9節目
「ヴォイ・ド……(主において命ずる)」
「ア シュマ クァバー(祈りを 力に 変えん)」
振り下ろされた魔物の力は距離の離れているルーシーに届く程の衝撃だった。二人ともとても無事では済まない。最悪の結果を予想していたが、目の前に信じられない光景が広がっていた。
シノーメが魔物の攻撃を完全に受け止めていた。貝紫も無事だが、彼も信じられないといった表情で受け止めているシノーメを見ていた。
「シノーメ……これは一体?」
「自分でも驚いています。けれども、身体の中から力が溢れてくる!」
シノーメはぐいっと自分よりも大きな魔物の腕を押し上げた。明らかに人間の力を越えている。さっき唱えたグラマトンの力が、シノーメに力を会えてたのだろう。圧倒的な力を持つ魔物にも引けを取らない程の力で、彼の身体はみなぎっていた。
「ごあああああ!」
魔物が繰り出すあらゆる攻撃を、シノーメは完全に受け止める事が出来ていた。
「主、この力がいつまで持つか分かりません! その前に森へ!」
彼の言う通り、急いで森へと向かう。魔物がそれを阻止しようとするが、シノーメに阻まれて貝紫を追いかける事が出来ない。
「はぁはぁ、この森に何が……?」
貝紫は聖域の中心部の森に入った。シノーメの勘が正しければ、魔物がいる理由がここにあるはずなのだ。辺りを見渡して異常がないか探して回る。
聖域と言われるだけあって、外よりも空気が澄んでいるかのように感じられた。急ぎの時でなければゆっくりとこの場で過ごしたいと思わせる雰囲気があった。
その時、茂みの中で何かが動く気配がした。まさか魔物の仲間がまだ残っているのかと貝紫は身構えるが、それは小さく弱々しかった。貝紫は警戒しながら恐る恐る茂みの奥にいる何かの正体を確かめる。
そこにいたのは、足に矢の刺さった鹿が横たわっていた。かなり衰弱していて、自力で立ち上がることも出来ないのだろう。怯える様に貝紫の事を見つめている。
「まさか、あの魔物はこの鹿を守っていたのか?」
弓を使おうとすると凶暴化するという情報も、射られた矢が鹿に当たる可能性があるからだったのだろう。しかし、魔物は凶暴で狡猾な存在だと思っていたが、動物を守るという心も持ち合わせているのだろうか? しかし、偶然この場所にいただけとも考えられなかった。
「待ってろ今治してやる」
グラマトンの治癒の力を唱えると、傷が塞がっていき刺さっていた矢もぽろりと落ちた。鹿は恐る恐る立ち上がると、嬉しそうに跳ねまわりそのまま飛び出していった。
「ごあっ!」
飛び出した鹿を見た魔物は驚くように一声上げると急に大人しくなり、じっと鹿の方を見ていた。
「これは…?」
「やっぱり、あの魔物は傷ついた鹿を守っていたんだ。俺も信じられないけど」
鹿は警戒することもなく魔物に使づくと、その身体に頭を擦り付けた。その様子からも鹿が魔物に懐いていることが伺い知れた。
「そんな……こんな事が……」
呟くルーシーだけじゃなく貝紫たちも信じられなかった。だが、動物と心を通わせる魔物が確かに存在するという事実が目の前で起こっていた。




