同情するなら愛をくれ!
私の人生は、とても哀れなものでした。
この時代の令嬢たちの中で、私より哀れな子はいないでしょう。
哀れ令嬢選手権なんてものがあるのなら、間違いなく優勝は私です。
さて。ではこれから、そんな私のお話を聞いてもらいましょう。
まず、男児絶対主義を掲げる公爵家に女として生まれてしまったことが、私の悲惨な人生の始まりでした。
家を継ぐ男児として、まさしく宝物のように育てられた兄と、その兄を補佐する大切な男児として同じく宝物のように育てられた弟の間に、私は存在していました。
……いえちょっと待ってください。本当に存在していたでしょうか。
わかりません。
だって私の家族は、女児に価値など一切ないと思っている人たちなのです。
もしかしたら私は存在すらしていなかった線が濃厚かもしれません。
女である私は、父も祖父も叔父も伯父は勿論、母にさえも見向きされませんでしたから。
当時の私は、他の令嬢達が「わたち、こんど政略結婚の道具にさせられるの。ほんとさいあく」と言っている事さえ羨ましく感じていました。
政略結婚の道具にされて最悪なら、政略結婚させても役に立つとさえ思われていない私は何なのでしょう。
虫けらかゴミ。いいえ、それ以下でしょうか。
まあ、なんにせよ。
そんな家に生れ落ちてしまった最高に運の悪い呪われた令嬢が私なわけですから、幼少期は勿論、屋根裏部屋に押し込まれて育ちます。
極力家族の目に入らないところに追いやられて、いないものとして扱われた訳なのです。
しかし、いないものとして扱われたことなど、私の物語の中ではただの序章にすぎません。
私はほどなくして、ないものとして扱われていた時期を懐かしく、そして恋しく思うような日々を過ごすことになります。
それは、私の兄が貴族が通う学園に通うようになったことで始まりました。
兄は学園で様々なストレスに晒されるようになったようで、毎日何かに苛々しているようでした。
そんな兄はそのイライラのはけ口を、私に定めました。
つまり私は、兄のサンドバッグに任命されたのです。
兄は私のいる屋根裏部屋に毎回突然押し入って来て、私の髪を引っ張ったり、不細工と罵ったり、挙句の果てには、よくわからないいちゃもんをつけて平手打ちやグーパンチをお見舞いしてくるようになりました。
「あいつが俺より足が速いのはお前の所為だ!」「お前の所為で試験の結果が良くなかった!」「お前の所為で彼女に振られた!」
兄の思考回路はもはや、道理も理屈もない無法地帯でした。
私ははじめこそ、泣いたり逃げたり抵抗を試みましたが、私が何らかの行動を起こせば、怒った兄が更に襲ってくることを学んだので、最終的にはただ黙って時が過ぎるのを漬物石の様に耐えるというスタイルに落ち着いたのでした。
その頃の小さな私は、屋根裏に上がってくる兄の乱暴な足音を聞いては身を縮めるという生活を送っていましたが、少し経ったある日、私は屋根裏から外に出されます。
兄が屋根裏では狭くてストレス発散しにくいとでも訴えたのでしょうか。
まあ理由はさておき、屋根裏から解放されたことにより、私は自分の弟に出会うことになります。
誰も見ていないところでこっそり挨拶をすると、弟は私を見て微笑みました。
弟は私よりも幼くて、まだ公爵家の毒牙に完全にやられたわけではないようでした。
頬を腫らした私に「君大丈夫?」と言ってくれたことを覚えています。
お姉ちゃんと呼ぶことはなかったけれど、少しのあいだだけ、弟は私に優しくしてくれました。
「君が困ったことがあったらいつでも僕に言ってね」とまで言ってくれました。
男尊女卑ここに極めれりといった理不尽極まりない邪悪な公爵家に、天使がいたのかと錯覚したほどでした。
平和な公爵家など、私がここに生れ落ちて初めて体験することです。
ですが、それも長くは続きません。
兄が弟の目の前で私を虐めるのを見て、弟は女兄弟は価値のないものと認識し始めました。
そして程なくして、弟による恐ろしい裏切り物語が開幕したのです。
「君が困ったことが合ったらいつでも僕に言ってね」と言ってくれた弟は影も形も跡形もなく消えてしまい、後に残ったのは、「ああ、シチューを落としちゃった。食べて掃除してくれる?」「靴に泥が付いたなあ。ねえ、舐めて綺麗にしなよ」と意地悪な顔で笑う弟のみでした。
