【短編】「身に覚えのない婚約を破棄するって言われたってどう対応すればいいんですかね?というかピーナッツおいしい」
「お前にはもう愛想が尽きた」
クアラにはなんのこっちゃか全く理解できなかった。そもそも誰だこの男。やたらきらきらしい顔面をしている、という情報以外、何の前情報もなしに、訪問してきてそんなこと言われてもすごい困る。
つかアポ取ってきたん?約束なしで訪問してくるとか常識の四肢が欠損してませんか?
「私はポーラと婚約した。お前との婚約は既に破棄してある」
謎の人名その1、ポーラ。ポーラさんはこの男と婚約してしまったらしい。気の毒に。アポなし訪問をしてくる男と婚約するなんて、一体何があったのだろうか。弱みに付け込まれたりしていないだろうか。甚だ可哀想だ。
あと、どうやら文脈的にはクアラと婚約してたらしいことが判明したのだが、これもクアラにとっては初耳だ。知らぬ間に婚約相手が生えて消えたという一連の奇妙な出来事である。
「もうお前とは縁をきる。会うのもこれきりだ」
そう言われても、クアラはこの男と初対面だった。
なんか高熱でうなされて記憶を丸々すっぽ抜かしてしまったそうなので、身に覚えのない婚約者が「婚約破棄した。お前とはもう会わねーから」と口にしてきてもおかしくはないのかもしれない。
「はぁ」
「…もっと、何かあるだろ」
「いえ、」
「お嬢様。ピーナッツをお持ちいたしました」
「あっありがとう」
名前もしらないメイドAがバターピーナッツを運んできてくれたため、大人しく礼を言った。今日の朝突然バターで炒った塩振りのピーナッツを食べたくなったから、無理を言って取り寄せた次第である。
「なぜ…ピーナツ…?」
「あ、ピーナツ派なんですね。私はピーナッツ派です。ここ人によって分かれるところですよね。
ところでバタピー食べます?美味しいですよ」
突然目の前で元婚約者がピーナッツを食べ始めたという事実を、レオンは処理しきれなかった。
そしてレオンはこの婚約者が記憶喪失であるという事実さえ知らなかった。
ポリポリポリ、と、バタピーを咀嚼する音だけが応接室に響く。偉大なるピーナッツは沈黙でさえ破った。
「ちなみに、ピーナッツって木の実じゃなくて、種子なんですよ。地中で殻の中にできる。だから厳密にはナッツじゃないので、ピーナツって表す方が正しいのかもしれません。
ですが、どっちも異国の言葉を頑張ってこの国の言葉に直したものですし、まあどちらを使ってもいいと思いますよ。個人的にはピーナッツ派ですけど」
「さっきからお前は一体何の話をしている?」
「ピーナッツの話ですが…」
「いや、だからなぜピーナツの話を」
「だっておいしいので」
ピーナッツをかじりながらマメ知識を披露したクアラに対して、レオンにできることはただ問いかけることだけだった。
「あっドレスが…」
ローテーブルでバタピーなんて食べるからドレスが塩気を帯びてしまった。
「まあいいか」
「良くないだろそれは」
「私がいいって言ったらいいんですよ」
婚約者の豹変ぶりが気になって気になって仕方ないレオンはつっこんだ。
しかしこの婚約者、少し前と様子が別人レベルで違い過ぎる。バタピー以外に変なモンでも食ったのだろうか。レオンは思った。
昔は3歩下がってレオンの後ろをついてくるタイプの人間だったのに、今や持久走で「一緒に走ろうね」と口約束をした直後独走状態に移行するような人間に思えてならない。
「…お前…変わったな……」
「あの、思ったんですけど、人に対して『お前』って言うのあんまり良くないですよ」
「は?」
ここまでの流れでもう分かっているかもしれないが、クアラは無自覚系の転生者だった。転生したという概念は自分の中で全く自覚症状がない。しかし常識も立ち居振る舞いも、昔の令嬢然としていた頃をすっかり忘れ、淑女のプライドは記憶と共に死に、今あるのはただただ現代人である。
「あと言い忘れてたんですが、私、あなたのこと知りません」
「え?」
「なんか、ちょっと前に記憶全部なくなっちゃったらしいんですよね。よく知らないんですけど」
「それ当事者意識の欠如って言わないか?」
キレッキレのツッコミを即時なせる公爵令息は、きっと前世でレスバ職人だったのかもしれない。






