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【完結】君の脚になるから  作者: 夏目くちびる
第三章 夏の青い星
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カウントダウン

 けたたましい音を上げるケータイ電話に手を伸ばし、画面を見る。集合時間の20分前。アラームをかけるとその時間より前に起きてしまうのは人間の七不思議だと思わねえか?



 指定された場所に着いたのは、集合時間の五分前。しかし、その場所には既に奏が居て、隣には頑張って話を振る演の姿があった。車に気が付くと、奏はこっちを向いて小さく手を振った。お前、もうちょい男心ってもんをだな。



 「演、ありがとうな。一緒に待っててくれたんだな」



 そこはとあるカラオケ店の駐車場だった。少しゴージャスな雰囲気の店で、学生料金も割高な分サービスが充実しているようだ。確かに、車椅子で入るなら一部屋のスペースが広い方が快適だろう。きっと、演が店を選んだに違いない。



 「たった五分程度、一人でも大丈夫です」



 大方、適当な言い訳をして一人になろうとしたところを演に看破されたのだろう。助かるぜ。



 「どうせならお前も乗っていくか?」



 「い、いえ。俺はこれから塾に行かなきゃいけないんで」



 「そうか。頑張ってな」



 そう言って、奏を抱きかかえて車に乗せる。ウィンドウ越しにその姿を彼がじっと見ていたのを、俺は見逃さなかった。助手席に置いてから扉を閉め、演の肩を掴んで軽くマッサージをする。



 「鍛えとけ。落っことしたら怪我しちまうからよ」



 「……羨ましいです。東条さんのあんな顔、学校では見た事ありません」



 見ていたのは奏の顔だったようだ。そう言えば、俺は抱えている時の奏の顔は見た事がない。羨ましいと言うからには、庶民を見下すような悪い顔をしていたのだろうか。



 ――どんな髪型が好きなんだろうって。



 ……まあ、そんな事ないってのは分かってるけどよ。



 なんて声を掛けてやればいいだろうか。俺は演の事を気に入っているし、めちゃくちゃ応援してやりたいって思ってる。ただ、奏が俺をどう思っているのかも、きっとこいつは知っているんだと思う。だから、俺には絶対に明確にしておかなければならない事があるんだ。



 「なあ、奏の事好きか?」



 カラオケ店の廊下の窓が開いている。どこかの客が飲み物を取りに行ったのか、そこから一瞬だけ上手くも下手でもない歌が聞こえた。空は、まだ青い。



 「……好きです。十年前からずっと好きです」



 「なら、きっとうまくいく。安心しろ」



 勇気を振り絞ったのが分かって、思わず笑いかけてしまった。しかし、俺を見る演の表情は辛そうで、それは俺が免許を取った日の奏に似た部分があった。



 ……そうか、あの時だったか。



 「俺、楓さんに勝てる気がしないんです。どうしたら、あなたに勝てますか?」



 言葉が見つからない。あらゆる感情が渦を巻いて、俺の胸中をぐるぐると駆け回る。ドス黒い俺の過去は、演の光り輝く青春があまりにも眩しくて、そんな金色の時間を邪魔してしまっている自分が申し訳なくて、しかし奏を心の底から幸せにしてやりたいと思う気持ちも真実なわけで。こんな時、隼人なら何て言うんだろうな。



 俺は、こうだ。



 「正面からぶつかって来いよ。俺より尽くして、俺より幸せにしてやればいい」



 頭は、撫でなかった。今、こいつが男の顔になったからだ。まっすぐで綺麗な目と食いしばった歯は、立ち向かう事を決めた事の現れだったからだ。演は、初めて見た時より、随分かっこよくなった。だから、これ以上の野暮は無しだ。



 踵を返して、手を上げる。しかし、車に乗り込もうと扉に手を掛けた瞬間、演は俺にこう言った。



 「楓さんは、東条さんの事好きなんですか!?」



 「かわいいとこ、結構あるよな」



 最後にもう一度笑うと、彼は呆れたように笑い返し、そして力なく手を振った。ハンドルを握ってレバーを操作し、静かに発信する。大通りの角を曲がるまで、演は奏を見ていた。