こうして鬼畜に変貌した弟によって、私は下女よりもひどい扱いを受けることになったのでした。
そんな生活を続けて何年か。
私はそこそこ大きくなりました。
まあなんとか、成人と呼ばれる年まであの公爵家で生き抜けました。
何故生きているのか不思議なくらいですが、人間水と空気さえあればなんとかなるものです。
これは自分で自分を褒め称えても、お釣りがくるくらいの偉業達成です。
私はこれを機に、家を出ました。
あの地獄のような場所からようやくおさらばしたのです。
暫く兄と弟が私の行方を追っていたようですが、私は何とか逃げ切りました。
そして運よく見つけた街の小さなパン屋の屋根裏部屋に居候して働き始め、細々とですが自分の力で暮らすようになりました。
こうしてあの伏魔殿を出て新しい生活を始めた私は、公爵家の呪縛から逃れたと思っていました。
もう私の人生は、革命を起こして一新されたと思っていました。
ですが、これからは自分の力で人並みに幸せになってやろうと思ったことさえ、私の新たな哀れ物語の序章に過ぎなかったのです。
私はまず、パン屋の主人に騙されました。
パン屋の主人は、経営に困っていると言って私が寝ている隙に私を縛り上げ、人買いに売り払ったのです。
あんなに人の良さそうに見えたパン屋の主人も、特に善人ではありませんでした。
私は抵抗もむなしくアッという間に捕まって売られ、娼館に買われました。
しかし隙を見て逃げ出した私は、なりふり構わず馬車を乗り継いで、そうして行きついてしまった極寒の北の大地で奴隷商に捕獲され、ずっと重労働をしていました。
女の私は、男の人のような重労働中の重労働をさせられなかったのがせめてもの救いでしたが、危険な鉱山で、一日パン一切れで働かされていました。
いつ毒ガスで死ぬかもしれないそこでの奴隷生活もまた、公爵家と同じような地獄でした。
この地獄から抜け出せる希望はもはやないのだろう、と私が鉱山と心中する覚悟を決めかけたその時、この国の中央礼拝堂の偉い神官が、女神さまからのお告げを授かりました。
なんでも、次の聖女が決まったというのです。
聖女とは国中が注目する絶対の崇拝対象です。
女神の次に強い癒しの力を持つと言われている聖なる女性です。
私には友達などいませんから、どうせ顔も名前も知らないようなどこかのご令嬢が選ばれるのだろうと思っていました。
奴隷の私には関係のない事です。
が、蓋を開けてみれば、私の予想は大きくひっくり返されました。
何と女神のお告げは、私が聖女だと言うのです。
今は何の力もない私ですが、直ぐにあらゆる怪我と病気を治す聖なる力を覚醒させるだろうと言うのです。
驚きました。
私は自分のことを、哀れなだけのただの小娘だと信じていましたから、いきなり聖女だと言われて王宮に招かれて、ご馳走を振舞われて、綺麗な服を着せてもらえて、王子様から微笑んでもらえて、大勢の人から敬われるなんて、まったく予想していませんでした。
最初は、私に良い顔をする周りの人間を見て、また何か悪いことが起こるのでは、と考えてしまいました。
でも私は聖女として丁寧に扱われているうちに、こう考えるようになりました。
もしかしたら今までの辛かったことは全て、聖女になって皆を助ける為の力を得る修行だったのではないかと。
そう考え始めると、そんな気がしてきました。
ええ、そう考えるのが一番自然な気がしてきました。
私は、不幸ではない自分を肯定したかったのです。
そして更に、私の今までの不幸をなかったことにしようとせんばかりの、驚くべき出来事が起こりました。
それは、王子様からの求婚でした。
その時の私は、聖女だと言われてから王宮に出入りをするようになって、王子様ともよく話すようになっていました。
どうでもいい事で笑ったり冗談を言い合ったりできる関係になってから、手を繋がれたり何度かキスをされて、そしてついに私は、王子様に婚約を申し込まれていました。
「なんで私なんか」と私は驚きましたが、王子様は「君がいいんだ」なんてニッコリと微笑んだのです。
そんなことを言われたら私でなくても喜んでしまうのに、この私が舞い上がらないはずがありません。
人から肯定的なことを言われたことなんて、私のそれ以前の人生にはなかったのです。
