第18話 それぞれのサービス
「お待たせいたしました。こちら生ハムサンドとエッグサンドになります。取り皿はお二つでよろしかったでしょうか?」
「あっはい、大丈夫です。ありがとうございます」
「ごゆっくりどうぞ」
僕たちがサンドイッチを交換しようと話していたことを聞いていたのか、それとも何も聞かずとも察して用意していてくれたのか、店員さんはサンドイッチが乗っている大きな一枚皿より小さい皿を二枚持ってきてくれた。
それに僕は自然と感謝の言葉が出てきて、聞き止めた若く見える女性の店員さんはにこっと笑い返してくれる。
なんて丁寧で心地良い接客なんだと震えた。ここにまた来たいという考えがあっさり心の中に浮かび上がる。来た客にそう思わせられるのは本当にすごい事だ。
勤務マニュアルがしっかりしてるのか、それともあの店員さんがすごいのか……。
「美味しそうです」
運ばれたサンドイッチを見て先に声を発したのは白刃さんだった。彼女は自身の手前に置かれた生ハムサンドを見つめながら、ただその一言だけを告げる。それ以降、以外の感情や想いは言葉にのせず、目に浮かぶだけであった。
喜怒哀楽で例えるなら、どれか一つではなく三つ以上が混じっているような、そんな複雑な形と色をしているのではないかと思うぐらい入り混じった目をしていた。
「目は口程に物を言う」とは言うけれど、その目が何を語ろうとしているのかを事前に知っていなければ解りようは無い。今の彼女が思っている気持ちは、僕が知らない彼女の過去を交えた上での色だ。
この色についての話題は、簡単に触れない方がいいと本当にほんの少しだけ、何となく察する。
「うん、美味しそうだね。おお……卵サンドはこういうのも良いかもなぁ……」
トーストにはほんのりと香ばしい焼き目が付いており、卵以外に瑞々しいトマトもトーストのサイズに合わせた大きさに切られ、具として挟まっている。
最近ハマっている卵サンドは具をたまごフィリングしか挟めていなかったけれど、野菜を挟むのもありだな。トマトも良いし、レタスとかでも良い。ハムチーズなんかにしても、ガツンと味があって良いかも。
「ふふ、考えてますね」
「うん、やっぱり考えちゃうよ。こういう美味しそうなのを見るとさ」
「次のあきと君のお弁当はきっとエッグサンドになってしまいますね」
「なるかも、というか多分そうだと思う」
「あの分厚くて甘そうな卵が挟まったサンドイッチも美味しそうでしたけどね?」
「え? あっ、よく覚えてたね? たしか白刃さんが料理対決の挑戦を申し込んできた時のお弁当だよ?」
「こっそり見ていて、良いなぁと思っていたのですよ」
「もしかして、たまごがお好き?」
「結構好きですね、ゆで卵は毎食一個食べてしまいたくなるぐらいには」
「毎食!? 毎日の間違いでは無くて!?」
健康的といえばそうかもしれないけど。
「なので結構抑えてます、食べ過ぎはバランスが良くないので」
「さすが、しっかりしてる」
「あきと君ほどではありません」
「いやいや」
「いえいえ」
何とも日本人らしい謙虚な掛け合いをしてしまう。けれどもお話はそれぐらいにして、目の前の食事を頂くことを優先する。
六枚ずつ乗っているサンドイッチを取り皿に分ける。お互い三枚ずつと平等公平に取り分けたら、同じタイミングで僕と白刃さんは手を合わせる。一挙一動が重なったことにお互い少しだけ笑いつつ、言葉も重なる。
「「頂きます」」
包み隠さず言えば、ここまで長かった。それに尽きる。
お腹はぺこぺこ、ツッコミ力もへろへろ。唯一サンドイッチより先に来た紅茶のおかげで潤いは確保できたけれど、差し出されたご飯を前にすぐ飛びつけないぐらいには疲弊していた。
だから、故に。
サンドイッチが口に入ったあと発する感想は、これ以外に無かった。
「う、うまい!」
「ええ、美味しいですね」
月並みな事しか言えないほど、ただただ感動した。
「美味しい」という事実を身体も精神も知ってしまい、喜んでしまえばあとはひたすら味を楽しむだけ。黙々と、けれど嬉々として。僕は表情筋が緩みまくって融ける様な笑顔をしているだろうし、視界の端に見える白刃さんの目は星の光を映しているかのように輝いている。
エッグサンドは味のバランスがとてつもないほど良い。つぶした卵にマヨネーズなどを混ぜたフィリングの主張はかなり強めであり、はっきりとした旨味や塩気を口全体で感じられる。もし挟んでいる具がこれだけであったのならちょっと重たいと感じる物が、トマトが間に居てくれていることで上手く中和されている。お互いがお互いの良さを引き立てている。
このバランスはえぐい。かなり洗練しないと実現できないはずだ。
