1節目
目の前に青空が広がっていた。後頭部には柔らかい草の感触。聞こえるのは鳥のさえずりと風の吹く音。
身を起こすと辺りは木と茂みばかりで、少年はようやく自分が森の中で横たわっていたことに気が付いた。
どうして自分がここにいるのか、少年は記憶を整理する。
「オレの名前は松下・ヨハン・貝紫12歳。日本生まれ日本育ち。8月10日にボーイスカウトに行く予定……」
そこまで声に出して貝紫は、自分がボーイスカウトのキャンプ地へとバスに乗っていたことまではおぼえているが、それからどうなってここにいるのかが思い出せなかった。
向かう途中で事故に遭って、自分だけバスから放り出されたのか。怪我をしてないか自分の身体を
隈なく調べるが、どこも傷はなく痛みも感じない。むしろこんな森の中にいるのに不自然なほど身ぎれいだった。
「身体は無事だけど、全く人気もないしこれは遭難状態か? 助けを探さないと……」
まだ状況を把握できてないのが却って冷静にさせていた。だが、自分が進む方向の目星をつけようとしたところで、いきなり脅威と遭遇することになった。
正面の茂みから獣がいきなり顔を出して貝紫と目が合った。獣もまさか人がいると思わなかったのか一瞬驚いたような動きを見せたが、すぐに牙をむき出しにして貝紫に向かってうなり声をあげる。
明らかに敵意をこちらに向けている。
「こ、こんにちは……」
「バァウッ!」
とりあえず挨拶してみたが、それは無意味な行動だった。獣は吠えると茂みから飛び出て貝紫に向かってきた。
「ぎゃあ!」
すっかり冷静さも失って貝紫は一目散に駆けだした。これまでにないくらい全力疾走で必死に獣から逃げ出す。
「なんだよあいつ!」
追いかけてくる獣の方を見やる。最初は野良犬かと思ったが、その割には顔つきが凶悪だ。もしかしたら狼ではないだろうか。
「ニホンオオカミって絶滅したんじゃなかったのかよ!」
貝紫の必死の逃走も獣の俊足にはかなわず、どんどん距離が近づいてきたと思った時には、口を大きく開けて飛び掛かってきていた。
噛まれる! 観念した貝紫だったが、横から飛んできた手斧が両者の間を割って、木の幹に深々と突き刺さった。
貝紫は唖然としながらその場に尻もちをつき、獣は身をひるがえして避けるとそのまま逃走した。
斧の飛んできた方を見ると、獣の皮をまとったずんぐりとしたクマのように毛むくじゃらな男が、こちらに向かってのしのしと向かってきていた。
「この辺じゃ見かけないなまっ白い童じゃのう。どこかの貴族の子か?」
男はじろじろと貝紫を見ながらぶっきらぼうに呟く。突き刺さった手斧を引っこ抜くと脇に差した。
「はぐれたのか、それとも捨てられたのか。せっかく助けてやったのに感謝の言葉もないのか?」
「あ、ありがとうございます……」
まだ状況を呑み込めていない貝紫だったが、どうやら獣から助けてくれたらしい。感謝の言葉を呟くと、男はにかっと笑った。
「そうそう素直でええ。さっきのはワーグみたいじゃったが、近くに群れがいるやもしれん。安全な村まで連れてってやるからついてこい」
そういって男は振りむいて一人でずんずんと歩いていく。貝紫は慌てて立ち上がると、その男についていく事にした。