そんな免疫も耐性も無い私が「君が良い」と言ってくれた人を蔑ろにできる筈がありません。
この言葉の破壊力が私にとっていかほどなものか、普通の人には想像もつかないでしょうけれど、私は赤子の手をひねるよりも更に簡単に、王子様の求婚に頷いていました。
あっという間に婚約が決まり、人に愛されるってこんなにも嬉しくて幸せなんだ、と私は浮かれていました。
羽が背中に見えても過言ではないほど、とても舞い上がっていました。
でもあの時の私は、自分がまだ超絶悲惨物語の渦中にいることを知らなかったのです。
まず、聖女に選ばれて担ぎあげられた私ですが、聖女の癒しの力はついに発現しませんでした。
女神は「聖女の力はすぐに発現する。人を助けたいと強く願った時聖なる力は使えるようになる」と言っていましたが、結局私の身には何も起こりませんでした。
血反吐を吐くくらい強く人を助けたいと願っても、私は誰一人救うことが出来なかったのです。
痛い、助けてと言って担ぎ込まれた人を前にしても私は何もできず、何の力も持たず、ただ人が目の前で苦しんで死んでいきました。
「聖女様は何故私を助けようとしてくれないんだ」「何故見殺しにされるのか」「人を助けたいという気持ちをお持ちではないんだろうか」
人々は私に治癒の力があると信じ切っていましたから、助けられる人も助けないと思われた私は、ほとんど殺人者と変わりありませんでした。
もはや地獄絵図としか言いようのないこの状況に、私は流石に女神を呪いました。
「なんで私が聖女だってデマなんか流したんだこのロリババア」と夜空に向かって叫んだ事を良く覚えています。
そして二度ある不幸は三度あります。
私の場合、不幸なんて掃いて捨てる程、飽きるほど経験してきたわけですが、良くないことは続くものです。
聖女の件で私が参ってしまっている時、将来を誓い合ったはずの王子の浮気が発覚しました。
非難糾弾されている私に寄り添うことも庇うこともせず何をしていたかと思えば、王子は相手の令嬢を妊娠させていました。
その事実が発覚した瞬間、先手を取った王子は、唖然とした私に婚約破棄を突きつけました。
「俺がお前を愛した事実はない!そればかりか、お前は嫌がる俺に迫って既成事実を作ろうとした!」
大勢の人が集まる場で、盛大な断罪式です。
私は、私に迫って拒否されたのが王子だったと記憶していましたが、私の記憶など権力の前では無力です。
真実など、いとも簡単に塗り替えられたのでした。
さらに言えば、邪悪な聖女とレッテルを張られていた私に、元々弁解の余地など与えられるわけがなかったのです。
そしてもちろん、婚約期間の王子の浮気は彼の非であると咎められる筈もなく、私はありもしない冤罪で処刑をキメられ、速攻で断頭台に送られました。
「……というのが私が王国で過ごした記録の全てです」
私はハハッと乾いた笑いを漏らしながら、目の前で腕を組んだ、鋭い眼差しの軍服の男性を見上げました。
今の私は、鋼の檻の中で鉄の鎖に両腕を拘束されている状態です。
薄汚れた雑巾のような布を辛うじて体に巻き付けているものの、身動きが取れない哀れな状態です。
ええ。私は現在進行形でも哀れな女です。
過去も昔も今も現在も哀れな女なのです。
捕らえられ、鉄の手錠で身動きが取れず、敵から鋭い視線を向けられる。これからこの男性に何をされるのか。
どうせ碌なことにはならないでしょう。
私の人生は何があっても碌なことは起こらないのです。
その事は、今までの私の全ての経験が裏付けています。
私がこの鋭い目の男性に最初に出会ったのは、かれこれ一週間前でしょうか。
一週間前、それは私が断頭台に送られた日。
そしてそれは、腐敗した王国が帝国の侵略を受けた日でもあります。
王都は焼き払われ、王族は殺され、貴族たちは捕まり、女神の像は壊され、たったの7日で王国は帝国に制圧されました。
帝国軍が王都に侵略してきた時、それは断頭台の刃が私の上に落ちてくる瞬間でした。
その私の断罪の瞬間、断頭台は台ごと破壊されました。
私はバキバキになってしまった断頭台から転がり落ちて、赤く燃える空を視界に映して、そして最後に武器を持ったこの男性の姿を見ました。
