3節目
周囲の靄の向こうから、この醜い魔物の影がいくつも現れた。いつの間にか囲まれていた。
「見かけによらないがやはり魔物か。ここまで気配を感じさせずに群れで動けるとは……」
勝利を確信したかのように魔物たちは雄たけびを上げて二人に襲い掛かる。相手は複数、囲まれて
逃げる事も出来ない絶体絶命の瞬間だったが、貝紫の表情は自信に溢れていた。
「俺たちにはこれがあるんだ!」
貝紫は待ってましたと言わんばかりに、張り切ってグラマトンを唱えた。
「リオ アム オーデ!」
魔狼ワーグの群れを追い払ったグラマトンの言霊を唱える。貝紫を中心に光の波動が放たれ、
周囲の魔物の群れを靄の向こうへ吹っ飛ばす。
「どんなもんだい!」
「一瞬にして魔物の群れを退けるなんて想像以上の力だよ」
感心した様にシノーメが呟く。得意になっていた貝紫ははっと気づいた。
「そういえば、あいつら力のありそうな魔物だったけど、攻撃を受けた腕は大丈夫か?」
貝紫を守ったシノーメの盾は大きく凹んでいた。相当な衝撃だったのを感じさせたが、シノーメは平然と答える。
「大丈夫です主、例え盾が壊れようが腕がちぎれようが、この私がちゃんと守りますので……問題はありません」
「本当か? ちょっと腕見せて」
盾を持っているシノーメの腕を見ると、折れた骨の先端が飛び出ていて、そこから血が滴っている。
一目見るだけで分かるほどの重傷だった。
「全然大丈夫じゃない!」
「この程度の傷で泣き言言っていたら護衛騎士は務まらないでしょう。それに主の力で傷は治せるので……」
「だからって、見ていて痛いのは嫌だって! ちょっと早く出して!」
貝紫がシノーメの傷ついた腕を見ると、自然と呪文が思い出せた。知らない言語のはずなのに
その意味や効果が分かるのは思えば不思議だった。でも、それもグラマトンの効果なのだろう。
「サン ヲ ノリアニマ ルミスト クァバ」
グラマトンを発する貝紫の口から飛び出た光の粒子が、シノーメの腕を包むとまるで時間が戻るかのように、
傷が塞がっていき腕が治癒される。初めて使った時は気づかなかったが、傷や痛みを治す呪文だったと
シノーメから聞かされた。
「これでよし! まだ気になる事はある?」
「全然。改めて見ても本当に奇跡みたいだ……折れた骨も元通りになっています」
自分の腕を不思議そうに動かしながらシノーメが答える。
「今グラマトンを唱えてて気づいたけど、呪文を使う時にわざわざ叫ばなくてもちゃんと効果あるんだな」
「できれば聖都までグラマトンの事は隠して行きたいから、それなら都合がいいでしょう」
「毎回叫ばなきゃいけなかったら、喉がつぶれる所だった」
貝紫はほっと一安心した。
「主のきれいな声が聴けなくなったら、一大事ですからね」
「きれいな声って……」
シノーメのズレた発言に少し困惑する。護衛になってから出会った当初と別人のように
なったみたいで、貝紫にはどうも慣れなかった。こっちが本来の性格なのだろうか?
「む、主お気をつけて、何者かが近づく足音が聞こえてきます」
耳を澄ますと、複数の足音がこちらに向かってくる音が聞こえた。
またさっきの魔物が来たのかと身構えたが、もやの向こうから姿を見せたのは人間の男だった。
「おお、声が聞こえたんで見に来たが、旅の人ですか」
「あんたは一体?」
シノーメが身構えながら答える。
「この近くの村の者です。何やら声が聞こえたので他の者たちと一緒に見に来ました」
宿の主人から聞いたドサの村の人のようだ。彼の背後からぞろぞろと同じく村の人間らしき
集団がやってきた。
「我々は自分たちで村を守っていたんですが、魔物のせいで外に出れなくて困っていたんです。こんな
所で会話もなんですので、どうぞ村によっておいで下さい」
「やった! 村の人たちも無事みたいでよかったなシノーメ!」
「ええ」
言葉では返しているが、何か腑に落ちずシノーメの表情は険しいままだった。泥で足を取られそうな
湿地の道を、村人の案内で二人は進んで行った。