4節目
そういうと、マツシタはすうっと息を吸い突然澄んだ声を出す。シノーメが騎士であった頃、
街の教会で聴いたような讃美歌のように美しい声だ。調律された楽器のような、この世の物とは思えぬきれいな声だ。
「サン ヲ ノリアニマ……(我が求めるは 祈りと光……)」
少年の言葉に反応して、シノーメの手甲に刻まれた家紋がぼんやりと光り出す。
「ルミスト クァバー! (癒さん。その痛みを!)」
その声と共にマツシタから光の粒が湧き出て、突風の様にシノーメと山賊の間を流れていった。
「な、なんだこりゃ?」
「あれ、何にも効果が出ない……?」
シノーメには聞いたことがあった。発するだけでこの世を創り出した神の伝説。人間は神の言葉で生まれ、自らも真似て
言葉を作り出した。神の言葉の持つ大いなる力は人間には扱いきれなかった。
だが、ごく一部の、選ばれた人間だけが、神の言葉の力を扱えるという。それは救世主という伝説。
だから、この少年は教皇の下へと向かっていたのか。この力を持っていたから。
「何かわからんがすげえ! これはお頭に報告を……!」
マツシタの見せた力に気を取られていた男の首を腕で思いっきり締め上げる。すぐに男は気絶したが、
これだけでもシノーメは両腕が震えるほどの忌避感が生まれていた。それでもやらずにはいられなかった。
シノーメの身体は受けた傷や痛みが消えていた。マツシタの唱えた神の言葉の影響か、
痛みもすっかり消えていた。
震える手でカギを取り出すと牢の戸を開けて捕らえていたマツシタと移民の人々を開放する。
「おっさん大丈夫か? もしかしてさっきの奴の効果?」
僅かに頷く。身体中の傷や痛みがすっかり消えていた。それがこの神の言葉の力だったのだろう。
「逃げろ。この力をデフトンが知ったら、間違いなく碌な事にはならない。まず分かることは、
マツシタ以外の人質は用済みとなり、全員殺される」
「そんな、じゃあおっさんも早く逃げなきゃ!」
「ふん、お前たちは女子供ばかりじゃないか。誰が時間稼ぎしてやらないといけないと思っているんだ?」
生き残っている護衛は全員武器もなくけが人しかいない。彼らが戦う時は本当に追い詰められた時だけだ。
部屋の隅に立てかけてあった円盾と兜を身に着ける。シノーメにとっては武器は却って邪魔になる。
「小僧に傷を治してもらえるなら、たとえ一人でも閉所で陣取れば十分時間稼ぎ出来るさ」
シノーメが牢にいる馬車隊に向かって指示を出す。シノーメを疑う者もいたが、恐る恐る馬車隊の一団は
牢から出て脱出し始めた。
「おっさん死ぬ気か!? いくら傷を治せても、死んだら生き返るかはわからないんだぞ!」
シノーメは戦うことが恐ろしかった。そして死ぬことも同じくらい怖かったはずだ。それなのに、
ここまで冷静でいられたのは騎士だったころでもなかっただろう。それも、マツシタという少年の見せた
力、神の言葉という力を実際にこの目で見たからだと思った。
伝説やおとぎ話でしか聞いたことのなかったはずの力を、確かにこの目で見たのだ。それは今この場では
使用したマツシタ少年の思った通りのことは起こらなかった。しかし、その力の存在はきっと何かを
起こせる希望としてシノーメに力を与えてくれたのだ。だから、死の恐怖にも抗う事が出来た。
「死ぬ前に傷を治してもらえばいいんだ。それにな小僧、俺はおっさんじゃない。
シノーメと言う名前があるのさ」