この人が断頭台を破壊したのでしょうか。断頭台って、剣で切れるんですね。結構脆いんだ。はじめて知りました……そんなことを考えている最中で、私は意識を失いました。
そして再び目覚めると、この冷たい鋼の檻の中でした。
運がいいのか悪いのか私は生き永らえ、帝国軍に拘束されていたのです。
そして今現在の私はこうして鋼の格子を挟んで、帝国軍の立派な軍服を着た男性と対面しています。
「流石に酷いな。あの腐った女神の国の粋を集めたような人生だ。お前は王国貴族の生き残りといえど愛国心など微塵もなさそうだし、命くらいは助けてやろうか」
軍人の癖に恵まれた容姿をしているその男性は、目を細めました。
私は何故か、その仕草に無性に腹が立ちました。
恵まれた人間が哀れな人間に情けをかけて気持ち良くなろうとしていることに、吐き気を感じたからかもしれません。
私は男性を心の底から睨みつけました。
「……足りません」
「ほう。足らないだと?」
「ええ。そんなものでは到底足らないと言っているのです」
「本来なら殺されるところを、助けられるだけでは足りないと?」
「ええ。私に同情するのなら、命を助けたくらいで満足しないでください、この偽善者」
「じゃあなんだ。何が望みだ」
私のような薄汚い捕虜に貶されたことが癇に障ったのか、男性は小さく眉をしかめました。
男性が敵国の人間であっても、腕の立つ軍人であっても、私はもう既に色々と腹をくくってしまっている後なのです。彼のその眉が顰められたくらいで怖気ずく可愛げなど私にはありません。
「この私が可哀想だと本気で同情するなら、愛くらい持って来いっ!」
「は?」
私はつい大声を出してしまいました。
男性も流石にぽかんとしています。
頭がおかしいと思われたのかもしれませんが、もうこの際どうにでもなれです。
「だから、本気で同情したのなら愛をくれと言っているのです!」
「愛?」
「はい!それができないのなら殺してください!」
「いや、待……」
「同情するなら愛をください!それが出来ないなら殺してください!はい、これ以上貴方と話すことは有りません。私の遺言は以上です!」
言ってやりました。
言い切ってやりました。
私の望みはこれだけです。
これ以上哀れな人生を歩むくらいなら、変なことを言う女はここで死ねと言われても私は何ら困りません。
これで殺されたとて、この世に未練はありません。
というかむしろ、死んで転生すれば今世よりマシな人生が送れる筈なので良いまであります。
最後の最後に、言いたかったことが言えてスッキリしました。
歯磨きの後の様に、少し爽やかな気分です。
しかし、ちょっぴりだけ気分が晴れた私とは対照的に、男性は難しい顔をしていました。
「お前の言う愛とは、誰の愛でもいいのか」
「はい。この際ですから、別に貴方のでもいいですよ」
「……ふうん」
男性は鋼の格子越しに私の顔を覗き込みました。
敵国のボロボロで汚い哀れな捕虜の戯言に対して、何をそう考えることがあるのでしょう。
本気で私の願いを叶えてくれる気でしょうか?
……なんて。そんな訳ないですよね。
考える素振りをされたくらいでは、私は何とも思いません。
だって私は、世の中の悲惨さをこの身でたっぷりと学んできましたもの。
こんな捕虜の女にかけてやる情けなど、誰も持ち合わせていないことは知っています。
「お前、名前は」
「クロエです。両親から名前はもらえませんでしたので、自分で付けました」
「ふん。いい名前だ。帝国では女神に反逆する天使の名前がそれだ」
「知りませんでした」
「だろうな」
小さく納得した様子の男性は、おもむろにその腕を懐に忍ばせました。
そしてそこを簡単に探って、鍵を一本取りだしました。
鈍色に光る、小さな鍵です。
「俺はずっと軍にいたから人の殺し方は一流でも、人の愛し方など全く分からん。だがまあ、善処してやろう」
カチャリと音を立て、私の牢の扉が開きました。
男性がするりと影のように中に入ってきます。
「え?」
「だから、俺はお前に同情してやる。誰でもいいんだろう?」
男性は慣れた手つきで私の手錠を外しました。
私の手首から離れた鉄の塊が地面に落ち、カランカランと音をたてます。
「え?貴方、何してるんですか?」
「お前の要求を呑んでやる」
「……本気ですか?」
「ああ」
「う、嘘ですね!私は今まで散々騙されてきました。もう騙されません」
