第2章 夏
蒸し暑い京都の夏は、盆地特有の気候を訪れる人々に実感させる。
京都の路地や石畳の小路は、打ち水がされ風鈴の音色が、涼しげな音を立てていた。
私は、祇園祭の宵山に行く為に、一年ぶりに浴衣に袖を通して帯を締めた。
髪を後に結い上げ、白いうなじを自分の鏡で見ながら、”結構イケテルやん”と笑った。
”杉本安奈”22歳。それが、私の名前である。
通っていた京都の短大を卒業し、京都市内の商社に就職して3年目の夏だった。
今日は、高校時代から付き合ってるカレシの”亮太”と祇園祭りの、
宵山に繰り出すために浴衣を着て、彼の仕事が終わるのを待っていた。
祇園祭は、実際には7月1日から7月31日までの長い期間の祭りである。
そして、7月17日は山鉾が市内を巡行し、多くの他府県からの観光客が訪れる。
宵山は巡行の前日で、コンチキチンと鐘を鳴らす鉾や山車が、夜の京都を演出する。
毎年、私と亮太は宵山の山鉾を巡り、八坂神社にお参りするのが通例だった。
私は5時に会社を出て家に帰り、シャワーを浴びて浴衣に着替えて彼の電話を待った。
午後7時過ぎに亮太から電話があり、今から着替えて迎えに行くと言った。
母は、気合を入れて化粧をした浴衣姿の娘を、微笑みながら見ていたが、
今帰ってきた父は、不機嫌そうな目でチラッと私を見てリビングに消えた。
父親は年頃の娘を、カレシに盗られるのが淋しく、複雑な心境なんだと私は心の中で笑った。
母親は母親で毎年成長していく娘を見ながら、自分の若いころを思い出しているようだった。
暫くして、車のクラクションが鳴り、私はリビングの父に”行って来る”と言って家を出た。
父は”おう”と言ったまま、新聞から目を離さなかった。
私は、そんな可愛いオジサンになった父を見て、つい微笑んでしまった。
彼と私は、西大路四条の交差点の近くにある、彼の会社の駐車場に車を止めた。
市内中心部には車が入れないことは解っているので、西院の駅から電車に乗った。
四条烏丸の駅まで電車で行き、観光客や市民でごった返す四条通に歩いて行った。
京都の夏の風物詩である祇園祭は、例年の賑わいの中で”コンチキチン”と音を立てていた。
亮太も紺色に白地の柄をあしらった浴衣を着て、団扇を腰に挿していた。
私の右手を引っ張って、人ごみの中を歩いてくれていた。
疫病や災いを治めるために始まった祭りは、現代の京都を訪れる人や市民に、
エキゾチックな感覚と、日本古来の伝統の響きを、形を変えて伝えているようだった。
彼は四条通の和装の小物店で、私に”かんざし”を買ってくれた。
蝶が羽を広げ棒の先に止まっているような、可愛らしい物だった。
私は、それを私の髪に挿してもらい、お店の鏡で見て嬉しそうに笑っていた。
彼も、それが似合うと言って、選んだ人のセンスが良いと誇らしげに自分を褒めた。
彼と私は、朱色に光る八坂神社まで四条通を、慣れない下駄を履いて歩いた。
八坂神社でお守りを買い、本殿で並んで鈴を鳴らし、お祈りをした。
私は、家族の健康と交通安全、そして彼との縁がいつまでも続くようにお祈りした。
彼も長い時間、頭を下げて本殿でお祈りをしていた。
私は彼に歩きながら聞いてみた。
「亮太は、八坂さんに、どんなことお祈りしたん?」
彼は意味ありげな笑い顔を私に向けて言った。
「そら、ヒミツやし、言えんなあ」
私は彼の顔を睨むように言った。
「何やのん。ケチやなあ。言ってくれてもええやんか」
彼は私を見ながらウィンクして言った。
「お祈りしたことは、神様だけが知ってたらええねん」
私は、それもそうかなと思ったが彼を睨みつけて言った。
「変な事、神様に頼んでたら、シバクからな」
彼は、そんな私を優しい目で見ながら言った。
「お前の、そういう顔、可愛いかもしれんな・・・」
彼の言った言葉に、私は急に照れくさくなって下を見た。
彼は大声で笑いながら、私の頭を撫ぜてくれた。
彼の頭を撫ぜる大きな掌は、とても優しく私は感じた。
私は、こんな幸せな日々が続くことを、もう一度心の中でお祈りしていた。
月が替わって、八月の京都は異常なくらいに暑かった。
毎日、夕方に降る夕立が唯一の救いのように思えた。
路地を歩いていてもエアコンの室外機が音を立てて、アスファルトの道路も溶けそうだった。
温暖化が進むにつれて、京都の風情も少しずつ変わっていくのかなと、私は感じた。
八月が始り数日経ったとき、母から会社帰りに東山の祖母の家に来るようにと電話があった。
