血まみれのっぺらぼうに深夜の道端で出会った
私が真夜中の住宅街を一人、歩いている時のことだった。
ヒタヒタと後ろを誰かがついて来る。
家家は寝静まっており、物音はない。たまに遠くで犬の遠吠えが聞こえるだけだ。
静かな住宅街に、ヒタヒタという足音は、世界中に響くぐらいの存在感だった。それがだんだんと私に近づいて来る。
チラリと振り向いて確かめると、パーカーのフードを被った男がついて来ていた。私は身体ごと振り返ると、言った。
「なんでついて来んの? のっぺらぼう君」
「やあ」
のっぺらぼう君は明るい声で挨拶した。
「いい深夜だね。月もなくって」
「どっ……、どうしたの? のっぺらぼう君、血まみれだよ!?」
挨拶するとともにフードを脱いだ彼の顔を見て、私は近所迷惑にならないぐらいの声で叫んだ。
「ハッハ……」
のっぺらぼう君が声を出さずに、息だけで笑った。口がないのに息を吐いた。
「僕、血まみれ?」
「マッカッカだよ? どうしたの? 頭でもぶつけた?」
「さっきそこで電柱に頭ぶつけちゃってさあ」
「怪我しちゃったの!? 大丈夫!?」
「怪我はないけどさあ、鼻血出しちゃって」
「鼻がないのに!?」
「目から火花散っちゃったよ」
「目もないのに!?」
彼のつるんとした顔面がマッカッカだ。彼の言う通り怪我はないようだが、まるでペンキをぶちまけたようにマッカッカだ。私は心配して、言った。
「救急車呼んだほうがいいよ!」
「無理だよ。妖怪だから」
「じゃ、ウチにおいでよ! 薬つけてあげるから」
「いいよ。鼻血ぐらいで」
鼻血って、頭まで真っ赤に染まるものなんだろうか。のっぺらぼうだとそうなるのだろうか。どこに鼻の穴があるかは知らないけど、出た鼻血が風に吹かれて、顔一面をマッカッカにするものなのだろうか。
「とりあえず血を拭きなよ。シャワー貸すよ」
「そうかい?」
のっぺらぼう君はすまなさそうにハゲ頭を掻いた。
「じゃ、お邪魔しちゃおうかな」
アパートの部屋に入れてあげると、行儀よく座布団の上に正座した彼の顔面を、濡れ布巾で拭いてあげた。みるみる顔が元の真っ白になる。
「ありがとう」
拭かれながら、のっぺらぼう君が声を出した。
「いいよ。お風呂は? 使う?」
「そこまでお世話になれないよ。妖怪のくせに」
「関係ないよ。温まるよ? 入って行きなよ」
「じゃ、遠慮なく」
パーカーも血まみれだったので、彼がお風呂に入っている間に、私は自分のトレーナーとジャージパンツを出して、脱衣所に置いておいてあげた。
夜勤帰りだったので、私は晩ごはんをまだ食べていなかった。塩サバと味噌汁、沢庵を二人分、テーブルの上に置いた。
「ごはんまでご馳走になっちゃって、いいのかなあ」
「遠慮せずに食べてよ。お腹空いてるでしょ?」
「じゃ、いただきます」
お椀とお箸を彼が持った。注目していると、何もない口のところがぱっかり大きく開いた。歯と舌がその中に見えた。のっぺらぼう君は白ごはんをぱくっとそこに入れ、塩サバを後から放り込むと、呟くように言った。
「……うまい」
「よかった」
私は笑顔になり、言った。
「よかったらおかわりしてね? ごはん、ちょっと炊きすぎてたから」
のっぺらぼう君の何もない目のあたりから、ぽろりと水がこぼれた。
「どうしたの?」
「いや……、なんか……さ」
どんどんこぼれて来る水を、腕で拭った。
「僕、血まみれになってたけど……怖くなかった?」
「怖くないよ」
くすっと笑ってしまった。
「言葉、通じるのに」
「僕、妖怪だから、人間を怖がらせるのが仕事なんだけど……」
「怖くないってば」
彼を傷つける言葉かもしれないなと思いながらも、私は本心を言った。
「今日、初めて会った人を怖がったりしたら失礼でしょ。大体、見たら血まみれだったから、まず一番に心配が先に立っちゃったよ」
「第一印象、悪くなかった?」
「明るく挨拶してくれたじゃん」
のっぺらぼう君の目が開いた。とても澄んだ色の、奇麗な瞳だった。
「四百年のっぺらぼうやって来たけど、こんなに優しくされたの初めてだよ」
鼻がにょっきり盛り上がって、そこからも水がだばだばと漏れた。口も目も鼻も現したのっぺらぼう君はそこそこのイケメンだった。
「いいから、いいから。ごはん食べなよ」
「ありがとう」
ぺこりと頭を下げて、のっぺらぼう君はいつから食事をしてなかったのか、物凄い勢いで箸を動かしはじめた。ぎゅっと閉じた目から、奇麗な玉みたいな水が、ぽろぽろとこぼれ続けた。