もう一方の生ハムサンドは、生ハム以外にバジルとクリームチーズが挟まっており、濃厚で大人な食材と味なはずなのに、びっくりするぐらい食べやすかった。
生ハムとバジルとチーズはそのまま合わせて食べても美味しい組み合わせだけど、サンドイッチにするために一口で食べやすい大きさに具材が切られていることが理由であった。頬張るように口を開けなくても口に収まり、そして噛む毎にチーズのクリーミーさが生ハムの芳醇な味わいと絶妙に混ざり合い、その主張の強さを上手く落ち着かせてさっぱりとした余韻に仕立て上げるバジル。
これもバランスがぱない。ありえないぐらい美味かった。
料理でバランスを取るというのは、簡単に言うがかなり難しいことだ。元々生まれの違う食材たちをどうにかこうにか手を加えて、運よく噛み合った偶然の産物をレシピと言われて残される。
このサンドイッチは味のバランスだけでなく、具材それぞれのサイズバランスも整っているのが美味しさの秘訣なのだと思う。
「単純な美味しさ」は具と調味料さえ間違えなければできあがる。けれどもさらに突き詰めた「バランスの美味しさ」は料理素人どころか、経験者でも躓きやすい。というより忘れやすいところである。
忘れた場合、味が雑になる。そういった雑さがこれには無かった。
「ああ、美味しすぎます」
僕が四枚目のサンドイッチに手を出した頃、白刃さんの独り言が耳に入り、会話もせずぱくぱくと食べていた事に気付いた。
「うん、美味しいよね……」
「ええ、何でこの場所を忘れていたのか今までの私を問い詰めたいです」
「小っちゃい頃の記憶って、上から塗られたみたいに朧げになることが多いよね」
「塗られた、とても腑に落ちる表現です。確かに頭の中には記憶として残っているのに、何か別の物と混じった絵具が先入観になって、べったりと張り付いていました。このお店の場所は、頭の中でずっと考えていた位置とは別でしたし」
「なるほど、この辺りを探しても見つけられなかったのはそれが原因だったのかな」
「はい。手がかりである記憶の座標も風景も間違っていて、核心となる物は結局ここの看板にあるお花のアマリリスだけでした。だから」
「ん? だから?」
彼女はサンドイッチを食べていた手をおしぼりで拭き、ブレンドコーヒーを一杯飲んで仕切り直し聞いてくる。
「どうしてか聞いても良いですか?」
「え、ど、どうなさいました……?」
「なんであきと君は、私の断片的な情報だけですぐにお花の看板であったことを見抜いたのですか?」
正直に言えば、ただ勘が当たっただけだ。
一発で正解にたどり着いたのは、自分でも不思議ではあったが。
しかし一応、理屈で説明できそうな部分を言う。
「……ええと、ふと気付くようなきっかけは『丸のような尖っていたような』って白刃さんが言ってたことかな。そういうデザインに幾つか思い当たる節があって、その一つがお花だったね」
「あきと君はお花好きなのですか?」
「んー、普通よりちょっと好きって程度かな。軽く話したかもしれないけど親の影響でさ、触れ合う機会が多かったんだ。今は趣味程度だけどね」
「親御さんが、お花屋さんで働いているのでしょうか?」
「えっとね、普通のお花屋さんもそうだけど華道も軽くかじってるんだ。だから僕は知識自体は色々あるけど、それ止まりって感じだね」
「少し、聞いてみても良いですか?」
「ど、どうぞ?」
「花言葉『思い出』のお花はありますか?」
「ライラック、ユーカリかな」
「『奇跡』は?」
「ブルーローズ、青バラだね」
「『真実』は?」
「キクとか、アネモネかな」
「すごいですね、花言葉全部知っているのではないのでしょうか?」
「そんなことないよ、知らない物も多いし忘れているのもたくさん。今言ってたのは結構分かりやすいやつだったからね」
「ちょっと長い文章みたいな花言葉もありますよね、私今日一つ覚えましたよ」
「……知ってる」
嫌な予感。
白刃さんの流れがわかるようになってきたぞ。
「アマリリスっていうお花の花言葉なんですけどね?」
「楽しいねぇ白刃さん! おしゃべり楽しいよねぇ!?」
「はい、楽しいですよ。お花で遠回しに褒めてくるセンスのある人とのおしゃべりは楽しいです」
「しっかり言わない辺りがセンスあるよね!? 遠回しに記憶を掘り起こして僕を悶えさせようとしているでしょ!」
「可愛いとか可愛らしいという花言葉のお花はありますか?」
「ネモフィラが『可憐』っていう花言葉だけどそれがどうかしましたか!」
「あきと君はネモフィラが似合いますよね」