何やら、祖母がこの暑さで体調を崩したのか、寝込んでいるようだった。
私は会社が引けると、東山の祖母の古い京町家の格子戸をくぐった。
母は祖母の枕元に座って、横たわる祖母と話をしていた。
母は、一旦家に帰って父の夕食の準備をしてから戻ってくるので、
私に2時間ほど祖母の傍にいるように、と言って家に帰った。
私は、祖母の枕元に座ってタオルを絞って祖母の額に置き換えたり、
会社の話をしながら祖母の相手をしていた。
祖母は、いつもの京言葉で私に言った。
「安奈はん。あんさんは今年でいくつになるんどした?」
私は、祖母に答えた。
「今年の10月がきたら、23歳になるんよ」
祖母は、首を縦に少し振って納得し言った。
「わては、何時おらんようになるかもしれんし、あんさんに言うておくことがあるんどす」
私は、笑いながらいった。
「おばあちゃんは、まだまだ大丈夫やて。長生きしてもらわんと、私も困るわ」
4年前に、今付き合っている亮太の件で、私が泣きながら祖母の家に来たことがあった。
そのとき、祖母に話を聞いてもらって、亮太を信じて行きなさいと言われたことがある。
その時、祖母は私を凛とした言葉と、優しい言葉で励ましてくれた。
でも、その時の落ち込んだ私の心は、家に帰っても家族とも話さず、食事もしないで、
1週間ほど自分の部屋に篭って、陰鬱な気持のままで過ごしていた。
そのときの父や母や、友人などに大きな心配をかけた事を、私も反省していた。
その時の話を、持ち出して祖母はしみじみと私に語った。
祖母はゆっくりと話し出した。
「まあ、お聞きやす。あんさんは4年程前、亮太のボンのことで泣かはりましたやろ」
「その時、お家に帰っても泣いたはりましたわな。ずうっと部屋に篭って」
「親やら、学校のお連れやらを、随分心配させやはったことは、覚えといやすか?」
祖母は言葉を続けた。
「安奈はんが、泣いたり落ち込んだら、周りのお人はんは、気に掛けますやろ」
「京の女子は、涙を人前で見せることは、あきまへん」
「辛くても、悲しくても、じっと我慢して、明るく笑ろとらなあきまへんで」
「人さまが、おらんとこで泣きなはれ。人さまに解らん様に泣きなはれ」
そして、黙って聞いている私に言葉を更に続けた。
「安奈はん。泣きとうなったら、この家の、この部屋で泣きなはれ」
「思い切り泣いたらスッキリしまっしゃろ?ほんなら、笑ってこの家から帰りなはれ」
「これから、まだまだ泣かなあかんこと、人生には仰山おまっせ。」
「わては、あんさんが自慢の孫娘やさけ、こんなキツイこと言いますけど、解るかいな?」
私が頷くのを待って祖母は最後に言葉を締めくくった。
「この家は、わてが死んだら、安奈はんに、あげるように遺言を書いとりますさけな」
「この家は、あんさんのもんどす。遠慮せんと使いなはれ。遠慮せんと泣きなはれ」
「せやけど、泣き止んだら、いつものように笑ろうて、人さまに接しなあきまへん」
「わかったな。安奈はん。・・・これが、わての、あんさんへの遺言どすさかいにな」
私は祖母の、凛とした言葉を聴きながら目頭が熱くなるのを感じていた。
そして気づいたときには、熱い涙が頬を伝って流れていた。
祖母の私に対する心遣いは、祖母の厳しい戒めとともに、私の心を濡らしていった。
祖母は私に、祖母の言いつけを守るように約束をさせた。
祖母は二日後には布団を出て、いつものように庭に水を撒き玄関先を掃除した。
私が祖母を見舞いに行った時、祖母は楓と竹と躑躅と古い灯篭のある中庭を見ていた。
祖母は目を細めて夕暮れの中庭を見ながら、和服姿で本を読んでいた。
そのシャンとした姿勢の良い、和服姿の背中を眺めながら、
彼女の生き様とともに苦労の多かった人生を、私は何となく察した。
八月の第一日曜日、彼と私は四条河原町に買い物に出かけた。
私はブラウスとスカートを買い、彼はジーパンとTシャツを買った。
その後、彼と私は木屋町辺りで夕食を摂る事にした。
木屋町の一本東側に”先斗町”という通りがある。
その細い路地のような通りにある、串カツなどを中心に創作料理を出してくれる店に入った。
その店は、外は普通の町家の外観だが、店内はモダンな内装でお洒落な店だった。
彼と私は、ビールで乾杯をして料理に手をつけた。
彼は、美味しそうにビールをお代わりして、串カツを頬張っていた。
食事を美味しそうに食べる彼の表情は、私のお気に入りの一つでもあった。
彼が、ビールを飲もうとしていた私に言葉を掛けた。
「来週、16日は大文字やな。どっかで一緒に見るか?」