 「何話してたんですか?」



 「男の話だ」



 「答えになってないです。最近のあなたは、抽象的な言葉で煙に巻く事が増えました」



 美智子さんに言われたのとは、真逆の事だ。気づかないうちに人格を使い分けていたようだ。また少し、大人になった気がする。



 「それはそれとしてよ、今日はどうだったよ。楽しかったか?」



 「楽しかったです。久しぶりに会ったってという事もあって、色々と話も出来ましたし」



 演に訊いた話では、中学時代の知り合いって話だったな。互いに積もる話もあっただろうし、止まっていた時間も本格的に動き出したってところだろう。



 「あなたの言っていた通りでした。みんな、あの頃と何も変わっていませんでした」



 けど、それはお前が頑張ったから見えた景色なんだ。そう言う意味じゃ、乗り越えた分だけ奏の方が大人なのかもしれないな。



 「なあ、奏」



 「なんですか?」



 家へ向かう細い道に入る。喧騒は嘘の様に消え失せる。



 「今、幸せか?」



 訊くと、にこやかだった表情は徐々に沈み、俺の顔を見ては目を逸らした。きっと、俺が隠した本当の意味を理解したのだ。頭のいい奴め。



 「……はい。とても楽しいです。嘘じゃないです」



 「そうか。明日もそうだといいな」



 ガレージに車を停め、奏を降ろす。一体何度目の作業かもわからないが、演の言葉が気になって、俺は初めて奏の顔を見てみることにした。抱きかかえて、車椅子に乗せる前、少しだけ高い位置に持ち上げて体制を整えたフリをすると、ウィンドウに反射した奏の顔が見えた。首に手を回して肩に顔を埋めている。目を瞑っているが、微かに湾曲を描いていて、嬉しそうに笑っている様に見える。



 「……」



 静かに降ろして、車椅子を押す。着替えの為に美智子さんに引き継ぐと、俺は外へ出て久しぶりにタバコを吸った。玄関の裏に、二本だけ隠しておいたのだ。



 「ふぃ~」



 裏庭にコソコソと隠れ、空き缶の中に灰を落とす。頬杖をついてぼーっと空を眺めていると、カジがのそのそと近づいてきて、タバコの煙に鼻をヒクつかせると「ワン」と鳴いた。



 「わーってるよ。とっておきだから勘弁してくれ」



 再び肺に吸い込んで、空へ煙を吐く。目線をカジに戻すと、俺の太もも辺りに頭をこすりつけてから、座っている段にまたがる様に寝そべって、ちょうど肘の下に体を置いた。大きな体格なだけあって、重さは結構ずっしりと来る。だが、それが少しセンチになった心を落ち着かせてくれた。



 「なんだよ」



 「ワン」



 お前もしっかり言葉にしろと言われている。そんな気がするのは、きっと俺も誰かに気持ちをぶちまけたかったからなんだと思う。



 「……俺さ、やっぱり誰かと付き合うとか考えられねえ。一人の女とくっついて、一生一緒にいるのだって楽しいと思うけどよ」



 頭を撫でているのに、何故か俺が元気づけられている。



 「でも、俺はにはそんな生き方は選べねえ。だって、俺はピアノに出会ったあの時から幸せを手に入れてたから。だから、これ以上は何も欲しくねえんだ」



 タバコの火を消して、空き缶の中にシケモクを入れる。ようやく口を出た言葉に満足したのか、カジは立ち上がって再び体をこすりつけると、ゆっくりと犬小屋へ帰って行った。その所作とは裏腹に、尻尾はブンブンと振れている。後ろ姿を見送ってから、俺は家の中へと戻った。



 ……そう言えば、酒を買ってくるのを忘れた。だが、今夜は酷く酔っぱらえるように、苦手な酒をたくさん飲んでもいいかもな。例えば、ワインとかさ。

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