「女の子口説くなら良いけど目の前に居るの男だからね!? いや一周回って白刃さんは男を口説くときもお花持ち歩いていそうだけどさ!」
「男の子を口説くなら、バラを999本用意しませんとね」
「……ははは……」
「どうかなさいました? 素で笑っているようですけれど」
「いや、潔いなってさ……。100本とか108本の意味をすっ飛ばすんだもん……。カッコいいよ白刃さん、男でも惚れる……」
バラの本数で意味が変わるのは有名な話だ。
100本は「100%の愛」
108本は「結婚してください」
999本は「何度生まれ変わっても貴方を愛します」
僕は彼女のカッコ良さというか、潔さが恐ろしくなった。この人ホント、クール。
おしゃべりを一旦終え、残りのサンドイッチにも手を出し始める。けれど僕とは違って白刃さんは何故か手が止まっていた。それが気になってしまい、口に頬張りながら聞いてしまう。
「あれ、どうかした?」
「いえ、計算しているのです」
「ん? 何を? お会計とか?」
「999本集めるにはどうしたら良いかと」
「ちょっと待って、そこまでして口説き落としたい相手が居るの!?」
「なんと言いますか、バラはサブプランですけどね」
「それに匹敵するほどのメインプランを控えているというんですか……!」
「値段から考えれば、数年かけないといけませんが確実ですね」
「ごめん白刃さん、訂正します。あなたなら大丈夫です、ホントに。だから破産するような買い物はやめよ? ね?」
「そうですか。良いかなと思ったのですが」
一体、何十万近くかかってしまう買い物までして添い遂げたい相手は誰なんだろうというのは、さすがに聞けなかった。半分ぐらいは冗談なんだろうけれど、この人にそこまで想われる相手の事を知ってしまうと真面目にへこみそうな気がしたから。
こういうところが甘いというか腑抜けだよな、僕は。
考えながらサンドイッチを食べていると、いつの間にか全部無くなっていた。いやもちろん僕の胃の中に綺麗に収まっているけれど。ひょいひょいと食べてしまったが故に白刃さんより一足先に食べ終わる。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて小さく呟き、お水を一杯飲む。カフェインを飲んだ時にはお水もしっかり摂るのを意識しないと、脱水症状を起こしやすい。ただ一気に水分を摂ってしまった所為で、少し催す。
「ごめん白刃さん、ちょっとお手洗いに」
「はい、分かりました」
席を立つ前、白刃さんのお皿にはサンドイッチがあと一枚残っていた。多分帰ってくる頃に丁度食べ終わっているかいないかぐらいだなと考えながら。
*
「お会計、お願いします」
本当に丁度良いタイミングでした、あきと君。
多分あなたなら、割り勘どころか「僕が払うよ」と平気な顔で言いそうですもの。そんな恩人に泥を塗るような真似はしたくありません。というか私のプライドが許しません。
今回、ここを見つけられたのは紛れもなくあなたのおかげなのですから。これぐらいは格好付けさせてくださいね?
「はい。ご一緒でよろしいですか?」
「大丈夫です」
「あの……人違いならごめんなさい。もしかして、美銀ちゃん?」
「そうです。お久しぶりです、ユリさん」
「やっぱり……! また顔が見れて、本当に嬉しいわ」
「私も、嬉しいです。会いに来れなくてごめんなさい」
「気にしないで、来づらいんじゃないかって思ってたから。けどそんなことより! 一緒に居たあの男の子、彼氏君だったりするの?」
「いえ、まだです」
「あら……! あらまぁ!」
「もう少しかかるのではないかと思っていますが、諦めたくはないですね」
「応援してる! 頑張って!」
「はい、ありがとうございます」
彼の分もお会計を済ませて、席で待つことにします。誰かに話してしまったからにはもう引くに引けませんよね。でもそれは問題ありません、だって引くつもりなんて彼から拒絶されない限りは在り得ませんから。
けれどちょっと鈍すぎますよね。あそこまで露骨に言い寄っても自分の事だと到底思っていないようですから、もしかすると私が意識できない程魅力のない女だったりするのかもしれません。
となれば、自分磨きをしないといけません。サブプランには手を出さず、正々堂々と戦いましょう。私の事を好いてくれるように、私自身を魅力のある女にしていくというメインプランで。どうかそれまで待っていて欲しいなんて思ってしまうことだけが、ちょっと欲張りさんでだめですね。
ああ、でも。
「恋は欲張りなぐらいが丁度良い」って、お母さんから言われていたのでした。
今度お父さんに聞いてみましょうか、「お母さんからどんなアプローチをされたの?」と。