私が睨みつけても、男性は何食わぬ顔をしています。
何を考えているのでしょう。
「嘘だと思うならそれでもいい。だが俺はまず帝国でのお前の市民権を獲得してやる」
「え?そんなの無理ですよ。あの王国の人間だった私を、帝国が受け入れてくれるわけないじゃないですか」
「俺の今回の戦績に対する褒賞を全部使えば何とかなるだろう」
「あなたごときの褒賞で、嫌われ者の王国の人間を何とか出来るわけがないです」
「いや。今回の制圧作戦で、俺は王都を落とした。東の最重要拠点も壊滅させた。難攻不落と言われた西の砦も破壊した。今回の最高位勲章受章者は間違いなく俺だ。その褒賞に捕虜一人の自由ならば誰も文句は言わんだろう」
「えっ。最高位勲章の褒賞?そんな栄誉あるものと私を引き換えるのは、あまりに釣り合いがとれていなさすぎます!何を考えているんですか!」
私の手錠を外した男性はもう既に牢から出ようと踏み出していて、慌てる私の問いかけには、くるりと顔だけ振り返って「さあな」と答えたのでした。
確かに男性の最高位勲章の褒賞を使えば、腐敗していたことで有名な嫌われ者の王国の元国民でも帝国の市民権を得られるかもしれません。
でも。
「……貴方、なんでですか?見ず知らずの、しかも王国出身の捕虜の私に!何故です?」
「同情するなら愛をくれと食ってかかったのはお前だろう」
「でも」
「望んでいたんだろう?」
「ほんとに、本気なのですか?」
「お前は本気じゃなかったのか?」
「わ、私は本気でしたよ!愛がないなら殺してくれと言いましたよね!」
「なら問題ないだろう」
「……貴方は、ほんとのほんとにちゃんと私を愛してくれるんですか?優しくしてくれるんですか?」
「ああ、そう言っている」
ほんとのほんとのほんとにそう言ってくれているのですか?
……いいえ、違いますよね。
私は真剣な顔で嘘を吐く人間も、笑顔で人を裏切る人間も、平気な顔で人を傷つける人間も、反吐が出る程知っているのです。
本当に、吐き気がするほど見てきました。そして吐くほど騙されてきました。
きっと貴方もその類の嘘つきですよね。
でなければ、私に優しくなんてしませんよね?
「ちゃ、ちゃんと愛してるって言ってくれるんですか?!」
「ああ……そのうち気がむいたらな」
「抱きしめたり出来るんですか?!」
「まあ、そのうちな」
「じゃあ、可愛いって言ってくれます?!」
「……カワイイ」
「それ棒読みです!」
「女を褒めたことがない。許せ。そのうち上達する」
「なんですか!そもそも、そのうちっていつですか!」
「そのうちはそのうちだ。俺も慣れていないんだ、気長に待て」
彼の言う、そのうちなんてない事は知っています。
きっと彼は、私にちょっと期待させておいて後で地獄に落とす気ですよね。
その時の絶望に染まる私の顔が見たいのでしょう。
きっとそうです。どうせ私は明日にでも殺されるのでしょう。
ねえ、そうですよね。
……いえ。まあ、それでもいいのですけれど。
正直に言ってしまえば、私は再び騙されるかもしれない事も、死ぬことになるかもしれない事も、特に心配ではないのです。
だって私は、何度も裏切られてきたので裏切られることには慣れています。もはや私のアイデンティティと言っても過言ではないほど、裏切られ慣れています。
それに、一度処刑を言い渡された身ですから今更死ぬことも怖くはありません。
だからまあ、別にいいのです。
彼が嘘でも愛してくれると言うのなら、信じてみるのも一興なのかもしれません。
「あの、じゃあ貴方の名前を教えてくれません?」
「アシュレイだ。アシュレイ・コーフ」
アシュレイ。アシュレイ・コーフ。
それは黒豹のように凛々しい軍人の男性に、何となく似合う名前です。
「どんな意味ですか?」
「良い木という意味だ」
「なんですか、それ」
「分からん」
「アシュレイって呼んでもいいですか」
「ああ、好きに呼べ」
開け放たれた牢の向こう側にいる男性が少しだけ、ほんの少しだけ優しげな顔になったように見えました。
*
数日後、私は敵国である帝国の地で、本当に自由の身になっていました。
元王国民の捕虜に市民権が欲しいと言ったアシュレイは最初こそ大きな批判を受けましたが、最終的に褒賞をすべて手放すことで、その願いが皇帝に聞き入れられたのです。