私は、ビールを飲む手を止めて彼に言った。
「大文字って・・・亮太。京都人は”五山の送り火”と、ちゃんと言って下さい」
彼は、邪魔臭そうな顔をして私に言った。
「ええやんか。お前はすぐ、俺の言葉の揚げ足取ろうとすんねんな?」
私は、ニッコリ笑って彼に言った。
「これが、私の亮太に対する愛情表現やんか。他の人には、こんな事言いませんから」
彼は、私に一段と邪魔臭そうな顔で言った。
「ほんまにお前は、俺をおちょくってるのか、俺を好きなのか解らんやっちゃで」
私は、おどけた表情で答えた。
「私も、解らん時があんねん」
彼は、冷たいビールを飲み干して、話題を変えて言った。
「安奈の両親は、俺の事って、どない思ってはるんやろ?」
私は、料理を摘みながら答えた。
「どうって、どう言うことなん?」
彼は、珍しく真剣そうな顔で私に言った。
「俺ら、まだ22歳やんか。でも、あと三年とか経ったら結婚も考えなあかんやん」
「もしも、俺らが、このまま続いて25とか26に成ったら結婚するかも知れんやん」
私は、彼の言葉に得意の揚げ足を取ってみた。
「結婚するかも知れんやんって? まだ亮太の心の中は未決定なんやろ?」
彼は、慌てながら私の言葉に引っ掛かって言った。
「いあ、俺は決定してるけど、先のことなんか解らへんやん。安奈やって」
私は、図に乗って彼を困らせることにした。
「私は決まってるよ。浮気癖のある亮太が、結局はポイントちゃうん?」
彼は、戸惑いながらも真剣な顔で言い返した。
「アホか? 俺は、安奈しか嫁にする気はないで。今のところは」
私は、笑いながら彼に言った。
「ほら見てみーな。今のところは・・・って言ったやん。明日は気が変わるかもね〜」
彼は、またまた邪魔臭そうな顔で言った。
「何か、お前と話してたらイライラするわ」
そして、彼は気を取り直してか、諦めてか笑い出した。
私も、私自身が素直じゃないなと思いながら、一緒に笑っていた。
その後も、私は目を細めて笑いながら、彼といつもの言葉遊びを繰り返していた。
彼は彼で、そんな感じの会話に乗ってくる典型的な関西人だと、私は思った。
そんなノリの人の良さが、友人を多く作る彼の素質なのかなとも思った。
彼と居て楽しいのは、彼は私の目線で向き合ってくれるからだと、私なりに感謝した。
食事を終えて、私達は鴨川の堤防を歩いた。
私達の目の前には、先斗町の料理店から鴨川の西を流れる”みそぎ川”の上に張り出された、
俗に言う”床”が夏の京都の風景を造っていた。
”床”の上では、提灯が釣られ、涼を求めて食事をするグループが賑やかに笑っていた。
彼は鴨川の石畳の上に、川を見ながら座った。
私も彼の横に座って、川端通から届く光が、流れる川面に反射するのを見ていた。
彼は、膝を抱え背中を丸くして川の流れを見つめていた。
何も言わない彼の背中が、何となく淋しく見えた。
私は彼の先程の話を思い出していった。
「ねえ、亮太。さっき、16日の”大文字”を見に行くって言ってたやん。どうするん?」
彼は膝を抱えたまま、私を見て言った。
「お前も、”送り火”って言わんと”大文字”って言うてるやんか」
私は、揚げ足を取られた気がして彼に言った。
「そんなことはどうでもええやん。行くの?行かないの?どっちなん?はっきりしーや!」
彼は、ムキになって言った。
「行くに決まってるやん。お前、死んでも予定入れるなよ」
私は、彼の言葉の揚げ足を取って言った。
「死んだら、予定は入れることが出来ませんから・・・ね!」
彼と私は、いつものように笑い、私は彼の腕を両手で抱えて肩に頭を乗せた。
彼の肩に頭を乗せる私に、彼の吸う煙草の匂いと、汗の匂いがした。
私は、数日先に”大文字”の松明が描く東山の”如意ヶ岳”の方向を眺めた。
16日に”お精霊さん”を送る銀閣寺の上の山は、暗くて見えなかった。
8月12日、京都市内は、夕刻から降り出した雨が激しくアスファルトを叩いていた。
私は明日からの盆休みに備えて、会社で書類の整理と事務所の清掃をしていた。
16日までの短い休暇だったが、この季節の京都の行事は多かった。
お墓参りや、お寺の坊さんの檀家まわり、そして親戚が来たりで大変だと思った。
私が会社の掃除を終え、帰宅し食事を済ませて自分の部屋に入った。
16日の五山の送り火を、亮太と見ることを約束していたので、
時間の打合せをすべく携帯で連絡を取った。
彼の電話は留守電になり、彼は出なかった。
午後10時を過ぎてから、もう一度連絡を取ったが彼は出なかった。
