、涙と共に意識を落とした。
➖騎士とは➖
騒ぎに駆け付けた大人達によって事態は収集。チザットの両親は平謝り。ルルクの両親も平謝り。だがそこはウターヌスの父親が「森に生きてりゃ怪我なんぞ付き物です。どうぞお気になさらずに。今回はこいつが未熟だった、それだけです。」と言い放ち、その場は解散。
そんな事とはつゆ知らず、やっと顔の痛みを覚えたチザットが目を覚ますと、そこは自分の家だった。
「あれ?家……」
顔の痛みの次に思い出したのは、掴んだ木の枝から右手に伝わるウターヌスを抉る感触と嫌悪。と同時に、ルルクの泣き声。何もしてやれなかった。ルルクに会わなければ、会って謝らなければ。自分がどれだけ寝ていたかも分からず外へ出ようとするチザットに声がかかる。
「チザット!ちょっと来なさい。」
滅多にない父の表情に、チザットは色々と観念した。
ウターヌスに怪我を負わせてしまった事で騎士ごっこは禁止。友達と遊ぶ時間も制限され畑仕事を手伝わされる始末。そんな不貞腐れた毎日を過ごすなかでも、ルルクの事は気にしていた。時折ルルクの姿を見つけては手を振ってみたりするのだが、どこか元気がなさそうで、俯いてそそくさと逃げてしまう。
「チーザ、あんたルーちゃんの事が気になるのかい?」
「え?……うん。」
「少し、放っておいてやんな。あんたと違って女の子なんだから。」
聞けば元々大人しく口数の少ないルルクではあったが、人見知りするようになり、困った事があっても口にせず我慢する癖がついてしまったらしい。
責任を感じて落ち込むチザットに、父は改めて話の場を設けた。
「相手の事を理解せず、自分の力量も知らず、状況や立場も弁えず、せっかくの正義感も溢れてしまえば暴力だ。お前の勇気は認めるが、やり方を間違えては傷つく者を増やすだけだ。」
何も出来ないどころか、ウターヌスの体とルルクの心に傷を負わせてしまった事に、悔しくて情けなくて涙が止まらない。 必死に堪えようと固く結んだ口がいびつに歪む中、父の話は続けられた。
「だから、チザット。剣術を習いなさい。」
まさかの提言に、いびつに歪んだチザットの口が緩む。
「このままだと、お前はきっと、大人になっても同じ過ちを繰り返す。誰かを守る筈が傷つけてしまうだろう。人の守り方と剣の振るい方は、私では教えて上げられない。」
父の真剣な眼差しは優しさに満ち、チザットの頬を伝う涙の味が変わる。
「お父さん……」
「街に先生がいる。但し、畑仕事は手伝いなさい。村の皆と遊ぶ時間は無くなるが、お前は騎士になりたいのだろう?」
頷いたチザットを見届けた父は席を立ち、ゴツゴツとした手でチザットの頭を撫でると、去り際に二度、その手を弾ませた。