私のボロボロだった服は清潔なものに着替えることが出来て、ボサボサだった髪も汚れていた顔も、まあ見られなくはないくらいに綺麗にしてもらって、私は迎えに来てくれたアシュレイの横を歩いていました。
アシュレイは背が高くすらりとしていて、軍服と先進的な帝国の街並みがとてもよく似合います。
そんな彼は長い足の歩幅を縮めて、私に合わせて歩いてくれているようでした。
帝都の石畳の上を、私たち二人は歩いて行きます。
道の両脇には食べ物屋から薬屋、シネマだったり歌劇場だったり賑やかな店が並んでいます。
でも上を見上げれば帝国の空が想像していたよりもきれいで、私はしばらく歩きながら上を見つめていました。
「アシュレイ」
「なんだ」
「アシュレイ」
「なんだ、聞こえているぞ。要件を言え」
アシュレイは呼べば返事をしてくれるので、私はもう少し名前を呼んでみたかったのですが、彼が軽く睨んで催促をしてくるので、何か話題を探すことにしました。
「そうですね。じゃあ、アシュレイは何色が好きですか?」
「そうだな……黒。敵に気づかれにくい。お前は?」
「私は黄色が好きです。向日葵が好きなんです」
「そうか。戦場では目立って真っ先に標的にされそうだ」
「流石の私だって、戦場に黄色の服で行こうなんて思いませんよ、観光地じゃないんですから」
「お前も流石にそれくらいは分かったか」
「む……。凄く貶された気がしますが、まあいいです。
じゃあ、次はアシュレイの好きな食べ物が知りたいです」
「肉だな。お前は?」
「私は蜜柑が好きなのです」
「そうか。蜜柑か。また黄色だな」
「ああ、確かにそうですね」
「そういえばそこの角に果物屋があった。寄っていくか」
「いいのですか?」
「いいからそう言っている。いくぞ」
そう言ったアシュレイは、私にすっと手を差し出してきました。
古傷のある、大きな手です。
剣ダコもマメもたくさんある、とてもごつごつした手です。
「繋いでやろうか」
「えっ」
「繋いでやってもいいぞ」
「なんだか偉そうで、やな感じです」
「偉そうなのは元々だ。だが俺は親切に、お前は帝都を歩くのは初めてだろうし、ここは人も多いから迷子になっては困ると思っただけだったんだがな」
「私は子供ではありません!………………けど、そういう訳なら仕方がないので繋ぎます」
ムッと膨れて見せましたが、私はアシュレイが呆れて手を引っ込めてしまう前に、その手をえいっと握りました。
「ふっ、いい子だな」
「あっ、なんで笑うんですか!」
アシュレイが、手を繋いでみたかった私の気持ちを見透かしたように笑ったので、少し居心地の悪い思いでした。
でも、アシュレイの手は嫌な感じではありません。
硬いし熱いけれど、いつかの昔に手を握ってきたあの王子とは全然違う感じです。
ベタベタと触るのではなくて、大きな手で優しく包むように私の手を握ってくれている気がします。
別に私の手など壊れ物でも何でもないのですが、そんな風に丁寧に握られると少し変な感じです。
私は少しだけフワフワとした気持ちで街を歩いて果物屋に入り、蜜柑を買いました。
それは、見たこともないような上等な蜜柑でした。
アシュレイがこれがいいと言って、一番綺麗な蜜柑を袋に沢山、買ってくれたのです。
さて。
今日の私は人生で一番美味しいと感じる蜜柑を食べている訳ですが、明日の私は、どうなっているか分かりません。
あれだけ哀れな星の元に生まれた私が、哀れで無い人生を歩めるなんて想像がつかないというのが本音のところです。
絶対に、何かまた苦難が待ち受けている気がしてなりません。
また裏切られてこっぴどい仕打ちを受けたり、云われないことで責められたりするのかもしれません。
はたまた、あっけなく死んでしまっているかもしれません。
でも。
でももしかしたら今度は、アシュレイが苦難にぶつかった私を優しく抱きしめてくれるかもしれません。
そして更に、彼の言う「そのうち」が来た時もしかしたら、私に愛してると言ってくれるかもしれません。
それは、もしかしたら。
期待はしていません。全く。
でも、もしかしたら。
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