それを、気に留めることなく風呂に入り、1時間くらい入っていた。
部屋で髪を乾かしていたとき、着信を知らせるランプが点灯しているのに気づいた。
見てみると彼の携帯から3回の着信が表示されていた。
私は、髪を乾かす手を止めて彼の携帯に電話を掛けた。
コール音が鳴って、相手が出た。
それは、女性の声で彼ではなかった。
彼の携帯を女性が操作し、通話に出たので私はビックリした。
それは、彼の姉の”今日子”だった。
亮太が風呂にでも入っていて、姉の今日子が私だと解って取ってくれたものと理解した。
しかし、電話に出た今日子の声は小声で震えていた。
何か解らないが、不吉なものが電気のように私の身体を走った。
私は、今日子が泣きながら私に、必死で喋ろうとしているのが解った。
今日子は途切れ途切れに電話で言った。
「亮太が、交通事故で、今、病院やけど、ちょっと大怪我して運ばれたんや」
私は今日子の言葉を最後まで聞かず言った。
「何処の病院ですか?」
今日子は病院名を言って、半分泣きにながら喋っていた。
「大丈夫やと思うんやけど、亮太の携帯が鳴ったんで、安奈やってん、どないしょう?」
私は彼の姉が何を言っているのか解らないが、うろたえるほどの事故かと思い、
慌てて着替えをして、病院に行く事にした。
リビングの両親に、病院に行くことを告げると、父と母が一緒に行くと言った。
父と母が着替える時間に、イライラしながら車を出すのを待った。
ようやく、父が車を出し、母が乗り病院に向かった。
幸い私の家から10分ほどの救急病院だった。
私達家族が到着すると手術室の前に、亮太の母と姉が長椅子に座って泣き崩れていた。
傍には、救命手術をしたであろう医師と看護師が立ち尽くしていた。
それでも私は、姉の今日子の顔をを覗き込んで、亮太の状態を必死で尋ねた。
姉の今日子は、泣きながら首を横に降るばかりだった。
私は、傍らに立つ医師に亮太の事を問いただした。
医師も力なく、小さい声で亮太が亡くなったことを告げた。
私は、不思議と涙は出なかった。
ただ、彼の母親と姉を交互に見ながら、脚の振るえだけは自覚していた。
私の両親は、身体全体が震えている自分の娘の肩に手を置いて、無言で立っていた。
私は、これは現実なのかと疑いたくなる思いで、病院の白い壁にもたれていた。
私は、その日の夜中から朝まで、彼の自宅に運ばれた亮太の顔を眺めていた。
彼の顔は、傷一つなく、まるで眠っているようだった。
今にも、起き上がってきそうな彼の枕元には、線香の煙が漂っていた。
私は、自分でも不思議だったが、涙は出てこなかった。
朝になって、葬儀社の担当者が事務的に親戚と打ち合わせ、通夜や葬儀の日程を決めていた。
私は、人間の死を事務的に処理することが、どうして出来るのだろうと腹立たしくなった。
今夜が通夜で、明日の午後が葬儀と決まった。
私は、彼の死に実感が湧かないまま、力の入らない身体で彼の顔を眺めるだけだった。
彼は、あの集中豪雨の夕方に、会社の車で帰社する途中に大型トラックと衝突した。
ハンドルに強く胸を打った彼は、心臓を損傷して死に至った。
どちらの車が被害者なのか、加害者なのかは私にはどうでも良かった。
事実なのは、私の愛する亮太が、この世から消え去ったことだった。
葬儀は近くの葬祭会館で行われた。
葬儀が始まり、お経が流れ、白々しい葬儀社のアナウンスの中、焼香が行われた。
お経が途絶え、最後に彼の棺に花を手向ける私の目に、彼が目を開いたような気がした。
花を入れ終え、彼の眠る棺の蓋が閉じられた時、
私は突如として噴き出してくる洪水のような涙を止められなかった。
そして、大声で泣き叫びながら、彼の棺になりふり構わず縋り付いていた。
彼の葬儀が終わった後、私はタクシーで東山の祖母の家に行った。
祖母も、私の母から彼の死を聞いていたらしく、
俯きながら無言で入って来た孫娘の、目を腫らした顔を鎮痛な表情で見つめた。
そして、座布団を出して私を座らせ、何も言わずに私の肩を抱きしめ、
座卓の上に麦茶とタオルのハンカチを置いて、自分の寝室に静かに歩いて行った。
私は、座敷から見える中庭の景色が、涙で見えなくなるのを感じながら、
湧き出して止まらない涙が、畳の上に落ちていくのを他人事のように見ていた。
やがて、私は声を出して泣き出し、畳に突っ伏した身体は震えが止まらなかった。
私は、生まれて初めて、本当の意味で泣いたような気がした。
何時間がたったのだろう?
潤んだ目を開くと、中庭はすっかり夜の中に静まり返っていた。
灯りを点けていない座敷の中も、真っ暗な闇の中だった。
私は、この闇の中で不思議と安らかな心地を感じていた。
これで、亮太はもう帰っては来ないのだという、簡単な事実だけが頭に残った。
私は、座敷の蛍光灯を燈した。
暫くして、祖母が座敷に入ってくるのが解った。
祖母は、お茶を入れ替えて私の横に無言で座ってくれていた。
ここで、祖母に肩を抱かれたり、手を握られたら、また泣き出しそうな自分が居た。
祖母は、それを解ったかのように、じっと無言で座っていた。
時計の針が9時を指した頃、祖母が初めて私に声をかけた。
「家には電話してありまっさかい、今日は、此処でお泊りやす」
私は、力無く頷き祖母に初めて言葉を言った。
「おばあちゃん、ありがとう」
祖母は静かに言った。
「安奈はん。今はどんな慰めの言葉も、どんな励ましも、あんさんには聞こえまへんやろ」
「誰かに慰められるん違ごうて、あんた自身で、悲しみを片付けなあきまへん」
「辛いけど、それしかありまへん。安奈は安奈なりの遣り方で立ち直らなあかしまへん」
「わては、安奈はん、あんたを信じてまっさかい、自分なりに自分を片付けておくれやす」
祖母はそう言って、自分の部屋に帰っていった。
私は、身体は放心状態のように力はないが、頭の中ははっきりしていると自覚していた。
これだけ泣いたら、出る涙も涸れてしまったのではないかと思うくらいだった。
私は、きっと強い京都の女で、きっと立ち直って見せると思った。
立ち直らなければ、亮太に申し訳ないと思った。
16日の夜、京都の街は”五山の送り火”で賑わっていた。
私は、祖母と二人で祖母の家から鴨川の畔に出て、東山に燃え盛る松明の形を見た。
お盆に帰って来られた”お精霊さん”が天高く、
あの松明の火に乗って来世に帰っていくのだと、私は祖母から聞かされていた。
でも、数日前に死んでしまった亮太の霊は、
この五山の送り火に乗って、天に帰って行く事が出来たのだろうかと、私は思った。
私は観光客が歓声を上げて、送り火を見ているのを聞きながら、
全く違う気持で、夏の夜空を焼き上げる炎の列を見つめていた。
そして、送り火を見ながら亮太が生前に言っていた言葉を、ふと私は思い出した。
彼は16日の五山の送り火を、私と二人で見に行くからと言って、
”その日は、お前、死んでも予定入れるなよ”と言っていた言葉だった。
私は彼の言葉を思い出して、何だか不思議な気持になった。
彼は送り火とともに、私に見送られて天国に帰って行きたかったのだろうか。
私は、祇園祭の宵山に、彼が買ってくれた蝶のデザインされた”かんざし”を挿して、
彼が天国に昇って行くのを見守っていた。
私は、消えかかる送り火を見ながら、傍に立つ祖母にポツリと言った。
「私は彼のためにも、これから笑顔で生きるしな。 おばあちゃん」
祖母は、少し間を空けて静かに言った。
「安奈はん。自分のために生きて、おくれやす・・・」
私は、祖母の言った当たり前の言葉が、深く心に染み込むように聞こえた。




